#890/3137 空中分解2
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影の棲む館(5) 青木無常
★内容
「まともな社会では、ものをいうのは信用と実績だ」
無言で応じる武彦に、値踏みするような視線を送った。
まるで動じない。
「そのどちらも持たない君たちを信頼するには、具体的なものを見せても
らわなければ話にもならん。違うかね」
「おっしゃることはわかります」
平然と答えた。
秀明は内心、舌をまいていた。大企業の荒波を蹴散らして現在の地位にま
で昇りつめてきた自分の目の前にさらされて、たかだか二十歳そこそこの若
造が泰然とかまえている。虚勢を張っているわけでもなさそうだ。その漂然
とした面構えと瞳の奥にある深いものは、秀明にしてごく自然な、おちつい
た太いものを感じさせるのである。
だが、ただの馬鹿もこういう態度をとる。
「なにかやってみせてくれんか」
ことさら高圧的な口調で、要求した。
それに対して、武彦はこう答えた。
「手品をご覧になりたいのですか?」
人をくったようなものいいに、秀明は怒りを誘われた。
「なに?」
ぎろりと目をむいて訊きかえす秀明の形相に頓着する風もなく、武彦は淡
々と答える。
「なにかやってくれといわれても、なにをやれば納得してもらえるのか見
当もつきません。手をふれずに物でも動かせばいいんですか?」
「そんな真似ができるのか?」
「できません。だから、手品と言いました」
「君は私を馬鹿にしているのか?」
「いいえ」
「では、その人をくったようなものいいはなんだ!」
ためられていた怒りが噴出してしまったような荒い声が口をついて出た。
それがさらに苛立ちを増幅する。
「えい、やかましい。テレビを消せ! こんな時にいったいだれがつけた
んだ」
「だれもつけていませんよ」
平然と響いた武彦の言葉に、一家は蒼ざめた。
テレビは窓側の方向にある。一番近い位置にいるのは秀明自身だ。秀明に
気づかれることなくスイッチを入れられるものではない。にもかかわらず、
紅茶が運ばれた時点ではたしかに消えていたテレビ受像機が、今は所ジョー
ジの声をまき散らしている。リモコン式のスイッチはテレビに組み込まれた
ままだ。
ゆかりが立ち上がり、軽やかな動作でソファをまわりこんでスイッチを切
った時も、だれも口を開こうとはしなかった。
「灰が落ちましたよ」
武彦の指摘に、一瞬きょとんとした秀明は、長くなった煙草の灰が段通の
置き敷き絨毯を汚しているのに気づいてあわてて煙草を灰皿に押しつけた。
「――今のが、君の言う手品だったのか?」
恨めしげに言った秀明に、武彦は首を左右にふってみせた。
「この館のもう一人の住人が、おれをからかってみせたんでしょう」
うなり声をあげて、秀明は黙りこんだ。
ゆかりは、ソファには戻らずに煉瓦積みの暖炉と、その横にかけられた一
枚の風景画をもの珍しそうに見くらべている。
「なんとかしてくれ」
ため息とともに秀明が言った。
「それはわれわれを傭う、という意味にとっていいんですか?」
武彦がそう言うと、秀明の目に頑固さが復活した。
「そうはいっておらん」
「じゃ、どうしろというんです」
「君の実力を見ておきたい」
青二才に簡単に丸めこまれるわけにはいかない、ということか。
「困ったな」
本当に困った顔をして、武彦は後頭部をぼりぼりとかいた。とたんに、大
量のフケが雪片のように舞い上がる。一家は豪華応接セットが白い小片にま
みれていく様子を、呆然と見守った。
「兄さま」しまらない空気を、涼風のような声がすくった。「《音しばり》
をやってみたら?」
「オトシバリ? なんだねそれは?」
耳ざとく訊きかえす秀明に、ゆかりはニッコリと笑って「ヒ・ミ・ツ」と
