AWC  同級生と東北旅行      [OAK]


        
#403/566 ●短編
★タイトル (GSC     )  11/11/20  14:16  (214)
 同級生と東北旅行      [OAK]
★内容

   前書き

 この旅行記は、三泊四日の出来事を、時間を追って順番に述べるのでなく、
関連性のある事柄を内容別にまとめて記るす。
 なお、筆者を含む何人かは視覚障害者である。



   日程および乗車券の控え = 平成23年(2011年) 10月

3日(月):
 名古屋空港発13時45分 FDA(フジ ドリーム エアライン)363便
青森空港着15時0分。
 バスで青森駅。
 青い森鉄道で浅虫温泉駅下車。
 ホテル『帰帆荘』にて宿泊(O夫妻・M・OAK)。

4日(火):
 タクシーでO宅へ = 休憩と団欒。
 青森市内見物(まちてく)。
 青森発15時29分 『青い森鉄道』普通列車。
 新青森発15時42分 『はやて32号』4号車9番DE 盛岡着16時35分。
 タクシーで繋温泉。
 ホテル『花の湯』にて宿泊(O・M・OAK・S・T)。

5日(水):
 タクシーでW宅へ。
 先月新たに移転・開館した〈手でみる博物館〉見学。
 タクシーで〈東園〉、夕食はソバ会席。
 盛岡発18時41分 『はやて38号』6号車5番DE 東京着21時08分。
 山手線で大塚駅下車。
 ビジネスホテル『大塚サンファースト』にて宿泊(M・OAK)。

6日(木):
 Cさん一家と喫茶店で朝食。
 大塚駅からガイドヘルパー同伴にて、山手線で新橋駅。
 『ゆりかもめ』に乗り、新橋〜国際展示場駅。
 機器展示会の見学。
 M氏と別れて、国際展示場→新橋→東京。
 東京発17時33分 『ひかり523号』12号車9番E 名古屋着19時21分。
 名古屋発19時34分 多治見行き普通列車 大曽根着19時45分。



   3人の同級生 = 昔と変わらず

 今から50年も前、東京の大学で学び、寮生活を送っていた2年間において、
誰よりも親しかったのはMM君である。彼は理療科でなく音楽家在学だから、
本来の同級生とは言えないが、専門教科以外の授業は総て同じ教室だったし、
寄宿舎は別室でも、しょっちゅう行き来していたから、当時の出来事を語れば
果てしがない。特に、彼の郷里である松山へ、私は三日係りで遊びに行ったこ
とがあり、一方、M君は就職口が無くて、名古屋盲学校の二部専攻科を受験に
来て、北区大曽根のI鍼院で泊まっていったこともある。
 SS氏とは1年間寄宿舎の同室で、机が隣同士だったから、これまた思い出
は多い。当時私はバイオリンの練習に夢中だったが、彼も小さい頃バイオリン
を習いに通っていたので、よく二人で交代して弾いたものだ。
 OO氏は付属盲学校の高校時代から、M・S両氏と同級生だったが、1年間
浪人したため、大学では同級にならなかったものの、当然寄宿舎の仲間内であ
る。私とはお互いのテープレコーダーを自慢し合ったり、将棋のほら話や、お
でん屋での一件など、話題は色々ある。
 大学2年生の夏休みに、M氏と私が、栃木のS氏、そしてO氏の家を訪ね、
泊まり掛けで遊ばせてもらったのは、懐かしくもあり、貴重な経験となった。
 三人それぞれの性格は基本的に変わっていないし、会話の内容や雰囲気も昔
のままだ。M氏は人当たりが良くて穏やか、S氏は学問好きの努力家、O氏は
主張が明確で計画をきちんと立てる人。
 現在、3人とも公の仕事に骨折っているが、私は専ら自分の趣味だけに生き
ている。
 パソコンの話題で、M氏とO氏は、ブレイルスターを推賞し、キー入力は六
点方式だそうで、私のBASE使用とフルキー入力は不便だと言い、S氏は、片手
入力をマスターしており、点訳にはこれが一番好都合だと言う。



