#1504/1850 CFM「空中分解」
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「星のささやき」 美樹本震也
★内容
「星のささやき」
作 美樹本震也
ミランダ……。今日も寒い。お前がいなくなってから、ずっと寒いんだ。
高いビルの屋上、烈風の吹きすさぶ酷寒の中、一人の男が立ちすくんでいた。
彼の周りの白い世界は、全ての命あるものの存在を否定しているようだった。
雪雲に覆われ、空はどんよりと曇っていた。空を飛ぶ鳥は、一ヶ月前に見たのが最
後だった。その時は、空から凍死した鳥がポタポタと地上に落下していた。
今は地上に落ちた鳥の屍を見つけることさえできない。
巨大な摩天楼も、幾何学的に立体交差するフリーウェイも、木立に囲まれた自然公
園の緑も、全てを白一色で塗り潰されていた。
見上げると、ビルの屋上のBSチューナー用のパラボラアンテナが、付着した氷の
ために倍程の大きさになっていた。殆ど用を成していない。
ボルグは、ごつい手袋をはめた両手で、自分の顔を叩いた。大丈夫のようだ。まだ
感触がある。凍傷にはなっていない。
再び、作業に戻った。ハンマーを振るう度に氷の破片が飛び散り、大きな氷の瓦礫
が崩れた。彼はこの作業を、もう半時間も続けていた。そろそろ限界だった。
金属の地肌が漸く見えてくると、ボルグはハンマーを小刻みに振るい、注意深く氷
を剥がしていった。
更に数分後、アンテナの姿が現れた。
屋上の氷山の一角が溶けて、ブロックの地肌が見えていた。そこには、チロチロと
燃えるカンテラがいくつも並び、雪と氷からドアを死守していた。
そのドアを押す。しかし、カンテラの炎に照らされていても、そのドアは凍り付い
ていた。簡単には、開かなかった。もう一度、ボルグが全身の体重を掛けると、ドア
はギシギシと音を立てて、開いた。
感触のなくなった足で、長い階段をおり、一室のドアを開けた。
「外は、どうだった」
「…………」
カースンが話し掛けたが、ボルグは黙々と防寒着を脱いでいた。
部屋の中の温度は、五十度以上も違う。スチーム暖房が効いていて暖かだったが、
ボルグにはその暖かさは、感じられなかった。
ボルグのバリバリになった防寒着の表面から、氷の破片がパラパラと落ちていく。
口や顎だけでなく、顔全体を覆っているボルグの赤い髭は、吐いた息が真っ白に凍
り付いていた。
「大丈夫か?」
再び尋ねたカースンに、ボルグは無言で頷いた。
「やめろ、やめろ。外は氷点下五十度だ。舌も麻痺して、暫く話せない」
マクファーソンが割って入った。
「一体、いつまで続くんだ、この寒波は。もう二週間になるぜ」
「寒さはこれからだ。まだまだ下がるぞ」
「結構なことだな。太陽を見たのは、三ヶ月も前だ。いい加減、懐かしい」
「しょうが…ない。冬…だから…な」
ボルグは、途切れ途切れに話し出した。
そのボルグに、マクファーソンが熱いコーヒーの入ったマグカップを渡した。
ボルグは、手袋を嵌めたまま、そのカップに顔を近づけ、立ち登る湯気に髭を当て
た。すぐにカップに食らいつくと、カップの熱でベロッと唇の皮が捲れてしまう。
「アンテナ……、氷……剥がした……が、すぐ……凍り付く……」
「その通りだ、カースン。早く、気象情報を見よう」
カースンは、部屋の隅の端末にキーを打ち込んだ。三人の男が囲むCRTに文字が
並ぶ。外の風景と同じく、冷たい文字だった。
<気象情報、最新更新時刻………>
それは十二時間も前のものだった。
「どういうことだ? ホストがさぼってるのか?」
「気象衛星からの通信が途絶えたのか、中継局が故障した?」
「機械人形達に落とされたか?」
「十二時間前……でもいい。気象情報を出して…くれ……」
ボルグの声に、カースンが頷いた。
「ひゅーい。こいつを見ろよ」
<北極上空の零下百二十度の大寒気団が南下中。地上の零下五十度前線は、合衆国中
央部から、アフリカ北部、スペインからトルコにかけたヨーロッパ一円、中国大陸を
横断し、北緯三十五度以北の北太平洋上を通り、再び合衆国に至っている。現在まで
に確認された情報によると、この大寒気団は更に南下する様相を示しており、既に赤
道を挟んだ熱帯地方においても、気温低下が続いている。グリーンランドからイギリ
れている。中国、内モンゴルでは、氷点下六十五度の低温が、二週間に渡って続いて
いる。寒気による世界人口の低下率は、WHOの予想によると、一時間当たり六万五
千人であり、次第に増加している。このままの状態で増え続けると、3ヵ月後には、
1億人、半年後には5億、1年後には10億を越えると予想されており……>
「もう、沢山だ……」
マクファーソンが呻いた。
ビーーーピーポーピュー。拍子外れの警報音が鳴りひびいた。
< ★ ★ ★ ★ ★ 緊急警報 ★ ★ ★ ★ ★ >
< NORADの早期警戒システムの自動警報通知である。 >
< 合衆国上空の高度300キロを落下中の物体を発見した。 >
< 迎撃不能。 落下地点は、サンフランシスコ近郊の模様。 >
CRT端末に表示された文字は戦慄すべき文字だった。
「ばかな! まだ、やろうってのか。あの機械人形達は………」
「そうだよマック。連中は飽きることがない」
「その人形を………作ったのは、……俺達……だ」
ボルグは再び、防寒着を着始めた。
「ボルグ、どこに行くつもりだ。」
「見晴らしのいい所……。何も知らずに……いっちまうの…は、…いやだ……」
二人の男を部屋に残し、ボルグは暗く長い階段を登って行った。
ボルグは、もう凍り付いてしまった屋上のドアをこじ開け、外に出た。
吹雪が止み、氷に閉ざされたゴールデンゲートブリッジが浮かんでいた。
上空を見上げると、雲の合間にキラキラと光るものが見えた。その光がふっと消え
ると、大気を振るわせ、「それ」が落下してきた。
「それ」はゴールデンブリッジを通り過ぎ、海に向かうとボルグの視界から消えた。
ドーンという物音が聞こえてきたのは、かなりの時間が経ってからだった。
しかし、それだけ。白い世界は何事も無かったように静まりかえっていた。
「ミランダ……。今日も寒い。お前がいなくなってから、ずっと寒いんだ」
ボルグの声が、酷寒の中で急激に凍ると、彼の耳元でパチパチと爆ぜた。
「あなた……」
彼の耳にはそう聞こえた。
全地球規模の冬。誰も経験したことのない冬。どれだけ続くのか……。
そして、ボルグの冬も続く……。
(おわり)
(作者注)
零下五十度以上の酷寒においては、人間の吐いた息の中に含まれる水蒸気は、す
ぐに凍り付く。水蒸気が一瞬にして凍り付く時、耳元で微かな物音を立てるのが聞
こえる。これは、「星のささやき」と呼ばれる。