AWC She's Leaving Home(20)改訂版ぴんちょ


        
#758/1159 ●連載
★タイトル (sab     )  09/10/21  22:19  (213)
She's Leaving Home(20)改訂版ぴんちょ
★内容
ユーコ摂食障害への道。ユーコ談。
「これ自分で実感したことじゃなくて、何回も面接を受けて私が言った事をカ
ウンセラーが再構成して、こういう訳であなたは摂食障害になりましたって私
に言った事なんだけれども。私、3歳からピアノを習っていたの。ものすごく
筋がよくって、小学校高学年の頃には難易度にもよるんだけれどもベートーベ
ンソナタ、テンペストなんて初見で弾けたのね。これは凄い事なの。そうした
ら音楽の教師が絡んできて、女はピアノは弾いても作曲はしない、あれを見て
みろ、と音楽室に飾ってある肖像画を指差して、ベートーベン、シューベルト、
モーツァルト、ブラームス、みーんな男じゃないか、女なんて一人もいない、
もっとも楽器は女の格好をしているけれどもね、バイオリンとかチェロとか、
あとは演奏家になるしかないぞ、せいぜいピアノの稽古をして上手くならない
と捨てられるぞ、♪歌を忘れたカナリアはうしろの山にすてましょか〜、とか
言われて。ふーん。そうなんだ、世の中男の為にあるんだ、とか思っていた頃
から、胸とか腰のまわりとかがどんどん膨らみだして、なんなんだろう、これ。
一言で言って肥沃さ。そこに種を植えられて養分を吸われて育つ為の肥沃さ。
その先っぽに穴がある。そっから何か出てくるんじゃないか、オッパイ星人と
か尻フェチとかって養分チェックの為にちゅーちゅー吸いたいのかなあとか思っ
ていたらテレビで、♪君たちキウイ、パパイヤ、マンゴーだねー、とかいう懐
メロをやっていて、なんだ、女ってセックスの対象でしかないのか。それから
中学校に進んで、ピアノの悩みもあったんだけれども「いちご同盟」という映
画を観て、こういうのを書く人だったらスケベじゃないんじゃないかと思って
その人の本を色々読んだら、女の髪は長い方がいい、オス馬はメスのたてがみ
を歯でくわえてセックスするから、後ろから髪の毛をつかんでセックスすると
いい、とか書いてあって、そんな事考えてんのか、あんな草食系な顔をして。
社民党の福島瑞穂とか辻元とか髪の毛が短いのは後ろからつかまれない為なん
じゃないのか、と思えたり。その頃は後ろから髪の毛をつかまれて強姦される
んじゃないかと怯えていた。私のお姉さんがアメリカっていうバンドが好きで
sister golden hairという曲をよくかけていて、サビでWill you meet me in 
the middle, will you meet me in the air?とか歌っていて、「みんなの見て
いる中で会ってくれるかい? 噂になっても会ってくれるかい?」って。だっ
たら女ってセックスの対象であり見せびらかすものか。でも何で触りたいんだ
ろう。男が髪や胸や腰を触りたいのはスケベだからだとしても、私だって猫の
お腹とか触りたいんだよねえ。松浦理英子が犬の背中に頬擦りしてにんまりし
ている写真があって、あの人も触りたいんだなあ。そもそも感覚ってなんなん
だろう。私なんて過食の後に下痢と嘔吐を繰り返しているけれども、排泄の感
覚とか嘔吐の感覚ってなんだろう。そうして高校に入ったら音楽の教師がセク
ハラ教師で下ネタばっかりなんだけれども、大腸内視鏡をやるんで女子医大に
行ったら若い女の研修医にやられてよかったから癖になってもう一回行ったら
おっさんの医者にやられて激痛が走った、とか。じゃあ胃カメラはどうなんだ
ろう、でも歯医者で若い女の歯科助手に生手で歯茎を触られるといいよなあ、
とか。その頃から食べる感覚と挿入される感覚が何か結びついて、全てのセッ
クスは強姦である、と言うなら、全ての食事は殺生なんじゃないかと思えてき
て。殺生しても許されるのは子供を生むからなんじゃないのか。英単語を暗記
するのに「英単語連想記憶術」っていうのを使っていたんだけれども、sterile
は「捨てられる、子を産まない牝牛」と覚える、fertileは「畑要る、肥沃な畑
が」と覚える。やっぱりそうなんだ。食べて、胸や腰が肥沃になって種を植え
付けられて子供を産んで死んでいく。搾乳900日の後食肉になる牝牛や、卵
を産み続けた後にミンチになる鶏肉みたいに。だから食べて肥える事は死ぬ事
だ。だから食べない、だから拒食症になった、というのがカウンセラーの説明
