AWC 封神(4)        青木無常


        
#929/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 4/19   7:54  (190)
封神(4)        青木無常
★内容
 催眠術にかけられたように呆然としていた作業員たちが、その一言で我にかえっ
たように扉の周囲に群がった。
 「遺蹟を傷つけんように慎重にやるんだぞ! ちょっとでも妙なことをしたら、
このわしがくびり殺してやるからな!」
 温厚で名の通った菊村明久がそのような暴言を叫んだ事実も、この発見がいかに
画期的で驚愕に値するかの証左であった。
 やや興奮しながらも的確に下される菊村の指示のもと、発掘は慎重に、なおかつ
いささかヒステリックな超スピードで進められた。
 その菊村に、助手の斉藤が遠慮がちに声をかけた。
 「教授、あれはなんなのでしょう?」
 「あれ?」
 「あれです」
 斉藤は露出した最上部あたりを指差した。
 いぶかしげにひそめられた菊村の眉が、それを見つけてさらにきつく寄せられる。
 「傷――でしょうかね? ぼくにはなにか、掘り刻まれたもののように見えるん
ですが。そう、たとえば……文字かなにかのように」
 「文字――?」
 小さく震える言葉が、その驚きの巨大さを歴然と示していた。
 「そう……かもしれん……」
 涙を流さんばかりに、その両の眼が大きく見張られる。
 扉の上部に刻まれているそれは、たしかに、文字とも記号ともとれる代物だ。
 当然のことながら、現在使われている日本語の文字とは似ても似つかない。分類
としては、くさび形文字と呼ばれるものの範疇に入るだろう。土にまみれてまだ判
然とはしていないものの、円と十字を核として使われているいくつかのヴァリエー
ションがほの見えている。
 「神代文字か――?」
 茫然と菊村はつぶやいた。それを聞きつけた斉藤はびっくりしたように「まさか」
と小さく叫んだ。
 「可能性を否定する材料はない」
 その顔のあまりの真剣さに、斉藤はごくりと喉を鳴らした。
 「ですが――」と斉藤もまた、声を震わせながら言った。「――だとすると、日
本の学会にセンセーションがまき起こるでしょうね……」
 斉藤は笑った。無理に浮かべた、ひきつった笑顔だ。
 「そうもいかんだろうがな」菊村はふいに厳しい顔を取り戻した。「神代文字な
どまともに取り上げようものなら、それだけで学会からは異端視される」
 「でも、揺るぎない証拠ですよ、これは」
 きかん坊のような口調で言う斉藤へ、苦笑を返しながら菊村は首を左右にふった。
 「残念ながら、学会はそういう風には受けとらんだろうな。それに、どうやらこ
れは日文などのポピュラーな神代文字とは種類が違うようだ。ただでさえ胡散臭く
思われている代物なのに、新しい種類のものが出てきたとあっては、センセーショ
ンどころかここぞとばかりに信憑性の薄さをあげつらわれてしまうだろう。実際、
神代文字を筆頭とする古史古伝というやつは、眉唾ものが多いしな。とはいえ……」
 ふと、菊村は遠い目をして空を見上げた。
 「これがほんものだと認めさせることができれば、日本古代史に関する学説の大
部分が根底から突き崩されることはまちがいないがな……」
 それは菊村にとってはきわめて魅力的な情況であった。
 学会と折り合うために菊村は、今まで公式的には異端的な分野にはあえて手を出
すことはしなかった。だが個人としては、むしろ『古史古伝』と呼ばれる文書や神
代文字などの異端とされる領域にこそ、強い興味を抱いていた。
 漢字の渡来、およびかなの成立以前、上古の日本にかつて存在していたといわれ
る神代文字に代表される、日本固有の文字が存在したとする説は室町時代に神道家
の間に広まっていたとされ、また江戸時代には平田篤胤を筆頭に国学者の間でも主
張する者があったという。
 神代文字の代表格ともいえるアヒル文字、または日文と呼ばれる文字で書かれた
碑文は、たしかに存在している。和銅元年(七○三)に創建されたという宮崎県諸
方郡の円野神社の石柱がその一例である。また後世の偽書であるとされる『上記』
には「豊国文字」という名の象形文字が記載されており、神代文字と呼ばれる文字
の総計は百種類以上にものぼるとさえいわれている。
 が、明治以後、これらの文字の存在を信ずる学者はほとんど影をひそめていく。
