AWC ひっきー日記1 ぴんちょ


        
#805/1158 ●連載
★タイトル (sab     )  10/03/03  03:52  ( 67)
ひっきー日記1 ぴんちょ
★内容
今思えば、俺は生まれついてのひきこもりだ。
最初の兆候は生後6ケ月頃にはあった。俺はおんぶ紐を見せられると、
散歩に連れて行ってもらえると思って喜んだそうだ。そんなの、犬だっ
て散歩の鎖を見せれば尻尾を振るのだからただの条件反射…ではない。
今の俺の、なんでもトラウマにしてしまうような、一度起こった事は
何度でも繰り返すと思うような、あつものに懲りてなますを吹くよう
なこの性格はあの頃からあったのだ。
それから、もう喋れるようになっていたから2歳半頃だろうか、舟和
という和菓子屋のあんこ玉を見せられて俺は小首を捻りつつ「ぶどう?」
と言ったそうだ。芋ようかんを見せられて「かぼちゃ?」と言ったそ
うだ。そんな感じで甘いものばかり食べていたら歯医者に通う羽目に
なったのだが、或る日床屋に連れていかれて「ココは歯医者だ」と泣
いたそうだ。こんなの枚挙に暇がないのだが、やはり俺は世の中を因
数分解しながら眺めていたと言える。
だから何か制度(幼稚園とか小学校とか)があって適応出来ないとい
うのではなくて、何も無い所から俺が勝手に制度を読み取ったとも言
える。
勿論、制度にも適応出来なかったのだが。給食は小学2年でギブアップ
だった。給食が終わる時間になると男の担任がスプーンを持って俺の
所に来た。オブラートみたいな膜が張ったクリームシチューをげぼげ
ぼいいながら流し込まれた。俺はそれを義務だと感じていた。何故だ
ろう。不味いし。献立だってひじきの煮物にコッペパンとか酷かった
し。だいたいあんなものはアメリカ人が余った小麦を日本人に食わせ
る為に始めた制度だ、ぐらいの知恵はあったし。だからどんなに価値
の無いものでも皆が適応しているものには価値があると思っていたの
だろうなぁ、程度に思っていたのだが。
小学校は卒業して給食も終わって中学になったら弁当だった。中3に
なったばかりの或る春の日の事を覚えている。授業は午前中だけで終
わりという日に皆が帰ってしまった教室でぼーっとしていたらYとい
う女子入って来て「これ食べて」と言ってタッパーに入った弁当を差
し出した。「家庭科で作ったの。食べて」。
二段海苔になっていてピンクのでんぶが散りばめられている。
俺は弁当を凝視していた。そしてYは俺を見詰めていた。「食べてっ」
と言うとYはプラスチックの箸を差し出した。
俺は本当にジリジリした気分になって来た。
「どうしたの?」とYが俺の顔をのぞき込む。「お腹減っていないの?」
その時Hという男子が教室に入って来た。「何やってんの?」
「あー、H君、これ食べる?」
「えっ、食べていいの」
「お願い食べて」
「ラッキー」と言ってHはぺろっと食べてしまった。
Yはタッパーをしまうと俺を一瞥して教室から出て行った。

俺は当時八王子市に住んでいて日野市まで越境通学していた。
帰りに豊田駅のロータリーのマックの前を歩いていたら空腹である事
に気が付いた。さっきは弁当を断ったのに。
マックに入って、ハンバーガー、ポテト、ドリンクのセットを持って
ロータリーの見えるカウンター席に着く。
俺はハンバーガーを食いながら進路の事を考えていた。俺の頭だと日野
高とか富士森高だろう。何れも都立だ。私立は嫌だった。面接重視だ
しコネも多いし。もし俺が魅力的な人間だったらじっくり面接してもらっ
た方がいいのだろうか。でも俺は魅力的な人間じゃない。だから共通問
題と内申書で決めてもらった方がいいんだよ。そこには如何なる不正も
あってはならない。俺は自分が秩序を求めているのが分った。これが給
食を残してはいけない理由か、と思いつつマックを食う。マックと給食
とどこが違うのだろう。世の中には全くの“名無し”として参加出来る
ものがある。マックとか都立高とか多分買春などもそうじゃないのか。
ガラスの外を俺の学校の女子が2人、3人と歩いていた。タクシーの運
転手達がじろじろ見ている。
俺は氷の底に残ったコーヒーをずーずーとすすった。鼻腔の中にクリーム
の香りが広がる。
何時か俺がセックスをするという事はあるのだろうか、と俺は思った。

つづく








前のメッセージ 次のメッセージ 
「●連載」一覧 HBJの作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE