#768/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ ) 91/ 2/19 5:56 (157)
特別企画小説 浮雲
★内容
座談会「中野原に雪の降るとき−をめぐって」
− はじめに、作品を読み終えての感想からお聞かせ下さい。
A 大変、読みごたえのある作品です。質が高く、正確な仮名使いやよく推敲さ
れた文章は、お手本にしたいくらいです。
B 一見関わりのない素材を組み合わせることで、辺境の地で搖れ動き、変化し
て行く人の心をしっかりと描いた力作です。
C この作者の作品を初めて読ませて頂きましたが、全体的にこういう作品は好
きです。ほっとします。
D テ−マの重さを文体の明るさが救っています。言いたいことが山ほどある、
という思いがさらりとした文体の奥から読者に迫ってくる、そんな作品だと
思います。それに、視野が広いというか展望の広さを感じさせます。ただ、
ちょっと詰めすぎかな、とも思いますが。
A 確かに、出だしの部分(プロ作家の講演まで)がまだるっこしい感じがしま
す。また、竹の子の里のエピソ−ドはばっさり切って、説明だけにとどめ、
その分三人の夢をもっと前面に出すべきでした。
D わたしは、竹の子の里のエピソ−ドは重要な鍵になっていると思います。む
しろ、主人公(見可子)が三人の夢と竹の子の里の子どもたちとの間で立ち
往生する姿を強調すべきでした。
B この作品を書くに際して、作者はずいぶんと勉強なさっているようです。そ
の意気込みの方に、むしろ拍手を送りたいと思います。
A 一作にかける手間ひまと情熱量が桁違いに思われます。
B 淡々として分かりやすく、しかもリアリティに富んだ情景描写と、その割に
は起伏豊かで引き込まれるドラマ、といった感じです。主体的で筋のしっか
り通った構想には脱帽です。
A この作品は、どこかの懸賞に応募するために起こした文章なのではないでし
ょうか。もう一度推敲し直して、しかるべき場所(商業誌)で力を試されて
はどうかと思います。
C 分かりやすい言葉で書いてありますが、実際書き連ねるには、作者に相当な
力量がないと、作者も読者も息切れしてしまうのが常ですが、一気に読むこ
とが出来ました。
D 出来ばえとは、作品としての「面白さ」のことを言うのなら、わたしは「は
ぐれる街」の方が上だと思います。
− では、テ−マについてかんたんに触れて下さい。
A 最後は三人の仲間はバラバラになるのですが、彼らの目標であった「アメリ
カで個展を開く」という夢をもっと前面に出して読者を引き付けるべきでし
た。死んでしまう神父に必要以上に作者の思いがはまり込んでしまったよう
な感じを受けます。
三人の夢が崩れる過程の描き方が弱いため、特に和也の心の動きが浮かび上
がって来ないのではないでしょうか。
先ほども言った通り、竹の子の里の部分は、武智だけを登場させて、あとは
ばっさり切り、余ったペ−ジを三人のために当ててはどうだったでしょうか。
B 青年たちの情熱が、辺境でゆれ動き、次第に変化していく様子を軸にしなが
ら、人の心の移り変わりを見事に描いていると思います。
陶芸にしろ、宗教にしろ、僕などは全然分からないが、その情熱・生きざま
には共感すら覚えます。
D お二人は、三人の青年や神父の「生きざま」に焦点をあてて考えられている
ようですが、わたしは少し違います。
見可子を通して三人の若者や神父、そして武智らを見ている、というよりは、
作者は、見可子その人を見ている、のではないでしょうか。なんだか抽象的
でうまく言えないのですが。
彼らには、それぞれ生きる目的があった。しかし、見可子にはそれがありま
せん。
作者の意図が成功しているかどうか、わたしには分かりませんが、主人公の
日常がなぜこうも不安定で脆いのか。それを探りあてようとした作者の試み
は、意味深いし現代文学の一つのあり方だろう、と思わずにはいられません。
− 待って下さい。Dさんのおっしゃることは分からないでもありませんが、そ
こまで作者に求めるのは酷なような気がします。
R.D.レインという精神医学者が「ひき裂かれた自己」という著書の序文
で「・・・しかし、私が読者にお願いしたいのは、本書が企てていない点に
関して本書の批判がなされないように、ということである」と書いています。
D ある学説に対する批判と文学に対する批評とは次元の異なる話であることは
言うまでもないことなので、こっちへ置いときましょう。それでですね、例
えば情景描写一つ一つをとってみても、たんに背景に終わっていない、とい
うよりは主人公の眼から見た風景になっている、という点に注目すべきだと
思います。
A ときどき出て来る京都弁ですが、あまり効果的とは思われず、やめた方がよ
いとおもうのですが、それも必要だと言われるのですか。
D そう思います。主人公の心の搖れをうまく表してくれています。感情がひょ
