#390/566 ●短編
★タイトル (AZA ) 11/04/02 20:58 (494)
お題>お返し>そばいる番外編 寺嶋公香
★内容 17/04/19 16:47 修正 第3版
純子は買ったばかりのチョコレートを、包装やリボンに注意を払いながら、
鞄に仕舞った。一緒に来た町田から少し遅れてしまったと気付き、小走りで追
いつく。
「芙美はどこの店にするの?」
明日はバレンタインデー。同じ店で買わなかった親友に、純子は首を傾げな
がら尋ねた。
「五色屋。よさそうなのがあったんだ」
町田の即答にまたびっくり。
「五色屋って、焼きたてパンのお店じゃなかった?」
「そうだよ。でもこの季節、バレンタイン向けの商品も作る。限定商品ね」
「ふうん、知らなかった」
「純は相変わらず、こういうことに疎いわね。仕事柄、お店の情報は色々入っ
てくるでしょうに」
「高いところのね。でなければ、遠いところ」
「あはは。もっとお得情報を知っていそうな芸能人と知り合わなくちゃ」
お喋りをする内に、目的のパン屋にたどり着いた。五色屋という店名通り、
五色のパンが一番の売りだが、なるほど今日は特別なワゴンがあって、そばで
はコック姿の女性店員が微笑んでいる。女子中高生あるいは小学生が数人、そ
のワゴンを囲んでいた。
「何種類かあるみたいだけれど、決めてるの?」
「ええ。手軽に買えるやつよ」
そう言うと、町田はワゴンを眺め、左隅に近寄った。純子も町田の肩越しに
覗き込む。縦5、横10ほどの格子状になった入れ物に、チョコレートコーテ
ィングされたパンが並べてある。商品名は「もじもじラスク」とあるので、ラ
スクなのだろう。それぞれ片仮名の文字になっていた。ビニールで包まれてい
るのか、一部は光を反射してよく見えない。
「このラスクをください。十文字分」
町田に求められた女性店員は、袋とトングを用意しながら「どの文字にいた
しましょう?」と問うた。
「ア、イ、カ、サ――」
町田は予め決めていたらしく、淀みなく十種の文字を伝えた。
* *
昼休みも後半。高校の中庭には、行き交う人こそ多くはないものの、そこか
しこでペアもしくはグループが立ち話に花を咲かせていた。
そんな中、純子がリボンを掛けた小箱を差し出すと、唐沢は傍目もはばから
ず「やったぜ」と声を上げ、ガッツポーズをした。
「そ、そんなに喜ばれると困るんだけど」
笑みがこわばるのを意識する純子。唐沢は人差し指を立てた右手を振りつつ、
うきうきした調子で答える。
「分かってるって。本命というか、相羽にはもっと立派な物を贈ったんだろ?
それでもアピールし続けた甲斐があったと思うと、感謝感激雨あられ。義理チ
ョコだろうと友チョコだろうと、嬉しいもんは嬉しい」
「他にもたくさんもらってるでしょう? 唐沢君の本命からも……」
「本命からなんて、ないない。女の子達の気持ちは本気かも知らないけれどね。
こっちにすれば、涼原さんからもらった分に比べりゃ、ありがたみは段違いさ」
「……やっぱりやめとこうかな」
まだ唐沢が手に取っていないのをいいことに、純子は箱を引っ込めようとし
てみせた。慌てた動作で、唐沢の両手が箱を掴まえる。
「そりゃないぜ、涼原さーん」
「本気の想いを込めて、唐沢君にチョコを渡す人、大勢いるんだから。その人
達に悪い気がしてきた。ううん、だいぶ前からずっとしている」
「堅苦しく考えない。これはこれで、バレンタインデーとは無関係の、単なる
お菓子のプレゼントということに」
「何だっていいけど……唐沢君、芙美とはどうなってるの?」
「別にどうもなってない」
