#331/566 ●短編
★タイトル (AZA ) 08/01/25 22:31 (443)
お題>計>数合わせ 寺嶋公香
★内容 09/12/23 22:47 修正 第3版
「――えーっ、来られないって?」
突然、隣の町田芙美が大声を出したので、純子は身体をびくりとさせてしま
った。日曜日、時刻は午前九時過ぎ。シネマコンプレックスの入ったビルの前、
人の出入りは多く、騒いでもさほど目立たないからいいようなものの。
携帯電話を手に、町田が話す相手は井口久仁香。待ち合わせ場所に、約束の
時間から十分過ぎても現れず、心配し始めた頃、向こうから掛かってきたのだ。
「何で? ――あ、それは……仕方がないわね。うん。いいよいいよ。こっち
は大丈夫。何なら、違う日に変えてもいいし」
断片的に聞こえてくる内容から判断すると、やむを得ない理由で来られない
ようだ。
「うん。純には伝えておくから、早く行ってあげて。会ったことないけど、お
大事にって」
最後にそう言って、電話を切った町田。非常に気になるフレーズによる締め
括りに、純子の声がどもる。
「な、何があったの?」
「今朝、出掛ける間際になって、入院中のおじいさんの容態が急に悪くなった
っていう知らせがあったんだって。それで、家族揃って病院に」
「そうだったの……。私も電話で一言ぐらい話したかった」
「ごめんね。慌ただしい空気だったもんで。純てば、心配性なとこあるし、感
情移入しちゃって長引くと、迷惑になっちゃうでしょ」
「それにしたって――いや、そうかも」
自己分析して、納得する純子。次に会ったとき、忘れずに聞こうと記憶を刻
んだ。
「さて、どうする?」
左手首を返し、腕時計を見ながら町田が聞いてきた。
「さっきの電話では、映画観るのを別の日にしてもいいとか言ったけれど、考
えてみれば、純の暇なときが休日と重なるのって、なかなかないんだよね。そ
の上、学校が違うと、連絡を取り合うのだって一苦労」
「それはそうだけど」
友達の祖父の容態が悪いと聞いた直後ということもあり、映画を観る気分で
なくなりつつある。そんな気配を読み取ったか、町田が努めたような明るい調
子で言った。
「私らはどうにでもなるから、今日は映画にしようっ。観たかったんでしょ、
『影と光のダンス』」
ビル出入り口の真上、シネコンで上映中の数作品に関して、大きな看板が掛
かっている。『影と光のダンス』は三番人気ぐらいか。
「今日を逃したら、いつ観られるか分からないよ」
「うん」
「何たって、相羽君のおすすめだし」
「それは関係ないってば!」
恋人の名前を出されて、慌てふためく純子。付き合い始めてだいぶ経つのに、
この手の冷やかしにまだ慣れない。
「私も相羽君も最初から観てみたいと思ってた映画なの。都合で、相羽君一人、
先に観ただけのことよ。よかったと言っていたのは確かだけれど」
「否定しなくていいのに。とにかく、観る。決定でいいわね」
「芙美がいいのなら」
「主体性がないなあ、もう」
純子の腕を引っ張り、歩き出す町田。中へと入り、シネコンのあるフロアま
でエレベーターで上がった。
チケットを買うため、カウンターに向かう。と、全ての窓口に長い列ができ
ていた。封切り直後の作品が多いことに加え、日曜日とあって、朝から盛況で
ある。いくら純子がちょっと芸能関係の仕事をしているからと言って、特別扱
いされるはずもなく(そもそもしてもらうつもりもないが)、最後尾に二人で
付く。
「あ。しまった」
料金表を眺めていた町田が、不意にそうこぼした。「どうしたの」と聞く純
子へ向き直る町田・その表情は随分と渋い。
「友情プライス、あてにしてたのに、計算が狂った」
「友情プライスって?」
「おや、知らない? ほら、あそこに書いてある」
町田の指差した方角には、料金システムを説明する掲示板が。その中ほどに、
