AWC 黒い暑気 1・守屋


        
#581/1159 ●連載
★タイトル (mor     )  07/09/14  12:21  (276)
黒い暑気 1・守屋
★内容

     1

 新大阪駅は混雑していた。というより、大阪はどこもかしこも混雑しているように思
える。おまけに暑い。七月だから暑くて当然なのだが、大阪の熱気は東京のそれより粘
着質の汗を出させ、不愉快さも二割増しだった。人口密度が高いのか、道行くひとの歩
く速度が速いのか、はたまた原色の看板や派手なネオンサインがそう感じさせるのか…
…。
 キャリーバッグを引きながら指示された出入口で周囲を見渡すと、停車中の車から
「おう」と片手を上げる人物がいた。大阪弁護士会所属の多良木宏一弁護士だろう。永
岡純也は近づき、自己紹介した。メールや電話での打ち合わせはしていたものの、実際
に顔を見るのは初めてだった。
「博信から聞かされてたとおりやな」柔らかな大阪弁で多良木は笑った。「やたら若く
見えるイケメン、て聞いてたんやけど」
 呼び捨てにされたのは彼の義理の弟で、今回、ふたりを引き合わせた弁護士だ。永岡
とは司法修習が同期になる。
 車はメルセデス・ベンツのCクラス・ワゴン。促されてその助手席に乗り込み、永岡
は多良木を観察した。
 お洒落な男だった。痩せ型のからだを上等なスーツに包み、襟元にはネクタイ代わり
のスカーフ。四八歳だと聞いているが、白髪混じりの口ひげ以外にその年齢を感じさせ
るものはない。シャツの袖口からのぞく腕時計に、ロレックスのロゴがあることを永岡
は見てとった。このいでたちでカネにならない刑事事件、それも無情な死刑判決に抵抗
しているのだから、弁護士はわからないと思う。
 ふたりはしばらく共通の知人の近況を交換した。
 話題が途切れたところで、多良木は「さて」と口調を改めた。「熊川のことやけど
な」
 永岡はうなずいた。熊川昌樹、三六歳。大阪拘置所の彼に会うため、永岡は遠く横浜
からやってきたのだ。

 事件の発生は七年前の九月一一日だった。徳島県山川町の農地で、農作業をしていた
女性の無惨な遺体が見つかった。衣類はどれも暴力的に破かれ、切り裂かれ、はぎとら
れていた。胸部、腹部、陰部、下肢に及ぶ二〇カ所もの刺傷、切傷は惨殺と表現しても
過言ではない。首には絞められた跡まであった。
 ただし、どれも致命傷にはならず、解剖所見によれば死因は外傷性ショック死。
 ショック死でなくとも、遠からず絶命したに違いない。相当量の出血があったことを
現場の写真は伝えている。駆けつけた徳島県警はただちに殺人事件と断定、捜査を開始
した。
 殺害時刻は午後二時ごろ。被害者は家族といっしょに昼食を取っていた。胃に未消化
の内容物が残っていたから、この時間は動かない。
 現場の鑑識作業と並行し、付近住民には刑事たちによる聞き込みがかけられた。不審
人物を見なかったか、見ていれば何時ごろか、と。目撃者はいた。午後二時半ごろ、農
作業を中断したふたりの女性が、見慣れない男とすれ違ったことを捜査員に話した。
 翌早朝、阿波山川駅で駅員が不審人物を発見。機転で引き留める一方、警察に通報し
た。
 熊川昌樹、当時二九歳、住所不定、無職――この場合の「住所不定」「無職」は納税
していないという意味。ホームレスのような放浪生活をしていたわけではない。三カ月
前から養父宅で暮らし、刃物研ぎの仕事の手伝いをしていた――。
 警察官は職務質問にためらいをおぼえなかっただろう。誰が見ても、熊川の風体はう
さんくさいものだった。よれよれの肌着に泥まみれのジーンズ、所持金一〇〇〇円少
々、無表情、うつろな目つき、一貫しない稚拙な言い訳……。
 当然の流れで、ちょっと署まで来なさいということになった。当初、熊川は容疑を否
認する。しかし、警察の厳しい追及の前に、知的なハンディキャップを持つ彼がいつま
でも抵抗できるはずもない。夜になって自供、逮捕。
 前科も暴かれた。熊川は一八歳のとき、強盗殺人事件を起こしていた。出勤途中の若
い女性に襲いかかり、首を絞めて殺害後、彼女の財布を奪ったのだ。振り回した刃物が
うっかり当たってしまったというような、偶然からの「傷害致死」ではない。水の流れ
