AWC お題>流行語   永山


        
#338/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  08/12/23  18:39  (214)
お題>流行語   永山
★内容
 呼び出し音が携帯電話のそれでなく、固定電話から聞こえていると分かり、
牟呂風太郎(むろふうたろう)はほっとした。
 師走に入った最初の日。季節が少し戻ったかのように、朝からぬくぬくとし
た空気が感じられた。
 そんな日の午前中に電話を掛けてきたのが、かつての相方と分かり、牟呂は
複雑な心境になった。学生時代に知り合ってコンビを組むようになった縁だ。
解散してからも、まったくの音信不通だった訳ではない。が、疎遠になってい
たのは紛れもない事実であった。
 理由がなくはない。牟呂は今年、大ブレイクをしたのだ。持ちギャグの一つ
「あわやおら」が世間受けし、ちょっとしたブームに乗った末、流行語アワー
ドの候補に選出された。何故受けたのか分からない。そもそも、考えた末に作
ったギャグではなく、トーク番組で大御所からつっこまれて返事に窮した際、
咄嗟に出たごまかしだった。
 そんな瓢箪から駒のようなギャグでも、売れれば勝ち。以前に比べて格段に
忙しくなり、テレビ等への露出が増えた。元相方の友田(ともだ)からも六月
頃に、電話で羨望とねたみの混じったお祝いの言葉をもらった。その折、いつ
か会って飯を御馳走する約束をしたのだが、それっきりにしてしまっていた。
「悪い。飯の約束、ほったらかしにして」
 とりあえず、そのことを謝った。友田は小さな笑い声を立てた。
「いいよ。気にしてない。気にしてもしょうがないし、そんだけおまえが売れ
てるってことだし」
「すまん。おまえの方で決めてくれ、都合のいい日。できる限り、それに合わ
せる」
「そいつは無理だ」
 不意に、断固とした口調になった。牟呂は内心で狼狽しつつ、表情は薄笑い
を浮かべていた。いつもの癖である。
「何だよ、友田。そっちも忙しくしているのか」
 事務所を移ったが、芸人を辞めたとは聞いていない。何か仕事が入ったのだ
ろう。牟呂は好意的、いや、むしろ希望的観測を込めてそう考えた。
「貧乏暇なしだったが、もうすぐ暇になる。実はな、死ぬことに決めた」
「……何だ?」
「で、おまえだけ成功したままだと死んでも死にきれんから、足を引っ張ろう
と思うんだ。俺、親切だから、こうして予告してやってる」
「待てよ。冗談にしては面白くも何ともない。おまえにしては、全然気が利い
てないぜ」
 そう言いつつも、牟呂は、こいつは本気かもしれないと感じていた。芸人の
例に漏れず、冗談や悪ふざけをすることは友田も多いが、こんな生き死にを絡
めた冗談は、今までに一度もなかったからだ。
「休んでいる間に、腕が落ちたかねえ。ははは」
 乾いた笑いを挟み、友田は続けた。
「ま、冗談じゃないから関係ない。殺されたように見せ掛けて、自殺する」
「な――よせよ、冗談は。本気なら尚更」
「安心してくれ。おまえを犯人に仕立てる気はない。電話を切ったらすぐ死ぬ
から、おまえはこのあと、二、三時間ほどアリバイを作っておけば大丈夫だろ
うさ」
「おい、友田。会おう。これから会おうじゃないか。理由を聞かせくれ」
「ただ、栄光のスポットライトが当たらなくしたいだけだから」
「聞けよ。問題があるなら、相談に乗るぜ」
「……残念だが、もう遅い」
「切るなよっ。どこにいる? アパートか?」
「ああ。来る気、満々のようだから、もうこのあとは言う必要ねえな。でもま、
長年コンビを組んでくれたおまえに、サービスだ。俺、ダイイングメッセージ
を遺す」
「やめろって。とりあえず、中止だ、中止。俺と話をしてからにしろ!」