なんだけれども。食べなければ死ぬ、しかし食べれば子供を産んでから死ぬ、
そこから抜け出す方法は、私が思ったのはピアノの練習をして歌を歌えるカナ
リアになったら生き延びられる、庄司薫みたいな男が現れて、と思ったの。だ
けれどもすぐにそんなオスメスだけの問題じゃないって気が付いたの。それは
ショックだったんだけれども、「ナチュラル・ウーマン」って読んだ事ある?
 「ナチュラル・ウーマン」はアリサ・フランクリンが歌っている曲なんだけ
れどもどんな曲だろうと思ってyoutubeで探していたんだけれども同じユーザー
がスリー・ディグリーズの「天使のささやき」っていうのをアップロードして
いて。ディナーショーで歌っているのだけれども見ている客はみんな太った中
年の白人男女で、ふんぞり返ってワインを飲みながら、馬の品評会でも眺める
様に見ているの。あれかぁ。自分のおかれている立場って。いくら歌が歌えたっ
て男が武器とか生産設備をもたないと白人の慰み者になるのかあ。でなきゃ白
人の農園で綿をむしるのかあ。それだったら「ああ野麦峠」みたいに生糸でも
生産していた方が自由に近いんじゃないのか。そうすれば小林よしのりみたい
な男が守ってくれるかも知れない。庄司薫なんかについていったら従軍慰安婦
にされる。小林よりのりなら守ってくれる、と思いつつも私が毎日妄想してい
たのは、塚田マキみたいな女になりきって小林よしのりを後ろから裸締めでぐ
いぐい締め上げるの。最初はバタバタ暴けているんんだけれども、その内顔面
蒼白になってぐったりして首がぐらぐらになってよだれなんてたらっしゃって。
そうしたら今度は大山カナになりきって思いっきしびーんた。スローモーショ
ンで顔がびろ〜んとなってメガネが吹っ飛んでいくのも見えるの。ざまあみろ。
ああ、体が大きかったらなあ。…ちょっとトイレ行ってくるね」というと席を
立った。20分ぐらいして戻ってくると話を続ける。「さっき話した事なんだ
けれども、あんなのはサイトウさん的に言えば全部喪男の妄想なんだよねぇ。
私も男社会がどうとか、そういう世の中の構造なんて私のビョーキと関係ある
のかなぁ、って。それで自分の症状とかからも考えているんだけれども」と言
うと私を見て、「もうご飯食べ終わったよね」と言った。私はうなずく。そし
てユーコは話を続ける。「私、だいたい一週間に一回ぐらい過食するの。毎回、
最後の晩餐、毒食わば皿までみたいに食べるんだけれども、食べた後は全部吐
くんだけれども、どうしても食べたのと同時に十二指腸の方に流れていってし
まう食物があるでしょ。それを早く排泄しないと吸収しちゃうって思って大量
の下剤を飲むの。でも何時になったら過食した食べ物を完璧に排泄できたか分
からないでしょ。だからコーンとかピーナッツみたいに消化されないものを食
べて、うんちにコーンやピーナッツが混じれば過食が終了ーー。本当にコンビ
ニのおにぎりのゴマを一粒ずつ取り除くぐらいに潔癖だからそこまでやるんだ
けれども、そんな基地外みたいな事していて気が付いたのは、私って脂肪分の
多いものを大量に食べて、吐いて、下剤で全部出して、それで安心してから又
脂質0.5%以下のものを食べるの。つまり断続的なのよねえ。だけど例えば
ミミズね。ミミズって土を食べながら排泄して前に進むから、何時でも食べて
いる感じでしょ。でも人間はみんな断続的でしょ。朝食を食べて昼食を食べて
夕食を食べて。そうすると、この食事は前の食事に比べてまずい、とか、次の
食事はもっと美味しいものを、とか比較する様になるのよ。そうするともうこ
の食事のありがたみを忘れて、ただひたすら今よりもっと美味しいものをって
なるの。私の場合にはもっと脂肪の少ないものを、だけれど。それから体につ
いている脂肪も減らさなくちゃいけないんだけれども…どこまで減らせば。そ
れは無限になんだけれども、多分この無限が他の人だったら偏差値だったり、
お金だったり、あとマッスル北村だったら筋肉なんだろうなあ。それから愛に
も無限というか完璧な愛を求めるの。親に完璧な愛を求めるの。…本当に基地
外だったなあ、やっている事が」と言うと空中に向かってフンと鼻を鳴らした。
「本当に私って親の愛を確認する為に基地外みたいな事やっていたんだよねー」
というと布のカバンから携帯を取り出してぱかっと開けると操作した。「これさ
あ、見て、これ。これずーっと前に合宿に行っていた時にお母さんがくれたメー
ル」と言ってディスプレイを見せてくれた。

