#867/3137 空中分解2
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CAMPUS> 夢のようなもの (2) ■ 榊 ■ (60/75)
★内容
者北村啓治の一人息子、北村惣一がよく知っている。
高校はこの学校へ、と決まっていた惣一は暇な毎日をここにきてはみんなの邪
魔をして過ごしていた。そうであるから、彼の友達と言えば年の近いの夏美と博
司の二人となるのは、ごく当然の現象であった。事実、惣一の大方の時間は二人
の後ろについて回って過ごすこととなったのだった。
そんなある日、事件は起きたのだ。
まだ真夏 −−− 8月の半ばのこと。外は、残したままにされていた木に
っている蝉が、うるさいほどに鳴いていた頃のこと。土地内にあるプレハブの宿
舎の中で、夕食後の空いた時間をみんなでわいのわいのと騒いでいたとき、
「ジュースを買ってきます」
と笑顔で夏美が出て行った。まるで風のように姿を消し、そして、二度と帰っ
てくることはなかった。
あの頃、あの祠のあった場所は深い井戸となっていて、工事のために中の石を取
り外しにかかっている時であった。石は上から崩され、井戸は落し穴となんら変
わりはない状態ではあったのだが、周りはしっかり縄で囲まれていて、故意に飛
び込まない限り決して危険とは言えなかった。
しかし、その危険ではないはずの井戸の底から夏美が死体となって発見された
のは、夏美が出て行ってから4時間後のこと………。誰もがその死を理解できな
かった。
刑事がきて捜査した結果は、まことに単純明快であった。
「もともと井戸に積んであった石が、あの近くて積まれていましたよね? その
積まれていた所からこぼれ落ちていた石の一つに……………ほら、あそこらに転
がっている石ですよ。あれに、彼女はつまずいたようですな。そのまま体勢を崩
して紐に体を引っかけ、頭から井戸の中へ…………という具合いのようです」
聞いていた者はすべて口をつぐんだ。
誰のせいでもない、ただの神の気まぐれ………。人々は、かえってやるせない
気持ちになった。
いつもとなんら変わることのない、ある暑い夏の夜のことだった………。
自分が、この不気味な力のせいで周りから化物扱いされていた頃、なんだった
か、何かの本に、
「人は必ず会い、離れるものである」
と書いてあって…………、俺はその言葉を信じてきたんだ。
化物扱いする奴なんかと離れて、いつか必ずこの力を素直に受けとめてくれる
人が現われると、信じてきたんだ。
そりゃ、夏美とは仲が悪かったよ…………。だけどよ……………、早すぎるよ。
離れてしまうには………。
夜中、刑事等も引き上げ、静かなになった井戸近くで、博司が呟いた。
惣一は、ただうなずくしかなかった。
少し涼しい風がまだ荒涼としている大地に吹きわたる。
井戸は何事もなかったかのように、そこにぽっかりとたたずんでいた。
夜もだいぶ更け、惣一は帰ろうと思いたち博司の方を向いた。
そして、声をかけようとしたのだが、その言葉は途中で止まった。
博司は、泣いていた。
一迅の風が吹く。
惣一はどうすることもできずに、ただたたずむしかなかった。
そして博司は、ただ井戸をじっと見ながら、大粒の涙をこぼした。
博司が自殺したのは、夏美が死んでからきっかり一ヶ月後。遺書には、親と友
人、工事の人と惣一にすまないと…………。
そして最後の詩のように一つ。
「 すべては儚く、夢のようなもの 」
と書いてあるだけだった。惣一ははじめて人の命の儚さ、朝霧のように消えて
しまう存在というものを、嫌と言うほど思い知った。博司が、あの強気な博司が
あのあと「寂しい」と呟いた。その言葉がいまなら解る気がした。
彼にとって人と呼べる人は彼女しかいなかったのだ。化物扱いをせず、彼を人
として扱ってくれる人は彼女しかいなかったのだ。
そのたった一人がいなくなった…………、だから彼は寂しいといったのだ。
横にいてくれればいい。喧嘩できればなおいい。人として、生きていて当り前
の、ごく当然の振舞いをして欲しい。
彼は寂しかったのだ。
人として扱われなかった者の、彼女はたった一人の<人>であったのだ。
だから死んだ。
すべてが、現実にあるもすべてが儚くなり、博司は夏美を追いかけに行ったの
だ。
しかし、博司は大事なことを忘れている。それは、残された者の気持ち。
