AWC お題>別離の季節   永山


        
#337/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  08/09/27  18:20  (354)
お題>別離の季節   永山
★内容
 近隣の土砂災害のせいか、電話が通じない。メールは使えるようなので、こ
れを読んだらすぐに返事がほしい。ホームページの管理で、こんな時間でも寝
ていないと信じている。
 殺人事件が起きた。警察の介入後、私が最有力容疑者扱いされるのは間違い
ない。大塩平一、君の探偵能力が必要なのだ。
 要点を述べる。
 かねてから話していた通り、連休を利して加寿子の実家を訪れている。当時、
浪岡の家にいたのは、私達二人に加寿子の両親、加寿子の弟で学生の延彦君と
彼の女友達の江原佐織さん、義父の知り合いの五十島という男性、そしてお手
伝いの富田林さんの合わせて八名だった。
 私達がこちらに到着して二日目の今日夕刻、義父が書斎で死亡した。私も同
じ部屋で、意識を失って倒れていた。部屋は密室状態で、ドアも窓もロックさ
れていたことは、私自身確認した。一本しかないドアの鍵は、義父の懐にあっ
た。
 これも以前話したように、私と義父とはここしばらく、折り合いが悪かった。
身重の加寿子に車での送迎を頼み、その帰りに加寿子が事故に遭ったがために、
流産したのだと義父の勝助は信じたのだ。表面上は事なきを得たが、わだかま
りが残った。今回の訪問はこれを解消するのが目的であり、事実、初日に早速
話し合いを持ち、胸襟を開いた結果、わだかまりはなくなった。しかし、証人
は義父自身と私の他は、妻の加寿子だけであり、警察に信じてもらえるかどう
か心許ない。動機ありと判定される恐れがある。
 以上で、私が最有力容疑者にされるであろうことは、理解してくれると思う。
早急にアドバイスを頼む。
 できれば来てもらいたいのだが、土砂崩れのため、山道が寸断されているこ
とを付記しておく。状況は刻々と変化するであろうし、災害報道等を見て判断
してほしい。

 〜 〜 〜

 先程のメールのみで済ますつもりだったが、君のことだから現場の詳しい状
況を知りたいに違いない。写真の添付ができればよいのだが、こちらにデジタ
ルカメラの類がなく、かなわない。よって文章で記す。
 現場の書斎は角部屋で、南と東に面した壁に窓が二つずつ、西側の壁にドア
があるが、いずれも施錠されていた。窓の鍵は三日月錠で、内側からのみロッ
クできる。ドアはシリンダー錠というやつだろうか、ありふれたタイプに見え
る。施錠するには、外側からは鍵が必要、内側からはつまみを一度水平方向に
倒せばなる。開けるときは、またつまみを倒せばよい。
 私は書斎で義父とテーブルを挟み、将棋を指していた。久しぶりだったが、
和解後とあって、とても和やかに進んでいたと思う。
 四十分ほど経った頃、ドアが開き、誰かが入って来た。私はドアを背にして
いたので、誰だったのかまったく見ていない。振り向く間もなく、何やら重た
い物で頭を殴られ、意識を失った。その後、意識を取り戻したときには、義父
は絞殺されていた。
 絨毯を敷き詰めた床には、一メートルほどの細い縄と、軍手が落ちていた。
これを用いて、私が義父を殺害し、気絶のふりをしていた――真犯人のシナリ
オはこんな具合なんだろう。ああ、勿論、私を殴った凶器はどこからも見付か
っていない。
 犯行がなされたと思しき時刻の各人の居場所についても、記しておく。
 加寿子は食堂におり、夕食の下ごしらえをしつつ、義母とお手伝いとの三人
で、お喋りに花を咲かせていた。
 延彦君は江原嬢と二人で自室にいたという。五十島氏は義父とは趣味の古書
収集を通じて知り合った仲で、この時間は義父が資料室と呼ぶ部屋で一人、コ
レクションを見せてもらっていたらしい。
 各部屋の位置関係に言及しておくと、書斎をドアから出て、玄関に抜けよう
とするなら、食堂と居間を必ず通らねばならない。しかし、勝手口には廊下一
本で辿り着ける。また、二階にある延彦君の部屋とは、その廊下を途中で折れ
て階段で行ける。資料室は書斎の隣にあり、居間からの視線に注意すれば、見
咎められることなく出入り可能である。
 動機に関してだが、穿った見方を含めれば、動機は全員に存在すると言えよ
う。詳細は省くが、夫婦や親子間に揉め事が全くないのは珍しいであろうし、
使用人も同様だ。延彦君の恋人である江原嬢を、義父は気に入っていなかった
節がある。五十島氏とは、古書収集を巡って、小さな諍いが過去にあったと聞
く。
 今書けるのはこれぐらいか。質問があれば、折り返し聞いてくれ。分かる範
囲で伝える。

