AWC 大型近未来小説  「手」 (2) ゐんば


        
#561/3137 空中分解2
★タイトル (GVB     )  90/ 8/19  12: 0  (179)
大型近未来小説  「手」 (2) ゐんば
★内容

 そして五年。
(風がここちよい季節になったな……)弥三郎は右第一手で車の窓を明けながら
左第三手でカーラジオのスイッチを入れた。名前の思い出せないジャズのスタン
ダード・ナンバーが聞こえてくる。左第一手でサンドイッチをつまむ。『千手観
音くん』(喜三郎の開発した義手の商品名)が予想通りの売れ行きで、この頃ま
ともに食事もとってない。両第二手に握ったハンドルをゆるやかに左にきる。向
こうに全日本水泳大会の会場、都営プールが見えてきた。
 スタンドへの階段を昇ると、弥三郎に向かって八本の手を振っている若い営業
部の同僚がいた。
「杉野森さん、こっちこっち」
 そんなに大きな声で呼ばなくてもわかるのに、と苦笑いしながら弥三郎は隣に
腰を降ろした。
「しかし何でいまさら市場調査なんてしなきゃなんないんだ」
「やっぱ最近ちょっと売れ行きが鈍ってますからね」
「それはそうだろ。今や国民一人当り平均六.三本の割で『千手観音くん』が普
及してるんだから」
「だからこそ新しいニーズを開拓しなきゃなんないんですよ。そのためにも現在
どのように使われているのか、しっかり知っておかないとね」
 若い同僚のはりきり方をはぐらかすように弥三郎はプールに目をやった。
「バタフライね……何百メートルだ」
「これ、クロールですよ」
「なんだ、こう腕が多くっちゃなんだかわからんな」
「ほらよく見てごらんなさい、ドルフィンキックじゃないでしょう」
「ほんとだ……やあ、日本新記録だ」
「なんといっても腕の数が四倍ですからね」
「次は何だ」
「えーっとね、平泳ぎですね。これは期待できますよ」
「お、始まったな、さすがに速い速い……は……沈んじゃったよ」
「……どうやら腕がからんじゃんたようですね」
 弥三郎はその他あらゆる分野に関して市場調査を行った。大きな変化があった
のは水泳だけではない。スポーツ界全体が、『千手観音くん』の登場により大き
く様変わりしようとしていた。
 特に大きな変化があったのはなんといっても相撲である。そもそも土俵入りか
らして違う。幕内力士が円になり何百本という手が上がるさまはあたかも大輪の
菊の花を思わせはなはだ壮観である。また、横綱土俵入りも雲龍型と不知火型が
同時に見られるので評判が良い。が、一番変わったのはやはり取組であろう。
 名古屋場所千秋楽、結びの一番は優勝をかけて東西両横綱の激突となった。東、
駒錦十四戦全勝。西、高島田同じく十四戦全勝。
 木村庄之助の軍配が返った。高島田いきなり回転の速いつっぱりで駒錦をせめ
たてる。なにしろ八本の手で突っ張るのだからたまったものではないが、さすが
に王者駒錦である。たくみに高島田の廻しを捕らえ、得意の右四つにもっていっ
た。しかし高島田は右四つになりながらも残る六つの手で突っ張りをやめない。
そこで駒錦は高島田の足を取りにいく。高島田バランスをくずしかけ、たまらず
駒錦の廻しをつかんだ。右四つから右八つ。そして十と二つ。とうとうがっぷり
十と六つになった。正確にいえば、左が四つで、右が十と二つである。
 両者相手の出方をうかがっている。長い緊張のあと、先にしかけたのは高島田
だった。寄りに出るところを駒錦執念の上手投げ(下手投げ二十五パーセント)。
高島田土俵上に十ん這い(いわゆる四つん這い)になり、駒錦が十四度目の優勝
を飾った。
 場内は割れんばかりの大拍手、もっとも以前に比べて手の数が八.三倍になっ
てるのだから当り前だが。駒錦は恒例の優勝パレードに臨み、オープンカーの上
から人々の歓声に八本の手を振って応えた。
 もっともこれはウエイト制のない相撲だからできるのであって、ボクシングな
どではそう単純にはいかない。
「おおい。アポロ。アポロいるか」
「はい」