唇に指を当て、兄の方に視線を転じた。
「《音しばり》ね」武彦の口調はためらいを含んでいた。「気がすすまん
なあ」
「そんなこと言ってたら、ラチがあかないわ。納得してもらわなくちゃ」
言いながら、舞うようにしなやかな足取りで兄の傍らにしゃがみこみ、テ
ーブルの上から一本のボールペンを手にとった。
「仕方ねえなあ」
苦笑して、武彦は秀明に向き直った。その時にはもう、今までのような漂
然とした雰囲気は、ぬぐい去ったように消え失せていた。
「それじゃあ、今からおれの役霊を呼びます」口調にも厳粛な、重々しさ
が加わっている。「ただし、この役霊は少し気難しいところがありますから、
気にいらないことがあると祟るかもしれません」
「――た、たたるって」
「精神を集中してください」
途中まで出かかった言葉を制するように、武彦はじろりと秀明をにらんだ。
有無をもいわさぬ威圧感があった。今まで飄々としていたのは見せかけに
過ぎない、とでもいわんばかりの異様な迫力に、秀明は思わず言葉をのみこ
んでいた。
「では」突き刺すような視線を秀明、千種、葉子の順にゆっくりとめぐら
せ、武彦は単調な、沈んだ声音でつぶやくように言った。
「この役霊は狼です。怒らせると、おれにも手がつけられません。精神集中
を怠らず、勝手な行動はつつしんでください。おれの指示なく指一本でも動
かした場合は、一切の保証を放棄させていただきますから、どうぞそのつも
りで」
秀明は、なかば無意識にごくりと生唾を飲みこんだ。
「……ずいぶんものものしいじゃないか」
てれかくしのように言いかけ、武彦の眼光に言葉を失った。
「口をきくのも危険ですよ」静かな口調は、それだけに不気味だった。
「始めます」
緊張に強いられた沈黙が、屋内にピンと張りつめた。
それを切り裂くように、冴えた音が響き始めた。
カッ――、カッ――、カッ――、カッ――、
ゆかりが、ボールペンの尻でテーブルを打つ音であった。
ゆっくりとしたリズムで、規則正しく打ち出されてくるその音にあわせる
ようにして、武彦が口の中で呪文のようなものを唱え始める。
鬼気が充満しはじめたのが、秀明にさえはっきりと感じられた。
武彦の口中からつむぎ出される呪文が、そのまま黒い色彩をもった霧とな
って漂い出てくるかのような錯覚が、秀明を虜にした。幻覚だ、こけおどし
だ、はったりだと心中で叫ぶが効果はない。背筋を悪寒が走り抜ける。
「来ました」
呪文の間に、そのリズムを崩すことなく武彦は言い添えた。
「今……窓の外にいます……ゆっくりと……入ってくる……そう、それで
す」
たしかに、窓のところから黒い煙のようなものが侵入してくる。犬のよう
な形をしていた。狼の役霊――武彦はそう言っていた。
…そうだ……」
サイドテーブルの方向へ向かおうとしていた影が、武彦の声にあわせてひ
くりと方向を変え、部屋の中央に向かった。
その頭部が、秀明の目の前で牙を剥いた。
「声をあげないで!」武彦の叱責が鋭く貫き、危うく出かかった秀明の悲
鳴を留まらせた。「精神を集中して……そう……」
再び呪文が始まり、それにあわせるようにして黒い狼はゆっくりと空中で
身をくねらせる。
テーブルを打つ単調な音も、途切れることなく続いていた。
それが――
不意に、停止した。
ぎくりとして秀明は目を転じる。
武彦は凄まじい目つきで、部屋の一点をにらみつけていた。
そこに、一輪差しの花瓶があった。
それがふわりと、宙に浮かび上がっている。
と見るや一転、花瓶はものすごいスピードで武彦に向かって飛んだ。
同時だった。武彦の右腕が残像を残して消失したのは。
ビシッと、鋭い音が反響し、花瓶は空中で静止した。
次の瞬間、それはバラバラの細片と化して厚手のカーペットの上に砕け散
っていった。
呆然と見守る一同の眼前で、武彦はニヤリと笑った。