#808/1158 ●連載
★タイトル (sab ) 10/03/10 04:04 (121)
ひっきー日記4 ぴんちょ
★内容
タバタが机ごと離れていってからしばらくした或る日の事だった。
教室の入り口にウエノ・ハツネという女子が立っていた。別のクラ
スの女で、目元が上原多香子似でクールな感じ。大学生と付き合っ
ているとか吉祥寺のライブハウスでバイトをしているとか色々な噂
があった。吉祥寺に住んでいるというのは八王子市民にとってはちょ
っと眩しい存在なのだ。もっとも俺にしてみればどこに住んでいよ
うと別世界の人なのだけれども。ところがウエノが呼んだのは俺だっ
た。
「ちょっと、こっち来て」。周りの男子が鎌首をもたげた。ハツネ
の所に行くと「日本史の教科書、貸してくれない?」と言われた。
言われるがままに貸して1時間後に返ってきた教科書を見ると付箋
が貼ってあった。
「今日のPM3時、kentで待っているから来て」
ケントというのは飲み屋街にある喫茶店で夕方からスナックになる。
放課後、俺はズボンの尻をさすりながら繁華街を横切った。制服の
ズボンで平気かな、ユニクロでチノパンでも買っていこうか、など
と思いつつ。
店に入ると、4人掛けのテーブルにハツネとシブヤという奴がこっ
ち向いて座っていた。シブヤは遊び人と噂されていた。あと背中を
向けて女子が一人座っていた。
ハツネに顎で合図されて席につく。隣にいたのはオオモリ・カエデ
だった。雰囲気的には”ごっちん”に似ているか。カエデはタバコ
を吸っていた。シブヤもLARKを一本取り出すと口にくわえて、
オイルライターの石を指パッチンで回して火をつけた。
「吸う?」と言って俺に進める。
親父のタバコを吸ったことがあったので一本抜きだす。シブヤが火
をつけてくれた。むせる事もなく吸いこんで吐き出す。
「吸いなれているじゃん」とカエデが言った。
そこまで黙って見ていたハツネが身の乗り出してきて俺に言った。
「あんた、彼女いないよね」
それから事情を説明してくれたのだが、要するに2対2で遊びたい
のだけれども一人男が足りない、そこでカエデが俺をリクエストし
たのだという。
シブヤはハツネを「ハッちゃん」と”ちゃん”づけで呼んでいた。
それから「どんなに愛し合っていても心が離れてしまったら別れる
しかない」とか「いくら安くってもトイレが無いラブホはダメだ」
とか話していた。
なんとなくみんなが沈黙した時に俺は聞いた。「どうして俺だったの?」
ハッちゃんは何も言わずにじーっと俺を見詰めながら親指と人差し
指を擦り合わせて「もうちょっとなんだよなぁ」と言った。
「なにが?」
「顔が」
(後日だけれども。鏡のある水飲み場で水を飲んでいたらたまたま
通りがかったハツネが鏡を覗き込んで「イタイって鏡で見た方が格
好いいね。…つまりみんなが見ているイタイは、あんた自身が思っ
ているよりも不細工だって事」と如何にもな事を言っていた)。
カエデがトイレに行った時にハツネが行った。「これからあたし達
帰るけれど、ちゃんと誘ってあげないとだめだよ」
ハツネ達が帰ってしまって二人になると全く話す事が無くなった。
カエデは横を向いて腕組みしながら指の爪を噛んでいる。俺はじり
じりしてきた。
「私ね」とカエデが言った。「どんなに好きな人が出来てもその人
だけってわけにはいかないんだ」
それってどういう意味だか分からなかったが、家に帰ると俺はポル
ノチューブでオナニーをした。2階の便所に行って精液の付いたト
イレットペーパーを流して、居間に行って親父のハイライトを一箱
取って、台所に行って灰皿になりそうな空き瓶を取って、中二階の
自室に戻る。窓際のパソコンラックに腰掛けてタバコを吸う。細め
に開けたサッシから煙が流れ出て行く。俺は空想した。素っ裸で絡
み合うカエデと俺を。そう思っただけで又立ってきたので、そんな
事はあり得るんじゃないかと思えた。あり得ないのは、ちゃんと制
服を着たカエデ、バーバリーのマフラーにブルーのハイソックスに
コインローファーといういでたちの彼女と俺がタバタなど非モテ達
の前を歩くというシーンだ。…と思っている内に、写メを撮ってく
ればよかったなぁと思った。
ところが翌日もケントに行ったのだが撮らせてくれない。休みの日
に高尾山の猿山とかサマーランドに行ったのだが撮らせない。神宮
外苑の銀杏並木で俺は言った。「何で撮らしてくれないんだよ」
「いやだぁ」
「なんで」
「流出するから」
「そんなへまはしないよ」
「でもみんなには見せるんでしょう?」
「いけないの?」
「だって、何て言うの、男女別姓っていうの…うちのお父さんとお母
さんは一緒の会社に勤めているけれども会社じゃ名前も違うし赤の他
人だよ」
「俺が見たいんだよ」と言って写メを向ける。
「だめだめ」とカエデ。「じゃあ一枚送ってあげるよ」と言って送ら
れてきた写メはモザイクとまではいかないが、えらいぼやけていて、
これじゃあミクシィのプロフィールに使っても判別不可能なぐらいの
代物だった。それでも持っていないよりかはましだと思って待ち受け
画面にしておいたのだが、なんと体育の着替えの時に携帯を落として
しまった。そうしたらカエデがもの凄い勢いですっ飛んで来て「私の
写真、落としたでしょう、誰かに見られたらどうすんのよ」とすげー
形相で怒鳴った。
それでもタバタ達に2ショットを見せてやりたい、という気持ちは失
せなかった。或る朝俺は京八の前でカエデを待ち伏せしていた。一緒
に登校すれば下駄箱に行く前に校舎の前を通るから2階からタバタら
が見ているに違いないと思ったのだ。
しかしカエデは俺を見付けて顔色を曇らせた。それでも合流して学校
に向かったのだが、学校が近付くにつれてだんだん早足になって、し
まいには「先にいくよ」と言う。
「なんで」
「だから男女別姓だよ」
「なんだよ、それ」という俺を置いてけぼりにして彼女は走って行った。
なんでなんだ。俺は立ち尽くして彼女の背中を見やった。やがて彼女
は同じ制服を着た女子達の中に紛れ込んで行った。その瞬間、彼女ら
は指一本触れる事の出来ないもの何かに変わる。たとえシャツの襟が
めくれていても直してやることすら出来ない清潔な何か。俺は彼女ら
を”素人女子連合”と命名する。
俺は学校へは行かずに家に返るとカーテンを閉めてベッドにもぐり込
んだ。昼頃に目が覚めて電話した。
「もう終わりにしてもいいと思って」と俺は言った。
「へー、そうなんだ」
「俺はねぇ、本当に受け入れられたかったんだよ」
「へー、そうなんだ」
「何がだめだったのか参考までに教えてよ」
「参考? なんの参考? 次の女の参考? そんなの相当もてる男の
言う事だよ」
「そんだったらもっと一途だったら一緒に歩いてくれたのかよ」と俺
は言ったが、彼女の携帯は切られないまま放置されているらしく、ク
ラスのざわめきが聞こえてくるだけだった。その内にぷつっと切れた。
布団にくるまって俺は考えた。俺はカエデをリトマス試験紙にしたの
か。”素人女子連合”に受け入れられるかどうかの。踏み台にされた
と思ってカエデはダメ出ししたのか。そうだとしてもカエデにふられ
れば”素人女子連合”全員に拒絶されるのだから俺は深く傷つく。
つーか、逆だろう。カエデの魅力って、”素人女子連合”の一員だか
らであって、あんな女一人でいたら、まんきつの痩せた女みたいに枯
れ木だろ。枯れ木に結晶がつてい樹氷に見える、と言ったのは誰だっけ。