〜 〜 〜

 メール読んだ。いつでも発てるように準備を済ませたところだ。
 足柄君も大変だね。加寿子さんもノイローゼ気味だったのがやっと治ったと
思ったら、こんな事件に巻き込まれるとは……。一件落着後、充分に労ってあ
げることだ。
 さて、手短に行こう。
1.凶器の縄及び軍手の出所は分かっているのか
2.君が襲われた際、侵入者に気付いた者はいなかったのか
3.遺体発見時の様子が分かりづらい。意識を取り戻した君が第一発見者なの
 か、それとも第三者がドアなり窓なりを破って入って来て、見付けたのか
4.加寿子さんとその母君、お手伝いの富田林。彼女達三人にはアリバイ成立
 したと見なせるのか。君の判断を聞かせてほしい
5.勝手口のドアは、施錠されていたのか否か

 以上の答を、君のできる範囲で頼む。

〜 〜 〜

 返事をありがとう。きっとリアルタイムで読んでくれると信じていたよ。
 質問の答だが、
1.縄と軍手は、家の中の物置にあった物。誰にでも取り出し可能
2.侵入者に気付いた人はいなかったようだ。念のために言い添えておくと、
 外部から誰かが来た痕跡は見付かっていない
3.第一発見者は私だ。恐らく三十分前後、意識を失っていた。気が付いた
 ら、義父が死んでおり、慌てて飛び出そうとしたらドアがロックされている
 と気付き、驚いた。窓を調べたのは、ドアを開けて人を呼んでからだった
4.加寿子達のアリバイは成立すると思う。あの三人が共犯とは考えにくい
5.施錠されていた。延彦君が確かめた

 こうして書いてみると、色々と気付かされる。馬鹿正直に鍵が掛かっていた
なんて言わなければよかったのかもしれない。加寿子達にアリバイがあるとな
ると、容疑者は一気に減るんだな、とか。
 他にアドバイスや質問があったら、引き続きよろしくお願いする。

〜 〜 〜

 浪岡氏と君が同席しているところを襲うのは、犯人にとって危険な賭けだと
思う。現場を密室にして、君に罪を擦り付けるためだとしても、リスク大では
ないか。何故、そんなタイミングで犯行に走ったのか。切羽詰まった動機を持
つ者がいないか、思い返してみてくれ。

 密室トリックに関しては、いくつかの単純な仮説がある。
1.ドアはロックされていなかった。君が意識を取り戻すのに合わせ、犯人が
 外側でノブを固定し、開かないようにしていた
2.窓のどれか一つが開いていた。君に呼ばれて部屋に入った後、密かに錠を
 掛けた
3.ドアは鍵を使って施錠された。犯人は鍵を持ったまま現場を離れ、君に呼
 ばれて部屋に入った後、被害者の懐から取り出したふりをした