サービス料金一覧があり、友情プライスというのはその一つであった。
高校生友情プライスが正式名称で、高校生(高専生を含む三人以上)が、同
作品同時刻上映の映画を観る場合に限り、一人当たりの料金が五百円値引きさ
れるサービスとのこと。もちろん、学生証の提示が必要だ。
「いいサービスだと思うでしょ?」
「うん、千五百円が千円になるのは大きいね、確かに」
「久仁香を入れて三人だから、ちょうどいいなと思ってたんだ。すっかり、忘
れてた。どうしよう……郁を呼ぼうかしら」
「デートの邪魔をしちゃだめだよー」
中学までの仲良し四人組のもう一人、富井郁江はボーイフレンドとデートの
約束が先にできていたため、映画鑑賞の誘いを泣く泣く断ってきた経緯がある。
「いや、デートは昼前からだと言っていたから、時間的にはぎりぎり観られる
かも……」
「芙美ったら、だめだってば。第一、ここまで来る時間を含めないと」
「そっかあ、もう間に合わないな」
がっくりと肩を落とす町田。行列が少し進んだのにも気付かないぐらいだ。
進むように促してから、純子は言ってみた。
「もしかして、千円ぴったりしか持って来てないとか……」
「それはないけどさ。色々と買いたい物があって、ちょっとでも節約したいと
ころなんだよね。かと言って、まさか、久仁香に損失補填してもらうわけにも
いかない」
「じゃ、じゃあ、私が」
「だめ。それはだめ」
値引き分の五百円を出そうかと皆まで言う前に、町田にぴしゃりと言われて
しまった。
「純、あんたがどれだけ稼いでいるとしたって、甘えることはできません。そ
りゃあね、帰りの電車賃がないとかだったら、貸してもらうけれど、今の状況
はそういうのじゃないから」
「でも、今日は結果的に、私に付き合ってもらってるわけだし……」
「いいからっ。それより、名案が浮かんだわ」
早口で答えると、町田は額に片手で庇を作るポーズをし、フロア全体を眺め
渡した。
「何やってるの、芙美?」
「黙ってて。見分けるのって、結構難しいんだから」
「……もしかして、高校生のお客を見付けて、引き込もうとしてる?」
「察しがいいわ。そゆこと」
「や、やめようよ〜」
思わず、町田の手を取る純子。相手は「どうして」と不思議そうに見つめ返
してきた。
「どうしてと言われたら困るけど……知っている人ならともかく、見ず知らず
の人に声を掛けるなんて」
純子の返事にかまっていられないのか、町田は一人、ないしは二人組の高校
生を探し続ける。と、サーチライトめいた彼女の動きが止まった。その瞬間、
「ふふふ」と笑う声がしたような。
「純」
「はい?」
「知っている人ならいいのよね」
「え……言ったけど、でもあれは言葉のあや……」
悪い予感に口ごもる純子。果たして、予感は的中した。
「いたわ。知ってる顔が。数合わせしましょ」
町田が身振りで示した先では、高校生らしき四人の男子が輪になって話し込
んでいた。皆、似たような背格好で、一人は学生服、他の三人は思い思いの私
服姿だ。その学生服姿がさらさらの前髪を何度もかき上げつつ、「だましたね」
と食って掛かっている。
「サービスを受けるためには、制服じゃないとだめだなんて、嘘じゃないか」
「まさか本気にするとは思わなかった」
若干パーマの掛かった頭が特徴的な、細い目の男が宥めている。その横で、
薄茶のサングラスを掛けた男が。「悪いな。俺の発案だから、苦情は俺に言え
って」と軽く頭を下げている。残りの一人は、はだけたロングコートのポケッ
トに両手を突っ込み、我関せずといった風に斜め上を見据えていた。
彼らの間に漂う空気は険悪といったムードではなく、いつものパターンらし
いと推測できる。
「同じクラスの男子達だよ。向こうも友情プライスを活用するつもりみたいだ
けど、四人いるのなら問題ないわね」
