#373/567 ●短編
★タイトル (sab ) 09/11/25 02:44 (101)
摂食障害とひきこもり ぴんちょ
★内容
コレクターとはなにかとふと思ったのですが。
これはエッセイですね。
ちょっと思い付いた事をつらつらと書いてみたいと思います。
子供の頃にクワガタとかビー玉、めんこ、昔の人は酒蓋とか集めたらしいですが、
こういうのはみんな男子で女子はやらない、という事を思い出した。
あと、コレクターは何故か時として自虐的な事を言う。
最近西村賢太という私小説作家が出てきた。ほとんど流通していませんが。
この人は大正時代の私小説作家に関するもろもろ、
古い同人誌から色々なものを収集していて、
そして何故か突然、
自分の親の起こした犯罪で自分は子供の頃から苦しめられてきた
と自虐的な事を言う。
或いは又、解剖学者の養老孟司はゾウムシを収集しているが、
あの人も自分の父親の記憶などを引きずっているようで。
何故コレクターは自虐的になるのだろうか。
そもそも人間はコレクターですよね。
人間は穀物をためる。穀物というのがミソで。
肉ではなくて保存できる穀物をためる。
肉だったら干し肉や毛皮にする。米が余ると酒にして備蓄する。
或いは家畜の飼料にして家畜として備蓄しておく。
これはフロイト的には肛門性愛的ですよね。
フロイトは穴に非常にこだわりましたが、これは口から肛門までの穴のことで、
そこにつめこむ。
乳児の時には常におっぱいを飲めるからこの穴は何時でも満たされている、
が、ある時、禁止が入る。これを「去勢」とか言いますが。
そこで幼児は「ママー」とか言葉を得る。ここで欲望が出てくる。
或いはもっと別の分析家は、そんな消化管ではなくてもっと大きな穴が
あるのだと言います。
例えば秋の収穫の為に倉庫を空っぽにしておく。
(おっぱいを飲むために胃腸を空っぽにしておくなんていうレベルではなくて)。
しかし、倉庫に貯めるのは穀物だから貨幣っぽいですよね。
これはクワガタの収集と似ている気がします。
何気に丈夫そうな昆虫を収集する感じがする。
で、女とは何かというと、この前亡くなったレヴィストロースによれば
多分、穀物、とか、家畜とかと同列に女があると言ったらしい。
交換する為に女はいると。交換する為に傷ものにしてはならないので
近親婚のタブーがあるとか。
しかし私は全く逆で、むしろ女は排他の対象であり、
女に分ける穀物はないから追い出したい、
しかし傷ものの女ではお嫁にいけない、
だから近親相姦の禁止があると思うのですが。
話は違いますが「所与」という概念がある。
これは「与えられるもの」みたいな意味ですが、
自然の恵みとか、青々とした植物、みたいなイメージです。
人間はこれを嫌うんですね。クワガタとか穀物のように硬いものが好きで
生野菜のようなものは嫌いで。
何故なら穀物の方が長持ちするから。青々とした植物は腐る運命にあるから。
又、制度に関しても例えば自由などを嫌う。
役人が法律を恣意的に運用したりするのを嫌う。
だから中世ヨーロッパのようにどん底の貧しさの方が好きなんです。
そういう人々に、たとえ貧富の差が生じても「所与」を利用すべきだ、
と説得するのは困難だったと思います。これをやったのがデカルトとか
あのへんの人々なんでしょうが。
それはともかくとして、ぜい肉も又所与的なイメージです。
腐敗するようなイメージがある。
それは穀物とは反対の生野菜とか生魚のようなイメージがあります。
だから摂食障害をおこして痩せに痩せるのではないか。
夏休みなどの長期休暇の後に摂食障害に陥るらしいですが、
長期休暇というのは去勢みたいなもので、これによって肛門性愛化する、
つまり口から肛門までが穴になる、そして過食するというのは説明が
通りそうですが嘘っぽいですね。
或いは、父親に穀物、家畜のような扱いを受けるから、家畜として売られるのが
嫌だから痩せる、というのも嘘っぽいですね。
恐らく私の想像ですが、母親も排他されてお嫁に来たわけですから、
母親は娘に、何か能力があれば一人で生きて行ける、家を追い出されても
嫌な男と結婚しなくてもすむ、それはどこでも通用するような資格を持つとか、
などと考えたかも知れません。それは堅固な感じで、
生野菜というよりはぜい肉のない痩せた体をイメージさせます。
斉藤学(だったか)という精神科医が、
我が娘はミキハウスが似合うような可愛い娘ではない、と過剰な期待を
子供によせるので娘がおかしくなる
とか言っていましたがこれは多分間違いですね。
母親は、やがては出て行かなければならない娘が、嫌な男に頼らなくても
生きていけるように、堅固な存在、クワガタのような存在になって欲しいと
望んだのではないか。
こういう事を望む母、或いは父親は社会が健全である事を望みます。
それは穀物のような腐らない社会であって生野菜のような社会ではない。
だけれども、そういう社会を前にしたら、男はプレッシャーからひきこもり、
女は摂食障害になるという事ではないのか。
斎藤環が、社会が成熟すると人間が未熟になる(「思春期ポストモダン」)
とか言っていますが、そもそも成熟した社会とは何か。
あと、女は表面的だから摂食障害になり男は本質的だからひきこもりになる、
などとも言っていますが。
男も女も社会が堅固になるとプレッシャーからひきこもりや摂食障害に
なるのではないのか。
そもそも社会は「所与」を受け入れて自由になったり、またまた悪平等に
なったりの繰り返しなので、「社会が成熟すると」なんて言い方は社会が
どんどん上昇していくような発想で幻想ではないのか。
じゃあなんでここ2、30年、摂食障害とひきこもりが起きるのか、
というとやはり情報化によって、去勢に敏感になったという事だろう。
以上は全て表の社会の話で、フロイトからつい最近までこの表の話ばかりに
終始しているのではないのか。社会が窮屈になって個人を抑圧しているとか。
本当に肝心なのは、と私が思うのは、裏が失われた事ではないのかと思うのですよ。
裏というのはセックス的なものですが。子供の前でセックスをする親が
いないように、家庭から学校から社会までみんな所詮表の世界で、
実際人間(男と女)にとって肝心なのは裏ですよ。この裏をどこかで
補填してやらない限り、ひきこもりと摂食障害はなくならないと思います。
いくら表の社会をポストモダン的に論じても全くの無駄。