 当てはまらない物があれば、除外してみてほしい。

〜 〜 〜

 君の言葉に従い、動機を考えてみた。
 延彦君と江原嬢の、交際を正式に認めてもらいたいという意志が、どのくら
い強いのか、どのくらい急いでいるのかは、分からない。卒業が近付いている
というのは、急ぐ理由になるかもしれないが。あと、濡れ衣を着せる相手がい
る、という観点では、千載一遇のチャンスだったと言えなくもない? 分から
ない。
 五十島氏の動機が、義父の古書の中から何かを奪うためだとすれば、この来
訪がチャンスであるのは確かだ。何しろ、長い付き合いを経て、初めて招かれ
たらしいからね。疑問なのは、持ち主を殺したからと言って、そのコレクショ
ンが五十島氏の手に渡るとは限らないこと。逆に、こっそりと持ち出すつもり
なら、殺す必要がない。
 五里霧中というのが正直なところだ。

 密室トリックの方は、まず、1はあり得ない。私はドアのつまみを捻り、解
錠される手応えをしかと感じた。タイミングを合わせ、偽装を行うのは不可能
だろう。
 2はないとは言い切れない。あのときは、部屋に全員が来て、ごった返して
いた。
 3はないと思う。殴られた痛みでまだ朦朧としていたかもしれないが、義父
の懐から鍵が取り出されるまで、誰も遺体に近寄らなかったのは間違いない。
取り出したのは義母だが、懐に隠れる前の時点で義母の手は空っぽだった。故
に、巧みに滑り込ませる方法も使われていないはず。

〜 〜 〜

 トリックとも呼べないが、密室は2のトリックが用いられたと仮定すると、
犯行後、犯人はドアをロックし、窓から逃走。予め開けておいた勝手口より再
び家屋内に入った。勝手口を内側から施錠し、君が意識回復するまで素知らぬ
ふりを続けたことになる。
 これは単純な手口だが、家を初めて訪れた五十島氏には、ちょっと思い付け
そうにないんじゃないか。家の中の構造に加え、この辺りには滅多に人が来な
い等といった状況を熟知していないと、無理だろう。凶器と軍手の問題もある。
 五十島氏を除外すると、残りは延彦と江原のカップルだ(加寿子さんを含む
女性三人のアリバイは成立したものと見なす)。彼らは共犯で、延彦が実行犯、
江原が延彦の偽アリバイを証言したのではないか。

 この仮説が当たっているかは分からない。現状では、延彦と江原に特に注意
しろとしか言えない。何しろ、君は襲われているのだ。犯人に仕立てたあと、
自殺に見せ掛けて始末する、などという恐ろしい計画が控えている可能性、ゼ
ロではないと心したまえ。

 ニュースによると、明日(いや、すでに今日だが)の午前中には臨時復旧の
見通しが立ったようだ。可能な限り早く、そちらに向かうので、それまで頑張
ってくれ。牛島刑事を通じて、そちらの地元警察に同行できないか、打診して
みる。

〜 〜 〜

 ありがとう! 君が来てくれるのなら心強い。
 それにアドバイスも分かった。延彦君達二人を特に警戒しておく。

 先程、富田林さんから痛み止めの薬をもらい、飲んだところだ。しばらく眠
ってしまうと思うが、気付いたことがあれば、どんどんメールを送ってもらい
たい。朝になったら返事する。
 ああ、いや、君も疲れたろう。しばらく休んで、鋭気を養っておいてほしい。

〜 〜 〜

 君からの最新の報告を待って、出発するつもりでいるんだが、時間切れだ。
そろそろ出ようと思う。
 現在、朝の八時。起きていても、傷が痛むのかな? 無理はしなくていい。
緊急時に動けないようであれば、部屋に閉じこもっているのも一つの方法だ。
 そちらに行く目処は付いた。昼過ぎになると思う。地元警察とも基本的に協
力していくことで話が着いた。基本的にというのは、まだ警察の方は何ら事件
の概要を知らないためであり、まず大丈夫だ。

