#620/3137 空中分解2
★タイトル (AZA ) 90/ 9/11 8:30 (200)
Xの殺人 (4) 永山
★内容
「野坂美也子さんですね」
浜本刑事は目の前にいるパーマの女性に呼びかけた。警察手帳を示し、反応
を見る。
「そうですが、何の御用でしょう?」
ごく普通の反応。
「内海俊和さん、ご存じですね」
「……はい。それが」
「あなたは、その何と言いますか、この人を好いていたと」
「誰がそんなことを?」
少し驚いたような声で答える野坂。
「どなたでもいいと思いますが。それより、本当にそうなんですか?」
「そうか、了子ね。了子が話したんでしょう。この間、事故を写したカメラマ
ンが死んでいたから、その関係で了子の所へ行った訳かしら」
「ま、ご想像にお任せします」
浜本は手ごたえを感じなかった。もし、この女が犯人だとしたら、こうも簡
単に殺人のことを口にするものだろうか。
「それで事実はどうなんですかな」
「事実ったって、それは私、内海さんが好きだったけど、了子のそれはもっと
凄かったわ。彼のためなら何もかも投げ出してもいいって感じだったのよ。そ
れが、事故で、内海さんが、死んじゃってから、変わっちゃったのよ……」
次第に言葉が途切れ途切れになっていく。
「そうですか。では、あなたから見て、彼女は内海俊和のために、彼の死を、
何と言うか、もてあそんだ人達に復讐するということはりますかね」
「昔の、十年前の了子なら、間違いなくそうしたわ。今の了子じゃ、考えられ
ない。今の彼女は了子じゃないのよ」
「なるほど」
何となく分かるような気がした。
「それで? アリバイはどうしたんだ、アリバイは」
吉田警部が詰るように言った。浜本刑事の報告を聞き、不満を感じたからだ。
「野坂美也子の、ですか? 彼女は犯人じゃありませんよ」
「何で、そう言い切れる?」
「会ってみた感じです。それに、ちゃんと調べてますよ、アリバイも」
「それならそうと、早く言わないか」
「アリバイは完璧です。ここ三週間、彼女は海外旅行に出ていました。丁度、
夏休みでしたからね。有給休暇です」
「それは確かだろうな。となると、野坂美也子も犯人では有り得ない」
下田警部ががっかりしたように言う。花畑刑事も同じだ。
「もう、誰も容疑者がいませんよ。三つの殺人に動機があるのは野坂か曳間了
子の二人しかいないんです。その二人とも、完全なアリバイがある」
「まあ待て、花畑君。了子の方は、完全なアリバイとは言えないんじゃないか」
「いえ、完全です、下田警部」
「しかしどうもおかしいんじゃないか。了子が犯人じゃないとすると、真犯人
はわざわざツインホテルで殺したとなる。その前の二つの殺しは、相手の家ま
で訪ねて行って、隙を見て殺したようなのに、柳川殺しだけこうなのは、何か
不自然だ」
「自分が一番疑われそうな柳川殺しだけ、慎重を期してアリバイを偽造したと
いう意味ですか?」
吉田の問いに、下田は軽くうなずいた。
「そうです。何か巧妙な手口を使ってです。何かあるんだ、階段六階分を十五
分で楽に行き来する方法が」
「しかし、それを実証するのは難しそうですよ」
そうなのである。十五分の謎。
「所沢省吾が我々の追ってる事件の犯行を認め、自殺しているのが見つかりま
した!」
合同捜査本部に、そんな報告がなされたのは、浜本刑事が野坂に会ってから、
二日と経っていなかった。当然ながら、本部は驚きの感情に包まれた。
「詳しく説明してみろ」
報告によると、所沢省吾の遺体は、昨日、出社が遅いので心配して来た会社
の同僚によって、午前十時頃発見された。その前日の午後七時から十一時の間
に死んだと思われる。ヒ素による自殺。自殺と考えられたのは、現場である彼
の部屋が内側から鍵がかけられていたこと、そしてワープロながら遺書があっ
たことから判断された。遺書の内容は、以下の通りである。
「関口春美さん、村松宏さん、柳川英明の三人を殺したのは、この私です。色
色な方に迷惑をかけて申し訳ありません。しかし、自分は罪の意識に耐えられ
ません。
いえ、罪の意識と言っても、殺人を犯したことだけではありません。実は、
