#566/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/08/24 22:08 (207)
BookS!(14)■襲撃者■ 悠木 歩
★内容 07/09/15 01:20 修正 第3版
■襲撃者■
夏を演出する演奏家たちも、昼の者から夕刻の担当者へとバトンが移される。
耳に痛いほどに響く蜩(ひぐらし)の声を聞きながら、黎は一人、黄昏時の街
を歩いていた。
風は吹いていたが、それほど涼しくはない。昼間の陽射しに熱せられたアス
ファルトが、風を温めていたからだ。
蒸し風呂のような空気の壁を押しながら歩く、ただそれだけのことが、とて
も困難に感じられた。一歩踏み出す度、全身から汗が噴き出す。鬱陶しさに手
にしていた竹刀袋を肩に乗せ、まるで磔にされたような形にする。
「晩飯、どうしようか………」
部活終了後、宗一郎と共に居残って稽古をしていた。付け焼刃とは分かって
いたが、少しでも腕を上げる必要を感じてのことだった。それほど遅くなる予
定ではなかったのだが、黎が本気で剣道に取り組むのに喜んだ宗一郎のほうに
熱が入り、思いの外長引いてしまったのだ。
「今日も家に寄って、晩飯を食って行くか?」
宗一郎はそう言ってくれたが、断った。
頻繁に甘えることへの抵抗もあったが、何より今日は疲れた。宗一郎の家を
訪ねて、元気の固まりのような少女の相手をする気力がなかったのだ。
明日香の家で食べさせてもらおうか。一度はそう考えたが、首を振って否定
する。
小中学校時代なら、何の躊躇いもなく訪ねて行けた。しかし見た目は幼くと
も、明日香ももう高校生である。女になりつつある幼馴染みを、そう気軽に訪
ねては行けない。先日、宗一郎から聞かされた話が、そんな意識を強めさせて
いたのだ。
「ったく、宗一郎め………しゃあない、弁当でも買って帰るか」
年配者であれば食欲を失わせる暑さも、若い黎には効果をもたらさない。帰
り道、どの店で何の弁当を買おうかと考えているときであった。
「ん? あれは………」
前方に見知った顔を見つけ、黎は足を止める。
十メートルほど先に、公園の入り口があった。そこは広い公園で、休日でな
くても犬の散歩や、スポーツに汗する人の姿が絶えない場所であった。
その入り口、石の門柱にもたれ掛かるようにして、一人の少女が立っている。
見知った、とは言っても彼女を知ったのはごく最近、ほんの数時間前のこと。
長い髪を左右で束ね、ツインテールと呼ばれる形にした少女、久遠紫音がそ
こに居た。
「迫水先輩」
向こうもこちらに気づいたようだ。先に声を掛けて来たのは、紫音のほうか
らであった。
「おう、ナンだ、君、家はこの近くか」
特に話すこともない。しかし無視する訳にも行かず、黎は当たり障りのない
会話を選ぶ。
「あの、大切な話があります。少し、付き合って頂けますか?」
「大切な話?」
知り合って半日と経っていない自分に、どんな大切な話があると言うのだろ
うか。黎は思わず首を捻ってしまう。その様子に気づいた少女は、更に話を付
け加えた。
「明日香ちゃん………神蔵さんのことです」
「ああ、明日香の」
それならば得心が行く。
黎とは先ほどが初対面であっても、少女と明日香は随分と親しいようだ。そ
の二人の間に、何かあっても不思議ではない。
「分かった、付き合おう」
急ぐ用事も、断る理由もない。午前中の手合わせで、歳下の女子相手に本気
になってしまったことへの引け目もあった。まして明日香に関係した話である
のならば、無視も出来ない。黎は少女へ承知の意を伝える。
紫音は小さく頷き、公園の門を潜った。黎もそれに続く。
「えっ?」
公園に入った瞬間、黎は身体に静電気が走ったような感覚を受けた。それは
黎だけであったのだろう、紫音は足を止めることもなく、公園の奥へと進んで
行く。