           *           *

 到着直後、現在の状況を知らされた大塩は、悲しみを通り越して、呆然とし
てしまった。
「どうして、そのようなことに……」
 搬出される二人目の遺体を見やってから、視線を戻す。
 正面に立つ相手――五十島昌義が口を開いた。彼もまた困惑を隠せないでい
る。
「朝、起きてこないので、皆で見に行くと、部屋で亡くなっていたとしか。鍵
は掛かっていたが、遺書めいた物はないし、自殺なのかどうか……。心臓か何
かの病死のようにも見えた」
「毒物は? 何か嚥下した痕跡は残っていませんでした?」
「私は気付かなかった。そういえば、痛み止めの薬をもらっていたから、それ
は飲んだだろうね。そのことで、浪岡さんの奥さんやお手伝いさんが警察に話
を聞かれてるんだと思いますよ」
「ああ、そうでしょうね……」
 大塩は歯噛みし、後悔していた。メールで知らせた己の推理は、間違ってい
たのだと。
(浪岡延彦や江原佐織が薬に毒を混入し、その薬がたまたま、足柄君に宛がわ
れたとは考えづらい。お手伝いを疑うべきだ。お手伝いを疑うとなると、最初
の事件で一緒にいた、加寿子さんと浪岡夫人にも疑惑を向けざるを得なくなる。
もしや、三人の共犯? だとしても、どういうつながりで、どんな動機があ
って?)
 いつものように推理を重ねようとして、途中で冷静でいられなくなる。長年
の相棒を失った衝撃が、探偵を激しく、しかも継続的に打ちのめす。

 いつの間にか、刑事が横に立っていた。
「牛島さんから話は聞いています。だからといって、あなたやあなたの知り合
いを頭から無実だと信じるほどお人好しではない。――しかし、メールの記録
から判断すると、少なくとも足柄祐司さんが浪岡勝助を殺し、その自責の念か
ら自殺したというのはない。自殺する犯人が、友人の探偵にあのような助けを
求めることは、おかしいですからね」
 持って回った言い方に、大塩の心情は大きく揺さぶられた。それでも、認め
られたと分かり、ほっとする。
「刑事さん、毒物の検査を徹底してやってください。お願いします」
「無論です。この限られた状況下で、半日経つか経たないかの内に、二人が死
んだ。一人が他殺、一人が病死なんて不自然さは、私どもも気に入らない。専
門家の見立てで、もうトリカブトではないかと当たりを付けていますしね」
「トリカブト……アコニチンですか」
「これはお詳しい。私は専門家じゃないから、だそうですねとしか言えません
が、近場に自生しているという話を以前、耳にしたことがあります」
 可能性はある訳だ。大塩の確信は一歩、前進した。
「浪岡氏の亡くなった現場を、見てみたいのですが」
「こちらの仕事が終わったあと、私と一緒にならかまいませんよ」
「それでかまいませんが、一つだけ、お願いが。窓の指紋を採取する前に、見
てみたいのです」
「……取り計らいましょう」
 物分かりのよい地元の刑事と、牛島の人脈に感謝しつつ、しばらく待たされ、
やがてOKが出た。大塩は真っ先に、四つある窓に駆け寄った。錠を観察する
ためだ。
「警察は、密室状況だったことをいかにお考えで?」
「着手したばかりですから、具体的にはまだコメントできる段階ではない。一
般論を述べると、過度に重視しないが、軽視もしない。現場の状況を解明しな
ければ、公判を維持できない場合がありますからね」
「なるほど。私と足柄のメールでのやり取りを読んだのであれば、私が今度の
密室に関し、どういう説を立てていたか、承知のことと思います」
「ええ。確か、遺体発見後、窓のロックを密かに操作したという……」
「はい。でも、間違っていたようだ。これを」
 窓に付いている三日月錠を指差す。うっすらとではあるが、埃を被っていた。
「ふむ。使われていないようだ」
「四つの窓ともです」
「ただ、この程度の埃なら短時間で積もるかもしれない」
 拘る刑事。あるいは、大塩の説をそのまま採用したいのかもしれない。もし
窓が使われなかったとなると、難題を抱え込まねばならなくなる。
「窓、開けてみても?」
 この申し出は、流石にストップが掛けられた。指紋採取などの検査が行われ
たあとならかまわないとのことで、また待たされる。
「何の狙いで、開けてみようと思うんですかな」
「見たところ、この書斎の窓はどれも、普段からほとんど使われていなかった
風に思える。実際に開け閉めしてみないと、分からないことがあるんじゃない
かと」
「実際に試すというのはいいことだ。そういう理由でなら、鑑識課員が今、開
けるところですよ、ほら」
 刑事の言葉通り、ユニフォームに身を包んだ鑑識課員の一人が、窓の錠を解
除し、開けようとしている。
 次の瞬間、耳障りな音が起きた。一部が錆び付いているのか、レールを窓ガ
ラスがスムーズに動かない。課員が力を込めると、軋みながらやっと動く始末
だ。
「これは酷い。奥さんもお手伝いも、掃除をこまめにしていなかったらしい」
 刑事の感想を遮り、大塩は「これだけ音がすれば、使われなかったと考えざ
るを得ないのでは」と意見を述べた。
「この家、壁の防音はしっかりしているようですが、開け閉めする窓の音まで
は、なかなか遮断できないでしょう。もし犯行時に窓が開閉されたなら、隣の
資料室にいた五十島氏に聞こえる恐れがある」
「――調べるとしましょう」
 刑事は部下らしき男に目配せした。