説明を終えると、町田は一歩を踏み出しかけて、ストップした。
「場所取り、お願い」
「う、うん」
そして改めて、小走りでスタートを切る。途中で声を掛けるのかと思いきや、
急にスピードを落としてそろそろと近寄り、サングラスの男子の肩を、後ろか
らぽんと叩いた。
「那須(なす)君」
「な――お、町田さん? 何してるんだ、こんなとこで」
「映画を観に来たに決まってるでしょうが」
振り返った那須に対する町田の口ぶりは砕けていて、遠慮がない。単にクラ
スが同じというだけでなく、普段からそれなりに会話する程度には仲がいいよ
うだ。
「何の映画?」
パーマ頭の質問に、「『影と光のダンス』よ」と答え、続けて聞き返す町田。
「木暮(こぐれ)君、もう観た? 観たんだったら、評価を教えてくれないか
しら」
「まだ。その作品は優先順位、だいぶ下だなあ。いくら映画好きでも、新作ラ
ッシュのこの時期、予算が足りやしない」
「ファンタジー色の悲恋物だっけ。ということは、今日は彼氏と?」
今度は、さらさら前髪の学生服男子が尋ねる。町田は即座に首を横に振った。
「残念ながら、中学のときの女友達と二人で。最初、三人で来るつもりだった
んだけれど、一人が急用で来られなくなってさ」
町田はここからが本題とばかり、那須達に一歩詰め寄った。
「そっちは何を観に来たの?」
「『かわせみのとぶ頃に』。夏に公開しろってんだ。季節感がない」
那須の力説をスルーして、町田は胸の前で腕を組む。
「そっかー、『かわ頃』なのね。残念」
「何が残念なんだ」
「すんなり収まりそうにないから。そこで相談なんだけど」
「分かるように言ってくれって。何が、『そこで』なんだ?」
「さっき言ったように、私達は三人の予定が二人になった。高校生友情プライ
スが無理になったわけ」
「そりゃ残念だな。でも、俺達と関係ある話か?」
「そっちは四人いるじゃない。一人、貸して」
両手を合わせ、小首を傾げる町田。純子の位置からはよく見えないが、表情
は最高の笑顔を作ったようである。
「貸して……って」
那須と木暮とさらさら前髪が、怪訝そうに顔を見合わせた。最前から黙った
ままのもう一人も、身体の向きを換えて、町田の方を見やる素振りをした。
「そっちは『影と光のダンス』を観るんだろ? 違う映画じゃ話にならない」
「『かわ頃』にするんなら、六人一緒に券を買えばいい」
那須、木暮の順に言った。町田はお願いポーズを崩さず、「だから、一人だ
け、今日は泣いてもらいたいの」と応じる。
(やっぱり……)
純子は無理な要求をする町田を見て、嘆息した。交渉が長引くのは確実な上、
成立する可能性は極めて低い。このまま列んでいても、買うに買えないと思い、
純子は列を離れた。多少迷った後、町田達の輪に加わろうと決める。
「芙美、あの――」
近付きながら声を掛けようとした矢先、町田が振り返った。その場で足を止
めると、手招きされた。
「ちょうどよかった。紹介しようと思っていたところ」
「――涼原純子です」
流れのままに自己紹介。白のベレー帽を取って、お辞儀する。相手からの自
己紹介がすぐに返ってくると思いきや、しばらく間ができた。
「……」
那須が口を半開きにし、何か言おうとした。目線を純子から町田に移し、や
っと声が出る。
「ほんとに知り合いか?」
「何で疑うのよ」
「レベルが段ち、いや、町田さんも美しいでございますけれど」
「わざとらしいフォローが余計」
町田が那須の脇腹に肘打ちを食らわす間に、木暮が細い目をいっぱいに開き、
「どっかで見た覚えがあるような」と、純子をしげしげと見る。
それを聞き付けた町田が、自慢げに胸を張った。
「あってもおかしくないわ。モデルやってるんだから」
「モデル。道理できれいだと思いました」
と、納得したのはさらさら前髪の男子。名前をまだ聞いていない。木暮の方
は、依然として首を捻っている。
