#914/3137 空中分解2
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「ある雑兵の結末」(4) 浮雲
★内容
八助の思い違いであった。二人の雑兵は黒田に言いつかって八助の脚の傷の手
当と寝具の用意のためにやってきたのだった。
その夜、八助は傷の痛みも忘れてぐっすり眠ることで出来た。
次の日、朝食のあとしばらくして黒田がやってきた。つまらない時候の話など
をしたあと黒田が突然言い出した。
「おまえのその手は百姓の手だな。そうだろう」
「へえ」
八助は、驚きながらも黒田の勢いにつられて口を開いた。
「主に何を作っている。米か野菜か」
八助は米を少しと野菜をつくっている、と答えた。
「野菜は何をつくっている」
なんだかとんちんかんな質問のように思われた。敵の雑兵に野菜のことなど聞
いて何か役に立つことでもあるのだろうか。八助には黒田の意図が少しも分から
なかった。
「八兵一人では、野良仕事も大変だろう」
黒田は、いっそう目尻を下げた。「おまえ」がいつの間にか「八兵」になって
いた。そんな話から、歳老いた母親と幼い弟や妹たちのことに及んだが、八助は
かろうじてそれだけで踏みとどまった。
「ゆっくり休め」
それだけ言うと、黒田は出ていった。入口が閉められると、八助はうす暗がり
の中に一人とり残された。
「はぁ」
大きなため息が出た。なんとも言えない疲れを覚え、八助はごろりと横になっ
た。
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翌朝、黒田はなかなか姿を現さなかった。昼過ぎにやっと黒田が小屋に入って
きたとき、八助は待ちかねたという気持ちに顎然とした。
「実は、きのうの話をうっかり同僚の者に聞かせたところ、自分の配下の者にも
よく似た境遇の者がいる、とずいぶん感心してな。もう少し家族のことを聞いて
みてくれ、配下の者の励ましにもなるだろうから聞かせてやりたいというのだ。
どうだ、もうちょっと話をしてくれないか」
入ってくるなり、黒田は息もつかせずに一気に話した。
「へえ」
八助は生返事をした。ああ、きのうあんな余計なことをしゃべらなければ良か
った。ちっ、八助は自分を叱った。
傷の手当もしてくれ、寝具まで用意してくれた黒田に引け目のようなものを感
じていた八助は、つい黒田の笑顔につられて家族のことを口にしてしまったのだ
った。母親しかいないこと兄弟が何人いる、などというたわいのないことであっ
たから、八助はこれくらいのことは戦にはこれっぽっちも関係ない話だ、そう思
うと後ろめたさも覚えなかった。
それが、こうして改めてつつかれると、何かとんでもない落し穴にはまり込ん
だようなうすら寒さすら感じた。
「どうだ」
「へ」
「どうした」
言葉はきつかったが、黒田の顔はまだ笑っていた。
八助は息が詰まりそうであった。黒田の笑顔がいつ崩れ、鬼面のように変わる
のか。いまか。早く何か言わなければ何もかも失ってしまうに違いない。八助は
焦った。喉がカラカラであった。そのくせ、一方では心が重たい錨にひっぱられ
ているように感じていた。
「ふっ」
それがきっかけであった。黒田のタメ息ともつかない息使いを合図に八助は口
を開いた。
その日の夜、八助は昼間のこともあってなかなか寝つかれないでいた。
「おや」
聞き慣れた音が地鳴りのように聞こえてきた。夜だというのに、急に騒がしく
なった。砦全体が起き出したようであった。
八助は入口に近づくと隙間から外の様子を窺った。いたるとこでかがり火が焚
かれていた。誰かが来るのを待ち受けているようであった。
しばらくして、騎馬武者を先頭に三条軍が大挙して砦に入ってきた。その服装
などから新たな軍勢である事が八助にも分かった。
大部分が砦に入りきれずに周りで待機しているようであった。夜目にも大軍で
あることが想像出来た。
「ああ、」
八助は、自分の運命が決まったように思った。いやだ、なんとしても生き延び
たい。八助は震えながらギリギリと奥歯を噛んだ。
外の騒ぎは、果てることなく続いた。寝れぬまま、八助は朝を迎えた。うとう
としかけたとき、また騎馬隊の蹄の音や鎧がぶつかり合う音を聞いた。
「おうっ」
という喚声に八助はとび起きて戸口に走った。いままさに、三条軍が出陣して
いくところであった。向かう先がどこか、八助にも想像がついた。
しばらくして、砦はいつものように明け方の静寂に包まれた。暗闇の中で八助
は一人膝を抱えていた。指先に起きた震えは次第に全身に広がり、いつまでもい
つまでも止まらなかった。
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砦には、警護のためのわずかの将兵と苦役のために三条側から狩り出されてき
た多数の人夫が残って工事を続けていた。
「黒田さま、今朝の味噌汁をとても美味しくいただきました。あんなにうまいも
のは初めてです。何か仕掛があるのでしょうか」
いつものように黒田が現れると、八助は問われもしないのに自分の方から話題
をつくった。すこしでも黒田の心証を良くするために、戦に関すること以外なら
なんでも話そう、そう決めていた。しかし、出来ればこちらのペ−スで事を運び
たい、そんな虫のいい魂胆もあったからである。
「おお、気に入ってくれたか。実は、あれは秘中の秘なのだが、こっそり八兵だ
けに教えてやろう」
黒田は、声をひそめると八助の耳元で何事かをささやいた。黒田の話を聞きな
がら八助は愉快な気分になっていた。
「へえ、へえ」
