#1988/3576 ◇フレッシュボイス2
★タイトル (AZA ) 21/10/31 17:02 ( 36)
怒濤の怪力は人間発電所と分けたか? 永山
★内容 21/11/01 19:40 修正 第2版
コンビマジシャンのナポレオンズの一人、パルト小石が肺炎により逝去。六十九歳。
ご冥福をお祈りいたします。
ここ数年、著名人の訃報を聞いて大なり小なりショックを受けることが多くなってい
るのですが、まさか“あったまぐるぐる”の人がこんなにも早く亡くなるなんて。
私、いっとき頻繁にマジックのショーを観に行っていましたが、ナポレオンズを生で
目の当たりにしたかどうか、記憶が定かでない(汗)。コンベンションにゲスト出演し
ているのを一度観たことがあった気がするのですが、メモ書きを遡っても出て来ませ
ん。(^^; ナポレオンズはテレビ出演が多かったし、やるネタはほぼ固定でしたから、
時代や場所を特定する材料が乏しく、思い出せないのだ……と思いたい。鉄板ネタがあ
るのも、観客にとっては良し悪し?
コミカルな芸風で人気を博しましたが、シリアスな演目も(笑いに包んで)こなす、
絶妙のコンビでした。一方で、超能力を称するマジックには厳しい目を向けていて、特
番で自称超能力者がやった“超常現象”をナポレオンズがその場で再現し、降参させて
いたのが印象に残っています。
“あったまぐるぐる”の名人芸を、ボナ植木は新たなパートナーと組んで行うのか、
それとも後進に伝授するのか、はたまた永遠の謎として(^^)封印か。気になるところで
す。
スポーツサイトのプロレスリバイバル記事で、一九七四年九月二十日、ストロング小
林がブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビーに挑戦して、ノーコンテストに終わ
ったと当時のレポートを紹介していました。
この試合結果、ほんとかな? 当時、小林は猪木との世紀の一戦に敗れて米国武者修
行中。対するサンマルチノは馬場の親友にしてライバル。猪木より格下と位置づけられ
た小林が、そんなサンマルチノと“引き分けさせて”もらえるだろうか。
かような疑問が浮かんだので、検索してみると、当時のWWWF地区の試合結果をま
とめたサイトを発見。くだんの試合はサンマルチノのカウントアウト勝ちとなっていま
した。
同年末に小林は猪木と再戦することが決定事項でしたから、恐らく、試合を取材した
日本のスポーツ新聞社が新日本プロレス(猪木の団体)に気を遣ったんでしょう。
一方、馬場はこの三ヶ月ほど前に米国に飛んでWWWFのリングに上がっています
が、もしかしたらこのとき、「小林をあんまりいい扱いするなよ」とWWWFの幹部に
言い含めておいたかも? そもそもこの海外遠征自体、小林の扱いに釘を刺す目的が先
にあって計画したという可能性すら……。もちろん妄想です。(^_^)
ではでは。