「夏場に静電気、は、ないよなあ………普通」
おそらく気のせいだったのだろう。それ以上追及することもなく、少女の後
を追う。
「なんか………おかしくないか?」
しばらく歩く中で、黎は違和感を覚える。しかしその正体が分からない。紫
音の後ろを歩きながら、黎は違和感の理由を探った。そして―――
「あっ!」
その正体に行き当たった。
夏の夕刻、暗くなるまでにはまだ少し、間がある。普段であれば運動をする
人、犬を散歩させる人、木陰でくつろぐ人らで賑わう時間帯であった。しかし
いま、黎と紫音の他に人の姿は見られない。先刻まで煩く鳴いていた蝉の声も
止んでいた。
「なあ、キミ、久遠。ちょっと変じゃないか?」
黎が声を掛けると、前を歩いていた紫音は足を止めた。それからゆっくりと
振り返る。
「そうね、そろそろいいかしら」
「ああ? 何だ?」
黎を見つめる紫音の瞳は、酷く険しい。黎にして見れば、出会って間もない
少女に睨まれる覚えなどない。
公園を支配する違和感。
謂れのない、少女からの厳しい視線。
何が起きようとしているのか、黎には全く分からなかった。しかし決して好
ましい事態が待ち受けているような雰囲気ではなかった。
「リアード、居るわね?」
「ここに」
紫音の呼び掛けに、黎ではない誰かが応える。黎から見て右前方、紫音のほ
ぼ真横に立つ木の陰から見知らぬ外国人の男が現れた。
「ほう、お前は………」
黎の顔を見るなり、男は軽い驚きを表情に浮かべた。
銀色の長い髪に、鋭くも澄んだ瞳。黎よりも頭一つは高い長身を包むのは、
紺色の絣(かすり)。
「あっ」
男同様に、黎もまた軽い驚きの声を上げる。
見知らぬ男ではなかった。
先日、宗一郎の家を訪ねた折の帰り道、すれ違った外国人だった。
「何よ、あなたたち顔見知りだったっけ?」
怪訝そうな声は、少女のもの。
「以前ただすれ違っただけだ………いや、妙な気を感じて、呼び止めたな。そ
のときは、私の勘違いであったかと思ったのだが」
「それで、いまは?」
「間違いない。この者、本を所持している」
男の言葉と共に、緊張感が走る。黎は袋に入ったままの竹刀を右手で構えた。
左手の鞄は離す訳に行かない。
たまには家で、素振りの一つでもしようかと持ち帰った竹刀が役に立ちそう
だ。いや、あの夜出会った際感じた通り、この男も赤い鎧の男と同種の者であ
るとしたなら、竹刀などで太刀打ちが適うはずもない。それでも徒手空拳で挑
むよりは、いくらかましであろう。
「竹刀、か。そんなもので我と戦えぬぞ」
黎は静かに言う男の手に、光るものを見出す。真っ直ぐに通った刃文を持つ
日本刀であった。
「んなことは、言われなくても分かっているさ」
声の震えを懸命に抑え、言う。混乱する頭で、危機を脱する手段について、
考えを巡らす。
「誰か、誰か来てくれ。人殺しだ!」
まずは大声を上げてみる。
ここは広い公園だ。周囲には見当たらなくても、何処かに人がいるはず。
「無駄よ。いまこの周りはリアードの結界が張られているの。あなたの声は誰
にも届かないし、誰もこの場所に入っては来れないわ」
冷たく紫音が言い放つ。
黎は小さく舌打ちした。
同時に納得する。
鳴瀬大学で赤銅色の鎧の男に襲われた際、周囲に誰も他の者はいなかった。
それも結界とやらが張られていたからに違いないだろう。
紫音の人柄について、黎が知る由はない。しかし明日香と親しくなった少女
だ。悪い者とは思えなかった。部活で竹刀を合わせた感じからも、悪い印象は
なかった。
だがとんだ食わせ者であったようだ。この少女もピアスの女と同類らしい。
ならばその狙いも一緒なのであろう。
「お前らも、本が狙いか?」
「狙い、と言えば狙いなのかしら? まあ、詳しくあなたに話してあげる理由
はないでしょう」
紫音が言うと同時であった。
気合もなく、音もなく静かに、そして風の如く速く、男が踏み込んで来た。
(早っ!)