「おう、今度のウェルター級選手権だがな、チャンピオンはどうやら腕六本でく
るらしいぞ」
「まいったなあ。あと二本ふやさなきゃなんないじゃないっすか」
「ああ、こればかりは腕の数がものをいうからな。でも二本も付けて、ウエイト
の方は大丈夫か」
「ちょっと苦しいっすよ。計ってみましょうか」
「どれどれ。……ああ、だめだ、軽くオーバーしてる」
「どうしましょう」
「そうさなあ。どうせ殴るだけなんだから指は要らないやな。よし、切り落して
みよう」
「痛い。それは僕の生の指です」
「おっと、わりいわりい。ほれよっこらせっと、これでどうだ」
「……だめっすよ、指くらいじゃ」
「無理かあ。よし、この二本はガード専用ってことで手首も落しちゃえ」
「だんだん情けなくなってきたな……これでもまだオーバーっすよ。ねえ、一本
だけふやすってことで妥協しませんか」
「だめだよ。奇数だとバランスが悪い」
「だからほら、こうやってへそのあたりにつければ、ボディも防げますし」
「……お前その手、動かせるか」
「やあ、これはくすぐったい。でも少し練習すればなんとかなりそうです」
「よし、早速へそ踊りの練習だ」
 ウエイトに上限のないヘビー級などはもう無法地帯である。
「日本のみなさんこんにちは、こちらはニューヨークのマジソン・スクエア・ガ
ーデンです。ただいまより世界ヘビー級タイトルマッチ、チャンピオン・ジェシ
ー・フランクリン対挑戦者アルバート・スミスの一戦を生中継でお届けいたしま
す。さあ、まず挑戦者のスミスが入場して参りました。すごい腕です、一体何本
あるのでしょうか。肩といわず胸といわず背中といわず腕だらけです。どう控え
めに数えても四十本を下らないでしょう。続いてチャンピオン、フランクリンの
入場です。こちらもすごい。何と頭の上にまで手が生えてます。さあ、世紀の一
戦いよいよゴングを待つばかり。試合に先立ちましてレフェリーによる入念なボ
ディチェックが行われます。今、レフェリーがスミスの腕を一本一本念入りに調
べています。黒く太い腕。今日はそのうちの何本がチャンピオンの上に炸裂する
のでしょうか。まだ調べています。このスミスは過去二十八戦二十八勝十KO。
迎え撃つチャンピオンは十九戦十九勝十一KO。無敗同士の決戦、栄光はどちら
の上に輝くのでしょうか。まだ調べています。それではこの間にコマーシャルを
ご覧ください」
「再びマジソン・スクエア・ガーデンです。今もなお、入念なボディチェックが
続いております。何といってもこの試合の見どころは、若いチャンピオンに老獪
な挑戦者がどう仕掛けるかという、あ、いまやっと挑戦者のボディチェックが終
わりました。続いてチャンピオンフランクリンのボディチェックが行われます。
それではここで、ジェシー・フランクリン栄光の軌跡、ダイジェストにしてあり
ます、どうぞご覧ください」
「さて、まだリングではボディチェックが続いておりますが、放送時間の方が残
り少なくなって参りました。それでは皆さん、マジソン・スクエア・ガーデンか
らさようなら」
 野球はパスボールが少なくなったぐらいであまり大きな変化はなかった。それ
はそうである、いくら手が多いといっても幾つもボールを投げるわけにはいかな
い。しかし、影響は妙なところに表われた。
「おいこら、あんなところでいきなり盗塁するやつがあるか」
「だって監督、盗塁のサインだしたじゃないですか」
「なに寝ぼけてるんだ。サインを良く見ろ」
「だってほら、右第一手でまず左第二肘を触り、それから左第四手首、そいでも
って右第二手で左第一腕を触って……」
「だから寝ぼけてるというんだ。いいか、俺が左第一腕を触ったのは右第三手だ
ぞ。これは一球待てのサインだ。間違えんな」
「なにを言ってるんですか。一球待ては、まず右第二手で左第二肘を触ってから
でしょ。右第一手で触るのは、バントですよ」
「あほ、バントはだな、右第一手で左第二手を触ったあと、左第三手首を触るん
だ。よく覚えとけ」