る側溝へ被害者を落とし、とどめをさした明確な「殺人」である。ただ、未成年ゆえ
か、罪状に比べて判決は軽く、五年から一〇年の不定期刑だった。
 しかし、服役待度の悪さから、出所できたのは丸一〇年の満期を迎えたこの年の六
月。要するに熊川は、出所後、三カ月で次の犯行に及んだと思われるのである。
 ほどなく自供以外の証拠も揃う。まず目撃証言。ふたりの女性の目撃者は、すれ違っ
たのは彼に間違いないと断言した。ごく穏やかに向こうから挨拶してきたのだという。
次に現場付近の足跡が、熊川の運動靴のそれと一致した。決定的だったのは、被害者が
腰につけていたかごの紐から、彼の唾液が検出されたことだろう。本人がころころ自供
を変えても、このDNA鑑定の結果は否定できない。
 難航したのは凶器の特定だった。凶器に関する熊川の供述は二転三転し、数度に渡る
捜索によってもついに発見されなかった。傷の形状から検察は起訴状に「短刀様の片側
鋭利器の刃物」と書いたが、当時の新聞報道にはかなりのばらつきがある。地元紙は
「カマ」と書き、全国紙は「改造ヤスリ」と書いた。遺体を見た刑事も即断できず、疑
問符つきで記者に答えたのだろう。解剖によってもこれだという結論が出されなかった
のは、市販されている刃物ではなかったためか。
 ちなみに、現場から五〇〇メートルほど離れた農業用水路では、一本の包丁が見つか
った。途中で拾い、また捨てたという熊川の供述どおりだったが、錆だらけの刃にルミ
ノール反応はなし。傷口とも合致せず、犯行には使われていないと警察は判断してい
る。
 結局、凶器という証拠品を欠いたまま公判は始まった。
 法廷の場で読み上げられた罪状は「強姦致死」。「にわかに劣情を催し、同女を強い
て姦淫しようと決意し……」というわけである。
 裁判官による認定質問、検察官による起訴状朗読ののち、ふたたび証言席へ立った熊
川に黙秘権が告知された。
 続くは罪状認否だ。答えのパターンは三つしかない。犯行の事実は認めながら、やむ
をえなかった事情があるのだと情状を訴えるケース。証拠のある一部の事実は認め、計
画性や殺意の有無などを否定するケース。起訴状の内容はまったくの事実無根として全
面的に争うケース。
 彼は「はい」と答えて起訴内容を否定しなかった。
 となれば、弁護人にも選択肢はない。情状を訴え、少しでも相場より軽い刑を要求す
るのだ。熊川には情状の材料がたくさんあった。
 まずは家庭に恵まれなかったこと。彼は記憶も定かならぬ幼時期に母を亡くし、実父
は名前もわからないという。母の同棲相手が養子縁組してくれたまではよかったが、頼
りの養父はいわゆるヤクザ。覚醒剤を売買して逮捕されたのは、熊川が九歳のときだっ
た。
 保護者を失った熊川は児童福祉施設へ。しかし、それまで家庭教育とは無縁の彼が、
規則の多い共同生活にすんなりなじめるはずはない。部屋を片づけない。食事は気分次
第。廊下の掃除当番になればサボってかくれんぼ。トイレの当番になれば洗面台の蛇口
をひねって四方八方、水浸し。これでは叱られないほうが不思議だろう。
 叱責されるや、熊川は奇声を発して暴れ、施設から逃走した。当てもなくうろつくた
びに保護されるものの、数週間後にはまたトラブルを起こし、叱責、逃走……。その繰
り返しだった。当然のように施設では問題児扱いされ、その言動の奇矯さゆえ友達もで
きない。
 次に知的なハンディキャップがあった。裁判所の依頼で行われた精神鑑定によれば、
彼は「知能は普通人と精神薄弱者との境界領域に属すると考えられ、脳波上に軽度の全
般的機能障害(発達不全)を示唆する所見が認められ」るという。一審判決文は続けて
「行動性、日常会話では精神遅滞をあまり感じさせないが、抽象的思考力、論理的思考
力には顕著な低下が見られ」と書く。
 知力だけの問題ではなかっただろう。知的なハンディキャップがあろうとも、素直な
性格や愛嬌ある言動で、クラスの人気者になったという児童・生徒は珍しくない。
 熊川はそうなれなかった。成人後に「情操、社会性の遅滞があり、自己中心的」と診
断される性格は、一夜にして作られたわけではないのだ。彼の学校生活は、誰からも話
しかけられず、また誰にも話しかけない孤独な時間だった。そもそも集団行動が苦手な
ので、同級生と遊んでも楽しくなかったのかもしれない。
 結果的に、その態度は彼からますます常識を奪っていく。極めつけは一〇年余の服役
経験だった。ニワトリが先か卵が先かという問題にも似て、熊川はその性格ゆえ孤立
し、社会常識を身につけられなかったが、社会常識の欠如ゆえに周囲から遠ざけられ、
孤立するしかなかったという解釈もできる。いずれにせよ、一八歳からの一〇年数カ月
を拘置所、刑務所で過ごした彼は、二九歳であっても、社会的にはなんの経験値もない
未成年と同じだった。
 徳島地裁での一審には国選弁護人がついた。知的な障害をかかえている被告人のため
に、精神鑑定を含め、まずは丁寧な審理が進められたと永岡は思う。
 荒れたのは検察側の求刑を聞いてからだった。死刑を求刑され、熊川は混乱したのだ
ろうか。裁判長に声をかけ、「やっていません」と言い出したのだ。倒れている被害者
のそばに近づきはしたが、それは助けようと思ったからで、自分は殺していないと。
 その日、押し問答のすえに被告人尋問をもう一回やろうということになり――地方な
らではのスローペースである。東京地裁ならば、多忙な裁判官にその場で却下されても
不思議ではない――、注目の次回公判、熊川はすべてを否認した。
 国選弁護人は辞任を申し出た。起訴後、何度も面会しているのに、そういう話は聞か
されていない。否認事件ならば、最初からそう言ってくれなければ困る。信頼関係を壊
された。
 しかし、辞任はイコール弁護活動の放棄ではない。打ち合わせ時間を稼ぐための方便
だ。徳島弁護士会は二名の弁護士を派遣し、自供以外の直接証拠がないことを盾に、争
う方針を固めた。
 反論、その一。被告人は知的能力に欠けるため、捜査員の強要・誘導の重大性に気づ
かず応答し、それを自白と解釈された。いまや撤回し、否認しているので、供述調書は
信用できない。
 その二。性器周辺の傷から罪状は強姦致死とされたが、精液の痕跡は検出されていな
い。被害者の体内はもちろん、現場周辺にも精液反応はなし。つまり、強姦目的で襲い
かかったわけではない可能性もあるのだ。怨恨が理由の犯行ならば、たまたま通りかか
った被告人ではなく、被害者の日常に近しい者こそが疑わしい。
 その三。捜査資料によると、被告人以外の被疑者を捜査した形跡がない。現場に残さ
れた被告人以外の足跡こそが真犯人のものだった可能性もあるのに、警察・検察はそれ
を特定しなかった。
 その四、被害者の創傷の状況から考えて、加害者は相当量の返り血を浴びているはず
である。被告人が用水路に遺棄した上着代わりのパジャマからは、ルミノール反応がわ
ずかしか出なかった。ジーンズ、下着、靴に付着した血痕は被害者を助け起こそうとし
たときのもので、返り血ではない。量も微量すぎる。
 その五、数回に渡った捜索にもかかわらず、凶器は発見されていない。入手先や、犯
行後に遺棄したという場所に関する自供も虚偽だった。これは凶器の刃物を持っていな
かっ被告人に、無理な自白を強要したためである……。
 当然ながら、検察側は弁護側の反論こそ根拠なし、と一刀両断だ。
 自供は任意に行われ、その内容は自然かつ迫真性に富んでいる。首を絞めたときに被
告人が親指の付け根を痛めたことや、かごの紐を歯で噛み切ったことなど、犯人しか知
りえない秘密の暴露がある。公判における突然の無実主張のほうが不自然・不合理で信
用できない。
 自供以外の証拠も揃っている。目撃者がいた。足跡が一致した。唾液のDNA鑑定が
一致した。被告人が当日、着用していた衣類には一面に被害者の血液が付着しており、
そのDNA鑑定も一致した。
 ジーンズに付着した血痕は、助け起こしただけにしては多量すぎる。パジャマは犯行
直後に用水路で洗われ、流され、捜索で発見されるまでの丸一日を流水にさらされた。
ルミノール反応が一部分にしか出ないのはやむをえない。それでも、両方の袖口付近の
染みは被害者の血痕と鑑定されている。凶器を握っていた手元にこそ、返り血は多く付
着したのだろう。
 凶器が発見されなかったのは、被告人がでたらめな供述を繰り返したためである。犯
行現場から自宅までの道のりは、木々の生い茂った山道で見通しも悪い。明らかな目印