   O邸とW邸 = のどかで優雅な佇まい

 4日の朝は、まずタクシーでO宅へ行った。300メートルほど手前に青森
盲学校があり、こんなに近ければ、始まりのチャイムが鳴ってからでも間に合
うくらいだ。彼はここで37年勤めたし、学生時代に私がよく知っているQ氏
やR氏も、この学校の理療科教員だったのだ。
 O邸の玄関前は広いカーポートになっていて、屋根を支える4本の丸い鉄柱
が直径20センチもあるのは、雪でつぶされないためと言う。その鉄柱に針金
で空き缶が釣り下げてあり、O氏が煙草を吸う時の灰皿にしている。大きな植
木鉢は、紫陽花やくちなしの花・イチイやコーヒーの木だそうだ。
 玄関左の居間に上がり、ソファーに腰掛けてコーヒーをいただくうち、道路
を隔てた向かい側に住むBさんが来て、盲導犬のことなど話が弾む。
 家の中を案内してもらったが、一階に台所と居間、治療室、寝室のほか、パ
ソコンルームには点字プリンターもある。
 二階も大層広くて、八畳二間続きの部屋が二組もあった。

 盛岡のW邸は、敷地600坪というから正に豪邸だ。
 一階が住居で、二階が博物館。玄関に荷物を置いて二階に上がったが、確か
に広いけれども、展示物が多いため、それほどの余裕はない。
 博物を見学した後の帰り際に、O氏が、青森放送のラジオ番組『耳の新聞』
の取材インタビューをしたいと言い、その時間私は一足早く外に出て、Wさん
の案内と説明で、庭園と樹木を観察させてもらった。
 まずは塀の外側に沿って道路を少し歩き、建物からかなり離れた裏門の所ま
で来たが、門扉に閂が掛かっていて開けられないので、Wさんが大回りして中
から閂を外してくれる間、私は道ばたに立って待っていると、落ち葉を掃除し
ていた年輩の婦人が、
「こんな所に葉っぱを集めてしまい、扉が開かなくてごめんなさい」
 と丁寧に詫びながら、門の前に山積みされた落ち葉を箒で片寄せてくれた。
 庭には樹齢二百年余という桜や榎木、桧・松ノ木など大小の樹木が生い茂り、
瓢箪型の池には二カ所に小さな石橋が掛かっていて、それを這って渡ったりし
た。

 広い庭と樹木に囲まれた閑静な家、それは私の遠い夢である。



   青森市内見物 = まちテク

 10月4日の青森見物の模様は、ICレコーダーをリュックに入れてコイン
ロッカーに預けてしまったため、録音が取れず、記憶に頼るしかない。
 O氏の計画通り、『まちてく』ボランティアの男性3人が、歩行ガイドと案
内説明をしてくれて、私はYさんという中年の男性とペアを組んだ。
 レストラン『津軽路』で軽く昼食を住ませてから、市内散策と見物に出かけ
た。
 歩道と車道の間に自転車専用道路があったり、車道の中央に、雪を溶かすた
めの流水路(海水を流す設備)があったりと、街作りは進んでいる。道路脇の
所々に、腰の高さほどのモニュメントがあり、縄文遺跡から発掘された〈板状
土偶〉や〈射光器土偶)を型どってある。ポストの上に、ねぶたの銅像があり、
「見栄を切っている姿」を触察した。
 和菓子の老舗『おきな屋』で名物のお菓子を試食し、私は〈薄紅〉1780
円を買ったが、これはリンゴを輪切りにして蜜に浸した甘いお茶菓子で、値段
が高いのは、一つのリンゴから3枚しか取れないからだそうだ。
 『村田工芸』では、津軽塗りを見せてもらったが、購入するのは諦めた。
 観光物産館『アスパム』で、リンゴジュースをわが家へ郵送した後、ちょう
ど2時から津軽三味線の実演があり、M氏と並んでパイプ椅子に座って『津軽
じょんがら節』など3曲を聴いた。大きな音で迫力はあったが、音程がいまい
ちだ。
 ねぶた資料館『わらっせ』には、様々な写真や実物、作り方の模型や構造の
解説、歴代名人絵師の業績などが展示してあり、本物のねぶたを分割して、手・
脚・顔がそれぞれ床に置いてあるのを、ゆっくり観察できたのは良かった。
 青森のこの辺りは海に近く、青函連絡船の『八甲田丸』が稽留され、記念館
になっているそうだから、今度来たときは是非見学したい。
 思えば、私は若い頃札幌に11年間住んでいたので、青函連絡船で津軽海峡
を何回も往復したものだ。その時その時で色々な出来事があった筈だが、今や
具体的な場面を回想するというのではなく、ただ漠然とした哀愁が、鳩尾(み
ぞおち)の奥深くにジイーンと痛みを呼び起こした。