八助は大げさなほど黒田の話に反応してみせた。
「そうだ、八兵に見てもらいたいものがある。実は自給のために野菜畑をつくっ
たのだが、何しろ素人のわれわれだ。どうだ、見てくれるか」
八助は、思ってもみなかった黒田の話に、危うく喜声を上げるところであった。
「へ」
八助はせい一杯感情を殺した。
「そうそう、傷の方はいいのかな。歩けるか」
「はい」
返事に思わず力が入った。黒田は、そんな八助の様子に屈託なく笑うばかりで
あった。
畑は、砦の南側にあった。そこは砦の中心からはずれており、改築の様子は詳
しく窺うことは出来ない位置にあった。が、そんなことに落胆するような気持ち
を八助は失っていた。
黒田の問いに応じて、八助はいろいろと助言をした。何か、充実したものが身
体中から湧いてくるのを感じた。何日かぶりで陽にあたった八助の顔は輝いてい
た。
「下肥は、このように使わなければなりません」
「なぜだ」
「はい、土地がやせている上にすぐ下は砂が出てまいります」
「うむ、酒井の領地はどこもそうか」
黒田は、困ったというように顎を引いた。黒田の質問がどんな重大な意味を持
っているかなど八助は考えてもみなかった。
「そんなことはございません。天保山を境に、こちらと向こうではだいぶ違った
地味になっています」
「ほお、さすが八兵は百姓だな」
黒田は、さも感心したというように頭を振ってみせた。
小屋への帰り、黒田は寄り道をした。丘の斜面の陰で一人の若武者が馬を操っ
て訓練に励んでいる最中であった。
「ほお、相変わらず熱心なことだ」
黒田は声を上げて笑った。八助も釣られて声を上げた。
「どうだ、酒井にもあんな暴れん坊がいるだろう」
「へえ、金太郎っ・・う」
八助は後のことばを思いきり飲み込んだ。
「はっはっは、どこにでもいるものだな」
黒田は、大きく笑った。それだけだった。
その夜、黒田が小屋を訪ねてきて八助を驚かせた。
黒田は入ってくると入口の戸を閉めた。八助は暗闇の中で黒田を迎えた。
「もう、寝ていたのかな」
「へ」
八助は、黒田の表情が分からないことにいい知れぬ不安を感じた。
つまらない話をしたあと、黒田は入口にいる見張りの兵に聞かれてはまずいと
でもいうように、声をひそめた。
「どうだ、八兵。国を捨てるつもりはないか」
八助は、闇の中に吸い込まれていくような錯覚に襲われた。
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黒田が帰ったあと、八助は身じろぎもせず暗闇の中にへたりこんでいた。どの
ぐらいそうしていたであろうか。八助の喉がくくっと鳴った。八助は外の見張り
の兵に悟られまいとしてギリギリと歯を噛んだ。
「うっ、うっ」
涙がぽたぽた落ちた。涙はこんなにも熱いものか、八助は初めて知った。
黒田は、戦が終わればおまえは帰ることになるだろう。しかし、みんなは喜ん
で迎えてくれるだろうか。二百人もの将兵が命を落としたというのにたった一人
だけ助かり、しかも長い間囚らわれていたことが分かったら、みんなはどう思う
だろうか。酒井の正信という人は特に過酷な人物だと噂されている。彼がおまえ
を無事で置くとは思えない。そんなことをいつ似もなくボソボソと語った。
「しかも、おまえ一人だけでは済まないだろう」
家族に災いが及ぶに違いない、と言うのである。
「八兵、おまえはすでにいろいろと酒井のことを話してくれた。これ以上ここに
留めおく必要もないと思っている。どうだ、八兵さえ承知なら上の方に話してや
ってもよいぞ」
しまった。八助は自分の愚かさを呪った。しかし、いまとなってはどうにも取
り返しがつく筈はなかった。
少しばかり腕に自信があるからといって、酒井軍の召集に応じ鍬を持つ手に槍
など持ったのがいけなかったのだ。三条軍から国を守りたい、そんなことはでま
かせであった。母親を説得するための方便に過ぎなかった。出来たら、酒井の武
将に取り入って出世もしてみたい、そんな夢のようなことを考えていたのだった。
それが、このざまである。自分はいい。天罰みたいなものだし、あの崖下での
戦で死んでいたはずの身でもあったから。しかし、家族にはなんの罪もない。戻
って家族まで犠牲にすることは出来ない。だが、自分が三条側に寝返ったとした
らいずれ酒井の知ることとなるだろう。そのとき、果して家族は無事であろうか。
「畜生」
八助は、思いっきり床を叩いた。
「静かにしろ」
翌朝、黒田はいつもの時間に何事もなかったような顔を見せた。
「黒田さま、いま少し時間をください」
八助のほうから口を開いた。
「ん、ああ」
機先を制されたのが気にくわなかったのか、黒田は珍しくそっけない返事をし
た。
八助は、口の中ににがいものが溢れて来るのを知った。
「もう何日になるかな」
黒田は一人つぶやくと、さっさと出て行ってしまった。
ところが、どうしたことか黒田は昼過ぎにまたやってきた。
「あ」
黒田のあまりの様子に八助は声を上げた。黒田は笑顔をこぼれんばかりにさせ
て走りこんできたのだ。
「八兵、よろこべ。帰れるぞ」
あの後三条側に行くことを決心していただけに、八助は何かはぐらかされた気
持ちが先にたち素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。
「どうした、なにをぽかんとしている」
黒田が、八助がもともとは百姓であることや家族の事を話して釈放を願い上げ
たところ、その許しが出たというのである。
「良かったな」
「へ」
「いますぐ、という訳にはいかないが、明日には自由になれるぞ」
黒田はいつものように大きく笑った。
つづく