AWC お題>甘い>味付けされた部屋  永山


        
#308/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  07/01/07  21:22  (255)
お題>甘い>味付けされた部屋  永山
★内容
「富島君、今何時だね?」
 本格的な冬の到来を感じさせる十二月のある日、文字通りの重役出勤をして
きた上沢社長から問われ、秘書の富島悦子は時計を見た。
「十一時四十五分です」
「そうか。いや参ったよ」
 上沢は富島の机に片手をついた。時刻のずれた腕時計を示しつつ、経緯を話
す。
「考え事の最中に腕時計を何となく触っていたら、竜頭を引っ張ってしまった。
その拍子に針も動いたようで、気になっていたんだ」
 そうして富沢の机にある置き時計を見ながら、時刻を合わせる。
「おお、そうだ。正午になったら、鈴木隆司さんのところに電話を入れてくれ」
「分かりました」
 念のためにメモ書きをし、目に着きやすいところに張る富島。
 その間に上沢は社長室に入った。
 社長といっても大企業のそれにあらず。中堅の洋菓子メーカーで、出社も車
を自ら運転してくる。現社長は二代目である。外見はとても“スイーツ”なん
て柄じゃなく、ちょび髭でも生やせば漫画に出て来る二枚目気取りの成金が完
成!といったご面相なのだが、中身の方は、仕事にそれなりの情熱を持ってい
る。ただし、洋菓子作りではなく、利益拡大に、であるが。今はインターネッ
トでの販売を伸ばそうと、あれやこれやと手を尽くしている。
 先程、富島が電話を頼まれた鈴木隆司なる人物も、その戦略のためのターゲ
ットの一人だった。鈴木の妻と娘が考案・開発した洋菓子“シュネビッチェン”
は、かつて人気を博したが、現在は幻の品となっていた。母娘が交通事故で亡
くなったことをきっかけに店をたたみ、シュネビッチェンのレシピを知る者は
鈴木隆司だけとなったためだ。
 この話を聞き及んだ上沢は、シュネビッチェンを自社ネットショップの目玉
にしようと目論み、部下を日参させたが、好条件を示しても鈴木は首を縦に振
らなかった。母と娘が生み出した味を思い出とともに仕舞い込んでおきたい、
という心境が理由らしい。上沢社長自らが交渉に乗り出して一ヶ月弱になるが、
相手の気持ちを動かすことはまだできないでいる。
「――そろそろだわ」
 時計を見、次に電話番号を確かめる富島。十二時になるのを律儀に待って、
ボタンをプッシュした。すると通話中の音が聞こえてきた。送受器を戻し、三
分待って掛け直すが、やはり通話中。もう三分、間をおいて、今度はリダイヤ
ルではなく改めて押し直してみたが、結果は同じだった。
 富島は内線を使い、社長に連絡した。
「鈴木さんへの電話ですが、三度掛けましたが、ずっとお話中です」
「そうか。ふむ、どうするかな。こっちの用事も外せないし」
 内線通話の切れる音がし、上沢が社長室から出て来た。
「富島君、昼時に済まないが、この書類――計画書なんだが、これを鈴木隆司
さんのところへ届けてくれないか。届けたらそのまま食事に行ってくれていい」
 手には大型の茶封筒がある。富島は受け取りながら応じた。
「はい、かまいませんが。お渡しするだけですね」
「ああ、そうだな……中を見てもらって、もう一度考えてほしいとだけ伝えて
くれるかな」
 言いながら、上沢は財布から一万円札を一枚取り出し、富島に握らせた。
「タクシー代プラス昼飯代プラスアルファだ」
 いつになく気前のいい社長に、富島は眼鏡の奥の目を丸くしたが、そんな表
情は一瞬で引っ込める。礼を述べてありがたく受け取ると、書類をしっかりと
抱えて部屋を出た。