博司には確かに夏美しかなかったのかも知れない。だから自殺したのだろう。
だが、しがらみの中に生きて、死ぬことのできない者は、いくら辛くともその
「人の命の儚さ」を享受しなくてはならないのだ。何度も、何度も。自分が朽ち
果てるまで。
惣一は、自分が何もできなかったことが辛かった。もう二度と会えないことが
辛かった。当り前のように感じるこうやって生きていることが、ひどく儚かった。
空を見上げればこれだけは変わらぬ空が、いつものと変わらぬ陽光をなげかけ
てきている。不思議にいつもより陽光がきつく感じ、惣一は片手で太陽をさえぎ
った。
昔、神は雲の上にいると考えられていた。なるほど、空を見上げればいなくな
った博司と夏美が、まるでそこにいるように思える。二人で、惣一に微笑んでい
てくれるような、かるい郷愁に似た気持ちにかられ、惣一は空を遠く、いつまで
も見つめた。
「博司………、夏美さんに会えたか…………?」
呟く声は、しかし、蝉のうるさく鳴く声でかき消された。
惣一は自分の足で祠を買いにいき、許されるわずかな場所にそれを自分で立て
た。力も何もない彼にできる、ただ一つのはなむけだったのだろうか………。
その後、惣一は生徒会長となるのだが、その彼の生徒に対する接し方は誰より
も優しかったと言う…………。
部屋の中にすすり泣く声が響いた。暗い話をしていることもあってびっくりし
てみんなが振り向いてみると、綾が大粒の涙をぼろぼろこぼしていた。
「綾ちゃん………どうしたの?」
思わず沙羅は後ろから抱きつき、心配そうに綾にこえをかけかた。しかし綾は、
首に回された沙羅の腕をぐっとつかみ、下を向いて泣くだけだった。
皆が困惑している中、榊だけはしまったと後悔の表情を顔に浮かべ、苦々しげ
に持っていたコーヒーを一息に飲み干した。
「綾ちゃんも、人の命の儚さを知った人だったね…………ごめん。失敗した……
…」
そう呟くと、榊は黙ってしまった。未杉も沙羅も御影も、榊の言葉を聞いて思
いだした。綾の両親は、つい最近死んでしまったばかりではないか! 彼女が転
校してきたのは、両親を交通事故で失い、たった一人の肉親である叔父を頼って
きたからではないか!
気まずい雰囲気が流れ、しばらく沈黙が続いた。外はだいぶ暗くなり、日は今
にも消えようとしていた。
部屋には蛍光灯の光が満ちていたが、それさえもやや薄暗く感じた。
「…………あの祠は、死んでいった人達のための…………、供養塔なんですね…
……」
綾がか弱々しい声で呟いた。
しかし、榊の答は否だった。
「いや………、違うよ」
「え……………?」
それぞれ下を向いていた綾と沙羅の顔が同時に上がる。
綾の涙も驚きのためか、すっとその流れを止めた。
榊は優しい、いつもの自信に満ちた笑顔で話しかけてきた。
「いやね、もちろん供養のためもあるんだけど、あれは供養塔じゃないんだ。な
にしろあそこには、縁結びの神がまつってあるのだからね」
「えん…………結び?」
綾の顔にふたたび元気が取り戻して来たのを見ると、榊はややほっとした。そ
の時、わざわざ温かい程度のココアを入れてくれた未杉が、綾にそのカップを手
渡してくれた。ミルクと砂糖の入った、温かいココアだった。
「たとえあちらの世界にあっても、ふたたび会えますようにってね…………。生
き残った惣一さんの、いわばシャレなんだろうね」
(いつまでも変わらず…………会えるように…………)
綾はやっと、笑顔になった。温かいココアを一口だけ飲む。
「……………会えると………いいですね…………」
榊はにっこり微笑んでくれた。綾はやっと安心して、ほんの少しだけ涙をこぼ
れ落とすと、横にいた御影が気恥ずかしそうにそっと綾の頭の上に手をおいて、
無骨な手で頭を撫でてくれた。
恥ずかしがりやの彼の精一杯の温かさを感じながら、できることなら、周りの
誰もかれも、もういなくならないで欲しいという思いが、綾の胸をよぎった。
首周りにある、沙羅の腕と髪の柔らかさ。
慰めるように頭の上においてある御影の手。
心までも温めくれるような、未杉のいれてくれたココア。
そして、おそらくは慰めるために「縁結びの話」を即興で作って話してくれた
榊。
その温かさを心と体で感じながら、綾は唯一の肉親である叔父に、無性に会い
たくなった。
〈 京夜綺譚 その壱 〉 終わり