#777/3137 空中分解2
★タイトル (AZA ) 91/ 2/26 8:52 (195)
二面の女 7 永山
★内容
「……姉さん、それで言いました。<あいつを、浜岡を殺す>って」
おぼろに感づいていたが、はっきりと口にされると、やはり驚いてしまう。
「私、止めなかった。止める理由なんてないわ。ただ、危ないことは避けてと
だけ言ったわ。四日後に実行すると言っていたけど、それから五日経っても、
浜岡が死んだって記事は、どこにもなかったし、姉さんのところに電話しても
つながらない。それで行ってみたら、姉さん……」
そして口を押さえる。泣いてはいなかった。あの、遺体の酷さを思い出し、
嘔吐を催しているのでもないようだった。怒りかもしれない。
「それで、遺体の発見を遅らせるようと、君は姉が生きているように見せかけ
るため、店に電話をいれた。声が似ていると自覚していたから」
また黙ってしまった。が、やがて口を開いた。
「私達、よく、声が似ているって言われていましたから、ごまかせる自信はあ
りました」
「問題は、どうして発見を遅らせようと思ったのか、ということだ。ひょっと
してあんた、麗子に代わって、姉に代わって、浜岡を殺そうと考えたんじゃな
いのか」
「そうよ! 何がいけないっていうの? 五年前に犯人を見つけられなかった
あなた達警察に任せていたら、今度のだって、どうなるか知れたもんじゃない
わ! 犯人は浜岡だって分かっているのに」
「……その話は後にして欲しい。せめて、こちらにもう一度、機会をもらえな
いだろうか」
「……」
「復讐なんて、虚しいだけだ。そんなことしても、殺されたお父さんやお母さ
んは喜ばないだろう」
「喜んでもらわなくて結構よ。母はあの通り、浜岡の口車に引っかかってしま
うような弱い人だったし、父だって、昔はいい親だったですけれど、仕事がう
まく行かなくなってからは、お酒ばっかり飲んでた。情けないほどにね。だか
ら、母が浜岡と親密になっても強く言えなかったのよ。あの二人のために復讐
するなんて、しないわ。私は私のため、姉さんのためにするの」
意外であった。てっきり、両親のために復讐をしようとしているのかと思っ
ていた。それが、この吐露である。下田は次の言葉に詰まってしまった。
「だ、誰のためにしてもだ、人殺しの報復に人殺しをやっていたら、切りがな
いだろ」
説得力がないな、と自分でも思い、また、死刑制度のことでも持ち出された
ら面倒だと考えたので、下田は矢継ぎ早に言葉を発した。
「それに君は、浜岡のアリバイ、五年前の事件のアリバイだが、まだ解けてい
ないんじゃないのか」
「どうして、そう言えるの」
「君が神戸の街を歩き回っていたという証人がいてね。多分、アリバイを崩す
ために実際に動いていると踏んだんだが、当たっていたかね?」
「当たってる」
「こっちもなんだ。君の言う通り、無能な警察はこんな所で行き詰まっている」
自嘲気味に言った下田。こんなことを口にしたのは、さっき、美富に会った
せいであろう。
「だから、それを含めて事件が解決できるよう、少しでも有力な証人が欲しい
んだ。浜岡をどうするかは、我々や君の決めることじゃない。全ては法のもと
にあるんだ。そして金のためや保身のために人を殺すような者に、法は確実に
罰を与える。少なくとも、私はそう信じている」
「……いいわ」
いやにあっさりと承知したな、と下田は不審に思ったが、自分達にとって好
都合な展開なので、そのまま続けた。
「さて、質問の続きだ。良美さん、さっき、美富警視は言ったことを聞いてく
れない、と言ったね。どういう意味で言ったのだろう?」
「五年前の事件ことよ。私と姉さんは、あの日、二課目以降休講だったんです」
下田は唐突に訳の分からないことを言われ、あっけにとられてしまった。
「どういう……」
「最後まで聞いてください。つまり、私達はあの日、大学に行ってすぐに帰っ
て来たのよ。だからこそ、私達は見たのよ、あの男が車で走っていたのを」
「そういう意味ですか。ははあ。で、あの男ってのは、浜岡。彼がどこを走っ
ていたって?」
「大学からの帰り道、えらいスピードで駅の方に走って行くのを見たわ」
「駅? 駅って、神戸駅?」