「他にも何かで見たような気がする……」
「まあまあ、そんなことよりも、さっきの話、決めてくれないと。上映時間が
段々、迫ってきてるわよ」
「うーむ。最初、聞いたときはばからしいと思ったが、涼原さんと一緒に観ら
れるのなら、気持ちが揺れ動くな」
那須の口調は、半分本気、半分冗談といったところか。最初の動揺は既に去
ったと見える。
「ただ、俺って『影と光のダンス』、二回目になっちまうんだよね。公開初日、
姉貴に付き合わされて、半ば無理矢理に。もういっぺんぐらい観てもいい映画
ではあるけど、二本観るには時間も金もないしさ」
木暮が「俺も一緒に観たいのは山々だけど」と同調の後、さも無念そうに付
け加える。
「今日は『かわ頃』を観ないといけないんだよ。映研の会誌に書くネタ、予告
しておいたもんで。友利(ともり)は?」
「僕だって、女の子と一緒に観る方がいいに決まってるけど」
前髪さらさら男子は、友利という名だと分かった。四人の中では線が細く、
一番幼い感じがある。
「今日だけは別。だまされて制服着てきた上に、観たい映画をパスするのは、
いくら何でも嫌だよ」
「おまえはそうだろうな。となると」
那須がロングコートの男子に顔を向ける。
「氷沼(ひぬま)はどうよ?」
問われた氷沼が初めて口を開いた。今まで背を丸め気味だったらしく、身長
が高くなったような印象を受ける。近くで見ると骨太な体格をしており、短く
刈った髪のイメージと合わせて、スポーツマンを思わせた。
「どちらでもかまわん。元々、何の映画でもよかったし、那須達がパスするの
なら、俺しかいないんだしな」
「大丈夫? 女嫌いでならしているのに」
友利が変な理由で心配するのを、氷沼は鼻で笑った。
「勝手なイメージ、作るな。今は少し……慣れていないだけだ」
そう答えると、氷沼は町田と純子に身体を向けた。
「頭数が揃えばいいんだろ?」
「それで充分よ。引き受けてくれる?」
町田の最終確認に、氷沼は再度、那須達三人に目で尋ねたあと、OKした。
「ありがとう、助かるわ」
「念のために聞くが、終わる時間はどっちの映画が早いんだ?」
「えっと」
町田と那須が反応し、肩越しにカウンター方向を見るが、彼らよりも先に、
木暮が「『かわ頃』が二十分ほど早い」と答える。
「おまえ達、置いていくなよ」
「ああ。時間を潰すところなら、いくらでもある」
「よし、待ってろよ」
氷沼は念押ししてから、純子の正面に立った。
「まだ名乗ってなかったな。氷沼吉彦(よしひこ)だ。今日一日だけだが、よ
ろしく」
「よろしくお願いします。あの、ごめんなさい。観たくない映画に無理矢理付
き合わせて……」
「しょうがない。町田さんの経済感覚には感心する」
ぶっきらぼうな調子で言って、町田へと顎を振った氷沼。
「そういや、俺達も自己紹介しないと。このチャンスを逃すのは、激しくもっ
たいない」
他の三人も相次いでフルネーム――那須頼梧(らいご)、木暮邦明(くにあ
き)、友利和行(かずゆき)――を口にした。
「俺としては、今日一日なんて言わず、末永くお知り合いになりたいね」
調子付いた那須の相手をする余裕はなく、純子と町田はお金を預かると、人
数分の券を買いに走った。
やや前寄り、左端から三人並んで席に着いた。通路側から、氷沼、純子、町
田の順番である。面識のある町田と氷沼が隣り合うのが通常だろうが、町田の
「氷沼君も、より美人の隣がいいでしょ」の一言で、こうなった次第。
「ただし、純には彼氏がいるからね」
「言われるまでもない。いて当然だ」
両隣の二人の間で交わされる会話に、純子は冷や汗を感じつつも、言葉を挟
めないでいた。仕方なく、スクリーン――近日上映作品の予告や注意事項――
に見入る。
「那須達がうるさいだろうから、聞いておきたいんだが、このあと、町田さん
達二人はどうするつもりでいる?」
