AWC 遠い国 ID=FKA42053 平尾


        
#887/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (FKA     )  88/ 3/ 8  20:45  ( 74)
 遠い国 ID=FKA42053    平尾
★内容
  遠い国

趣味で書いている小説の文頭です。   ご意見を頂けたらと思って
います。

 第一章  青い海

「静子、もう休もうか。」と父の三郎が声をかけた。静子は額から
滴り落ちる汗を拭きながら「ええ」と答えて腰を下ろした。
 山の急斜面のだんだん畑から足元のふもとを見ると真夏の太陽に
反射してきらきら光る家々のかわらの向こうには青い海が見えた。
十九才の静子は海が好きだった。農家の長女として生まれた静子は
小さな時から弟の太郎の面倒を見たり、父や母を助けて畑仕事に忙
しかった。けれども、静子は早朝や夕方、暇なときは良く海にでか
けた。
砂浜に間断なく押し寄せる波の音、いその香り、そのすべてを静子
は好きだった。「私は何時の日かこの海をわたって異国に旅してみ
たい。」そういう静子の願いは、何時か熱病のように静子の体の中
に巣くっていた。
今も、畑仕事の手を休めて休息しながら、静子ははるかに見える蒼
い海にうっとりと見とれていた。
海の色は絶え間なく変わる。朝の海、昼の海、夕方の海、夜の海、
その時どきに,また季節に合わせて海は装いを新たにして静子の前
に現れてくる。
「静子を早く嫁に出さなきゃ。」  母と父が小声で話しているの
が静子の耳に入った。 時は明治23年であった。和歌山県串本で
は、女の子は十六,七才で嫁に行くのが習わしだった。十九才にな
った静子は完全なで遅れ娘だった。
いろいろな人たちが次々に縁談を持ちかけてきたが、そのいずれも
静子の気にそまなかった。

  第二章 荒れる海

ムラト・ホジャは、甲板から荒れる海を眺めていた。思えばトルコ
を離れてから長い日々だった。トルコ皇帝使節オスマンパシャ殿下
以下六百五十余名がエルツ−ルル号で訪日,日本との修好のため横
浜に一カ月近く滞在した。明治政府は、同じ東洋の血を引くオスマ
ン・トルコ帝国を高く評価して、連日のように使節団をもてなした。
両国は、今後力を併せて近代化に取りくもうと約束を取り交わした
のであった。
その帰りのことであった。エルツ−ルル号は熊野灘にさしかかって
いた。折から、台風が紀伊半島に通りかかっていた。トルコの船員
たちは、生憎台風には、まったく未経験であった。どんなに海が荒
れても、軍艦が沈むとは思いもよらなかったのである。ムラト・ホ
ジャも、その一人であった。そのうち、甲板にいることが、非常に
危険になり司令塔の中に飛び込んで行った。司令塔には、艦長のム
スタ・ハ−ラが何人かの、幕僚に囲まれて操船に必死になっていた。
押し寄せる波と吹き付ける風に殆ど操船不能の状態になっていたの
である。
船は、風で岸へ岸へと吹き寄せられていた。余り岸に近寄りすぎる
のは危険だった。
「ドン!ドン!」と船底で鈍い音がした。エルト−ルル号は座礁し
たのである。舟は傾き、水がなだれ込んで来た。海水の浸水を皆で
食い止めようとしたが無駄な努力だった。艦長から、海に飛び込ん
で岸まで泳ぎ着くようにとの指令がでた。荒れた海の岸近くに大胆
にも救助に乗り出してきた日本の漁船の姿をかいまみることができ
た。岸まではまだかなりの距離がある。この荒れた海では泳ぎの達
人でも、岸まで泳ぎ着くか、漁船に助けられるのはきわめて難しい
ものであることは想像にかたくなかった。しかし、このまま船にと
どまることは座して死を待つことと同じであった。船長と殿下は船
と運命を共にされる決心をされたようであった。ムラト・ホジャも
敬愛する二人と運命を共にしたかった。しかし、二人に「トルコの
将来を担うのは君達若い人たちだ。」と諭されたのだある。ホジャ
は二人に敬礼すると荒れる海に飛び込んで行った。イズミールの海
辺に育った彼は、子供の頃から泳ぎには自信があった。何時間でも
泳ぐ自信があった。だが、この海は彼が経験してきた海とは違って
いた。彼の体は何度も波浪に高く舞あげられ、そして波の谷間に激
しくたたきつけられた。ムラト・ホジャはその時、死神の微かな臭
いを嗅いだ。死神がそっと手を差し伸べてきたのである。それは、
苦痛と絶望にあえぐ彼にとって耐え難い誘惑であった。子供の頃の
思い出が走馬燈のように彼の脳裏をよぎった。優しい母の顔、一緒
に遊んでくれた父の姿、可愛い妹のハンナが彼の目の中で踊ってい
た。
やがて、彼は気を失って行った。




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