十年前の東洋丸沈没事故の写真を撮ったのは、この私なのです。私はその写真
を公にするつもりはありませんでした。しかし私の友人の柳川英明が、公開し
ろと言うのです。初めは断わった私ですが、彼は金を出すから俺によこせと言
ってきました。当時、金に困っていた私は、つい、ネガを売ってしまったので
す。小さな苦しみ・痛みが、心に残りました。
それからの十年間、私の心の苦しみは、途方もなく大きく膨れ上がっていき
ました。それを和らげるため、私は毎年、事故の日の前後に、内海さんのお墓
にお参りしました。遺族の方と顔を合わせるのが怖かったからです。けれども
せめて十年目の今年くらいは、命日にお参りしようと思いました。しかし、命
日に参ったことが、私に今度の殺人を決意させたのです。
その日朝早く、私は内海さんのお墓に出向きました。そこで私はある女性を
見かけたのです。その女性の名を記すことは差し控えますが、その女性の姿を
見たために、私は私と柳川のしたことの残酷さを痛いほどに知りました。私は
誓いました。罪の償いをしようと。
しかし、柳川にはそんな意識はみじんもありませんでした。事故のことさえ、
忘れているようなのです。私は殺人を決意しました。
まず彼に、恋人を失うことの辛さを思い知らせようと、関口春美さんを殺し
ました。関口さんには悪いことをしたと思っています。その上、私は柳川を通
じて彼女とも面識があったので、なおさらです。しかしそのことがまた、殺人
をし易くもしました。彼女を訪ね、安心している隙を見て、意識を失わせまし
た。そして洗面器に水を入れ、塩を溶かしました。柳川に、海での事故死を喚
起させるためです。洗面器に数分間、関口さんの顔を押し付けると、死んでし
まいました。
村松さんとも面識がありました。私が訪ねると、彼はお茶を出してくれまし
た。これも彼の隙を見て、意識を失わせた後、用意していたナイフを返り血を
防ぐために用意してきたタオルでカバーし、彼の腹部を刺しました。その後、
ナイフを引き抜くと、これも海に関連付けるため、持ってきたおもちゃの船を
傷口に刺し込んだのです。
柳川は、無理矢理、あのツインホテルまで引っ張って行きました。そこで彼
が何か思い出したら、と考えていましたが、彼は何も思い出しませんでした。
私は用意してきた三脚で、彼を殴りつけ、殺しました。
私の役目は終わりました。しかしこのまま生きていくことは、許されません。
特に、関口さんは何の関係もないのです。彼女への償いの意味を込め、私は命
を断つのです。」
すべてワープロで打たれ、プリントアウトされていた。
「どう思いますか、下田さん?」
吉田警部は遺書の写しを読み終わり、その紙を投げ出しながら聞いた。
「一応、筋は通ってますね。しかし、殺人にいたる動機が納得いかん」
「それも感じましたが、こちらの報告によると、柳川殺しの凶器とされる三脚
には、血液反応がなかったそうです。これもおかしい。どんなに洗っても血液
反応は出るものなんだが」
「どうも、怪しいですな。これはもしかすると、真犯人による殺しかも」
「大いに有り得ます。捜査続行ですな」
「野坂にはアリバイがありました。会社の友人に、旅行の土産話を聞かせるた
めか、あちこちに飲みに行っていたようです。店員の証言もあるから、間違い
ないでしょう」
花畑刑事が伝えた。
「曳間了子には、アリバイがありません。当日は、会議もなく、完全な休日だ
ったそうで、一人で出歩いていたということですがね」
浜本刑事が伝えた。
「こいつはもう、曳間了子に絞るしかない」
下田警部が断を下した。
「しかし、了子には、柳川殺しにおける十五分間のアリバイがありますよ」
「それなんだが、吉田さん。アレに頼んでくれませんかね?」
「アレと言いますと……」
「探偵ですよ。何と言いましたかな」
「流です。本当にいいのですか。頼んでも」
「私らがもたもたしていたせいで、どんどん人が死んでいる。これ以上、捜査
を遅らせる訳にはいかないんだ。ぜひ、お願いします」
「分かりました」
「……という事件です。こちらとしては、三番目の事件が問題なんですが」