   博物館 = 私好み

 盛岡にS氏が創立し、35年間経営・拡充してきた博物館は、今年の7月か
ら、Wさんが館長を引き継いだ。正式な名称は、『S記念 視覚障害者のため
の手でみる博物館』といい、私が訪れるのは4回目だ。
 テーブルを囲んで、互いの紹介と挨拶を交わした後、S氏の説明が始まった。
 最初に、カタツムリが角や眼を出している模型を見せてもらったが、私はで
んでん虫が殻の中に引っ込んでいる状態しか触ったことがなく、当てることが
できなかった。
 次は3人に模型が一つずつ配られ、
「これは何でしょう?」
 と訊かれたが、どれもわからない。蠍とテントウ虫とカマキリである。
 という調子で、館長のWさんも説明に加わり、午後4時すぎまで見学が続い
た。
 S氏一家が手間を掛けて完成させた〈マッコウ鯨の頚椎〉は、既に何回も観
て知っていた筈なのに、私はうっかり忘れていたし、太陽系の比較模型は、何
度触っても驚きである。
 鮫と鯨、あざらしとおっとせいの相違点を、Wさんが解りやすく説明してく
れ、最近新しく登場したライオンや狼の剥製は、毛並みに触れた感じがむしろ
かわいらしかった。
 『大きさが世界一』の陳列室には、お馴染みの実物が所狭しと並べてあり、
ヘラ鹿の角・オサ亀・セイウチの牙・鯨のペニス・駝鳥の卵・大シャコ貝・高
脚ガニ……。
 そして、今回最も驚嘆したのは、陸上競技のハンマー投げ・やり投げ・円盤
投げで使う本物の道具である。テレビを見ていれば、子供でも知っているこれ
らの器具類は、私が想像していた物と全く違っていた。
 S氏は世界史にも詳しく、様々な世界遺産関連の模型を集めており、幸いな
ことに、教え子のT氏は海外旅行が趣味なので、色々な国の珍しい品々を物色
してきては、博物館に寄贈してくれている。モアイ象・アンコールワット・ク
フ王の石棺・ツタンカーメンのマスク・スフィンクス……。
 私の好きな日本史関連では、法隆寺の西院、平等院の鳳凰堂、金閣寺と銀閣
寺、そして姫路城の縮尺模型は、正に圧巻だ。
 鎌倉の大仏と奈良の大仏・仁王の阿像と吽像・阿修羅象の模型、さらには、
秋田県で発掘された縄文時代の日時計や、沖の島に保存されていた大和朝廷の
駅鈴まで復元してあり、一日や二日の見学ではとても観切れない。



   機器展示会 = 下肢障害者中心

 ゆりかもめには初めて乗ったが、どうやら東京湾の海沿いを走っているらし
い。
 国際展示場があんなにも広いとは知らなかったし、来場者がこれほど多いと
は思いもしなかった。
 だが、視覚障害者用の展示品はごく少数で、振動式白杖・点字プリンター・
点字ディスプレイ・点字ラベル印刷機・ナビゲーションシステムなどが1台ず
つあったが、操作体験やシミュレーションはあまり出来ず、説明も不十分だっ
た。
 それに引き替え、肢体不自由者のベッドや車椅子、ADL補助具は多数展示
されていて、カタログやパンフレットも多い。私は竹の車椅子と空気浮上車椅
子を体験し、上肢障害者用の各種生活用具を観察した。義足のコーナーでは、
大腿切断義足を見たが、私がPTを勉強していた頃に最新型と言われた〈クワ
ドリ式〉ではなく、円筒形のソケットになっていた。



   ホテルと食事 = 値打ちぞろい

 浅虫温泉の帰帆荘は、昨年O氏達が専攻科時代の同級会を行った所で、評判
通りの豪華な夕食だった。料理の中身をあまり覚えていないが、毛ガニが丸々
一匹・キンキという大きな魚・焼き肉・握り鮨・うにや帆立の入った刺身……。
 花の湯ホテルの夕食も品数が多く、あんなに大きなお盆は初めてだ。
 ついでながら、繋温泉はアルカリ精泉で、皮膚がぬるぬるになるほど濃い。
露天風呂は汚れている感じで、水垢と精分の区別が付かないほどだった。
 盛岡駅前の東屋は以前に碗こそばを食べた店だが、そば会席はユニークで、
特にそばの実が香ばしかった。いつの日かもう一度食べてみたい。



  [以上 書式の乱れをお詫びします。       竹木貝石]






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