*****引用開始
有子ちゃん元気ですか。
食事と睡眠はしっかり取れている?
練習のしすぎで有子ちゃんが疲れていないか心配です。
本当にいつでも有子ちゃんの事を心配しているのよ。
新聞やテレビで事故のニュースを見る度に有子ちゃんは大丈夫かしらと思うの
よ。
有子ちゃんが立派に育ってくれれば本当にお母さんは嬉しいの。
それじゃあ暑いから体に気をつけて。それではまた」
*****引用終了

「でもこうやって一発置換すると」

*****引用開始
「私の金づる」元気ですか。
食事と睡眠はしっかり取れている?
練習のしすぎで「私の金づる」が疲れていないか心配です。
本当にいつでも「私の金づる」の事を心配しているのよ。
新聞やテレビで事故のニュースを見る度に「私の金づる」は大丈夫かしらと思うの
よ。
「私の金づる」が立派に育ってくれれば本当にお母さんは嬉しいの。
それじゃあ暑いから体に気をつけて。それではまた」
*****引用終了

「この頃は本当に、自分の親の愛には欺瞞があるんじゃないかって。あるんだけ
れども、普通は。だけれども何でうちの親の愛には欺瞞があるんだろうってぐる
んぐるん考えていて、こんなに考える人は私だけだろうなあって思っていたら居
たんだよね、他にも」と携帯を操作した。「それ私のブログなんだけれども読ん
でみて」

*****引用開始
「あれか、これか−愛の欺瞞」 キルケゴール著。小川圭治訳
おそらく不幸な恋が、その根拠を欺瞞にもつという場合には、その痛みと苦悩は、
悲しみがその対象を見出しえないということにある。欺瞞だということが明らか
になり、当の女性が欺瞞だと気が付いた場合には、それは直接的な悲しみであっ
て、反省的な悲しみではない。その弁証法的なむずかしさを、人はすぐに理解す
るであろう。なぜなら、彼女はいったいなにを悲しんでいるのだろうか。彼がも
し欺瞞者であったのなら、彼が彼女を捨てたのはよいことであった。いや早けれ
ばやはりほどよいことであった。彼女はむしろ、その事を喜ぶべきであって、彼
女が彼を愛したことこそを悲しむべきであろう。だがしかし彼が欺瞞者であった
ということは、一つの深い苦悩なのである。しかしそれが欺瞞であったかどうか
というこの点こそが、悲しみという恒久運動の中にある不安なのである。一つの
欺瞞が欺瞞であるという外面的な事実について確信を得ようとする試みそのもの
が、すでにまったく困難であり、しかもそれによって事柄はけっして片付かない
し、あの「悲しみという永久」運動も停止しない。欺瞞は、愛にとっては絶対的
な逆説であり、その点に反省的な悲しみの不可避性がある。愛のさまざまな諸因
子は、個人の中ではきわめてさまざまな仕方でむすびつくことができるのであっ
て、愛はそれゆえに一人の人間においては、他の人間においてと同じものではな
い。利己的なものがまさっている場合もあるし同情的なものがまさっているとき
もある。しかし愛がどうであろうと、個々の要因に関しても、全体に関しても、
欺瞞は、愛はそれを考えることはできないのに、どうしても考えようとする逆説
であり、またありつづける。
*****引用終了

