AWC 二面の女 1   永山


        
#771/3137 空中分解2
★タイトル (AZA     )  91/ 2/26   8:15  (194)
二面の女 1   永山
★内容
 1990年のある日、午前十一時頃、マンションの二階。
「麗ちゃーん。お見舞いに来たよー」
 中川祥子は、ケーキの入った箱を片手に叫んだ。さっきからブザーを鳴らし
ていたのだが返事がなく、業を煮やしてしまっていた。それで叫んだのである。
「おい、どしたー? 祥ちゃんだよー」
 彼女はとうとう、ノブに手をかけた。すると鍵はかかっていなく、ドアは開
いてしまった。
「不用心だなー。病気で寝込んでるとこを襲われたらどうすんの……」
 と言いながら、彼女は室内に入っていく。何度か来たことがあるから、どこ
が寝室か分かっている。応接室を抜け、台所をかすめて……。
「あれ?」
 思わず声に出した。寝室に人影はなし。
 ベッドで寝込んでいて起きられないから、返事がないのだ。そう思っていた
中川にとっては、極めて意外であった。
(どこかしら)
 対話の相手がいないのではないか、という不安に駆られた中川は、急に恥ず
かしくなって、黙ってみた。
 ふと思い付き、玄関に引き返すと、彼女は靴を見てみた。
(やっぱり、いるんじゃないの)
 出かけた様子がないことから、また思いを口に出し始める。
「隠れてないで、出てきなよ。お土産もあるし」
 それでも返事はない。
 室内をきょろきょろ見回す内に、中川はある音に気が付いた。水の流れる音
である。浴室かららしい。
「シャワー使ってるの? それじゃ、聞こえなくてもしょうがないか」
 そう言いながら、彼女は浴室に向かった。
 すりガラス越しに中を覗くのだが、人影はまたもなし。しかし、音は聞こえ
てくる。
「開けるよ……」
 もはや誰を相手に話していいものやら混乱し始めていた中川は、ぼそぼそと
言葉を口にしながら、戸を横に開けた。
 開けた途端、中川は浴槽に身体を埋めている女に気付いた。ついで、浴槽の
水が赤いことも。
「!」
 入浴中に何かあったのかと思い、中川は浴槽に駆け寄った。
「どうしたの、麗! 大丈夫?」
 相手の顔をのぞき込む中川。
 瞬間、彼女は絶句した。そしてがたがたと震え出した。歯のねがあわない。
「HHH……」
 叫びが声にならず、喘ぐような呼吸音が浴室に響いた。
「ひ、人殺しよ……。ひぃ!」
 やっとのことで叫ぶと、中川は部屋を転がり出た。
 彼女がそうしたのも、何の無理もない。彼女が見た浴槽に沈んでいた女には、
顔がなかった。顔の皮膚を剥がされていたのだ……。