 知らず、声が大きくなっていた。対照的に友田は、静かな調子で最後の言葉
を口にする。
「流行語アワードって、犯罪に絡んだ言葉だと、まず選ばれないよな」
 そして電話は一方的に切られた。
 単調な音を流すだけになった固定電話を見つめる。牟呂は一度だけ呼び掛け
たが、当然ながら、返事はない。
(どういう意味だ……)
 友田の言い捨てた最後の言葉について、考えを巡らせる牟呂。じきに、一つ
の答に辿り着いた。
 流行語アワードにノミネートされた牟呂のギャグを、血文字か何かで書いた
上で、友田は死のうとしている。牟呂自身が疑われる可能性はもちろんあるが、
友田の言っていた通り、これから人に会っておけばアリバイが成立し、嫌疑は
晴れよう。
 それよりも、問題は流行語アワードだ。
 確か、選考は一週間後に行われる。ここ数年の傾向では、社会一般と芸能、
それぞれから一つずつが大賞に選ばれている。牟呂のギャグは、芸能枠で本命
とされていた。受賞確実とまで言われている。
 だが、いくら有力視されていても、殺人事件の被害者が死の間際に書いた言
葉を、大賞に選ぶとは考えづらい。過去、そのような例はないし、犯罪や不祥
事関係で流行した語は、そもそもノミネートすらされない。
 まずいぞ。牟呂は奥歯を噛み締めた。
 昔の相方に死なれるのもまずいが、流行語アワードを逃すのもまずい。
 牟呂には結婚を考えている女がいるのだが、彼女の家族(主に父親)から胡
散臭い仕事をしていると見なされていた。そんなことであきらめず、売れ始め
たのをきっかけにアピールした甲斐あって、流行語アワードの大賞を獲ったら
認めてやる、との約束を取り付けた。それがつい先日のこと。
 ここに来て、牟呂は打算的に思考を始めた。
 友田とコンビ解消したのは何年も前のことだから、友田の命を救えなかった
としても、それを理由に結婚を許さないとはなるまい。優先すべきは、ダイイ
ングメッセージの消去。それには、救急や警察よりも先に、いや、誰よりも先
に、アパートの友田の部屋に駆け付ける必要がある。
 しかし、下手に振る舞えば、最有力容疑者として扱われる恐れも高い。アリ
バイを用意できればいいのだが、トリックを考える猶予がない。一刻も早く、
アパートに向かわねば。
 牟呂は取るものもとりあえず、出掛ける準備を整えた。

 顔を知られるようになった牟呂だが、過度な変装はしなかった。伊達眼鏡を
掛けただけだ。
 アパートに到着すると、平日の昼前とあってか、人の出入りはないように見
える。二階建て全八室、留守かどうかは分からないが、静かではあった。
 用心しつつ、一階の二号室に向かう。玄関前に立ち、初めて鍵のことが頭を
よぎった。ロックされていたら、どうしようもないではないか。いくら人の姿
がなくても、裏の窓を破って侵入するのは容易でない。
 祈るような気持ちで、ノブを回してみる。手袋のせいか、空回りする感触が
あった。力を込めると、あっさりと回った。
 思わず、「開いた」と声に出しそうになった。口元を引き締め、素早く中に
入る。忍び足で廊下を進む。部屋の主、友田の名を呼びはしない。やっぱり電
話で話したことは冗談で、ぴんぴんしているのならそれでかまわない。黙って
上がったのは、逆にこっちが驚かせてやるつもりだったと言えば済む。死んで
いるのなら、呼び掛けても仕方がない。工作を済ませ、速やかに立ち去るのみ
だ。その後、匿名で通報するか否かは、未だ決めかねている。
 寝床を兼ねた居間に辿り着く。引き戸をゆっくり、静かに開ける。途中で内
部を見通せた。裸足の裏が視界に入る。俯せに横たわる友田の足だ。やがて全
身が見えるようになる。上下とも黒のジャージは、ずっと前に見たときと変わ
っていないようだ。
 部屋の様子も、牟呂の記憶にあるものと大差ない。大きく違うのは、部屋の