チョコの小箱を脇にしっかりと抱え、唐沢は言った。純子は納得せず、続け
て尋ねる。
「何ていうか、疎遠になってると聞いたけれども」
「誰から? ――ま、いいさ。学校が違えば、縁遠くなるもんさ」
「家は隣同士なのに?」
唐沢と芙美――町田芙美とは小さな頃からお隣さん同士で、いわゆる幼馴染
みという関係なのだ。
「家が近かろうと、そういうもんなの。現に小学校のとき、芙美を通じて俺の
存在を知ってたかい、涼原さん? 知らなかったろ」
「えっと、確かにそうだけど……」
口ではそう応じたものの、純子の内心は違った。
(芙美があの頃、唐沢君について何も言わなかったのは、好意を寄せていたせ
い……じゃないのかなあ? 私達があれこれ詮索するのを気にして黙ってたの
かも)
確信があるわけでもなし、そのまま胸の内に仕舞っておく。
「とにかく――縁遠くなっているならなっているで、元通りになってほしいな。
私、みんなで仲よくわいわいやるのが大好き」
純子は無意識の内に手をお願いする風に組み合わせていた。ほぼ真向かいか
ら見つめられた唐沢は、視線を小脇に抱えた物に移した。
「分かったよ、分かりました。俺もにぎやかなのは好きだ。それに、承知しな
いと、このチョコを取り上げられそうだし」
「そんなことしないって。でも、いつまでも取っておくようなら、考えるから。
さっさと食べるように、ね」
純子がそう言うと、唐沢は一度頷き、すぐさま何かを思い付いたようだ。
「はいな……もしかして、涼原さん。この義理チョコのことを相羽に言ってな
いのかな? 焼き餅を焼かれると困るとかで」
「言ってますよーだ」
唐沢の意地悪げな笑みを見て、純子もお返しに舌先をちょっと出した。
「その方が俺もいい。安心して、ホワイトデーの贈り物ができる」
「え、そういうのはいらないっ」
急いで両手を振った純子だが、唐沢は聞いてないとばかりに最後に付け足し
た。
「少しぐらい楽しみにしといて」
* *
下校した唐沢は、着替えを済ませると、自分の部屋に籠もって、まずは“本
日の収穫”を机に並べた。特別な物だけ選り分け、仕舞っておく。
(すぐに食べろと言われたが、少しぐらいはいいだろ。他にもこんなにあるん
だから、楽しみは最後に。それよりも――)
インターネットをするべく、パソコンを起ち上げた。片手でカーソルを動か
しつつ、片手で頭を抱える。
「何をお返しすればいいのやら……」
純子の前ではああ言ったが、全くプランはなかった。何せ、義理チョコをも
らえるとは考えてもいなかったのだ。
(あの涼原さんが、相羽一本槍の涼原さんが、まさか義理チョコをくれるなん
て、どういう風の吹き回しなんだろう? 大方、俺のアピールに根負けして、
相羽に話して、『しょうがないな』とかいうことになったのかねー。だとした
ら、こっ恥ずかしいぜ)
自嘲の笑みはすぐに引っ込め、画面に意識を向ける。元々、ネットのショッ
プで購入するかどうかは決めていない。参考程度だ。
(彼氏のいる子からもらった義理チョコにするお返しなんて、気楽に考えりゃ
いい。というか、頭を使う必要もないんだが、涼原さんからとなるとやっぱり
別物だからな。重い感じがせず、喜んでもらえて、インパクトのある物を)
普段の自分らしくない思考だが、唐沢に自覚は薄い。思い付くキーワードで
検索しては、あれこれ見ていった。集中するあまり、母親の言葉にも生返事を
するだけになっていたようで……。
「そんなにのめり込んで。いけない画像を拾い集めてるところ?」
聞き覚えのある声に振り返ると、部屋のドアが開いていて、その向こうの廊