「気持ち悪いな」
 口を押さえながら、下田警部は言った。
 被害者の顔は、赤い筋に黄色のゼリーを塗ったようで、壮絶であった。ぎょ
ろりとした目玉とむき出しの歯が、恐ろしさを増す。
 女性にしては背が高いのと、ショートカットの髪が魅力的であっただろう。
そう推察されるこの女性には、どんな顔があったのか……。
「大概の変死体は見てきたつもりだったが、こんなのにはお目にかかったこと
がなかったよ」
 遺体から目を背け、花畑刑事に話しかける下田。
「私もです。やっぱり、死体に慣れるってことはありませんや」
「気を取り直して、仕事だ。被害者の名前は?」
「鬼面麗子、歳は二十四。ホステスをやってたようです」
「第一発見者が同じ店の者だとか聞いたが……」
「はあ、被害者が風邪で店を休んでいて、その見舞いに来て、発見したようで
す。今、あまりの気持ち悪さに、病院に直行してます。話は向こうで聞くこと
になるんじゃないですか」
「そうか。まあ、これを見たんじゃ、仕方ないな。君はここの管理人とか隣人
に聞き込みをしろ」
 命令に従って出て行った花畑を見送ると、下田は鑑識の男に向き直った。
「どう?」
「いやあ、ほんとに酷いなあ、こりゃ。皮を剥ぐなんて、インディアンかね、
犯人は」
 下田と顔馴染みの鑑識員から、軽口が飛び出す。
「まさか!」
「いや、こうでも言ってなきゃ、私らだって、気分が悪くなるよ。さて、何か
ら聞きたい?」
 それを聞いて苦笑してから、下田は改めて問うた。
「死因は? やっぱり、皮膚を剥がされたせいかな」
「違うみたいだ。背中の所に刺し傷があってね。凶器は見つかってないが、包
丁か何かだろう。そいつが致命傷のようさね」
 鑑識員が指す箇所には、確かに、それらしき刺し傷があった。
「それじゃあ、皮膚を剥いだのは、刺し殺した後か」
「そうだ。殺した後、顎か生え際辺りを刃物で切り開き、細めの棒か何かを突
っ込んで、ひっ剥がしたんだろうな。どっちから剥ごうとも、唇で引っかかる
だろうから、そこんとこの筋肉は別に包丁か何かで切ったんだろう。もっと詳
しく調べりゃ、顎と生え際のどちらから剥がしたのかも分かるが……」
「それは後でいい。そんな簡単に、人間の皮膚ってのは、剥がせるものかね」
「うむ、皮膚の下は脂肪の層だからな。軟らかいもんだ」
「ふーん。で、何で、犯人はこんなことをしたのかだが」
 そう聞かれて、鑑識員は困ったような顔をした。
「分からんねえ。そいつを調べるのは、おまえさん方の仕事だぜ」
「怨恨の線かね」
「となると、相当な恨みだな、これは」
「恨みか……。死亡推定時刻は?」
「昨日の夜、そうだな」
 自分の時計を見ながら、逆算する風の鑑識員。
「九時から次の日の一時。この四時間かな。無論、正確なことはもう少し待っ
てもらわんとね」
「なるほど。詳しいことは、まとめて後から聞こう」
 下田はそう言うと、先に聞き込みに行っている花畑を追った。

