AWC 毀れゆくものの形 四−3     直江屋緑字斎


        
#882/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (QJJ     )  88/ 3/ 6  11:36  ( 82)
毀れゆくものの形 四−3     直江屋緑字斎
★内容

 たしかに、有木教授は戦犯に問われることを警戒していた。それ
は、戦時中に執刀した被術者の大半を外国人が占めていたためでも
あった。幸い、第五外科のスタッフは少数精鋭を旨として構成され
ていたので、実験の内容が外部に洩れることはなかった。
 だが、サンプルとして残された被験者の頭蓋骨の処理には神経を
つかわなければならなかった。敗戦の様相が色濃くなり始めた頃か
ら、有木老人は地下の霊安室を閉鎖し、そこに標本を運び込ませる
と、数人の関係者だけを率いて、その乾燥した頭蓋骨を粉々になる
まで鉄槌で叩き割った。そして夜中になると叩き割った骨の粉を運
び出し、あちこちの川や海岸で廃棄したのだった。脳のサンプルは
細かく裁断した後、実験用の動物の屍体や内臓にとり混ぜて出入り
の業者に下げ渡し、胴体の方は、もともと極秘のうちに搬入されて
いたので、実験終了後、再び隠密裡に送り返されていたため問題は
なかった。
 こうして戦争終結までに、有木教授は人体実験の物質的形跡を隠
蔽し、戦後しばらくの間、実験結果を抽象的な資料に書き換える作
業に没頭した。矢継青年が研究室に戻ってきたのはその頃だった。
 ところで、教授はその資料分析の過程で、海馬体仮説に不完全な
部分があることを発見していた。それは、海馬体と視床下部を別々
に切除したとき、被験者の術後反応が異なってくるという点だった。
情動の原因の全てが海馬体にあるとする教授の仮説からは考えられ
ないことである。有木教授は、あと数回の実験が必要だろうと考え
ていた。しかし、自ら墓穴を掘るような真似は避けねばならないと
も思った。つまり、実験科学者としての燃え盛る情熱に堪えねばな
らなかったのだ。
 たしかに矢継院長の言うように、有木教授は研究室に逼塞し、
陰々滅々としているように見えはしたが、その裡にあるものは悔悟
の気持とは別のものだった。
「わしはただ、国家の厚遇の得られぬに至って、人体実験は放棄し
なければならないと思い定めただけだ」
 老人は言葉を続けた。
「わしは、わしのなしたことに何の責任も感じてはいなかった。そ
れは、君の言うように、国家が抽象的で科学が事実であるというこ
ととも違う。「「わしは忘却という方法を選んだにすぎない」
 ……思想的な責任、政治的な責任、戦争の責任、国家に追従した
責任、あるいは積極的に命に従った責任、殺人の道徳的および倫理
的責任、存在することの責任、そのようなものが、ただの砂粒にす
ぎない人間にとっていったい何だというのだろう。少なくとも、そ
れは社会的に糾弾される性質のものではない。もしそんなことを認
めてしまえば、それこそ責任という妄想を自ら軛(くびき)にする
ような愚かな社会性というものに違いない。それはまったく個人的
なことで、泡沫のような人間の、そのたった一個の薄膜の内部で、
責任というものが肥大したり窄(すぼま)ったりすればいいだけの
話だ。しかし、それでさえ、時代において何事かをなしたという傲
岸(ごうがん)な妄想なのではないか。「「老人はそう考えていた。
 ……戦争行為という特殊な時代の中ですら、わしらは何事もなさ
なかった。なしうるはずがないというのが、ただ一つの事実なのだ
ろう。責任を問う者、責任を覚える者は、ひとしなみに不遜なる妄
想を介在させているにすぎない。そこには、嫌悪すべき自己肯定の
危げな綱渡りがあるばかりだ。責任は個人の内奥に還元されるとい
う上品な論議にしても、それこそ妄想過剰なので、世界とか人類を
永遠の対象にして無理やりそれを個人に結びつけるという、猥雑
(わいざつ)で、ひねこびた、粗末な精神の生み出す襤褸(ぼろ)
のようにしかみえない。このような思いを、近代的自我の蒙昧な闇
に囚われているというのだろうか。そのように批判する人は、たし
かにその批判をそれなりの知識として整合化し、そうすることによ
って己れの闇に自己を築き上げ、ついには類などという概念操作で
救われるのかもしれない。しかし、それがどうしたというのだろう。
世界は個と無縁なのだ。またそれゆえに、鉱物の裡に無限に広がる
暗黒宇宙というイメージはいっそう魅力的に違いない。だが、かと
いって、それとて何ものでもない。……わしらは累積する忘却を通
して、目前にあるものを摘(つま)み上げることのほか何もできな
い。そのような形でしか、あらゆる現実を、あらゆる空想を、あら
ゆる行為を生きていけないのかもしれない。責任などというのは、
つまるところ、忘却できるか否かということの紐帯にすぎないわけ
だ。忘却することで、わしらは別のものにわしらをならしめて、と
にもかくにも生き続けさせる。記憶というものが累積される死であ
るなら、それは忘却の一つの形態であり、忘却は生と死とを超越的
に押し包む全体性ということにもなるのだろうか。「「老人の考え
は詭弁(きべん)じみていたが、韜晦(とうかい)とも異なってい
た。
「わしは人体実験という事実を忘却するという方法で解決しようと
した。わしは大脳辺縁系の研究を一切放棄するつもりでいた。しか
し、実験の不完全さがわしに復讐したのだろう。わしは、忘却すべ
き累積する死そのものによって激しく身を焦がされていたのだ」
 老人は訥々(とつとつ)と述べながら、灰皿で喫われずに形をと
どめている長細い烟草(たばこ)の灰を静かに摘み、その残骸の姿
を壊滅させた。そして、灰にまみれた指先を拭おうともせずに新た
な一本を取り出し、あえかな火を点して吸い込むと、あまりに濃い、
蒸れた色の烟(けむり)を吐き出した。





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