があるでなし、百戦錬磨の捜査員といえども、ちょっと探して簡単に発見できるような
場所ではないのだ。被告人は犯行の帰路、大小の谷や沢へ投げ捨てるか、あるいは目立
たない土中に埋めるかしたのではないか。精神鑑定によれば軽い興奮状態だったという
被告人自身、正確には記憶していない可能性もある……。
 刑事事件のニュースを注意深く見ていればわかるだろう。警察、検察では自供してお
きながら、公判では一転、否認する被告人というのは決して珍しくない。といっても全
体の六・六パーセントだから、少数派ではあるのだが。有罪率のあまりの高さゆえに精
密司法と称されるこの国の裁判システムは、同時に自白偏重という慣習が批判を受けて
きた。最近は証拠主義が徹底され、自供があってもあやふやな事件、物証のない事件は
公判に至らない。
 つまりは、起訴された時点で有罪は固められているのである。物証、証人、状況証拠
によって。
 これに抵抗するのは無謀以外のなにものでもない、と永岡は考える。改悛の情なしと
して、ペナルティは被告人へと向かうのだ。死刑判決や、相場より厳しい無期懲役判決
を受けたケースには、中途半端な全面否認、無責任な一部否認が少なくない。
 中途半端な、というのは熊川のように、公判途中で全面否認に転じた場合だ。
 裁判官は必ず尋ねる。初公判では起訴状の「殺人」「強姦」を認めたではないか。事
件から二年近く経過したいまごろになって身におぼえがない、なにもしていないと主張
するならば、なぜあのときに否認しなかったのか? 公判回数は今日で一一回目。毎
回、出廷して被告人席に坐っているのだから、もっと早い段階で発言を求めればよかっ
たのでは?
 当然の質問だろう。しかし、この時点で弁護側は熊川をコントロールできていなかっ
た。彼はとんちんかんな、専門家の言う「的はずれ応答」に終始した。
 自供を翻した熊川によれば、当日の行動はこうだった。
 遅い朝食後、散歩に出かけた。暑くなってきたので、途中、民家の庭先に干してあっ
たパジャマを盗んだ。それをかぶって歩いていくと、錆びた包丁が落ちていた。研ごう
と思って拾った。農道脇の小道で、木に立てかけてある自転車を見つけた。それを盗ん
で乗ろうと思い、近づいたとき、畑のなかでなにかが動くのを見た。そばへ寄った。女
性が倒れていた。動かなかったので、左肩をつかんで揺すった。誰かが助けに来ないも
のかと思って待っていた。相手の反応はないし、血があちこちについているしで怖くな
り、その場を立ち去ることにした。その前に、彼女の腰についていた竹製のかごを、助
けるときの邪魔になると思い、歯で噛み切った。よく見ると自分の衣服にも血がついて
しまったので、近くの農業用水路で洗った。そのとき、邪魔になって包丁を捨てた。パ
ジャマも捨てた。農道を歩いていき、すれ違ったふたりの女性に挨拶した。山を越え、
自宅へ帰って食事をして寝た。翌日は、前の勤め先へ未払いの給料をもらいに行くつも
りだった……。
 この説明でいったい誰が納得するだろう? 警察・検察でなくとも厳しく追及した
い。
 おまけに前の勤め先は広島県である。一〇〇〇円少々の所持金で、熊川はいったいど
うするつもりだったのか。
 一審判決は彼の態度を「牽強付会の弁解を弄し……」なる文言で断罪している。しか
しながら、生い立ちに恵まれなかったこと、知能に恵まれなかったことは被告人の責任
ではないとして、「死一等を減じ」「贖罪の道に志すことを期待する」と続け、無期懲
役判決。
 ところが、二審は否認を「真に反省悔悟しているとは認められない」「もはや矯正教
育による改善可能性も極めて乏しい」と判断し、一審の無期懲役判決からさらに厳しい
極刑、つまり死刑を言い渡したのである。
 熊川にはもう、後がない。

「手紙では何度かやりとりしてたんやろ? 会うてみたら印象が違うんで、びっくりす
るかもしれへんな」ハンドルを握りながら、多良木は熊川をかばった。「目つきが悪い
んやな、あれ。初対面の人間にはおどおどして、あんまりしゃべられへんのも、態度が
悪いと思われる原因やろうけど……」
「わかっています」と、永岡はうなずいた。
「あいつもなあ、露骨すぎるんやわ、態度が。好きな相手と嫌いな相手が、はたで見て