「いえ、新神戸駅のはずだわ」
「そうか、新幹線か。間違いないでしょうね? 浜岡の車だけじゃなく、浜岡
自身がそれに乗っていたと? 大事なことだ」
「もちろんです。一瞬だったけど、間違えるはずない。それなのに、あのとき
の刑事は何も聞いてくれなくて」
「それは私から言っておこう。今は、事件解決が先だ。それで、時間は何時頃
だった?」
「正確には覚えていないけれど、家に帰ったのが、十時三十分くらいだったか
ら……その十分前、二十分頃だったと思います」
「良美さん、あなたの家の、駅からの距離は、どのくらいだったかな?」
「普通の込み具合いで、車で十二分くらい。これ、警察が調べたはずです」
「また美富警視か。まあいい。浜岡が乗っていた車を見かけたのは、家からど
のくらいの場所です?」
「ちょうど、駅と家の中間くらいと思います。だから、浜岡は十時十四分に私
達の家を逃げ出した……」
「待った待った。これは時刻表がいる」
下田は花畑に、当時の時刻表を持ってこさせた。
「まず、8:46に新大阪を出た東京行きの新幹線に乗った浜岡が、あなたの
言う時間に神戸に存在し得るか、だが。9:04に京都に着くから……」
「9:13の下りに乗れば、9:47に新神戸に着きます」
記憶しているらしく、すらすらと答えていく。
「お、本当だ。ここから車で十二分を要して、九時五十九分頃にあなたの家に
到着。犯行を十五分程度で終えたとしたら、十時十四分か。可能ではある」
「そうでしょう? そうして駅に戻る途中の浜岡を、私達は見たのよ」
「ちょっと待ってくれませんか……。えーっと、つまり、十時二十……六分に
浜岡は新神戸駅に着いたと。乗れる新幹線で一番早いのは、10:28か。ち
ょっと、きわどいようだが」
「いいえ。車に要する時間は、割に余裕を見たもののはずです。それに犯行に
かかった時間は、もっと短いかもしれません。ですから」
「分かりました。じゃあ、これに乗った。これが東京駅に着くのは……だめだ。
13:59では、五十九分前に、上野から、やまびこ57号は出てしまってい
る」
ここで花畑が口を出した。
「でも、福島−仙台間で証人がいるんだから、上野から、やまびこ57号に乗
らなきゃいけないんでしょう?」
「いえ、福島からです。福島から乗ればいいんです」
女性特有とも言える、強い調子。それに気圧された感で、下田は応じる。
「だから、十四時三十八分までに福島駅に着けばいい訳か。ということは空、
飛行機だな」
「そうだと思ったんですけど……」
ここから解けていないらしく、強い調子はなくなってしまった。
下田は急いで、ページをめくっていく。
「航空は、と。あ、ここだここだ。福島に一番近い空港は、何だっけな」
「山形空港と仙台空港が、ほぼ、同じ距離ですねえ」
時刻表の前のページの方にある地図のコピーした物を眺めながら、花畑が言
った。その彼に目をやり、下田は口を開いた。
「仙台空港まで行ってもしょうがないだろう。これは山形だ。山形空港とつな
がっているのは、東京、札幌、大阪の三つか。札幌は無視して、まずは東京は
羽田空港から……。ああ、だめだ、これは。14:50山形着か。その前のは
11:45で話にならん。東京から乗れないことになる。大阪からは、17:
05? 全然だめだ。その前も無理だな、浜岡が新幹線に乗る前に飛んで行っ
てらあ」
「そうなんです。どうやっても、14:38の福島に間に合わないんです」
「そうか、飛行機ではないのか……。となると、何だろう? まさか、船じゃ
ないだろうし。浜岡は、専用の飛行機かヘリコプターでも持っているんじゃな
いのか?」
「まさか! 調べてはいませんが、今はともかく、当時において、持っている
とは思えませんよ。それだけの金があったら、殺しをするなんてこともなかっ
たでしょうし」
と、花畑が、目の前で手を振りながら否定した。
「うむ、考え込んでいても始まらん。神戸と仙台に電話して、証言の確かさを
聞いてみよう。それに、今度こそ、当時の捜査状況もな」
下田は花畑にそう言ってから、目線を元に戻した。
「我々の抱えているもう一つの難題が、顔を剥がされていた理由なんだが……」
下田は言ってから、あまりに直接的に言い過ぎたのではないか、と心配にな