 書斎の窓は四つとも、大きな軋みを立てねば開閉は不可能であると結論づけ
られた。また、その開閉のための騒音は、資料室の窓を通して、隣室にいる者
には嫌でも聞こえることも確かめられた。その上で、事件当時の模様を五十島
に問い質すと、窓を開け閉めするような音は一切聞こえなかったという証言が
得られた。
「書斎の窓が、密室の構成に用いられなかったことが決定的となった訳だが、
大塩さんはどう考えるね?」
 長年の友人であるかのように、刑事が意見を求めてくる。大塩は、既に頭の
中で組み立てていた新たな説を披露することにした。
「鍵のすり替えが行われたと思っています」
「うん? それはメールの中で、とうに否定されたのでは」
「あれとは少し意味が違います。犯人は殺害時に、浪岡氏の懐に鍵を残してい
った。ただし、書斎の鍵ではなく、よく似た形をした別の部屋の鍵を。書斎の
鍵は、自らの懐に仕舞う。そして足柄君が気付いて騒ぎになり、他の大勢と書
斎に改めて入った犯人は、遺体の懐から偽の鍵を取り出すと、書斎の鍵である
ことを確かめるとして廊下に出、他人の目から逃れた瞬間を狙って、本物の鍵
とすり替えた。その鍵で確かめるのだから、遺体が持っていた鍵は本物だった
と認定されてしまった。こういうことなんじゃないかと」
「とすると、犯人は被害者の妻だった、浪岡多美子になる」
「彼女と、足柄加寿子、お手伝いの富田林留美の共犯です」
「アリバイや薬の件と合わせると、そう考えるのが合理的か……。だが、動機
が分からない。夫を殺す妻の同盟か?」
「結果的にそうなったと言えなくもありません。実は、刑事さんが頑張ってお
られる間、私も延彦君らに話を聞いていました。昨日、一昨日のここでの会話
や出来事について。特に、浪岡氏や足柄君がどんな言動をしたかを。確証はあ
りませんが、成果は上がったと思います」
「伺いましょう」
 居住まいを正す刑事。大塩は唇を嘗めてから、改めて喋り出した。
「死んだ二人は、一昨日の和解を経たせいか、食事の席等で非常に饒舌に言葉
を交わしたそうです。その中で、江原嬢の印象に悪い意味で残ったフレーズが
あった。それは、『お互い、何であんなくだらないことを気にしていたんだろ
うな』云々というものだった」
 刑事は皆まで聞かない内に、眉を顰めた。
「あんなくだらないこととは、足柄加寿子の流産か。いくら何でも、口が過ぎ
る。いや、口が過ぎるでは済まされない」
「江原嬢もそう感じたらしいが、言い出せなかったそうです。加寿子さんも多
美子さんも同じだったんではないですかね。突っ込んで聞いてみると、元々、
浪岡氏は孫を大変欲しており、機会があるごとに娘の加寿子さんや足柄君に、
まだかまだかとせっついていたとか。そのせいかどうか、足柄君も妻に口やか
ましく求めるようになった」
「その挙げ句の果てに、不用意に車の迎えを頼み、流産の原因を作った。運転
の責任は本人にあるとしても、女性陣からすれば、たまったものではないな。
そこへ加えて、ここ数日の男二人の言動……」
「肯定する訳ではありません。ただ、もやもやとした、形の明確でなかった殺
意めいたものが、はっきりと姿を現したとしても、私は理解できます」
 その後、浪岡多美子、足柄加寿子、富田林留美の三人に動機について仄めか
すと、程度の差こそあれ明らかに動揺が見られた。そして、加寿子が最初に認
めた。

