AWC 「ある雑兵の結末」(5)       浮雲


        
#915/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ     )  91/ 4/10  15:13  ( 75)
「ある雑兵の結末」(5)       浮雲
★内容
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 その夜。また新たな軍勢が砦に入ったきた。騎馬はわずかで、話声やわずかに
見えた様子などから、どうも新式の銃を装備した鉄砲隊が主力のようであった。
 いい知れぬ不安が八助の心をいっぱいにした。あす、やっと帰れるというのに
つまらない邪魔が入ったような気持ちにさせられ、神経が妙に高ぶった。

 その日、いつもの朝に比べ、砦全体が何か落ち着かない空気に包まれていた。
 そして不思議なことに、いつまで待っても朝食が運ばれないうちに昼近くにな
った。黒田も姿を見せなかった。何か手違いでも生じたのであろうか。期待と不
安とでいらだちながら、八助は同じことを繰り返しつぶやいた。よし、見張りの
兵に黒田さまのことを聞いてみよう。そう思ったときだった。
 突然小屋の入口が開くと、見慣れない若侍が雑兵を連れて入ってきた。
「あの、黒田さまは」
 八助は、胸騒ぎを覚えた。
「おお、黒川か。うむ、黒川は国にもどった」
 その若侍は名前を間違えているのに気がついていない。本当に黒田のことを知
っているのだろうか。八助はいぶかった。
「自分の国に帰れるのだ。うれしいだろう」
「へえ」
 八助は、そのときになって気がついたことがあった。その若侍は腰に刀を携げ
ていたが、たしか黒田はいつも丸腰であったのを思いだしたのだ。
「いいか、砦を出たら決して後ろを振り向いてはいかん。まっすぐ天保山をめざ
せ。それから、途中駈けだしてはいけない。よいな」
 若侍は用意してきた黒布で八助に目隠しをしながら言った。それほどまでに砦
の様子は変わっているのだろうか。失っていたものが知らずに戻ってきていた。
「さあ、歩け」
 黒田となんという違いであろう。
 八助は、恐る恐る歩き出した。目隠しのわきから陽光が射込んできた。外に出
たのだ。八助は深呼吸でもしたい気持ちであった。
 大勢の雑兵や人夫が作業をしている筈なのに、物音一つ聞こえてこない。それ
に昨夜到着した筈の軍勢も出陣した様子がないのに、そのざわめきもしない。
 八助は、思わず足を止めた。
「おいっ」
 若侍が背中を突いた。
 どの位歩いたろうか。八助の計算では、もうすでに砦の外に出ている頃であっ
た。
「よし、止まれ」
 若侍の鋭い声がして、目隠しが外された。
「もう一度言う。無事に帰りたかったら、決して後ろを振り向くな」
「へっ」
 八助は、言われぬ緊張に手足がしびれる思いであった。ああ、親弟妹のところ
に帰れる。
 なんのかんの言っても、無事戻ればみんな喜んでくれるだろう。前に砦から逃
げ帰ったときも、小堺さまをはじめ全員とがめはなかったではないか。あの時の
ように、こんどもまた坂井さまが助けてくれるに違いない。もし、何かあるよう
だったら母親や弟妹を連れて逃げてもよい。
 それにしても、一度は国を捨てて三条側に身を委ねることを考えたこともあっ
た。
 八助は、そんなことをいそがしく回想していた。
「これっ、行け」
 八助は、言われたとおりゆっくり歩き出した。青空を背景にした天保山が正面
遥かに望まれた。

 二、三十メ−トルも歩いたところで、
「うっ」
 八助は背後に何か妙な空気の動きを感じた。
 本能がそうさせたのに違いない。八助はいきなりかけ出した。あれほど走って
はならない、と言われたにもかかわらず。
 と、それを待っていたかのように後方でタタタタ−ンという聞き慣れない鉄砲
の一斉射撃の音が鳴った。
 ブスッブスッブスッ、八助の全身をいくつもの鉛玉が貫いた。八助は声も立て
ずに上半身を捻るようにすると、地面にぶつかるように倒れこんだ。
 八助の見開いた眼には砦の様子が写ったであろうか。それとも青空が写ったで
あろうか。
 北辺の土塊にころがった八助の骸から魂が抜け出し、故郷の家に向かったかも
知れない。
 しかし、八助の魂の帰るところはなかった。なぜなら、その日の朝、三条軍の
大部隊が天保山を越え、途中にある人家という人家をすべて焼き払い、家にいた
すべての者を生かしておくことをしなかったからで、八助の留守もその例外では
なかったからである。
 天保山はそろそろ冬仕度にかかる頃であった。
                                                                   おわり
1991/03/16

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