てもはっきりわかるもんな」いらだちからか、正面を向いたままの多良木の口調が急に
早まった。「会うたらわかるやろうけど、精神鑑定の知能指数、ほんまかいなと思う
よ。文章はそこそこ書けるし、拘置中に上達もしてる。……けど、会話がまずいんや。
話しかけても返事があるのは一分後、二分後。人見知りにしても度が過ぎるやろ」
「軽度の知的障害という鑑定でしたね。態度はどうでしょう? 挙動不審だとのことで
したが」
 多良木の横顔は残念そうだった。「まあ、そう見られてもしゃあないやろって感じの
……。目つきは悪いし、すぐ貧乏揺すりするし。あ、まっすぐ立ってられへんわけやな
いんやで。麻痺とかの肉体的なハンディはないから、やっぱり本人の持続力……持久
力?」
「集中力の問題でしょうか」
「そういうことやな。前の服役が一〇年になったんも、それで反則ばっかりしてたせい
やろ。普段はおとなしいのに、かっとなったらもう、わけのわからん暴れかたをすると
かで」
「爆発性異常人格?」精神鑑定書の内容を思い出し、永岡は言った。
「あんまりやで、あの鑑定は。しかも古いんやろ、そういう表現て」多良木が口をとが
らせた。
「それですが、再鑑定の見込みは」
 眉をしかめて多良木はうなった。「最高裁やからな……」
 難しいのだ。日本の裁判は三審制だが、最高裁がチェックするのは下級審の判決に憲
法違反、判例違反、法令違反があるか否か。また、量刑不当や重大な事実誤認があれば
原判決破棄・差し戻しをすることになっているが、熊川の事件は違反のたぐいではな
い。冤罪を主張する以上、死刑は重すぎるから無期懲役にしてくれという減刑も要求で
きない。残された争点は、重大な事実誤認しかないのである。
 この“重大な”の一語が曲者だった。弁護側にとてつもなく高いハードルを課してい
る。
 捜査段階での自白は過去の冤罪事件でもよくあることだ。弁護側にとって深手ではあ
るものの、まだ致命傷ではない。ところが、熊川は公判でも自白を維持した。本当にな
にもしていない、完全な冤罪であれば、初公判の罪状認否でそう主張しなければならな
かったのである。第一一回公判でやっと否認に転じたが、それは被害者遺族の極刑を求
める声を聞き、検察側の死刑求刑を聞いてから。
 ――遅すぎる。
 一審の公判記録を読みながら、永岡はこのくだりでめまいをおぼえた。厳しい判決は
誰の責任でもない。熊川は自分で自分の首を締めたのだった。
 ――しかし、犯行直後に通りかかったというのが事実なら……。
 冤罪である。
 永岡は大学在学中に司法試験に合格した。弁護士バッジを襟につけたのは二年後の二
四歳だった。以来、一三年。その歳月は一度でよいから、本物の、完全な、冤罪事件を
担当したいと願って過ごした時間でもある。
「実は今日、これから同行してもらえることになりました」カーナビの映像で都島区と
いう現在地を確認し、永岡は言った。
「同行?」
「新幹線から連絡を取ったところ、今日なら時間があると先方が」
「先方て、誰やの?」
「関西医科大学で発達心理学の研究をしている小柴光芳子先生です」
 ハンドルを握っているので、多良木のけげんな顔は半分しか見えない。「発達、心理
……てゆうたら、精神鑑定か?」
「精神鑑定で判断される病名、症例はおとなのものでしょう? 統合失調症にしても、
発症は十代後半でそれ以降に少しずつ悪化していく。発達心理学というのは、子どもの
メンタル面を扱います。おとなとは違うんです」
「けど、熊川はもう三〇歳を過ぎてるし……事件のときでも二九歳や。社会経験がない
から、助けを呼ぶとかの常識的な行動が取れへんかったてゆうのは、一審の弁護人がさ
んざん訴えたんやけど」
 わかっています、と永岡は言った。「私も現時点では推測だけです。とりあえず、先
入観なしで専門家にも見ていただこうと思います。私の推測が的中していれば、事件を
判断する材料がひとつ、増えることにもなるでしょう」
「責任能力を争うんか?」多良木はしつこく問いただした。
「ちょっと違います」とだけ、永岡は答えた。
(続)




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