った。
が、気丈な性格なのか感覚がまひしてしまっているのか、受け答えには、取
り乱した様子はなかった。
「その理由なら、おおよそ、見当はついています。浜岡は昔、姉の顔を殴って
痣を負わせたんです」
「痣? どうして浜岡は、麗子さんを殴るような真似をしたんだ?」
「麗子姉さんは、五年前から、浜岡が父や母を殺した犯人だと信じていました。
姉さんに執拗に探られた浜岡は、手を降り上げたのよ。おかげで姉さんは、痣
を負ってしまった。それも大きくて目立つの。だから姉さん、お店ではいつも
化粧を濃くしていました。事件のあった日、姉さんは多分、浜岡のアリバイを
破って、相手に詰めより、浜岡に突き飛ばされるか何かされたんだわ。それで、
姉さん、痣を見せて浜岡を詰ったのよ。<五年前と同じことをする気?>とか
何とか叫んで。自分の地位を護るために、浜岡は姉さんを殺した。でも、その
顔にある痣を見て、それを切り取らずにはいられない、恐怖心みたいなのにと
りつかれたんだと思います」
「なるほど、一つの解釈ではありますね」
釈然としないが、有り得ないことでもないな、と下田は思った。
「協力をどうも。あなたは、とりあえず、お帰りになるのがいいと思うが、く
れぐれも無茶はしないで、あとは我々に任せてください」
こう言ってから下田は、相手が神戸から出て来ているのを思い出した。
「そうだ、君は神戸からだった。今、どこに泊まっているんだね?」
彼女が口にしたのは、全く聞き慣れない、旅館らしき名だった。下田はそれ
をメモすると、若い刑事を呼び、「この方を送るように」と言った。
そして彼女の姿が部屋から消えた後、花畑に耳打ちした。
「彼女の見張り、誰かにやらせといてくれ。また勝手な行動に出られては、か
なわん。念のためだ」
「分かりました」
花畑は素早く行動を起こした。
仙台と神戸の、五年前の事件を扱っていた部署に問い合わせた結果、証言の
確度はかなり高い、とのことであった。いずれの証言も、第三者によるものを
含んでいたためである。なお、福島−仙台での浜岡のアリバイ証言をした女性
はすでに亡くなっていたが、当時の記録により、確かであろうということであ
った。
また、当時の捜査状況としては、動機と鬼面姉妹の証言により、浜岡が最有
力容疑者であったが、アリバイがあったためと、土地の登記書が一応、正式な
ものと分かったために、捜査枠から外れていて、他に有力な容疑者もなく、迷
宮入りの状態であった。
「何だ、結局、進展なしか」
例の馴染みの鑑識員が、下田達に声をかけた。
「五年前の事件に手間取っているようだが、現在の事件も忘れないでもらいた
いね」
「痛いとこだな。どちらも、今はさっぱりだ。五年前のは、アリバイを崩しさ
えすれば、良美の証言で何とか持って行ける。ただ、この間の麗子殺しのはま
ずい。奴が犯人だという積極的な証拠も証人もゼロだ。浜岡の顔にサングラス
をかけさせた絵を作り、現場のマンションの隣人らに見せたんだが、反応が鈍
かったんだ。似ているような似ていないようなってね。このままじゃだめだ」
下田がぼやき加減に言うと、花畑がおずおずという雰囲気で、それに付け加
えた。
「顔を剥いだ理由も分かってませんし、仮にサングラスの男が浜岡だとしても、
サングラス男は現場を出ていないようですし、その次に現場を出たらしい水商
売風の女も謎のままです……」
「……浜岡は、自分が犯人だと知られないようにするために、麗子の顔を剥い
だとは考えられんかな」
鑑識員が、ぽつりともらす。
「なるほどな。しかし、麗子の顔があったところで、浜岡が犯人である証拠に
なるとは思えんな。何か前例があるか? 被害者の顔が犯人逮捕の決め手にな
ったってのは」
「いや、知らないねえ。耳とか目なら聞いたことがあるが、顔はね」
鑑識員は、大げさに首をひねってみせた。
「顔に名前を刻んだんじゃないでしょうか。浜岡って」
「どういうことだ、花畑君?」
「爪とか指輪でですね、自分の顔に傷を付けたんじゃないかってことです。犯
行を終え、帰ろうとした浜岡が被害者の顔をふっとのぞき込んだところ、自分
の名前が書いてあったら、そりゃ驚くでしょう。慌てた浜岡は、麗子の顔を剥
ぎ取った……」
−続く−