古代に固有の文字がなかったという記事は日本の文献自体に古くあり、神代文字で
書かれた古い文献の類はひとつとして残っていない、というのが一般的な否定材料
だ。事実、さまざまな種類の文字を記載した古史古伝群はかつて神代文字で書かれ
ていた伝承を後世に漢字に書き直したものであると称しており、その真偽は明らか
ではない上、多くの伝承は門外不出とされて目にする機会さえもない。その上、こ
の文字を刻んだ証拠物件がある日、突然姿を消してしまうという奇怪な事実もこれ
に拍車をかける。たとえば戦前の研究家である宮崎小八郎は、鶴岡八幡宮で秘宝で
ある「青石」に神代文字が刻まれているのを写真に撮ることに成功したのだが、そ
の一年半後に同社を訪れたところ、その秘宝はなくなっていたのである。宮崎はそ
れ以前にも各地を訪れて神代文字を探求したが、そのことごとくが消失していたと
いう。これらの消失を、人為的な散逸と見る向きも一部には存在するが、いずれに
せよ信用に値する現物がほとんど存在しない以上、この文字群の真実性はきわめて
不利な立場に立たされている。
 さらにそれを補強するごとく、漢字渡来以前に固有の文字が存在していたならば
なぜわざわざ輸入した文字である漢字におきかえて日本語を表記したり、さらには
仮名などというものを発展させる要があったのか、という意見がある。そして、神
代文字はその構成において仮名よりも「進歩した」文字であると見做されてもいる。
また神代文字が四十七音、あるいは五十音しか書き分けない、ということも否定の
証拠としてあげられている。神代文字は単音文字だが日本語の音節には古代、「い
ろは」四十七文字では書き分けられない多くの音があり、それらは五十音図にもお
さめられない音であったという。このため少なくとももっと多くの字体がこの古代
文字には存在するはずなのだが、そこには変体仮名にあたるものさえないのである。
 神代文字の種類の多さも否定的な材料であるし、その中でも最有力とされる日文
は明らかにハングルに基づいてつくられたものと見做されてもいる。
 以上のような理由を代表として、神代文字とは国粋尚古の念から偽作付会された
ものにまちがいなし、とするのが今日の学会の見解である。
 菊村はこの見解に表立って異を唱えたことはないが、ひそかに神代文字は実在す
るのではないかと考えてきた。
 神代文字が過去存在したとして、縄文時代末期における大陸からの侵略者がその
痕跡をきれいに消滅させてしまったのではないか、と疑っているのである。
 そして今、存在しないといわれつづけてきた証拠が二万年前の土層から、その姿
を現しつつある。
 これこそ、たしかに日本史学の転回点となり得る発見である。
 だがしかし、これを学会に提出するには細心の注意が必要とされるであろう。
 アカデミズムに膠着した世界は、多くの謎を宙吊にしたまま「解決済み」の印章
でそれを過去とオカルティズムの彼方に埋もれさせてきた。学究という姿勢を忘却
の底に追いやり、地位の維持と発展ばかりを眼前に掲げて。
 そんな学会の体質に菊村は嫌気がさしていた。といって、孤高の徒を気取って研
究室の奥に閉じこもり、黙々と日の目を見ることのない研究に一生を費やすつもり
も、毛頭ない。
 驚愕と期待を抑えて菊村はむっつりと考えこんでしまった。
 一方、そんな菊村にかわって現場にあれこれと指示の声を飛ばしていた斉藤は、
異音か背後から迫ってくることに気づき、なにげなくふりかえってみた。
 ぎくりと、身体が硬直した。
 空中に、黒い霧のようになにかが浮かんでいた。ゆっくりと近づいてくる。
 それの発する異音が、無数の虫が立てる羽音であることに気づき、斉藤は愕然と
して叫んだ。
 「教授!」
 なにごとかと菊村がふりむいた時、すさまじい羽音を立てて虫の大群が一斉に襲
いかかってきた。
 「うわっ!」
 猛烈な勢いで殺到する羽虫を避けて、一同は声を上げながら地面に倒れこんだ。
 そして、絶叫が上がった。
 肩口に、首筋に、胸に腹に、束の間の休息をとるためのように群がった虫を払い
除けようとして、彼らがそこに見たのは――人の顔であった。
 その虫の頭部は、人間の顔にそっくりだったのである。
 悲鳴の花火が急激に伝染していく。奇怪な人頭虫はパニックの場を形成した。先
を争って虫のいないところに逃れようとして人々は右往左往し――