避ける余裕はない。黎は閃光のように一瞬だけ煌く刀を、竹刀で受けるのが
精一杯であった。
男の持つ刀の切れ味は、黎の想像を大きく上回る。刀は受けたはずの竹刀を、
容易く斬り落としていた。いや、斬ると言うより、通り抜けたと言うべきだろ
うか。元より何もなかったが如く、刀は狙われた黎さえも見惚れてしまうほど
に美しい軌道を描いた。
「呼べ、少年よ」
からん、と心地よい音は、斬り落とされた竹刀が地面を転がる音だった。同
時に聞こえた男の言葉を、黎は瞬間、理解することが出来なかった。
「私と君とでは勝負にならぬ。君のブックスを呼び出したまえ」
「なっ!」
ブックス、それは銀髪の男や赤い鎧の男らを指しての言葉らしい。男は黎に
所有する本の少女たちを呼べと言うのだ。
じりっ、と先の落とされた竹刀を構えたまま、黎は半歩後ずさりする。男の
意図を測りかねていた。
紫音や男の狙いが本にあるとしたなら、早々に黎を殺し、奪えばいい。それ
をするだけの力が、男にはある。
しかし男がどれだけ己の力に自信を持っているのか分からないが、あの少女
たちを相手にすれば、ことはそう容易くないはず。何故それを望むのか。
だがいくら真意を測りかねようと、少女たちの助けなしにこの危機を脱する
方法はない。それは赤い鎧の男との戦いから、身に染みて承知している。
「くっ」
男を見据えたまま、黎は横へと飛ぶ。手にしていた竹刀を男へと投げつける
が、簡単に払い除けられてしまう。
受身を取った黎は、左手の鞄から素早く本を取り出した。
果たして再び少女たちを呼び出せるだろうか。祈るような気持ちで本を開く。
そして、あの時と同じように一部だけ読める文字列を見た。
「よし、右に光、左に闇」
読み上げた文章に呼応するように、突如天空より光の柱が降り立つ。光の柱
を中心に、風が吹く。土埃が巻き上がる。
やがて光は消え、風が止む。
そしてその後にはあの時同様、二人の少女が立っていた。
「えっ、二人?」
紫音の声には、驚きが現れていた。それが黎には腑に落ちない。もし紫音と
ピアスの女たちに関係があるとしたなら、黎の本から二人の少女が出現したこ
とは知らされているはず。紫音とあの女は、無関係なのだろうか。
「ほう、お前たちだったか」
どこか懐かしむように言ったのは、リアードと呼ばれた男である。
「白銀の騎士か」
抑揚のない声は褐色の肌をした、ミルルカと名乗った少女のもの。
赤い鎧の男のときも同様であったが、彼女らには面識があるらしい。
「紫音」
男の声の調子が変わった。黎と相対したときには穏やかで、余裕を感じさせ
ていた声に、いまは緊迫の色が浮かんでいる。しかしそれは恐れを含んだもの
ではない。寧ろ、嬉々としているようであった。
「なに、リアード?」
「状況が変わった。全力で行かせて貰おう」
「そうね、二対一じゃ、手加減している場合じゃないわ」
ピアスの女とは違い、紫音に少女たちを侮った様子はない。
「いや、二対一ではないな」
男は構えを下段に執る。そこから更に構えた切っ先を、身体の右後方へ下げ
た。
「えっ?」
「………あの娘たちは、相当に手強いと言うことだ」
言うや否や、男は音も立てず突進を始めた。
剣道、この場合は剣技・剣術に於ける独特の動きに、摺り足がある。これは
身体の上下動を極端に抑えた移動手段で、他の武術や格闘技には見られない。
唯一、相撲にも摺り足があるのは、同じく武士の世界から派生した経歴を持つ
ためであろう。
男の動きも、摺り足によるものだと思われる。しかしその速度には、どんな
剣道・剣術の達人にも及ぶことは出来ないであろう。
如何なる足捌きによるものであろうか。弓から放たれた矢のように真っ直ぐ、
速く、動きにブレはない。
だが男の驚愕すべき動きにも、少女たちには臆する様子はない。
短剣を手に、男を迎え撃つべく構えを執った。
かくして黎は再び、常識を超えた戦いを目の当たりにすることとなったのだ。
【To be continues.】
───Next story ■魔術師、覚醒■───