主が死んでいるという一点。
 足音を立てないよう、しかしできる限り素早く、牟呂は遺体の右側に回り込
んだ。そして、電話での宣言は嘘でないことを知る。赤い字で<あわやおら>
とあったのだ。
「さて、どうするか……」
 初めて声を発した牟呂。意識して、普段より小さな呟きにした。
 友田の絶命は間違いなく、今から救急車を呼んでも手遅れだ。最初の思惑通
り、ダイイングメッセージを消す作業に、心おきなく取り掛かれる。
 が、現場に立ってみて、気持ちが揺らいだ。小細工はよそうとか、無駄と分
かっていても救急車を呼ぼうとか、そんなことではない。
 ダイイングメッセージを活かせないかと考えたのだ。
 牟呂と友田、共通の知り合いに、阿波屋(あわや)という男がいる。フリー
のライターを自称し、事実、芸能ネタでスクープを物にしたことが何度かある。
寒いのが苦手で、年末年始は働こうとせず、昼間から酒を飲んで家でごろごろ
しているのが常だった。四十代だが独り身の独り暮らし。つまり……。
(アリバイ証人はいない可能性が高い)
 心の中で呟き、ほくそ笑んだ牟呂。
 阿波屋には、つまらないネタを掴まれている。昔の女関係で、色々あったの
だ。若かったし、芸の肥やしになるという時代遅れの理由付けで、自らに嘘を
ついていた。今ではきれいな形で縁を切ったし、改心もした。
 だが、阿波屋はそんな昔の話を、ことある毎に牟呂に仄めかした。特に今年、
牟呂が大ブレイクして以降は。金に困れば脅迫する気満々であることを隠そう
ともしない。ひょっとすると、婚約を認めてもらえるかどうかの瀬戸際である
今を絶好のタイミングと見て、すぐにでも金の要求をしてくるかもしれない。
携帯電話恐怖症の気が出始めたのは、阿波屋のせいなのだ。
(元々、自殺なんだ。阿波屋が殺したことにしても、真犯人が逃げおおせる訳
でなし。阿波屋に悩まされている人は他にも大勢いると聞く。ここで天罰を与
えてやって、しばらく檻の中に送り込むのは人助けだ、うむ)
 自分の心の声が、耳の奥でこだまするような感覚が沸き起こる。そうしなけ
ればいけない、と信じ込むレベルに達するまで、さほど時間を要しなかった。
(阿波屋に罪を着せるには、このメッセージを『あわや』だけにしたいところ
だな)
 当然、そう考えた。だが、鉛筆で書いた字を消しゴムで消すのとは訳が違う。
塗り潰したり、洗い流したりすれば、かえって不自然になろう。
(――そうだ。逆転の発想だ。ダイイングメッセージに名前を書かれたと気付
いた阿波屋が、『おら』を書き足したように見えればいいんだ。ていうことは)
 牟呂は遺体の右腕を持とうと、手を伸ばしかけ、ごくりと喉を鳴らした。さ
すがに恐怖心がよぎる。だが、思い切るのは早かった。
 手首を取ると、血の付いた人差し指を確認。そこへ手を添え、メッセージの
『おら』の箇所のみを、上からなぞる。擦ることでぼやけさせ、あたかも書き
加えたかのように偽装する。
 うまく行った。会心の出来映えだ……と満足の笑みを漏らす。が、手に残る
嫌な感触をハンカチで拭う内に、どうも変だと思い始めた。大きな見落としを
している。
「あ」
 遺体とその周辺を眺め下ろし、しばらくしてから間の抜けた声が、勝手にこ
ぼれ出た。
(『あわやおら』をそのまま残してたら、本来の目的が達成できないじゃない
か! 流行語アワードがもらえなくちゃあ、元も子もない)
 己の馬鹿さ加減、おっちょこちょいぶりに額を押さえる。しかし、このまま
にして立ち去ったあと、気が付くよりはだいぶましだ。他の策を考えればいい。
(手っ取り早く済ませるには、阿波屋に罪を着せるのをあきらめりゃいい。そ
れは分かるが……千載一遇のチャンスを逃すのは、いかにも惜しい。『あわや』
だけ残して、『おら』を塗り潰すか?)
