AWC 「ドナー」 9    香織


        
#505/3137 空中分解2
★タイトル (TCC     )  90/ 7/ 5   2: 9  ( 96)
「ドナー」 9    香織
★内容


              9

 貴和子が編集部の自分の席に戻ると、それを待っていたように、目の前の電話
が鳴り出した。
 その電話の相手が、牧田ですと名乗った瞬間、さっき会ってきたばかりの看護
婦の言葉が、貴和子の耳の中に蘇ってきた。
『松井尚子さんは、うちの病院で腎臓の摘出手術を受けましたから、腎臓は一つ
しかないはずですよ』
 尚子が殺された事件から、二カ月が過ぎた今日になっても、井上昭夫は行方不
明のままだった。被害者の胴体部分も、まだ発見されていない。
 あの後、貴和子は釈然としないまま、編集長にせっつかれて警察発表通りの記
事を書いた。しかし、日が経つにつれ、自分の考えに拘るべきだったという思い
が、胸に重くのしかかってくる。その重圧に耐えきれなくなった貴和子は、一ヶ
月ほど前からこの事件を調べ直していたのだった。
「高森さん、もしもし、聞こえますか?」
 ぼんやりしていた貴和子は、牧田の声で我に返った。
「あっ、はい、聞こえてます」
「あの、友紀がいま手術を受けているんです。今朝早く、腎臓バンクに登録して
ある人が亡くなったんだそうで、その人の腎臓を友紀が頂けることになったんで
す。本当に思いがけなく早く手術を受けられることになりました。それで高森さ
んには色々とお世話になったし、お知らせしといた方がいいかと思いまして……」
「友紀ちゃんが手術を? 良かったですね。これからすぐそちらに行きます。あ
の……牧田さんにも少しお話があるので……」
「えっ、どんなお話でしょう」
「いえ、電話ではちょっと……では、のちほど」
 電話を切ってから、貴和子は、牧田にいったい何をどう話すつもりなのか、自
分に問いかけていた。これまで調べたことを突き合わせて、犯人を推理してみる
と、どうしても一人の人間を指し示してしまうのだ。考えあぐねた末に、貴和子
が出した結論は、正面からぶつかってみるしかないということだった。
 貴和子が病院に着いて手術室の方へ行ってみると、牧田が落ち着かない様子で、
廊下に立っていた。まだ手術は終わってないらしい。貴和子は牧田を屋上に誘っ
た。
 天気は良かったが、風が強かった。吹き曝しの洗濯物が、ぱたぱたと音をたて
ている。屋上には、幸い誰もいなかった。
「牧田さん、私は今日、野島病院へ行ってきました。尚子さんが腎臓摘出の手術
を受けた病院です」
「そうですか。色々、お調べになったようですね」
 牧田はそれを聞いても驚いた様子もなかった。それどころか、やわらかい微笑
みさえ浮かべている。やはり知っていたのだ。ということは、牧田には大きな動
機があったことになる。
「私なりに推理してみたんです。その結果、あなたが犯人だと仮定すると、今ま
で謎だったことに説明がつくんです。死体をばらばらにした理由、すぐに身元が
わかるようにしてあった理由。そして未だに胴体が見つからない理由」
 貴和子は、一気にまくしたてた。牧田は貴和子に背を向け、黙って立っている。
貴和子は続けた。
「すべては、友紀ちゃんに真実を知らさないためなんですね。尚子さんは死んで
いるんだっていうことを、なるべく早く友紀ちゃんに知らせるためには、死体が
早く発見されなければならない。でも、死体が解剖された時点で、彼女が腎臓を
一つしか持っていなかったことが知れてしまう。その事実は隠したい、でも死体
は早く発見されたい。このジレンマを解決するためには、死体をばらばらにして、
胴体部分だけを隠し通すしかなかったんですね。私の同僚が、あのばらばら死体
は犯人が誰かに宛てたメッセージじゃないかって、そう言いました。確かにあれ
は、あなたが友紀ちゃんへ宛てたメッセージなんですね。安心おし、誰もおまえ
を傷つけたりしないよって……」
「お見事な推理だねと、言いたいところだが……」
 牧田が貴和子の方を振り向いて、穏やかな口調で言った。
「しかし、証拠が何もない。それに比べて井上犯人説には、色々と有力な証拠が
出ているじゃないか」
「それなんです。私が心配しているのは、井上さんが今、どこにいるかなんです。
もし井上さんの車から見つかった証拠が、犯人の手によるものなら、たぶん、井
上さんは今ごろ、尚子さんの胴体と同じ所にいるんではないかと……」
「つまり、私が井上を殺し、彼の車で尚子のばらばら死体を捨てに行き、彼の車
の中に預金通帳と尚子の血痕を残した。君はそう言いたいのかい」
 貴和子は牧田にじっと視線を据えたまま、「そうです」とうなずいた。
「でも、その推理には何も証拠がないよ」
「はい。その通りです。でも、警察がその気になって調べれば、事実は必ず明ら
かになります」
 そのときになってやっと、牧田の表情に動揺が現れた。
「君は警察に私を告発するつもりなのか。友紀をひとりぽっちにさせてもかまわ
ないと言うのか。友紀は一人では生きて行けない子なんだ」
 貴和子は、牧田の目の中に殺意を感じた。彼はじりっじりっと、貴和子に詰め
寄る。後退る彼女の背中が、屋上の手摺りに当たった。追い詰められた貴和子は、
必死の思いで訴えた。
「そうやって、友紀ちゃんを守るために、罪を重ね続けていくつもりなんですか。
あなたの愛情は間違ってます。守るだけが愛情ではないでしょう。なぜ現実の辛
さに耐えられる強い子に育てようとはしないんです」
 貴和子のその言葉に、牧田の殺意が怯んだようだった。険しかった彼の表情が、
ふっと緩んだ。そのとき、二人の後ろで声がした。
「牧田さん、こんな所にいらしたんですか」
 看護婦だった。彼女は二人の間の異様な雰囲気を感じたのか、
「手術が終わって、友紀ちゃんはICU(集中治療室)へ入りました。麻酔が覚
めたら、面会できますから」
 と言って、慌てて下へ降りて行った。
 牧田はその後を追うように行きかけたが、途中で立ち止まり、貴和子の方を振
り向いて、
「せめて友紀の術後の状態が落ち着くまで、待って貰えませんか。友紀には私の
口から説明して、それから……自首して出ます」
 と言った。貴和子は大きくうなずきながら、
「わかりました。お待ちします」
 と答えた。牧田は深々と頭を下げると、階段を降りて行った。
  残された貴和子は、放心したように、雲が流れていく空をいつまでも見上げて
いた。
               (完)





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