下に町田芙美が立っていた。学校指定のコート姿で、手には紙袋を提げている。
「うおっ! 何でおまえがここにいる?」
椅子を蹴るようにして立つと、身体でモニターを隠す。
「ちゃんと、あんたのお母さんに案内されたんだけど、気付いてなかったみた
いね。呆れた」
「いや。何か言ってたのには気付いていた。芙美が来たとは知らなかっただけ
で」
「それを気付いていないと言う。どれ、夢中になって何をしてたのよ」
背中側に周り、パソコンのモニターを覗こうとする芙美。唐沢は隠すとかえ
って怪しまれると判断した。
「ホワイトデーのお返しを探してた」
「えー? あんた、その他大勢の女の子からもらっても、似たようなお菓子か
小物かで済ませていたじゃない」
「済ませていたとは人聞きの悪い」
反発しながらも、内心では冷や汗もの。
(どうして知ってるんだ、こいつは? 俺にくれたことないくせに)
唐沢が思い出したのに合わせるかのように、芙美は紙袋を突き出した。
「何をしに来たとか言われる前に、渡しておく。二月十四日恒例の物よ」
「お。こりゃ驚いた。サンキュ」
言葉以上に内心では驚いていたのだが、何気ない風を装って受け取る。受け
取ってから、ふと気付いた。
「紙袋って珍しいよな。チョコじゃないのか」
「開けてみれば? びっくり箱の類じゃないから安心していいわよ」
言われるまま、折り返しを戻し、袋の口を広げて中を覗く。細くてくねくね
と曲がった物が、いくつか重なって見えた。色は茶色と黒色か。
「何だこれ」
「チョコの掛かったラスク。途中にあるパン屋さんで売っていたのを、選んで
買ってきたわ」
一つを取り出してみる唐沢。確かに、上半分にチョコレートコーティングが
されたラスクだ。個包装されており、日保ちはよさそうだ。それよりもおかし
な形状が気になる。
「『カ』?」
手に取ったラスクは、片仮名のカの形をしていた。
「あ、それはいいけど、『ホ』を取るときは慎重にね。点が離れないように」
「……」
芙美の顔付きを見て、怪訝さを一挙に深めながらも、唐沢は紙袋からラスク
一つ一つを慎重に取り出した。どこに置こうか視線と手をさまよわせるが、間
髪入れず、町田がちり紙を一枚出してテーブルに敷いた。
「ここに並べてみ」
「ああ」
二個目にアを手にした時点で、すでに嫌な予感は完成していた。唐沢はア、
ホの順番に並べた。ホの点々は細いブリッジでつながれ、そのブリッジ以外を
チョコレートコーティングすることで文字の形を浮かび上がらせている。
「なるほどね」
できあがった文章を見下ろし、唐沢は静かにうなずいた。
『カラサワノアホメ』
八個のラスクはそう語っていた。
「なかなかきつい洒落だことで」
「これぐらいのことしないと、他の子と区別付かないと思ったからね。じゃあ」
それだけ言うと、町田はくるりと背を向け、出て行こうとする。唐沢はその
背中に話し掛けた。
「……一つだけ聞いておきたいんだが」
「何?」
立ち止まり、横顔だけ見せて聞き返す町田。目が合った唐沢は、直前で質問
を変更した。
「俺と芙美は最近、疎遠になってるのかねえ?」
「高校に入ってからこっち、ほぼこんな感じで来たと思うけれど。それまでに
比べると、疎遠になったと言えなくもないか」
「そっか。そうだな」
実感がなかった唐沢と違い、町田の方は多少は感じていたらしい。
「聞きたいことって、これだけ?」
「あ、ああ」
「じゃ、ばいばい」
町田はコートの裾を翻し、足早に帰って行った。唐沢は見送りながらも、頭
の中では最初にしようと思っていた質問を反芻していた。
(本命にはちゃんとした物をやったのか、芙美?)
