AWC 影の棲む館(12)       青木無常


        
#897/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 3/25  16:22  (140)
影の棲む館(12)       青木無常
★内容
 世界が赤に染めあげられる。
 遠い街並には灯りが点り始めている。一千万ドルの夜景。
 家路をひとり急ぐ葉子の頬が、夕景に朱く染まっていた。澄んだ瞳を、西
の方に向ける。
 流れ出る血の赤に、なぜ人びとは心を奪われるのだろう。
 ふと、葉子は足をとめた。
 高級住宅街にふさわしい豪邸の、丈高い塀の上に小柄な少女の姿があった。
 「ゆかりさん……」
 知らず、頬に笑みが浮かぶ。
 ゆかりも微笑みかえし、塀の上からふわりと飛び下りた。
 「迎えにきてくれたんですか?」
 嬉しげに言う葉子へうなずき、肩をならべて歩き始める。
 「土蔵からおもしろいものが出てきたわよ」
 「おもしろいもの?」
 「うん。南条隆行の描いた絵」
 「へえ……」
 「近ごろはやりのSFアートってとこね。ぐちゃぐちゃしててエロティッ
ク。南条隆行さん、生まれる時代を間違えたみたい」
 「土蔵の中に戻しておいたわ。事件が解決したら、燃やしちゃった方がい
いかもね」
 「じゃあ、そうなる前に見ておかなくちゃ。あたし、絵には興味あるから」
 「ふうん」と感心したようにゆかりはうなずき、「どうしたの、それ」
 「え――?」
 「頬にあざができてる」
 葉子は頬に手を当て、そして寂しげにうつむいた。
 「いじめられたの?」
 無言でうなずく。
 「ときどきあるんです、こういうこと。あたし、もう慣れちゃったから。
それに今日は……」
 「誰かに助けてもらったんだ」
 「あれ。わかります?」
 「ん。なんとなくね」
 葉子の頬が、微かに赤らんだ。
 それ以上なにを語るでもなかったが、葉子の心の中に淡い喜びが広がって
いるのが、目に見えるようだった。
 ゆかりは微笑み、そしてちらと背後をふりかえった。
 後をついてきていた人影が曲がり角の向こうに消えたのは、ゆかりがふり
むくよりもはやかったはずだが、視界の片隅で少女はその姿をとらえていた。
 「もう一押しだからね!」
 「はい?」
 と、けげんそうに訊きかえす葉子に「なんでもないの」と言い、そのまま
ゆかりは葉子を促すようにして歩き出した。
 曲がり角の向こうで、曽根は胸のうちで荒れ騒ぐ勇気を懸命に育てようと
していた。