「なんの事だか全然分かんないでしょ」と言うとにっと笑う。「これはね、この
キルケゴールって人はなんでこんなに完璧な愛を求めるかっていうと多分この人
は喪男だったんだよ。喪男ってキモメンで自分には価値がない、愛される訳ないっ
て思っているでしょう。愛されない人間っていうのは例えば大学受験だったら面
接は嫌いなのよ。愛される人間だったら面接でばっちり自分を知って欲しいって
思うでしょ。でも愛されない人間はセンター試験で公平にやって欲しいって思う
のよ。それでセンター試験には如何なる不正もあってはいけないって思うの。不
正なき完璧なシステム。その為だったら特攻隊で死んでもかまわない。愛にもそ
ういう公正さを求めるのよ。聖母マリアの愛とか親の愛とか。だけれども、そも
そも自分には価値がないんだから、愛されたのならそこには欺瞞がある筈でしょ。
だから愛が完璧である為には自分が愛されてはいけないというバカらしい事態に
陥るのよねえ。実際、このキルケゴールって人は婚約者に愛される事を拒否した
んだから。それで…」というと又携帯を操作する。「こんなバカはキルケゴール
と私だけだと思っていたらまだいたんだから」

*****引用開始
「ものぐさ精神分析」岸田秀著の解説。伊丹十三
岸田はやがて、なぜ自分がこれほごまでにも母に罪悪感をもっているのかを自己
分析すようとする。「母は私を愛している」、「母は私を愛していない」という
二つの前提をたて、それぞれを前提とする証拠集めの作業を行い、それはノート
数冊分にも及ぶ、その結論は、母親の愛情の欺瞞性であった。すなわち、それは、
「わたしの母親像は、わたしの自発性、主体的判断にもとづいて形成されたもの
ではなく、母がわたしを支配し、利用するためにわたしに植えつけられたもので
ある」ことの発見であり、その結果、「やさしく献身的、自己犠牲的で、どんな
苦労もいとわず、何の報いも求めず、ただひたすらわたしを愛してくれていた母
というイメージの背後から、ただひたすらおのれのために、わたしがどれほど苦
しもうがいっさい気にせず、おらゆる情緒的圧迫と術策を使ってわたしを利用し
やすい存在に仕立てあげようとしていた母の姿が浮かびあがってきた」。これは
岸田にとって、恐るべき真実の露呈であった。本来、子供にとって母親が自分を
愛していないという事実は耐え難いことであり、従って、彼は「自分を愛してい
ない母親」そして「自分を愛していない母親に対する憎悪」を「抑圧」し、母親
は自分を愛している、そして自分は母親を憎んでいないという自己欺瞞の上に、
自我を築くことになる。少年としての岸田もそうしてきた。しかしそれは神経症
への接続せずにはいられない。
*****引用終了

「この岸田って人も絶対喪男だよ」とユーコは言った。「本当に、考えれば考え
る程、愛の純度を上げていくんだよ。そうするとどんどん狭き門になるから、ま
すますキモメンは受け入れられなくなってしまうんだよ。それじゃあ私はどうやっ
てこの悪循環に気付いたのでしょうか」というとユーコは携帯を操作してディス
プレイを私の方にかざす。アホそうな子供の写真。「可愛いでしょう。私の甥っ子。
まだ3歳なんだぁ」と言うと自分で画像を見てにんまりする。「この子はい
つでもママー、ままー。ママって私のお姉さんだけれども。でもママがいない時
には私の手を握って離さないの。子供って取りあえず自分を守ってくれる人の手
を握って離さないんだよねえ。それって愛の欺瞞でしょ。でもそれがいじらしい、
というか可愛いんだよねえ。じゃあなんで私は親に絶対の愛を求めるんだろう。
それは私が途中参加だからなのよ。甥っ子は私より更に途中参加だから、何時で
も私の顔色をうかがっているの。捨てられるんじゃないかってびくびくしている
の。もう見え見えなんだよねえ、喪男が必死に愛の構造をチェックしているのが。
いっくらそんなことしたって主体性はこっちにあるんだからどうにもならないの
に。まぁそれが可愛いんだけれども…。だからぁ。サイトウさんの言っている事
にも一理あると思うのよねえ」
「ふぅーーん」私はサイトウさんがスタンプを捺して作ったビラを見た。「ユー
コってこのビラを見てサイトウさんに合流したの?」
「そうじゃなくて、色々ぐぐっていたらそのビラに書いてあるURLにぶつかっ
たのよ」





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