* *
「どんな具合だった?」
純子は待ち人の姿を捉えると、公園のベンチから弾かれたように離れた。
「うーん。あれは何なんだろう……」
相手――町田は近付きながら、はっきりしない物言いをする。
「パソコンの画面がちらりと見えて、ホワイトデーのお返しをネットのショッ
プで探していたみたいなのは分かった。かつてないことだと思うから、今年も
らった中に本命がいるのかもね」
「本気で言ってるんじゃないでしょ、芙美」
「一割ぐらいは本気よ。あいつ、まだあなたのことをあきらめてないかも」
「そんなことない! 絶対に」
声に力の入った純子。町田は握りしめられた純子の両手を見て、ふっと微笑
んだ。そこから一転して、真顔で尋ねてくる。
「言い切れる? いくら純子と相羽君とががっちりカップル成立していても、
他人の心は覗けないのよ」
「唐沢君は相羽君を裏切らない。唐沢君が私に接するときも、常に相羽君の存
在を頭に置いてる。分かるもの」
「――信じられる力って凄いよ。うらやましい」
再び表情を緩める町田。
「芙美?」
「中でも純子は特別だなと思う。彼氏を信じられるのは当然としても、あのば
かまで信じられるのは……私にはなかなか難しいわ」
「……あのね、芙美。芙美に対する唐沢君の態度は、照れ隠しだと思う」
「純子、私のことを表面しか見ないにぶちんと思ってない? それぐらい分か
ってる。言われなくたって。長年の付き合いを甘く見るな!ってとこ」
「ご、ごめんなさい」
「いや、ごめんとかそういう意味じゃなくて。まあいいわ。私はあなたに感謝
してるんだから。きっかけを作ってくれた」
「そうかなあ」
純子が眉間にしわを寄せると、町田は「ほらほら、マネージャーさんに怒ら
れるよ」と注意した。
「反応を見るために、唐沢君にバレンタインチョコを渡すなんて、あんまり趣
味がいいとは……」
「趣味の善し悪しは棚上げ。私はこれでも臆病なのかもね。あいつの反応を見
ないと、踏み出せない」
「そういえば、ラスクでどんなメッセージを作ったのか、聞いていい?」
純子はまだ教えてもらっていなかったことを思い出し、町田に直接尋ねた。
町田は人差し指を当て、しばし迷う様を見せる。
「あ、言いたくないのならかまわない」
「いや、話すと純が怒るかなと思って」
「怒る? どうしてよ」
訝る純子が町田に一歩近寄ると、相手はすぐさま答えた。『カラサワノアホ
メ』にしたと。
「何で!?」
掴みかからんばかりに町田に詰め寄り、疑問を投げ掛けた純子。しっかり開
いた両目で、友人の反応を一つも逃すまいとする。
町田は好対照なまでに、さめた態度であっさり答えた。
「積年の思いが他の色々な物と入り交じって、こうなっちゃったとしか言えな
いわね。こっちからストレートに打ち明けるなんて、できない」
「バレンタインデーって基本的に、女の子が告白する日だよ〜」
「それでも嫌。唐沢のばかに思い知らせてやらないと、気が済まないというか」
拳を握り力説する町田を前に、純子はため息を漏らした。
「と、とにかく、きっかけにはなったんでしょ。このあとどうするつもり?
反応はさっき見たんだし、ちゃんと次の段階に」
「うーん。どうしよう」
頭をかいた町田。純子は再び小さくため息をついた。
* *
「悪いね、涼原さん。こんなことのために」
定期考査を控え、唐沢は放課後、勉強を教えてもらう名目で、純子に残って
もらっていた。もちろん、クラスには他の生徒も残っており、にぎやかな話し
声が飛び交っている。
「いいよ、何度も言わなくて」
純子はノートにペンを走らせつつ、そう言った。頼まれた時点で、「今日は
杉本さんが迎えに来てくれることになっていて、それまでなら」と予め伝えて
おいたのだ。
「そういえば、こういう英訳問題って、話し言葉で訳した方がいい点をもらえ
ることがあるんだって」
ポイントを説明しながら訳し終わると、純子はそんなことを付け加えた。唐
沢は「次からやってみるか」と返事したものの、明らかに上の空だった。気に
掛かった純子が上目遣いに見やると、唐沢はやっと気付いた風に「教えてくれ
て助かった」と、これもどこかピントのずれた答をよこした。
「気懸かりなことでもあるんじゃない、唐沢君?」
「うん? そう見える?」
