#1465/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (FEC ) 89/ 3/ 7 7:36 (129)
★Mergeing!Mergeing!!2★《6》L128
★内容
6
今日は何をするにも気が重い日であった、彼女にとって。帰宅するとずくに寝込んで
しまった。いまだもって、失跡した間借り人は現れていなかった。こうなると、最初に
思った言葉が過る。
“……………………………………………死………………………………………………”
まさか。今頃、どうして?何がきっかけなの?彼しか感じることの出来ない痛みとは
一体なんなのか。私にはそれがどういう意味のあることなのだろう。やがて私の身にも
起こることなのかしら。
「………でもさぁ、あれだけ煩がっていたのがいなくなったんですもの、喜ぶべき事
よ………。」しかし、その言葉には実感が無かった。
彼の意識はゆっくりとではあったが回復しつつあった。しかし、まだ、人間としての
人格までは至っていない。エネルギーの増大が起こっただけだ。意識を縛っている鎖は
まだまだ強かった。しかし、橋本の触手は鎖のあいまから以前のように勢力をはるため
に伸ばされ始めており、鎖を破るのも時間の問題だった。
翌日、羅清仲右衛門は中村と接触するために、毎移動時間文学部の館内を走り回って
いた。藤田も中村も哲学科で科こそ違えど彼と同じ文学部だった。ところが、中々彼女
を捕まえることが出来ない。どうも、避けているみたいだった。藤田にも会おうとして
いないらしい。本人が逃げ回るとなると、高校とは違って規模の大きい大学だからいく
らでも隠れられる。探すのは至難の技だった。
意固地になっているのかな。まあ、僕を嫌うのは当然だとしても藤田さんを避けるの
はきっとこの間のことがあるからだ。謝るにも謝れず、ましてや仲直りなんかできやし
ない。取り合えずは時間によって風化を待とうというのか。
もしかしたら、杉丘の方に走るかもしれん。なにしろ、進む道は予測出来るところ、
それしかないのだから。
彼は自分にいまいましさを感じていた。結局、探し出せなかったのだから。自分のカ
リキュラムが放課となってしまえば、逃げられてしまう。4時間目が終了した今、彼女
は………
奇人はエレベータの前に立った。彼は文学部棟2号館8階にいた。普通なら階段で下
るところなのだが、意気消沈しきっている彼は機械の力を借りることにした。壁面にあ
った“▽”ボタンを押す。なんと、ボックスはB1にあった。すぐには上がってきそう
もない。
と、そのとき肩を叩く者がいた。しかし、彼は振り返らなかった。彼をからかう者は
たくさんいるのだ。そんな者をまともに扱っている場合ではない。くそくらえだ。
「おい。」しかし、背後の者はしつこかった。
仕方なく、奇人はゆっくりと振り向いた。
そこには背の高い人間が存在した。細いズボンを身につけ、流行のジャケットを着こ
なしている。彫りの深い窪みの奥には三白眼の鋭い瞳がある。削られたかのように無骨
な頬。短い、スポーティな髪型。彼のことを、奇人は知っていた。
「何で政経の人間が………」
「いても可笑しくはあるまい。」彼は冷徹に笑った。「羅清だろ?」
「そうだが、何だ。」
男は前に出た。小柄な羅清に比べると恐ろしく体格がいい。
「滑稽じゃないか。御前に彼女がいたとはな。」
「………」彼は無言で挑発を受け流した。
「中村孝子だよ。藤田からきいたぜ。」
「ほお………。」
「しかし、残念だなぁ。何故なら、ありゃ、俺の女だからだよ。」決定的な事実をいい
放ったかのように彼は勝ち誇った。「知らなかったのだろうから今までのことはいいが、今後は近寄らないでくれ。」
ここで悔しい顔を見せようならますますつけ上がっただろう。しかしながら羅清はそ
んなことはしなかった。それよりも、彼の言動のひとつひとつを脳裏に焼き付けていた。あとで彼を分析するためだ。こういった人種はなかなかお目にかかれんからな。
背後でチーンという音がして、エレベータが到着した事を告げた。奇人は男から視線
を反らさないで、ボックスに乗り込み、内部のコンソールボタンの“開”を押し続けた。 男は超然とした態度を取り続けていた。疲れることだろうぜ、羅清は腹で笑った。男
の方も、こっちの貧相な顔をみて、笑顔を浮かべていた。彼はエレベータには乗ろうと
はしなかった。おそらく、彼を探してご苦労なことに7階まで上がってきたのだろう。
目標が達せられた今、塵とは一緒にいたくないといった感じだ。
「杉丘さん、」
このとき、小男の顔がサッと変わった。意を決した、強力なものだった。それを見て
杉丘修は計算通りに進んでいないことを初めて知った。
「あなたの性格が大体わかりましたよ。」
「なんだと!」彼は怒気を上げた。「なんだと!」
羅清は指を離した。グッグーという音と共に、ドアが彼らの間を仕切ってゆく。杉丘
の不快な顔、そして羅清の自信に満ちた顔が隠されてゆく。そして、閉まる寸前に奇人
は短く言い放った。
「一言で言って、甘えん坊、ですな。」
男が怒りを爆発させドアに向かって突進したときには、もう奇人は下り始めていた。
杉丘は怒りをドアに激突させた。フロアに重々しい音が響いた。
藤田は駅で張っていた。いくら逃げ回っても駅から乗らなくてはならないのが電車通
学者。学校では捕まえることが不可能でも、ここなら………と思ったが、浅はかだった。ここは田舎のローカル線でなく、都心の秒刻みのダイヤの黒字線なのだ。吐き出す人間
は波のよう。気をつけてみていても100%網羅するなんてことは不可能だ。そして夕
暮れになるにつれて混雑は混乱へと発展する。5時にもなると、何がなんだか分からな
くなった。
「ちっ!」彼女は舌打ちした。この間のことを気にすることはないのに。まぁ、確か
に腹がたったけれども………。それよりも、早く話をしなくては………。羅清くんは頼
りないし、あの野郎は狙っているし、彼女の付き合っている相手にはどうやって連絡を
とったらいいか分からない。
「あ〜、もう!!」
中村は既に帰宅しつつあるところだった。彼女の家は直線300mのゆるやかなこの
坂を乗り切ったら、すぐだった。白い2階屋。通りの反対方向の窓が彼女の部屋のもの
だった。
羅清くんも涼子を探していたみたいだったけれども………ついつい逃げてしまった。
何故だろう。そんなこと分かっているじゃない、意地よ。この間の手前?そう。あいつ
らがからかい過ぎなのよ。本当にそれだけかなぁ。何よ。本当は謝りたいんじゃないの?…………。だけれども、恐いんでしょ?どうして。今までは、あなたのことにあーだこ
ーだ言ってくれる人間がいたけれども、急にいなくなっちゃったからよ。そんなことは
…………
彼女は久しぶりに自問自答をしていた。これまでだったらそんなことをしなくとも、
始終、考えの違う話し相手がいたからだ。普通の人間の状態に近くなったのだけれども
それが逆に彼女にとっては不安だった。
彼女は玄関の戸を開けた。そして一見普通の女の子が言うように「ただいま」と言っ
た。
意識はほぼ戻っていた。しかし、彼の疲労は酷く、とても大家と話せる状態ではなか
った。まだ、微弱ながら、鎖も存在していた。慌てることはない。何故なら彼にはどう
してこういう状態に自分が陥るようになったのか、大方理解しつつあったからだ。
時間は無いが、カードはまだ手中にあるさ。
彼は少し眠ることにした。
下宿のアパートの6畳部屋に入るとムッとするものがあったので、奇人は窓を開け放
って空気交換を行っていた。外には恐ろしくも奇麗な夕焼けが広がっている。天中附近
にはもう早くも星が瞬き始めていた。細い雲が黒く、墨で書かれたようにたなびく。街
の夜景は地上に降りたった銀河のよう。遠くの方で青と黄色のサーチライトが天に向か
って放たれているのが見えた。
羅清は窓に頬杖をつきながらこれらの様子を見入っていた。肌寒いがそれを代償にし
らくは、こんな光景が見えるのも、この時代だけの一瞬だけなのだろう。彼はやがてホ
モ・サピエンスが絶頂に達し、衰退すると思っていた。その後には、次の人類−−−人
類とそれが呼べるなら−−−がホモ・サピエンスと同様に、荒れ地の中から発展するで
あろう。
ハードウェア的に限界があるのだ。もし、人間の個性に当たる部分をプログラム化し
て、もっと効率のよい−−−−超伝導素子とか−−−−ものにRuningさせること
が出来たなら、人類として生き残ることが出来るだろう。もっとも、やはりどうしても
効率の悪いホモ・サピエンスは死滅するわけであるが。
彼は笑った。
魂をプログラムと考えるのは良いとしても、どうやって脳から飛び出すというのか。
潜在意識の番地の中に拡張機能があれば可能だろうがね。
「出来るなら、魂だけ飛び出る経験をしてみたいものだよ。」
窓を閉めると、彼は現在に戻った。杉丘と中村の分析という、いやにせせっこまい問
題に取り組み始めた。
彼はまだ気がついていなかったが、彼の極近くには既にプログラム通信を行った人間
がいたのだ。そして、彼の考えはほぼそれに近いものであった。
.