「そうねえ。買い物の予定はある。でも、お礼がてら、お茶に付き合うぐらい
なら。お茶といっても自販機だけど。ねえ、純?」
「うん」
答えてから、ちらと左隣の氷沼を見る。スクリーンの光に照らされた横顔は、
どことなくほっと安堵したようだった。
「なら、俺が今、あれこれ聞かなくていいな」
ぼそりとした声だったが、町田は聞き逃さない。
「どーゆー意味?」
「さっき言ったつもりだが。こちらの涼原さんについて何も聞き出せずに戻っ
たら、あいつらがやいのやいのとうるさい」
「あら。心配せずとも、私に聞いてくれたら答えてあげるのに」
「ふ、芙美〜」
「もちろん、純が許す範囲でね」
ぐったりして、肩を落とす純子。高校が別々になったため、以前に比べると
一緒にいる時間が減った。そのせいか、町田ののりについて行くのは疲れる。
「ところで、どんな映画なのか知らないんだ。予備知識がないと無理なタイプ
なのか?」
氷沼がどちらともなしに聞いてきた。
「こっちを観ると決めてから、そういうこと聞くとは」
町田の第一声は、あきれた響きが強い。ため息を交え、言葉をつなぐ。
「連ドラの映画化じゃあるまいし、問題ないと思うわ。分かる人にだけ分かる
ギャグとかはないはずだし、架空の世界の話だから、大げさな教養が必要って
こともないでしょ」
「なら、まあいい。ジャンルは恋愛物ってのが、やばそうだ。眠たくなる恐れ
あり」
「寝るのはかまわないけど、微動だにせず、静かにやってよ。いびきをかいた
り、舟を漕いだりしないように」
「無茶を言うな。いびきはないが、微動だにしないってのは無理だぜ。寝たら
起こしてくれ。出て行くから」
「途中退出も迷惑――」
町田の話の途中で、予告などの映写が終わり、静寂が訪れた。本編が始まる
兆しに、そのまま黙り込む。純子も氷沼も姿勢を正し、スクリーンを見上げた。
〜 〜 〜
月明かりに照らされた山、森、そして深夜の街並み。コントラストのはっき
りした美しいカットの連続で、映画は始まった。
『影と光のダンス』、そのストーリーの中心をなす図式は、至って単純。対
立する二つの家の息子と娘の恋愛という、古くからあるパターンのちょっとし
た変形だ。
具体的な地名や年代は出て来ない。舞台は欧州の小国といった風情。時代は
推測しづらいが、自動車や電話がまだない頃らしい。
小さな嘘と小さな裏切りによって、現在の地位と財を築いたランドール家。
その踏み台になり、今は没落したかつての名家コルトス一族。
ランドールの次期頭首と目されるレオン青年と、姓まで失ったがコルトスの
血を受け継ぐ最後の少女リシュリー。二人の偶然の出会いと一目惚れから始ま
る物語は、まず、リシュリーが自らの出自を知ることで波立つ。彼女に敵討ち
の念はないが、打ち明けるか否かを迷う。一方、レオンも近しい者よりリシュ
リーの出自を知らされるが、胸の内に仕舞って関係を続けようとする。が、迷
っていたリシュリーが、“レオンが知ったこと”を知り、黙って去ろうとする。
そんなシーンが終わろうかという矢先。
だいぶ早くから涙ぐむのを自覚していた純子は、いよいよ危ないと意識した。
曲がりなりにも、自分自身が映画やドラマに出演するようになって以降、こ
ういった作品を分析的に観る意識が芽生えたが、この映画には、役者のうまさ、
演出の妙もあって、引き込まれていた。
膝上に置いたベレー帽、その下に用意しておいたハンカチを持ち直す。
そのとき、隣の氷沼が、ごそごそとコートのポケットを探る動作をした。町
田の言いつけを守ったわけでもあるまいが、映画が始まってからじっと動かず、
左肘をつく格好で観ていた。その氷沼が、ここに来て急に動いたのだ。気にな
ってしばらく窺っていると、やはりハンカチらしき物を取り出し、顔を覆わん
ばかりに宛がうのが分かった。
(もしかして、泣いてる?)