ノートを閉じた唐沢は、顔の表面を両手のひらで拭う仕種をすると、さっぱ
りした表情になった。どこかに行っていた意識が戻ってきた感じだ。
「実は、凄く悩んでるんだよな」
「テストのことで?」
「それはそれ。悩んでいるのは、女の子にするホワイトデーのお返し、何がい
いかなーと」
「またそんな……」
「いっそ、一人一人にリクエストを聞いて回ってもいいんだけど、それはさす
がにね。だから、代表して涼原さんの希望を聞いてみたいんだ」
「あのね、唐沢君。何度も言いますけど、私は友チョコをあげただけですから」
固い物腰できっぱり。すると唐沢は、歯を覗かせて苦笑いを浮かべた。
「分かってますって」
「分かってるのなら、代表には本気のチョコレートくれた人からこそ選ばなく
ちゃ」
「正直言って、この頃はどの子が本気なのか、分からなくなってきた。感覚が
鈍ったというか、どのチョコも豪華なもんで」
「自慢?」
呆れつつも尋ねると、唐沢からジョークめかした口調の返事があった。
「ちょっと自慢。で、話を戻すけどさ。涼原さんぐらいにしか聞けないんだよ。
他の女子に『何がいい?』ってリサーチするなんて、格好の悪いところを見せ
られない。その点、涼原さんになら気兼ねなく」
「しょうがないなあ。分かったわ。じゃ、遠慮なく言うと、私の希望は」
台詞を一旦区切り、考える素振り。そして純子は唐沢の顔を見た。
「唐沢君が本命の子に本気のお返しをすること。これよ」
「それじゃあ答になってないって。第一、今年くれた子の中に、俺の本命がい
ると思うわけ?」
「いないの?」
まっすぐに見つめたまま、問い掛けを重ねる。唐沢は戸惑いを露わにし、じ
きに目を逸らす。
「いや、まあ、いないこともない……」
「でしょ」
「だって、涼原さんがくれたから」
「――もう、それはなし! 本当に怒るからっ」
純子が声を大きくすると、唐沢は両手で制するポーズを取り、「ごめんごめ
ん、もう言わない」と答えた。立ち上がっていた純子は続けて念押しをしよう
とした。が、周りからの視線に気付き、肩を縮こまらせて椅子に座り直す。
「――もうすぐ時間だし、準備しないと」
恥ずかしさを払拭する意味もあって、時刻を確かめつつ、筆記用具やノート
などを仕舞いにかかった。唐沢も時計を見てから、早口で言った。
「あ、もう一つだけいいかい? もしもの話なんだが」
「うん」
「仮に、本命の子から義理チョコを渡された場合、男はどうすればいいんだろ
う? ああ、涼原さんのことを言ってるんじゃないからね」
「難しい……。望みがゼロじゃないなら、お返しで『こっちは本命だと思って
るんだぞ』って気持ちを表してみるとか」
「望みなしの場合はどうしようか。同じことをしても、かえって嫌われそうじ
ゃん」
「う〜ん。嫌われるのを怖がってたら、動きようがないじゃない? だから、
気持ちを伝えるだけ伝えて、それでもしだめだったら、切り替えるしか……」
答える内に、おかしな気分になってきた。明らかに純子よりも唐沢の方が、
恋愛ごとに長けているのだから。
「だよな、やっぱり」
唐沢は一人納得していた。学生鞄を左肩から背負うように持つと、「時間は
いいのかい?」と純子を促す。
「あ、いけない。行かなくちゃ」
急ぐ純子に、唐沢は立ち位置をずらし、道を空けた。
その日遅く、純子は相羽に電話した。もちろん、自分の部屋からだ。
「――と、こんなことを唐沢君に聞かれたの。何を考えているんだか……」
「唐沢の考えていることは僕にもさっぱり分からない。けれど――」
相羽はゆっくり言った。相談を持ち掛けているときでも、純子にとって彼の
声は耳に心地よく届く。
「町田さんの考えなら、ひょっとしたら分かったかも」
「ええ? 芙美の考えていることの方がもっと分からないわよ。唐沢君にあん
なメッセージのチョコをあげるなんて」
「確認するけれども、町田さんはパン屋さんでラスクを十個、購入したんだよ
ね?」
「え、ええ。私が数えたわけじゃないけれど、店員さんとやり取りをしていた
から間違いないと思う」
「じゃ、もう一点。町田さんが唐沢に贈ったラスクのメッセージは、『カラサ
ワノアホメ』で合っている?」
「うん」
「過不足なしだったろうか。他の文字、たとえば小さな『ツ』や感嘆符を使っ
てはいない?」
「そこまで細かく芙美から説明されてはいないわ。でも、売り場にあったのは
五十音とその濁音や半濁音で、記号はなかった。小さな『ツ』はどうだったか、
覚えていないけれど」
「分かった。そうすると、100パーセントじゃなくなるな。でもまあ、推測
だと思って、聞いてくれる?」
「ぜひ教えて」
「最初に町田さんの行動で不思議に感じた点を言うと、なぜ、八文字しか使っ
ていないのかということ」
「……言われてみれば」
念のため、指折り数えてから返事する。
「町田さんが店頭で選んだ文字の内、純子ちゃんが確認できたのは、ア、イ、
カ、サの四文字。アとカとサは使われているから、使われなかった二文字はイ
と何か」
「ちょっと待って。使われなかった物は、芙美が自分で食べるつもりで買った
可能性は?」
「わざわざ文字を指定しているから、その可能性は低いと思う。せいぜい三十
パーセントといったところかな。イの字が他の文字と比べて、お得に感じるほ
ど大きなサイズだったなら、話は別だけど」
「そんなことはなかったわ。みんな同じぐらいの大きさで、値段も一緒」
「よかった。それから――町田さんが唐沢をなじる言葉に、『アホメ』を選ぶ
のも何だか変に感じたな」
「そうね。違和感があるというか」
どちらかといえば、「バカヤロー」辺りを使いそうだ。純子はそう思ったも
のの、口にはしなかった。
「わざわざ『アホメ』を選んだとすれば、理由があるはず。この仮定と使われ
なかった文字が二つあり、その内の一つがイだということを考え合わせると、
町田さんはメッセージの変更をするつもりでいるんじゃないかな」
「変更って?」
このあと説明を受けた純子は、半信半疑ながらもそうあってほしいと願った。
* *
ホワイトデーにはまだ早かった。ただ、お互いに定期考査が全日程終了し、
落ち着いたので時間ができただけのこと。
それでも現在の町田と唐沢が二人で会うには、よりはっきりした理由がない
といけない。今回は、唐沢から会おうと言い出した。
「で、何の用?」
幼馴染みの来訪を玄関で待ち受けた町田は、腰の両サイドに手を当てた格好
で聞いた。格子の入った三和土に立つ唐沢とは目の高さが異なり、自然と見下
ろす形になる。
「いや。用があるのはそっちなんじゃないかと思って、こうして来てやったん
だが……芙美は心当たりないか」
頭を掻きながら言う唐沢に、町田は「はぁ?」と反応してしまった。
「どういう意味よ」
「あら、おかしいなあ。ばかな俺に、優秀な友達がくれたアドバイスなんだ。
外れか?」
「い、言ってることが分かんないわね。とりあえず、立ち話も何だから、上が
れば」
スリッパを投げ出すように置く。唐沢は遠慮なく上がり込んだ。ジャケット
の裾が少し翻る。
「前から感じてたんだが、おまえって外ではばっちり決めるのに、家の中では
野暮ったい格好してるのな」
後ろから突然届いた“評価”に、町田は案内の足を止めた。勢いよく振り返
って、「かちんと来た」とはっきり言い表した。
「上下ジャージ姿とかなら言われても仕方ない。でも、普通にシャツとジーパ
ンで、そこまで言われなくちゃいけないわけ?」
「ギャップが大きいと損をするのさ」
「あっそう。じゃあ、たとえば純も同じよね。あの子も家の中では普通の格好
よ。冬場なんて、どてら着てることもある」
「涼原さんは別格」
「……どうせ私は普通です」
「待て。喧嘩しに来たんじゃないんだよ。さっきのもほめたつもりだったんだ
が」
「どこが」
仕方なしに案内を再開した町田は、横目で唐沢を睨んだ。
「外で会う私服のおまえはきれいだと言ったつもり」
「――ばか。そんなに意訳しなければいけないなんて、お世辞にもなりゃしな
い」
何のかんの言い合いながら、自室に通す。ただし、ドアは開け放したままだ
が。
町田は唐沢を椅子に座らせ、自身はクッションに腰を下ろした。早速口火を
切る。
「言いたいことはないかってことよね? 考えていたら、一つ思い付いたわ」
「おう。どうぞ言ってくれ」
椅子に前後逆向きに跨り、背もたれを抱える格好の唐沢は、口元にかすかな
笑みを浮かべた。その仕種が気になった町田だが、とにかく続ける。
「二月十四日にあげたラスク、食べた?」
「あー、あれか。いや、まだ」
「へ、へえ。何で?」
町田は窓の外を気にするふりをして、視線を外した。横を向いたまま、答を