       8

 闇は、静まりかえっていた。
 ただ冷たく、重く。
 部屋の灯りを落として、葉子は窓外へ向けるともなしに目を向けていた。
 心奥に、想念が渦巻く。
 館のこと。自分の内部に宿るもののこと。
 それは両刃の剣だ――柳瀬はそう言った。人類の秘めた可能性であると同
時に、人類に秘められた滅亡の萌芽でもある、と。
 その言葉の意味を葉子はうまくつかむことができなかった。
 おぼろげにはわかるような気もする。が、それだけだ。
 その力をうらやましがられたこともある。予知、感応、念、ひとは超人を
求めるものだ。
 だが、ひとはひとを超えることはできない。ひとでなくなることなど、で
きはしない。少なくとも、葉子はひとでありたかった。神秘や叡知に触れた
いとは思わなかった。そういうものは悠かな高処に安置して、ときどき思い
出した時に遠く眺めやるだけで充分だと思っていた。
 そして、人間らしい不満や悩みに満たされた平凡な日常にしずみこんでい
られればいい、と。
 ゆかりの顔が浮かんだ。
 澄んだ瞳の、少女らしいかわいらしさと美しさの同居した顔。
 そして、牙を剥き出した野獣の顔。
 何者なんだろう。
 自分がそういう存在であることを、どう思っているのだろう。
 答えは、見出だせない。
 そしてまた自明のことでもある。
 何者であろうと、ゆかりはゆかりだった。
 そのようにゆかりが生きていることが、生きていけることが、葉子にはわ
かるような気がした。
 ついで、武彦の顔が浮かんだ。
 野性的な、男そのものの顔。
 ゆかりに対して、軽いうずきのようなものを覚えた。
 嫉妬だった。
 武彦とふたりで、日本中を当てもなく気ままに旅をしているゆかりに、葉
子は狂おしいほどの羨望を感じていた。
 自分もそうしてみたい。武彦やゆかりと一緒にいられるのなら、それだけ
でどんな境遇にも耐えていけそうな気がした。三人で色々なところを観てま
われたら、どんなにかいいだろう。そんな思いが、胸の内を去来した。
 夢想に過ぎない。
 そうしてしまうには、葉子には捨て去ってしまわなければならないものが
あまりにもありすぎた。
 ため息をつきながら、弱々しく首をふる。
 自分の胸の奥底にあるさまざまな想いをどうすることもできないまま、葉
子は立ち上がり、窓に歩み寄ると外に向けて大きく開け放った。
 夜気が頬をうつ。
 冬の冷気だ。まだ肌には冷たすぎる。
 だが葉子は、窓を閉じようとはしなかった。
 闇につつまれた外気に身をさらすようにして半身を外に乗り出し、夜空を
あおぎみた。
 午後十時過ぎ。晴れわった空に、冴えざえと星が広がる。
 自分の身の上にふりかかった悲劇が、嘘のようだった。
 我知らず、微笑みが浮かんでいた。
 今はすべてをあの二人に託そう――あのひとたちを信じて。
 そう考えると、今まで重く心にわだかまっていたものが、ふいに軽くなっ
ていった。
 好きなんだ。
 胸落ちしたように、そんな言葉が浮かんだ。
 わたしは、あのひとたちが好きなんだ。
 暖かいものが、胸の奥をゆっくりと満たしていく。なにも心配することな
どないのだ、と。
 緊張がとけたように心が軽くなり、葉子は背のびをした。
 その時だった。
 どこかで、声が響いたような気がしたのは。
 どこで?
 頭の内部で。
 ――出セ!
 凶々しい叫びが、頭蓋の内部で反響した。
 ひっ――と、喉が音をたてた。
 ――オレヲココカラ出セ!
 声には、明らかに焦慮に追い詰められた響きがあった。
 悪夢の感覚が脳裏に甦る。
 背筋を悪寒が奔りぬけ、絶望的な現実感を葉子にもたらした。
 ――出セ!
 ――出セ!
 ――出セ!
 立て続けに叫んだ。その度に、外気よりもなおすさまじい冷気が、周囲に
 悲鳴が喉の奥につかえていた。声がまったく出てこようとしない。全身が
金縛りに硬直し、恐怖と戦慄だけが脳裏を支配した。
 その底を、呪文のように声はくりかえした。
 ――出セ!
 ――出セ!
 ――オレヲココカラ出セ!
 ――出セ!
 無情で、無慈悲で、無機質な声。自分の身裡から響いていながら、はっき
りと自分とは異質のものとわかる、おぞましい響き。
 それが、執拗に出せ、とくりかえしていた。
 頭部に痛感が湧いた。ぎゅっと音を立てて絞め上げられるような激痛。
 うめき声を上げて膝をつく。咽がぐうっと締まり、呼吸ができなくなった。
空気を求めて、虚空に爪を立てた。
 絶叫が心裏に上がる。だが、声は出てこない。
 痛覚がじわじわと全身に広がっていき、雑巾を絞り上げるようにして自分
の身体がねじ曲げられていくのを感じた。
 ぎしぎしと、全身の骨という骨が音を立ててきしみ始める。
 肺の中からすべての空気が絞り尽くされ、刺すような激痛が胸部一杯に広
がった。




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