彼の右手が邪魔になって、表情までは見えない。何となく、涙をこらえる音
がするような。
純子には、氷沼が恋愛物を観て泣くタイプには見えなかった。それだけに驚
かされるとともに、嬉しくもなった。無理に映画を変更させた負い目が、ちょ
っぴり解消される。
(泣くのを、隠さなくていいのに……。でも、らしいと言えばらしいかも)
知り合ったばかりの氷沼に、そんな感想を抱く自分がおかしかった。
頭を切り替え、映画に再び集中する。
リシュリーを連れ戻したレオンは、将来の妻として親族に紹介するが、彼女
の出自は伏せた。レオンの両親を始め、皆から祝福される二人。だが、リシュ
リーの秘密を知る者はゼロではない。彼らは、リシュリーには、ランドール家
を乗っ取り、復讐を果たすという底意があるのではと疑う。そして、正式に結
婚が決まろうかというとき、判断を仰ぐとの名目で、現頭首に報告。頭首は悩
んだ末に、リシュリーを信じる。因縁が精算されることを願って。
先々代よりランドール家に仕える者達は、この判断に危機感を募らせ、式前
に、落石事故を装ってリシュリーを亡き者にしようとする。しかし、結果は皮
肉なことに、リシュリーは無事、彼女を庇ったレオンが大けがを負った上に、
記憶喪失になってしまう。
そして――。
〜 〜 〜
「思っていたよりよかった。眠たい場面もあったが、眠りこけなかったしな」
上映が終わり、ホールを出たところで、先頭を歩いていた氷沼がつぶやくよ
うに言う。
「けど、クライマックス手前、不条理というか、理不尽というか」
「こらこら。この場で内容に触れ過ぎてはいけない」
広い廊下に出て、三人横並びになると同時に、町田がストップを掛ける。
「次の回のお客さんが、周りにたくさんいることを忘れないように」
「あ、そうだったな」
そう答える氷沼は、心持ち顔を逸らしている。目も見上げ加減だ。
純子は、彼の手にハンカチが見当たらないことを、心に留めた。
(男の子って大変だなぁ)
さっき、泣いていたことには触れないでおこうと決める。そして、今ここに
はいない恋人に、思いを馳せる。
(相羽君が先に一人で観たのも、泣いてしまうのを予感していたからかも。聞
いてみようかな。でも、もし当たっているのなら、聞かない方が)
「氷沼君」
「うん? 何?」
呼び掛けてもまともに振り返らない日沼に、純子は提案をする。
「眠たいのを我慢していたから、頭がぼんやりしてるんじゃない? みんなと
会う前に、顔を洗ってすっきりさせた方がいいかも。私達はロビーで待ってい
るわ」
「……そうだな」
氷沼は足を止め、洗面所を探した。すぐに見付かる。そちらへ一歩を踏み出
そうとした刹那、彼が純子に言った。
「涼原さんて、性格いいんだな」
「――あはは。そう言われて認めたら、性格よくない気がする」
「それもそうだ」
急ぎ足の氷沼を見送って、ロビーにゆっくり向かう。町田が不思議そうに聞
いてきた。
「何の話してた?」
「観ているとき、芙美は気付かなかった? じゃあ、黙っておかなくちゃ」
「うわ、気になる――って言っても、純のことだから、口を割らないんでしょ
うねえ」
返事に替えて微笑し、純子は歩を進めた。
* *
夕方、町田の携帯電話が鳴った。ちょうど、自分の部屋で明日の予定をチェ
ックし終わったところだった。
那須頼梧からと確認し、出る。こちらが喋る前に、向こうの「町田さん?
