AWC 【WINDS】〜彼女の小さな物語 Ver1.0〜 らいと・ひる


        
#925/3137 空中分解2
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【WINDS】〜彼女の小さな物語 Ver1.0〜 らいと・ひる
★内容

「もうアナタとはお別れね………いままでありがとう。」
 あたしはそんな言葉を呟きながら目の前にあるアナタを眺める。
 金色にまぶしく輝くアナタは無表情にあたしを見つめていた。

「ねぇ、ほんとにほんと?」
 うきうきしながらあたしはパパに尋ねる。だって…前々から欲しかったア
レがほんとうに買ってもらえるなんて信じられなかったんだもん。
「ほんとうさ。わしからの卒業のお祝いだ。」
 普段は口うるさく聞こえるこの声も今は神様みたいな感じ。
 やっぱりパパには甘えてみるものね。

 あと五日。
 あと五日でアレがあたしのモノよ。
  念願のカイルベルス……先輩とおんなじね。
 あの豊かで高貴な音色……先輩に一度吹かせてもらってから虜になってしまっ
たのよ。あたしのヤマハなんてあんな響きは出せない……だって入門器だもん。
 そう…あたしはにわかの『Musician』。プロじゃないけど一応『アル
トサックス』奏者よ。

 もう六年になるかしら………たしか初めてさわったのが中学の頃。好きなアー
チストが演奏してるって…始めた動機はミーハーね。だけどあとでわかったのよ。
あたしがファンのあの人が演奏しているのは『テナー』であたしの演奏していた
のは『アルト』なのよね。

 でもいいわ。
 あたしとおんなじアルトヴォイス。
 ちょっと甘くてちょっとせつない響き。
 あたしはこの音が好きだもの。

 同じ新入部員の子と学校の楽器を変わりばんこに吹いていた一年生の頃。
  そして二年生になってやっと買ってもらった初めての自分の楽器。
 初心者だからと店の人にヤマハの一番安い入門器を薦められたのよね。
 だけど当時はそんな事は気にしていなかったわ。
 うれしくて暇さえあれば磨いていたあの頃。

 三年生になってやっとまともに吹けるようになった時からかしら?
 自分の楽器に満足がいかなくなったのは。
 友達はみんなセルマーやヤナギサワのいいヤツを持っていて………
 ううん……違うわ……あたしはうらやましかったんじゃない。自分の楽器
の限界に気づいていたのよ。
 それがわかったのは高校に入学した頃よ。
 先輩に吹かせてもらったカイルベルスのサックス。
 あたしの楽器にはこんな音は出せない。
 これがおんなじ種類の楽器の音?

 それからあたしのこだわりが始まった。
 初めは憧れでしかなかったかもしれない。
 だけどそれが強い想いとなってあたしの中に存在し続けていたのよ。
 願いは強く想えば想うほど叶う確率は高いって誰か言ってたもんね。

 あたしの想いの結晶よ。

 もうアナタとはお別れね……いままでありがとう。

 そういえばアナタってどうしようもないところもあったのよね。
 あたしとおんなじ寒い日が苦手ですぐチューニングがずれてしまうアナタ。
 しょっちゅうキイが故障してあたしに苦労をかけさせたアナタ。
 それでもってあたしに何十回と楽器屋に足を運ばせたアナタ。
 覚えている?………高二の頃の文化祭。あたしの見せ場のソロの所でよりによ
ってオクターブキイが壊れて………アドリブでなんとか取り繕ったからいいよう
なものの冷や汗モノだったんだからね。
 でも…今となってはそれもいい思い出か………

 そう………悪い思い出ばかりじゃなかったわね。
 初めて手にした頃は………眺めているだけで幸せだったし……磨いているだけ
で楽しかった……演奏している時の気分なんかもう最高だったわ。
 それに……何度もアナタに慰めてもらったことがあったっけ。
 中学の卒業式に好きなアイツに告白して見事玉砕してしまった時……アナタに
助けられたわね。
 公園でおもいっきり好きな曲を吹きまくって……そうすると何もかも忘れさせ
てくれた。すっきりするのよね。
 落ち込んだ時はいつもアナタに逃げていたっけ。
 思えばずいぶんお世話になったわね。

 あたしの青春の結晶。
 けして派手な毎日ではなかった………
 だけど……………そう………
 夕陽を追いかけるのに駆け出さない青春だってあるのよね。

 ありがとう………もうアナタに文句をいうこともなくなるわ。

 お別れ前にもう一度アナタの音が聞きたいな。
 今日はしっとりとした曲にしようね。
 あたしの大好きな『星に願いを』。

 いつもの公園。いつものベンチ。
 ここがあたしの指定席。
 アナタとよく来たわね。

 もうすぐ春よ。
 今日はあたたかいからアナタの調子もいいようね。

 さあ最後の演奏よ。

 だめ………なんで涙が出るの?
 だってあたしはうれしいはずよ。
 念願のアレがもうすぐ手にはいるのよ。
 もう演奏で苦労をしなくて済むのよ。

 なんで?……涙が勝手に流れちゃう。
 アナタを使ってくれる後輩のあの子だってきっと良い子よ。
 アナタを捨てるんじゃないもの……幸せなはずよ。
  それなのに………
 この気持ちはなに?

 アナタとのお別れにはもう踏ん切りがついているはずよ。

 アナタに詰め込まれた青春の結晶がそうさせるの?
 あたしはもう子供じゃない。
 いつまでも過去の青春にこだわり続けるわけにはいかないのよ。
 わかってよ!あたしの中のあたし。

 さあ…最後の演奏よ。

 これからのあたしを創らせて………
 未来へと羽ばたかせて………

 お別れよ……アナタ……そして過去のあたし。

 もうすぐ新しい季節がやってくる。

 ………新しい風とともに………


                  −Fin−





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