#2543/3693 ◇フレッシュボイス2
★タイトル (AZA ) 23/01/09 19:45 ( 40)
厳密な定義が必要なのかもしれず 永山
★内容
あらすじの問題。
小説を公募するときによく課せられている条件の一つが、粗筋や梗概を付すようにと
いうものですが、これって物語の最後(オチ)まで書ききっていいのかどうかという点
が、投稿者にとって悩み(迷い)の種でした。
ネット時代になって情報が行き交いやすくなったせいか、今では「粗筋は最後のオチ
まで書ききる」のが原則のようだ、という共通認識が広がったように思います。もちろ
ん、そうではない賞もあるみたいですから、出来る範囲で確認に努めなければいけない
でしょうけど。
で――先日、民放の深夜バラエティで、嘘つき王を決める大会というのを二周連続で
やっていました。四人の芸能人・著名人が参加し、三回戦形式で一人ずつ脱落者を決
め、最後に残った者が嘘つき王。
第二週の決勝で示された問題が、知る者のほとんどいないB級映画と、架空のそれっ
ぽ映画タイトル二つを番組サイドが用意し、架空の映画の方の粗筋を参加者が考える。
そして実在する映画及び架空映画の粗筋それぞれを参加者自身が読み上げ、観客にどち
らが本物だと思ったかを投票してもらう。より多くをだませた者が勝利。
先攻となった参加者Xが読んだ粗筋は、映画Aの方は物語の途中までで、さあどうな
る?という締めくくり。映画Bの粗筋は結末まで明かしていました。結果、百人の観客
の内八十人がAが本物だと判断しました。粗筋の中身はさておき、“映画の粗筋”と聞
けば、オチまでは言及しまいと考えるのが普通、というのが影響したのかもしれませ
ん。DVDソフトのパッケージあるような粗筋は決まってオチまでは書かないでしょう
から。実際、私も同じ判断をしました(その他にもBの方はポスターが、外国語映画に
もかかわらずトイレの蓋に血文字で「死」と書いてあり、嘘くさかった)。
ところが実在する映画はB。ここで私は考え方を修正しました。「この番組で言って
いる粗筋は、映画紹介サイトにあるようなオチまで書ききったものなんだな」と。
そういう認識で、後攻の参加者Yの読み上げる粗筋に耳を傾けますと、映画Cは最後
まで語りきり、映画Dはさあどうなる?形式。答は、私の読み通り、最後まで語ってい
たCが実在の映画でした。
そして観客の判定ではCが四十九、Dが五十一という結果に。参加者Xの優勝です。
これを見て不公平だなと感じた次第。先攻が圧倒的に有利じゃないかと。
問題をこしらえた時点で、制作者は不公平の生じる可能性に気付かなければいけなか
ったと思う。そしてそれを防ぐために、参加者のXとY両名に対し、「粗筋は最後のオ
チまで書ききる形にしてください」と言い添えるべきだった。
あるいは――「参加者は、実在する映画の粗筋を見ることができた(かもしれない。
が番組では明確には示されず)。だとしたらその粗筋を参照しつつ、嘘の粗筋をオチま
で書くか否かもテクニックではないか?」という見方もできるかもしれません。しかし
架空映画の粗筋を考える時間には制限があり、架空のタイトルとポスターをぱっと見せ
られて、すぐに取り組む。とてもじゃないか実在する映画の粗筋を読み込む余裕はなか
ったと思われます。なので、やはり番組制作サイドに遺漏があったと言いたくなる。
ではでは。