今日はどーも」の声が届いた。
「いやいや、どういたしまして。それで、どうだったのかな」
「つか、それよりも何よりも、まじで驚いたぜ。確かに、一番美人でかわいい
子をと頼んだが、町田さんの知り合いならだいたいの想像は付く……そう思っ
ていたら」
「失礼なことを口走らない内に、話題を換えた方が吉かもしれないわよ」
「これだけは言わせてくれ。彼氏持ちでなけりゃ、俺が付き合いたい」
「それだけは絶対だめ。無理」
言葉の出だしを真似て、一蹴する町田。舌打ちが小さく聞こえた。
「俺じゃ役者不足ってか」
「そういうんじゃなくて、あの二人は二人で一つだからよ」
「その割に、今日、映画に付き合わなかったじゃねえか、彼氏の奴」
「お互いに忙しい身なのよね。でも、常に一緒にいるんだな、これが」
「わけ分かんねーっ」
頭をかきむしるような音が聞こえた。相手の愚痴が収まるのを待って、町田
を尋ねた。
「で、わざわざ電話をくれたからには、首尾を教えてくれるんでしょ。氷沼君
の女嫌いは治った?」
元々、今日のことは、那須から持ち掛けられた話がきっかけだった。少し前
に手ひどくふられて以来、女性不信の気が目立ち始めた氷沼を元通りにしてや
りたい。いい子がいないかなあ、と。
心当たりのなかった町田は、純子を思い浮かべつつ、「とびきりいい子がい
るけれど、残念ながら恋人がいるわよ」と答えておいた。那須は食い下がり、
「本当にとびきりいい子なら、その子と彼氏の仲のいいところを見せてやるだ
けでも、女性不信の解消になるんじゃないかな」云々と言ってきた。那須当人
にも、「とびきりいい子」を見てみたい気持ちが芽生えたようで、とにかく熱
心だったのだ。
町田がセッティング役を引き受けたのは、友達思いの那須の熱意に折れたの
ではなく、ちょうど純子と映画を見に行く約束ができていたから。ただし、そ
の時点で既に相羽を引き込むのは不可能と承知していたため、純子の隣に氷沼
を座らせるぐらいしかできないと言ったら、全然かまわないとの返事。
それからいくらかの変更を経て、那須の立てた計画――高校生友情プライス
作戦――が実行に移されたのである。
「計画した俺が言うのも何だが、多少の効果はあっても、今日の今日で治るは
ずがないと思っていた」
「ほう。じゃ、やっぱり、那須君も純子目当てだったのかね」
「認める。だが、実際に効果あったみたいだから、驚きだよ」
「へえ?」
町田も驚いた。
「氷沼の奴、何て言ったかな。大げさに『世の中、捨てたものでもない』とか
言ったあと、『探せば、ああいう女子もいることだし』と付け加えた」
どうしてだか、侍のイメージが浮かんだ町田。苦笑をこらえながら、「あん
たの友達は極端なのが多いみたいね」と評しておく。
「ま、成果が上がったと聞いて、ほっとした。こっちも友達を二人、巻き込ん
だんだからね。久仁香には嘘までつかせちゃって、ほんと、心苦しい」
「いやはや、感謝してます、町田さん。この埋め合わせは必ず」
「あら、どんな形でしてくれるのかしら。那須君とデートしてもしょうがない
からなあ」
釘を刺すと、向こうから、「うっ、読まれたか」というつぶやきが。
「ぶっちゃけついでに聞くけど、町田さんに彼氏がいるっていうのは、本当な
のかね」
「――」
一瞬、息を飲む。慌てふためきそうなところを踏ん張り、なるべくさり気な
い口調を心掛けた。
「もちろん、本当よ。ばかだけどね」
――おわり