待つ。
「おまえのラスクは個包装されてるし、まだ保つだろ。他の子からの、特に生
チョコを優先して食ってる」
「……」
顔の向きを戻し、次に俯き加減になる町田。気を取り直し、もう少しだけ続
けてみる。そう、作戦に沿って。
「なーんだ。私が初めてあげたバレンタインチョコだから、大事にしてくれて
るのかと思った」
「やっぱり、そうなのか」
「え?」
予想外の返事に、町田も変な反応を返してしまう。唐沢は椅子を離れ、床に
跪くと、顔を寄せてきた。
「大事に取っておいてもらいたいから、真空包装された物をくれたんだろ?」
「寄るな、近い」
手で壁を作りつつ、町田は自分の顔に朱が差すのを覚えた。慌てて横を向く。
そしてそのままの姿勢で、唐沢が離れるのを待った。
唐沢は町田のそんな態度を近寄ったことに対する拒否反応と思ったのかどう
か、おとなしく距離を取ってあぐらを掻いた。
「取っておいてくれたなら、やりやすいわ」
町田は落ち着きを取り戻し、平静を装って言った。
「あの内、二個は間違いだったから、返して」
「間違いって、どれとどれよ?」
さしてびっくりした様子もなく、唐沢は聞き返す。町田の返事が早口になっ
た。
「ノとアよ」
「ノとアを取り除くと……何になるんだ、これ」
唐沢は言いながらジャケットのポケットをごそごそやったかと思うと、くだ
んのラスクを取り出した。右のポケットから四つ、左のポケットからも四つ。
床に「カラサワノアホメ」の順に並べてから、ノとアを横に除けた。
「あんた、持って来てたの?」
呆気に取られ、唐沢を指差した町田。
「ああ、何となく。いや、本当はさっき言った友達のアドバイスだけどな。で、
これは何の意味があるんだよ」
唐沢は町田の指を手に取り、「カラサワホメ」となったラスクに向けさせた。
町田は唐沢の手から逃れると、不意に立ち上がった。机に向かい、備え付け
の抽斗の一番上を勢いよく開ける。そこからラスク二つを持ち出した。
「ノとアをこの二文字に交換よっ」
唐沢の手に渡したラスクはイとンの文字をなしていた。それらを手のひらに
載せたまま、首を傾げた唐沢。
町田はいらいらして、再びイとンのラスクを手に取ると、床にある六文字に
加えて並べ替えを始めた。
「これをこうして、こう、こうよ。どう? ここまですれば、あなたでも分か
るんじゃない?」
並べ終わるや、すっくと立って、唐沢とその文字列を見下ろす格好になる。
ラスクでできた文章を読む、唐沢の声が聞こえた。
「『ホンメイカラサワ』……」
見上げてきた彼と目が合う。町田はその場にしゃがみ込み、目の高さが相手
と揃う。
「な、何よ。これでも分からないっての?」
「いや。いくら俺でもこれをスルーなんてできない。ようく分かった」
唐沢はラスクを指先でつまんだ。
「それで、あなたの感想は」
町田が気負い込んだ口調で聞くが、唐沢は“町田からの告白”に取りのけた
二個を加え、ラスク十個をひとまとめにした。それから適当な感じで、順番を
前後させていく。
「ホワイトデーには早いが、芙美はすぐ、返事を聞きたいか?」
「え、ええ。待たされるのは精神衛生上、よくない」
「じゃ、今は何もお返しを用意してないんで、これで」
唐沢は床に新たに並べた十個のラスクを示した。
そこには、「カラサワノホンメイ」とあり、余ったアの字は裏返した上に斜
めにしてあった。傾いたアはちょうど矢印のようで、町田の方を間違いなく差
している。
「――これ」
「俺の本命はおまえってこと」
唐沢はさりげなく言った――つもりだったに違いない。だが、町田がまじま
じと見つめ返していると、その内気恥ずかしさが一気に沸点に達したか、赤面
して「何か言えよ!」と叫んだ。
町田はその台詞を真に受けた。口元を両手で覆いながらも、はっきりと言っ
た。
「嬉しい……」
「ところでさ」
町田は唐沢の帰り際、ついでに聞いてみた。
「純からも義理チョコをもらったんでしょ? 味はどうだった?」
「あー、分かんない。あれも取っておいてるんでね」
ぼこっ――思わず手が出た。
「痛いよ、芙美ちゃん。何するんだ」
いきなり「ちゃん」付けした唐沢をもう一度叩いておいて、町田は言った。
「長年いらいらさせられたお返しよ」
――『お返し 〜 そばいる番外編』おわり