「左第三手首を触ったらエンドランになっちゃうでしょうが。バントだったら、
第四手首を触らないと」
「エンドランは左第三肘だろ。ミーティングでやったばかりじゃないか」
 このやり取りを聞いていらいらしてきた相手のキャッチャーがたまらずベンチ
にやってきた。
「バントは左第三手首、エンドランは第三肘でしょ。しっかりして下さいよ」
 監督にこりともせず
「ほらみろ俺の言ったとおりじゃないか」
 悲しい出来事もあった。アイスホッケーが中止になったのである。
 最初は手が増えるとそれだけスリリングなシーンが増えるかと期待された。確
かに何本もの腕によるパックの取り合いは迫力があった。が、いざシュートしよ
うとしても、ゴールキーパーが何十本という腕を拡げると、それだけでゴールが
埋まってしまうのである。これでは点のはいりようがない。零対零のゲームが何
試合も続いたあげく、しまいには馬鹿馬鹿しくなって誰もやらなくなってしまっ
た。
 芸能の分野にも新しい波が押し寄せた。歌舞伎界では早速十本の腕を使ったケ
レン味あふれる演出が登場した。しかしもっとも大きな事件は文楽界の内紛であ
ろう。
 ご承知のように文楽の人形は三人によって操られる。首と右手を動かす主づか
い、左手を動かす左づかい、足を担当する足づかいだ。が、『千手観音くん』の
導入により主づかい一人で手も足も操作できるようになった。
 おさまらないのはお払い箱になった左づかいと足づかいである。
「まったくひとをこけにしてくれるわ。今までずうっと一緒にやってきたのに、
なんや思うとんのや」
「そやな」
「な、腹が立つさけわしらだけで芝居うたんか」
「ちょっと待て。そんなことゆうたかて、わしら左手と足しかできんのやで。ど
この世界に左手と足だけの浄瑠璃がある」
「それもそやな。よし、こんなのどうや。お初徳兵衛がいきなり辻切りに袈裟懸
けに切られるのや。左手と足だけになった二人の怨霊が夜な夜な現われ……」
「んなあほな」
「あかんか」
「あかんあかん」
「ほならこんなのどうや。お軽勘平がいきなり定九郎に袈裟懸けに切られるのや。
左手と足だけになった二人の怨霊が夜な夜な現われ……」
「おんなじやないか」
「あかんか」
「あかんあかん。第一な、定九郎はいったいどうやって動かすんや」
「だから、定九郎も実は怨霊で……」
 ピアノでは今まで不可能とされていた三十重和音が遂に実現した。しかし、上
には上がいるもの。ある新進ピアニストは実に十八本の腕を付けてステージに登
場したのである。
「こうすることにより、いかに指を速く動かすかという従来のテクニックは一切
不要になります」開演前彼は語った。
「指はあらかじめ八十八の鍵盤すべての上にあるのです。あとはそれを必要に応
じて動かすだけです」
 彼は意気揚々とピアノに向かい、華麗に第一楽章を弾き終えた。人々の驚嘆の
なか、彼は第二楽章を弾き始めようとしたが、その顔はひきつっていた。
(重い)彼は焦りを隠そうとした。
(いくら何でも十八本は重すぎる。こっ、これ以上腕を支えておれん。だっ、だ
がここで力を抜くわけにはいかん。そんなことをしたららららら、恐怖の八十八
重和音になってしまう。そおんんなあ間抜けなことがでっ、できるかっかっか)
 そんな彼の心の内など知らない聴衆はえらく気迫のこもった舞台だなと思って
引き込まれている。
(くっ、くっそお、こんなところでめげたら俺が今まで築き上げた名声はどうな
るんだうあうあ)
 やけくその馬鹿力をふりしぼってどうにかこうにか最後まで弾き終わるや否や、
御辞儀もそこそこに一目散に舞台から引っ込んだ。鳴りやまないアンコールの拍
手。が、彼はなかなか出てこない。
 それでも続くアンコール。拍手がやっと鳴りやんだのは、ピアニストがアコー
ディオンをかかえて出てきた時だった。

                                (続く)




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