#765/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (FEC ) 88/ 2/14 9:28 ( 46)
『雑兵の詩』 ひすい岳舟
★内容
石塚智宗が東の谷に到着したのは夜半をとっくに過ぎていた。しとしとと冬の冷雨
が舞う中、この雑兵10人の小部隊は、東の谷の谷間を通って西に進軍する山倉勢の
様子を探知する役目を担っていた。雑兵長である石塚は歴戦の同志とともにこの役目
にうち震えていた。
まずは谷を一望できる天狗の遊び場に向かった。天狗の遊び場というのは、巨大な
岩石で形成されるがけっぷちの頂上にあるちょっとした広場であった。天狗の遊び場
の周りはうっそうとした笹が被い繁り、灰褐色の地形が夜でもよく目立った。
雑兵共は薮こぎをして、ようやく天狗の遊び場に付いた。おたがい向かい会ってみ
ると顔は泥泥、具足の間に草がはさまっていて、たった二時間前に本陣から出発した
部隊とは思えなかった。
「おい、何かみえるか?」石塚は先から見下ろしていた者に尋ねた。
「なにも見えません。」
と、いうことはまだ到着していないのか。午後から降っているために沢が増水して
進軍できないのであろうか?しかし、山倉氏が天候を予見できずに沢ぞいに兵を置く
だろうか?だとすれば、ここを迂回してちょうど我々の背後の荒地を直接本陣へ向か
っているのだろうか?だとすれば、殿はすぐさま陣を立て直す必要がある………
「しばらくここにとどまろう。見張りの者を残して後は脇の薮に引っ込め。」
東の空の雲がうっすらと白く輝き始めたのはいつのころからだったろうか。すでに
見張りの当直は四回交代がおこなわれていたが、いずれもなんにも変化はおこらなか
った。薮の中では9人の男達が具足をつけ柄を握りしめたまま仮眠をしていた。雨が
陣笠でとび散って胴巻をツゥーと落ちる。着物のはしにわたるまでずぶ濡れで具足に
加わって身体にズゥーンと来ていた。
「智宗殿、夜が開けました。」
「………分かった。ところでどうだ?」石塚伸びをしつつ、寒さで身震いをしていた。
「何も。どうやら、来ていないようですね。」
雑兵長は皆を起こした。そして、筒を切ったような碗を取り出させ冷汁の仕度をさ
せた。仕度といってもいたって簡単である。持ってきた兵糧のなっぱなどを入れ、味
噌を水でとく。そして米をぶっ込んでザザサァーと腹に流し込むのだ。
腹に流れ込む冷たさがシャキっと意識をさせる。そしてみるみるうちに活気が身体
の内面から湧き出てくるのだ。雑兵達はけっして健康な状態でないのだが、元気にな
っていくようであった。
「このまま、ここで見張るのも時間の浪費であろう。」石塚が切り出した。
「しかし、この谷のすんでに来ているかもしれません。そのときはどうしますか?」
「そのときはそのときだ。」
「私にはどうも、奴らがきているような気がしてなりません。」
「よし、ではこうしよう。二人は殿のもとへ報告に行き、残ったものはここで見張り
を続けると。」
「あい、わかりあした。」
結局、部下二人が本陣へ報告に行くということになった。二人はこの隊の中でも健
脚の若者を選んだ。何故ならば、すでにここの地帯を包囲されているかもしれないか
らだ。彼ら雑兵達は、そういった迫りくる仮想の敵を思い浮かべながら恐怖し、おの
のき、そして強がるのだ。もし、彼らの敵がこの谷にいたとしたら、彼らとて天狗の
遊び場に潜む兵のことを思い、恐怖することは間違いないのだ。
.