っこり顔を出している、とでもいったらよいかも知れません。
そこで、時々出て来る、というその゛時々゛を見てみましょう。
◆そんな心にもないことをよう言やはるわ、と私は聞きながら腹が立ってきま
した。あんたはんら・・・
◆私も迷うことなく和也について行くことにしました。自分でもそのときの気
持ちはよく分からへんのですが・・・
◆「ああそう、そんならあかんねえ、あなたの方が先にここにおるんやさかい
に」
◆京都にいたら英会話を習ってみようなどという気には到底ならへんかったで
しょう。
◆あんた、英語しゃべったというて、それがなんやねん、私はいつも心の中で
女子大生に向かって言ってました。
◆それを禁止していること自体が私には理解できへんことですが、その教えを
真面目に受け取って悩んだということも、どうしても納得いかんことでした。
◆「私には分からへんわ。でも、二人でやっていくのが大変なのも確かでしょ
う」
◆ジョ−ダン、あなたのことは忘れないけど、神様のことは約束できへんわ、
だって、私は神様に会ったことがあれへんのやから、・・・
◆「そんなわけやあれへんけど、会った人はいろいろと四国の生活の様子を聞
きたがるでしょう。そこに住んでいたこともない人間に話したってどうせ分
からへんのやから・・・」
こうして拾い上げてみると、妙なことに気がつきませんか。使われている京
都弁にはある偏りがある、といえるのではないでしょうか。
いずれにしろ、わたしはこの作品のテ−マについては、主人公自身に語らせ
るのが良いのではないかと思います。
『 私はAでの四年余が本当の出来事ではなかったように感じられてなりま
せん。その思いは、渡月橋に立って川の向こう岸の降る雪にくもって墨
絵のようにみえる竹林を見ていると、ますます強くなって、私はその錯
誤感に圧倒されてしまいそうでした。 』
− 心臓疾患の神父の生きざまと陶芸に情熱を傾ける和也たちとの絡みについて
言えば、あきらかに重心が前者にあることは疑いないと思います。
例えば(あまり意味はないが)、全体の流れを追ってみましょうか。
はじめ(95)→和也らのAでの生活の始まり(53)→竹の子の里との出
会い(92)→神父との出会い(149)→和也らの苦闘(30)→神父の
告白(129)→作品展の成功と遼の逃亡(63)→夜桜見物(71)→隆
志の参加(44)→神父の過ち(90)→和也との会話(30)→タドン君
(11)→神父との別れ(68)→京都での成功と逃亡(87)→おわり(
20)
カッコ内の数字は行数です。つまり、それぞれの配分は次のようになります。
和也らに関する記述 307行
竹の子の里 174行
神父 436行
こうしてみると、実はジョ−ダン神父との出会いこそがこの作品のメインテ
−マではないのか。
異国にたった一人でやってきた宣教師の日常と宗教上の苦悩、それを単純に
日本びいきのガイジンとしてしか見ないわれわれ日本人。それこそが、テ−
マではないかと思われるのです。
A それは神父に対する作者の思い込みの度合を反映している、ということ過ぎ
ないのではないでしょうか。
− たしかに、作品のテ−マを分量から推し量るなどは間違いだろうと思います。
それにテ−マ、テ−マと大上段に構え過ぎるとせっかくのこの作品の持ち味
を見失うことになるのかも知れませんしね。
D そう意味では、竹の子の里の子どもたちをいとも簡単に「捨て」、ためらわ
ずに金を持逃げした見可子が、なぜそのこと(負の出来事)を小説にしたの
か。
わたしは、ここにわれわれが小説を書く意味があるのだ、と思わずにはいら
れません。
C 一般に、AWCの作品群はエンタ−テイメント志向が強く、従ってスト−リ
性や奇抜さが比較的好まれるようですが、個人的には「中野原・・・」はと
ても読みごたえがありました。
− せっかくですが、紙数が尽きました。最後にひとことずつどうぞ。
A 「ひょんなことから遼に会うことになるのですが」の説明はいらないと思い
ます。再開は唐突の方が劇的ですから。
それから、各場面で見られる風景描写は、現実の匂いをさせていて、とても
良かったと思います。
B チョイ役でしか出てこなかったが、ドクタ−・クラタなどはキャラクタ−と
して面白いですね。
C 背景となる陶芸も、キリスト教もとてもリアルで、やや冗長気味な文体も、
見可子という女性の目で描かれている以上、むしろ自然で無理はなく、さす
がだなと感じました。
D 「私は自分が自分自身の小説を書くことが出来る年になったのだと、奇妙な
満足を以って感じていました」
というラストの言葉をもう一度じっくり噛みしめてみたいと思います。
− きょうは本当にありがとうございました。これで、特別企画・座談会「中野
原に雪の降るとき−をめぐって」を終わります。
注)この作品はフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません。
− おしまい −