#1771/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HVA ) 89/ 8/14 22:51 ( 58)
ルーナ物語 Copyright by RAY
★内容
1.グラシーおばさん @
草原の朝は、降り止んだばかりの雨を慕うように、空へと立ち昇ってゆく靄(もや)
とともに明けた。芽吹いたばかりの、少女の肌のように軟らかな若葉の上を、小さな水
滴がかけまわっていた。
ヘルマーは、朝露に素足を濡らしながら、草の踏みしだかれた小道を歩いていた。十
一才の華奢な少年にはすこし大きすぎる、ブリキのミルクタンクを引き摺りながら。森
の中の彼の家から、牧草地の向うの農場までの往復が、ヘルマーの朝の日課だった。
道脇の堤にある巣穴から、一匹の野兎が鼻面を突きだしてひくひくと臭いを嗅いでい
た。野兎は、ヘルマーがずるずるとタンクを引き摺って通り過ぎてしまうと、そっと穴
から抜け出して糞をした。人間とほんの少ししか離れていないというのに、野兎はまっ
たく気にしていないようだった。
小道から五歩ほど離れた草薮の中の巣に、雌のヨタカがうずくまっていた。彼女は卵
を四つ抱えていたのだが、ヘルマーが通って行くのを、昼間はよく見えない目で、じっ
と見守るだけでべつに逃げようとはしなかった。たまたま、真正面からヘルマーに出合
ってしまったカナヘビだけが、驚き慌てて叢へ逃げ込んでいった。
草原の生き物たちはどれも、ヘルマーをあまり怖がらない。それは単に彼がまだ子供
であるためかもしれなかったが、いつもどこかしら上の空で通り過ぎて行くこの少年を、小さな動物たちもそれほどの脅威とは思わなかったのだろう。
実際、ヘルマーは何に対しても危害を加える気などなかった。家から農場までの約半
マイルを、毎朝、彼は空想に耽けりながら歩いた。北方の氷の山に住むエルフたちのこ
と。ノルマニア城の中庭で飼われているというユニコーンのこと。それから、黒の森に
巣くう様々な怪物たちのことなど。みんな、ランソン農場のグラシーおばさんに聞いた
昔話に出てくる生き物ばかりだ。
でもグラシーおばさんは、それらはただの伝説ではないと言っていた。
「北の氷の国には本当にエルフが住んでいるそうだし、ヘルマー、あなたの住んでる森
よりも、もっと深い森の中では不思議なことがたくさん起るのよ。それに・・・」
と、グラシーおばさんはそこで言葉を切った。
「今でも、黒の森に入る人はほとんどいないでしょ。よほどその必要がない限りはね。
そして、どうしても入っていかなきゃならないときには、こうやってお呪(まじない)
をするのよ」
おばさんはそう言って、顔の前で空中に八角形の星型の線を描いた。
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それは、”エレリアの星”と呼ばれる破魔の呪(まじない)の印しだった。
ヘルマーはときどき、「おばさんは本当は本物の魔女なんじゃないかしら」 と思う
ことがある。グラシーおばさんのお呪(まじない)はなんでもよく利くし、悪戯をした
ときもたいていすぐに見つかってしまう。ときには、ヘルマーの考えていることを見透
せるんじゃないかとさえ思う。おばさんはあんなに若くて綺麗なのになんでも良く知っ
ている。ほんとうに不思議な女(ひと)だ。