 すぐさま、首を横に振る牟呂。さっき、不自然だからとその手はやめたでは
ないか。
(阿波屋の下の名前は確か、のぶお、だったな。信じるに男か郎と書くんだっ
け。漢字はどうでもいい。のぶお……『おら』と一文字かぶってる。これを何
とか利用できないか)
 床の「おら」を見つめる。とりあえず、「のぶ」と書き足せば、「のぶお」
は完成する。が、方向がおかしい。「あわや」と「のぶお」でVの字のようだ。
いや、「ら」があるからYの字か。
 待て待て。「あわや」の下に横書きするように書けば、三列に跨って、「あ
わや」「のぶお」「  ら」と書いた風に、見えなくもない。
(もしも、警察が物凄く好意的に解釈してくれるなら、阿波屋信郎ら、つまり
阿波屋信郎を筆頭とする複数犯にやられた、と受け取ってくれるかもしれない
……なんてことはないか)
 牟呂は時計を気にした。友田は人付き合いの多い奴ではなかったが、ここに
長居はしたくない。誰かが訪ねて来ても、やり過ごせなくはないが、中には勝
手に上がり込む輩もいるかもしれない。
(そうだ。玄関の鍵)
 鍵を掛けておけば、勝手に上がり込めない。外から見て余程の異変がない限
り、大家に連絡どうこうということにもなるまい。
 思い立つが早いか、牟呂は玄関に向かった。走りたいところを我慢して、忍
び足に徹する。土間に両足を着いた時点で、ふと、廊下が騒がしさいと気付く。
 用心して動きを止めた牟呂。他の部屋の住人、もしくはそれを訪ねてきた友
達グループに違いない。そうに決まっている。
 が、程なくして、騒がしい一団の気配は、すぐ前の廊下まで来た。同時に、
「あ、ここよここよ」という女性の声。聞き覚えのあるような、溌剌とした声
だ。
 ノブの中心のボタンを押し込まねば。手を伸ばした牟呂だったが、僅かに遅
かった。
 ノブは外から回され、がちゃっという音と共に、ドアは勢いよく開けられた。
 呼び鈴を押さず、中へ声を掛けることもなしに、いきなり開けるとは!
 顔面が蒼白になるのを意識しながら、牟呂は背筋をぴんと伸ばして直立不動
の姿勢を取る。
 長方形に切り取られた外の景色には、カメラその他撮影機材をそれぞれ持っ
た男数人と、マイクを手にした細目の女性――芸能レポーターだ――がいた。
「友田さーん、いきなりでごめんなさい。以前、コンビを組まれていた牟呂風
太郎さんが大人気で、流行語アワードにもノミネートされましたが、そのご感
想と、昔のエピソードなんてお聞きできたらと思い、訪ねさせて……あら」
 一気に喋った女性レポーターは、ようやく目の前の男が友田ではなく、牟呂
であると認識したらしい。目をぱちくりさせてから、表情を改めて作る。
「牟呂さん、なんだ、来ていたんですかぁ? 昔の相方に報告ですか。友情で
すね〜。それで、友田さんは? 牟呂さんのおられないとこで話を伺いたいの
が本音なんですけど、こうなったらお二人揃ってと行きましょう」
 マイクを突き出してきた。レポーターはにこにこ顔を崩さない。
 返事に窮する牟呂は、「あわやおら」が誕生したときのことを思い出してい
た。そして念じる。
(今このピンチを乗り切れる、秀逸なギャグよ、天から降ってこい!)

 もちろん、降って来なかった。

――終





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