「あ、今、管理人から話を聞き終わったところです」
 花畑は下田に気付いたらしく、駆け寄りながら言った。
「早いな。何か分かったか?」
「昨日、出入りした人物を聞きました。できれば、被害者の部屋に出入りした
人物だけを聞きたかったんですがね。そいつは無理だということで」
「いいから、早く話すんだ」
 いらいらする下田。
「はい。まず、鬼面麗子ですが、この二、三日、外出していないそうです。少
なくとも管理人の話では、ですが」
「風邪なんだから、そうだったとしても、不思議あるまい」
「はい。で、次です。マンションの住人以外で出入りした人物で、しかも少な
くとも二階まで昇ったのは、セールスマン・勧誘員風の男が一人、女が二人。
この者達は真っ昼間に来てます。あと、水商売風の女が一人に、サングラスを
かけた暴力団みたいな男が一人、それに大学生らしい若者のグループがどばっ
と一度に来たそうで。こちらは夜六時以降ですね」
「大学生のグループってのは、どこかの部屋に友達がいるんだろう。除外して
もいいんじゃないか」
「はあ、調べときましょう」
「セールスマンや勧誘員の人間なら、被害者の部屋だけでなく、いろんな部屋
を訪ねてるだろうから、これも調べれば、はっきりするな。怪しいのは、水商
売風の女か、暴力団みたいな男か。しかし、サングラスをかけているだけで暴
力団とは、言い過ぎじゃないか」
「そうですね。今度、詳しく聞いときます」
「水商売の女ってのは、注目に値するな。何せ、被害者も同業なんだからな」
「まさか、第一発見者じゃないでしょうなあ」
「そう言や、第一発見者の名前、まだ聞いてなかったな」
「えっと、中川祥子、です。話、聞きますか?」
 手帳を手にし、答える花畑。
「いや、もう少し聞き込んでからにしよう。何か見聞きしてるかもしれん」
 下田警部は再び二階に向かった。見ると、同じ階の住人らしい中年の女性が
四、五人ほど集まって、事件があった部屋の様子をうかがっている。
「すみませんが、話を聞かせてもらえますかね」
 警察手帳を示しながら、下田と花畑はその集団に問いかけた。
 女性達は顔を見合わせる格好をしてから、一人が代表する形で口を開いた。
「何があったんですか?」
 下田は何と表現しようか迷ってから、結局、そのまま答えることにした。
「……殺人です」
「まあ! 誰が亡くなったんです?」
「鬼面麗子という女性です。あなた方の中で、お隣に住んでいらっしゃる方、
もしくは親しかった人はいませんか?」
 すると相手は不思議そうな表情をしたかと思うと、また聞いてきた。
「それ、どなたですの?」
「どなたって……。あんたら、同じ階に住んでる人のこと、知らないのか!」
 怒鳴り出してしまった花畑を制し、下田が聞いた。
「24号室の方です。23か25の人はいますか?」
「あ、私です」
「私もだ」
 二人の女性が進み出た。残った女性達は、少し後ずさりし、「乱暴な口聞い
て、威張ってるわねえ」とか何とか言っているようだ。
「名前も知らないということは、当然、24号室の人の出身地なんかも知らない
と?」
 下田の質問に、二人の主婦−−多分主婦だ−−は大きくうなずく。
「昨日の夜九時から一時の間に、何か見たとか聞いたとかはありませんか?」
 しかし、相手の二人は「さあ」と言わんばかりの表情。
「おくつろぎの時間でしたか。それでも、何か物音を聞いたとかは」
「そう言えば、いつもは誰もいないみたいに静かなのに、何か変な音がしたわ。
わめき声みたいなのと、どしんとか音がして」
 23の方が言った。25の方は覚えがない様子だ。
「何時頃か、分かります?」
 気負い込んで聞く下田。しかし、対する回答は、
「そんなの、分からないわよ。いっつも時計を見てる訳じゃないし」
 というものだった。
「正確な時間じゃなくていいんです。例えば十時からのテレビを見ていたとか」
「悪いんだけど、私、洋裁の内職をやってて、その時間帯はテレビなんかつけ
ていないの。静かにしてないと、すぐに気が散っちゃうから」
「そうですか」
 落胆してしまった下田であったが、気を取り直して質問を続ける。
「いつもは見かけないような人を見たとかはありませんか? 時間はいつでも
結構です。ここ数日でもいいですし」
「そう言えば、ねえ、あのサングラスの男、いかにもって感じで、怪しかった
わ」
 25が23に呼びかけた。しきりにうなずく23の女性。
「いつ、見ました?」
「昨日の夜七時頃かしら。あの、夫を迎えたときに、ちらっと見ました。24号
室の前で。夫も気味悪がってました」
「私は八時前だったかしら。夜の内にゴミを出そうと思って、外に出てみたら、
そんな人がいました。怖くなって、お隣さん、いえ23号室の方に言いましたの」
 25、23の順に答えた。
「その男は何才くらいで?」
「どうかしら。三十代前半かしら」
「違うわよ。二十七、八といったところよ、あれは」
「だいたい、三十ですな。花畑君、管理人は何才くらいだと言ってた?」
 急に質問され、慌てたようにメモを繰る花畑。
「はっ、三十くらいだろうと言ってます」
「で、皆さん。その男が姿を見せたのは、昨晩が初めてですね? それでそい
つは24号室に入ったのですかね?」
「分からないわ。ずっと見てたんじゃないから」
「私も」
 答えを聞いて、ふうっとため息をつく下田。花畑も同様だ。
 この後、セールスマンや勧誘員のことを聞き、そんな人達が訪ねてきたこと
を確認した。
「いや、ご協力、どうもです」
 時間がないためもあるが、簡単に礼を言うと、確認の意味と新しい証言の期
待もあって、他の人の所へ回った。
 結果、セールスマンや勧誘員は間違いなく、ただのセールスマン・勧誘員で
あり、また、若者の集団は、四階に住む大学生の仲間だと分かった。

−続く−




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE