#807/1158 ●連載
★タイトル (sab ) 10/03/07 20:36 ( 68)
ひっきー日記3 ぴんちょ
★内容
しかしもう一つの仮定がある。
俺は親戚のおじさん、といっても現役の大学生なのだが、に補習を
受けていた。或る日、簡単な単語、例えばtomorrowのスペルが分ら
ない時があった。
「今度、覚えておくよ」と俺は言った。
「今、覚えて」と言って、おじは鉛筆を差し出した。「そこの新聞
紙の端っこに書いて今覚えて。後でなんてダメだよ。そうやって完
璧な計画をたてるんだろう、計画をたてるのは楽だから。でもそん
なものは流刑地の捕虜が思い描く故郷みたいなものだよ。故郷なん
て本当はないんだから。空想するのは自由だからもの凄い故郷を描
くけれどもね。しかしそうするとどんな現実に接しても辛くて我慢
出来なくなるんだよ。だから一歩も立ち止まったらだめなんだよ。
立ち止まった瞬間に脳内に故郷が増殖してくるんだから」。おじは
現役で国立大に合格した。
同じ様な事を高校の英語の授業中にも言われた。次の文章を読んで
から訳しなさい。
children readily understand that an adult who is sometimes a
little stern is best for them;their instinct tells them whether
they are loved or not,and from those whom they feel to be
affectionate they will put up with whatever strictness
results from genuine desire for their proper development.
俺は音読した後で訳そうと思ったのだが、文の構造が複雑でよく分
からない。
「えー、えー」と言いながら俺は文章を必死に追った。「えー、子供は、
えー、少し厳しい方が彼らにとって良い、えー、彼らの本能…、愛情…、
えー、どんなに厳しくても…」
「ほらぁ」と教師。「君は頭が良すぎるんだよ。そうやってきょろきょろ
している内に最後まで行っちゃったじゃないか。目の前から訳して
いけばいいんだよ。全部分からないと一歩も進めないっていうんじゃあ、
君、将来苦労するかも知れないぞ」
「ドモリになるなよー」と後ろの方で生徒の誰かが言った。
俺はなんかぞっとした。
この英文解釈もそうだけれども、人間関係にしても、給食などの制度に
参加するにしても、俺は何時でも接する前に躊躇する感じがある。そう
すると”故郷”が脳内に立ち上がってくる。それは完璧だから、現実に
接すると常に幻滅する。或いは現実に”故郷”を埋め込む、というか意
味の無い秩序を求めていた感じがする。
例えば、前述の英語の教師は授業の最初に短文を5個小さな藁半紙に書
かせるという小テストをやっていたのだが、そんなのは書いてしまえば
すぐに忘れるのだから暗記するのも馬鹿らしいというんで、隣のタバタ
は机のすみに落書きしていたが俺はそれを許さなかった。
「それ、消せよ」俺は言った。
「なんでだよ」
「いいから消せよ」
タバタは聞こえない振りをしてあっちを見ていたが、俺は身を乗り出し
ていって指の腹で擦って消した。なにすんだっ、とかタバタは抵抗して
いたが俺の方が体がでかかった。
それから夏休みになってタバタと俺はSOGOの地下の鰻屋でバイトを
したのだが、そこは働いた時間を自分で端末から入力するシステムになっ
ていた。タバタがちょろまかそうと言った
「ダメだ」と俺は言った。
「なんでだよ」
「なんでも」
夏休みが終わって、学校の帰りにバイトの給料を取りに行ったら、店の
おやじが「忙しくって袋詰めしている時間がなかったから、お前らこれ
を適当にわけろ」と言ってレジから取り出した札束をカウンターの上に
置いた。
「こんなの嫌です」と俺は言った。「ちゃんと働いたんだらちゃんと計算
して下さい」
おやじはじろりと俺を睨んでから、ちっと舌を鳴らして札をしまった。
「じゃあ、夕方にもう一回取りに来いよ」
デパートから出るとタバタが言った。「なんで返しちゃうんだよ。俺らの
稼ぎより明らかに多かったんだから、貰っておけばよかったじゃないか」
「だめだ」
「なんでだよ」
「なんでも」
その頃からタバタはだんだん離れて行った。