 そのうちの一組は、さらなる恐怖に凍りつかねばならなかった。
 逃れようとしたその先に立ちはだかるものを、なんと形容すればいいのか。
 灰色の巨大な肉塊。
 体長は、ゆうに三メートルをこえているだろう。
 体表に折り畳まれた無数の皺の間からは、じくじくとした粘液がにじみ出し――
 巨大な双眸が、凶暴きわまりない眼光を発して見下ろしてきた。
 牙のならんだ巨大な顎は、人間など簡単に噛み砕いて嚥下してしまうにちがいな
い。その、巨大な口が、ゆっくりと、大きく開かれていき――
 へえええいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
 したたる唾液の狭間から、息ともうなりともつかぬ音が奔り出てきたのである。
 絶叫があがり、一同は踵を返してもと来た方角に逃げ出した。
 その背中に、ショベルカーのような鋭利な鉤爪がふりあげられた。
 ぶん! と風が鳴った。
 同時に、血潮が虚空に噴出する。
 首が飛び、引き裂かれた背中が地に伏し、はじき飛ばされた体が森の奥に飛んだ。
 一瞬ふりかえり、立ちすくんだ者たちは、絶望の想いで高々とふりあげられた鉤
爪を見上げた。
 その時。

       5

 ひゅっと、風が引き裂かれる音とともに、いくつかの黒い疾風が怪物に向かって
飛来した。
 黒い小物体は、どっ、どっ、どっ、と立て続けに重く灰色の胸部にめりこんだ。
 苦痛の咆哮が、鼓膜を破らんばかりに響きわたる。
 そして、黒い風の飛来してきた方向をふりかえった時、人々は救済者の姿をその
網膜に焼き付けた。
 うす汚れたコートにつつまれた長身が、光り輝いているかのような錯覚が訪れる。
 胸の前で鉤形に曲げられた腕の先、掌の中に、黒いものがはさみこまれていた。
 両端の鋭く研ぎすまされた十センチほどの金属の棒――手裏剣である。
 それが、目にもとまらぬ神速で打ち出された。
 風を切る音とともに、怪物の胸部に黒い手裏剣は突き立てられた。
 ごおっ! と、怪物が吠えた。
 悲鳴であったのかもしれない。
 その証拠に、あれほど荒れ狂っていた怪物が、くるりと背を向けるとその巨体か
らは想像もつかないほどの敏捷さで、地を震わせながら森の奥へと敗走しはじめた
のである。
 一同は呆然と、その後ろ姿を見送った。
 いつのまにか、無数に飛び回っていた人頭虫が一匹もいなくなってしまっている
ことにも、気づいた様子はない。
 やがて、その視線が、突如現れて窮地から救い出したひとりの男の方へと向けら
れる。
 「きみは――」
 菊村が呆然と、つぶやくように言った。
 浄土武彦は、無表情に菊村を見返している。
 が、そこには、朝会った時のような漂然とした雰囲気は微塵も感じられなかった。
 なにかあきらめたような、深い哀しみの色と激しい後悔の念とが、錯綜している
かのような顔をしていた。
 「もうおわかりでしょう、菊村先生」感情を押し殺した抑揚のない声が言う。
「なぜ発掘をやめなければならないか」
 声を出すこともできずに、菊村はただただ眼前に佇む若者と、無残に引き裂かれ
た死骸とに、交互に目をやった。
 ごくりと、喉が鳴った。
 「どういう――どういうことなんだ……?」
 力なく震える声で、菊村は狂おしく問い正す。
 「この遺蹟をこれ以上掘りかえしちゃいけない」若者の警告は、その場にいる全
員に対して向けられたものだった。「あんなのは、まだ序の口なんだ」
 悪寒が、ぞくりとかけぬける。
 言われるまでもないことだ。なにがなんだかさっぱりわからないが、ともかくこ
のような場所からは一分一秒もはやく逃げ出してしまいたい。遺蹟の発掘など論外
だ――それが、この場に集うた一同の、心底からの思いであった。
 菊村明久を除いては。
 「どういう――ことなんだ」激昂が、腹の底から湧き出してくるのを菊村は自覚
していた。「……答えたまえ、きみ。これは……これはいったい、どういうことな
んだね!」
 だが、武彦の答えは素っ気ない。
 「説明しても無意味でしょう。重要なのは、発掘を永久に中止し、ここから早急
に立ち去ることです」
 「きみは――」
 飛びかからんばかりの勢いで菊村が言いかけた時――
 「兄さま」
 林間から響いてきた少女の呼びかけの声に、人々はぎくりとしてそちらに目を向
けた。




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