「当初の計画では、二人まとめて殺すつもりだったらしいんですよ」
 牛島刑事に用事があるからと、帰路に同行してくれた地元刑事が、車中で詳
細を語る。大塩はやりきれない気持ちを抑え、耳を傾けていた。
「侵入してきた強盗にやられたと見せ掛けるつもりで、勝手口も開けていた。
ところが、足柄祐司をスパナで殴りつけたはいいが、絶命までには至らなかっ
た。そのとき、血が飛び散って、怖じ気づいたようなんですね。とどめを刺そ
うにも、返り血を多く浴びては誤魔化すのが困難になる。浪岡勝助の方は、二
人掛かりで首を絞めて絞殺したんだから、もう一人も絞殺でという発想は浮か
ばなかったのか、殴った上に首を絞めたのでは、殺人が主目的だと疑われ、強
盗の仕業に見せ掛けるのに都合が悪いと考えたか。とにかく、その場では殺さ
ないと決め、代わりに殺人の濡れ衣を着せてから、改めて命を奪おうと計画変
更した」
「それがあのシンプルな密室につながるんですね。でも、トリカブトの毒は?」
「あれは、富田林が昔から秘蔵していた代物でした。あのお手伝い、前夫と死
別しているのですが、これがどうも怪しい。トリカブトを使ったかもしれんと
いうことで、洗い直しています。今回の殺しに最初、毒を使う予定がなかった
のは、前夫と似た状況で死人が出ては、怪しまれると考えたためだと白状して
ました。ただ、計画が失敗したとき、自殺のために準備していたと。下手な追
い詰め方をしていたら、死体が増えていたかもしれなかった」
 説明を聞き終わり、大塩は嘆息した。窓外を流れる景色を、見るともなしに
見ていると、またため息が。
「殺し殺されるなんて事態になる前に、話し合いが持てなかったんでしょうか
ね」
「さあて、第三者には窺い知れんところがありましょうし。浪岡氏は昔風の、
いわゆる男尊女卑的な考えの持ち主だったという話も、ぽろぽろと漏れ聞こえ
ていますからねえ」
 旧く悪しき考え方と別れられなかったのか。男女の仲の別れを認めるだけで
も、認識を新たにできなかったものか。その役目は、足柄君が負うべきだった
のかもしれない。
 よきパートナーを失った大塩平一は、深く長い吐息を重ねた。

――終わり





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