流次郎を訪ねた吉田は、事件のあらましを説明した。
「所沢さんとかが死んだ事件はいいのですか? ワープロの遺書はともかく、
いわゆる密室になっていたようですが」
長髪をかきあげて聞く流。
「そいつは解決しました。内側からしかかからない押しボタン式の鍵なんです
が、ドアのノブの所に、被害者の指紋が不自然な形でベタベタ着いていました。
それから推測して……」
「ああ、なるほどね。僕にも分かりました。それじゃあ、そのXの謎を解く必
要がありますね」
「Xの謎?」
目を丸くする吉田を見て、流は少し笑った。
「そちらの言い方では、十五分の謎でしたか。だが、僕は、その酔った老人の
証言を重視すべきだと思うな」
「しかしですねえ、流さん。ホテルがXになるなんて、有り得ないじゃないで
すか」
「いえ。確実ではありませんが、ある方法に思い当たりましたよ」
「え? どんなです?」
「その前に一つだけ、答えてください。柳川という人の遺体は、どんな場所に
あったのですか。できるだけ詳しく」
「どんなって、ツインホテルの中庭ですよ。他に言いようが……。そうだな、
被害者が倒れていたところは、石畳の上なんです。中庭で、ちゃんと歩けるの
はそこだけなんです。あとは一面、芝生やら植え込みで、歩けたものではあり
ません」
「やっぱり。これでまず、間違いないですね。いいですか、了子はこうしたの
だと思います」
流次郎は殺害方法を説明し始めた。
「また来たのですか」
曳間了子は、浜本刑事の顔を見ると、呆れてしまった。なんてしつこいのだ
ろう。
「今回が最後になりますよ、多分」
浜本刑事はそう言うと、にやりと笑ったようだった。
「そうなることを願いますわ。もう会うこともないようにね」
「そいつは無理です」
「えっ?」
「何故なら、あなたを逮捕しなくちゃならないからです」
「ど、どうしてですか!」
そう言いつつも、了子は動揺していた。まさか?
「四つの殺人の容疑です。あなたは関口春美、村松宏、柳川英明、所沢省吾の
四人を殺した」
「ま、待ってくださいません? 誰なんですか、その関口とか村松とか……」
「ご存じのはずですが、今、その証明をするのはやめておきます。だが、この
殺しについてあなたはアリバイがない。少なくとも、可能であったんだ」
「アリバイがないだけで、今の警察は人を逮捕するのですか? それに私は、
その柳川殺しにはアリバイがあるはずでしたでしょう」
「アリバイは崩れましたよ。実に奇妙な方法で、あなたは柳川を殺したんだ。
あらかじめ何かの理由をつけて、そうだな、何か特ダネを教えるとか言って、
あなたは柳川を呼びつけたんだ。午後六時にツインホテルの中庭にいるように
とね。その頃、あなたは会議を休憩に持って行き、時間を作った。そしてうる
さい幹部をおっぱらうと、すぐに行動を開始した」
「六階までかけ降りたと言うのですか。六階分の階段を昇降するのに、どれだ
け時間がかかるか分かっていらっしゃるの?」
「六階分じゃありません。一階は階段がないから五階分です。まあ、これは関
係ありません。あなたはすぐさま、七階に上がったのです。何のために? 貯
蔵庫がそこにあるからです。貯蔵庫に隠しておいた凶器を取り出し、それを持
って今度は屋上に出たんだ。あらかじめ六階の空中回廊の手すりにしっかりと
結んでおいた紐のもう片方の端を、すでに屋上に引っ張って来ていたんでしょ
うな。その方が作業が早いから。その紐に持ってきた凶器を結び付け、あなた
は地上にいる柳川めがけ、振子のように落とした。相手は一本道の石畳にいる
んだ、狙いをつけるのは簡単。長さもあらかじめ調節しておけばいい。紐の先
の凶器、何か重いものでしょう。それが柳川の後頭部を砕いたんです。紐を片
付けて完了だ。十分とかからないでしょう」
「仮に、仮にですわよ。そんな方法をやったとして、重い凶器とか言うのは、
どうやって始末するのですか。まさか、また持ち上げたなんて言うんじゃない
でしょうね」
内心、震えながらも、了子は抗弁した。
「始末する必要なんて、なかったのです。何せその凶器は、氷製なのだから」
−以下5−