「遺体発見は十二時二十分頃ということです」
 こちらが第一発見者の富島悦子さんですという説明のあと、付け加えた部下
に、飛井田警部補は渋い表情をなした。
「おいおい、仕事を取らんでくれよ。あとはこっちで聞いとくから」
 部下を下がらせてから飛井田は第一発見者という女性に向き合った。眼鏡を
掛け、暗色系のスーツが似合うその容姿から来る先入観を払拭し、質問を始め
る。彼女の職業に始まり、鈴木隆司宅を訪ねたいきさつ、時刻、どこからどう
やって来たのか等を聞き出した。
「――それで、鍵が掛かっていなかったので、封筒だけでも置いて行こうとド
アを開けたら、この有様だったんです」
 鈴木隆司の暮らしていたマンションの一室を、廊下から顎を振って示す富島。
飛井田としても廊下のような人の行き交う(加えて寒い!)場所で事情を聴く
のは避けたいのだが、殺害現場となった被害者宅は至るところに生クリームや
ジャム、ハチミツといった食べ物が塗りたくられており、落ち着けない。重要
な証拠かもしれぬクリーム等に触れないようにするためにも、廊下に出るしか
なかった。
 尤も、気温だけに拘るのであれば、室内も暖房は入っておらず、窓から僅か
に日が差し込む程度だったので、大差ないと言えよう。
「こちらを訪ねるのは初めてですか」
「いえ。以前、社長のお供で何度か」
「鈴木さんは部屋に普段からこのようなデコレーションをしていた、なんてこ
とはないでしょうなあ」
「もちろんです。ありません」
 証人からあきれたような視線を受け、飛井田は自嘲の笑みをこぼした。
「ああいうクリームとかバターとかジャムとかは、犯人が持ち込んだんでしょ
うかね?」
「さあ、それは分かりかねますが……鈴木さんのお宅には元々、お菓子作りの
材料は揃っていたはずです」
「ほう。奥さんと娘さんを亡くし、店を閉めたあとでも、そういった物を。意
外ですな」
「ご家族を亡くされてから洋菓子作りをするようになったそうです。お店を継
続したいということではなく、商売とは関係なしに味を守っていきたいと考え
られたようで。奥さんの作ったお菓子と同じ味を味わいたい、というのもあっ
たかもしれません」
「こだわりを持っていたんですな。私が亡くなったとして、うちの奥さんがそ
こまで思ってくれるかどうか……。ああ、失礼。脱線してしまった。あなたは
よくご存知ですね、鈴木さんのことを」
「それは、社長の交渉に同席させていただいたからですわ。社長がどんなにい
い条件を提示しても、あの人は承知しませんでした。そのときに、色々と話を
聞いたので」
 飛井田はコートのポケットに両手を入れ、首をすくめながらうなずいた。
「なるほど。最前から気になってたんですが、社長の上沢さんは今、どちら?」
「遺体を見付けて警察に通報したあと、社長の携帯電話に連絡を入れました。
別の商用で人と会っていたようです。連絡を取りましょうか」
「いえ、必要が生じてからで結構。上沢さんがご執心だったレシピがどこにあ
るか、あなたはご存知ですか」
「いいえ、全く」
 きっぱりとした即答に、飛井田は彼女への疑いを徐々に弱める。
「クリーム等とは別に、室内が荒らされているようなんですが、あなたはどこ
にも手を触れていませんね」
「もちろんです。お疑いでしたら、身体検査でも何でもなさってください」
「まあまあ。したくても、今は婦人警官もいませんし」
 持ち運び可能なハンディコピー機や携帯電話のカメラ機能を使えば、レシピ
を写し取ってデータを保存しておくことだってできる。ここで議論してもあま
り意味がない。
 勝ち気な口調になった富島を身振りを交えて宥めると、飛井田は再びポケッ
トに両手を戻した。
「インターネットに出店というのは、うまく行ってるのですかな。私はよく分
からんのですが」
「元々、諸経費を抑えられることが大きな魅力の一つですから、売上げ云々よ
りも宣伝効果に重点を――」
「要するに、平凡な売上げにとどまっているのですな。で、目玉商品がほしく
て被害者のところに足繁く通っていたと」
「それは」
「ネットじゃない方の売上げはどうなんです? 苦戦していたんじゃないかと
思うんですがね」
「……会社のことはもう答えません。事件に関係あるとは思えませんから」
 視線を外し、顔も横を向いた富島。飛井田がさてどうしたものかと頭をかい
ていると、部下が玄関口で呼んでいる。
「ちょっとお待ちを」富島の前を離れ、部下の方へ行く。すると、小声で死亡
推定時刻の見込みを伝えてきた。
「被害者が絞殺されたのは、十一時から十二時までの間だろうとのことです。
可能性が高いのは、十一時二十分から半まで」
「そうか。……うん? さっき証人から聴いた話と食い違うような」
 鼻の頭をこすりながら、振り返った飛井田。富島の正面に戻るまでの数秒間
で質問を考える。
「富島さん、ここへ来る前に電話をしたんでしたよね」
「はい、そう言いましたけれど、それが何か」
「時刻は正午で、話し中だった」
「ええ」
「うーん、おかしいですなあ」
「何がです」
 突っ慳貪になっていた富島の口ぶりが、また元通りになってきた。飛井田は
次の台詞を内緒めかした。
「これ、本当は秘密なので、他言無用に願いますよ。先程、怒らせてしまった
お詫びも兼ねて、特別に明かしますが、鈴木さんが亡くなったのは正午よりも
前なのはほぼ確実と出ました」
「そんなはずは……話し中でしたのに」
「私、現場をざっと見て回りましたが、電話の送受器はきちんと収まっていま
した。電話はクリームまみれだったが、機能は多分、大丈夫でしょう」
「故障じゃないとしたら、一体……私が掛け間違えたと思ってらっしゃる? 
ちゃんとボタンを押し直したのだから、続けて間違えるはずはありません」
「はい、あなたの言葉を信じます。むしろ私は、犯人が現場に残っていて、外
れていた送受器を戻したんじゃないかと考えてます」
 だとしたら、犯人は犯行後、三、四十分も現場にとどまっていたことになる
のが不可解だが。部屋中にクリーム類を塗り付けるのに、そこまで時間を要す
とは思えない。
 まずは通話記録の照会だ。飛井田は心中のメモに刻んだ。

 現場に落ちていた毛髪があなたの物と一致した――取調室における事情聴取
でこの事実を突き付けられても、上沢に慌てる素振りは見られなかった。
「私の髪の毛があっても、不思議じゃあるまい。あそこには何度か行っている
のだから」
「はい。現場からはあなたの毛髪が数本見付かりましたが、ほとんどは床に落
ちていました。でもね、一本だけ、変だったんですよ。ごく短い物が、ママレ
ードジャムの上にあった」
「……」
「どういうことかお分かりですか。現場の部屋は、ジャムやクリームまみれに
なっていた。犯人の仕業と考えるのが妥当です。そのジャムが塗られた電気ス
タンドの上に、あなたの髪の毛があった。つまり、ジャムが塗られたあと、上
沢さんは現場にいたことになる」
 上沢は「なるほど」とうなずき、まるで動じた風もなく続けた。
「しかし、髪の毛なんて、ちょっとした風で舞い上がる。大方、警察の人らが
現場に出入りした際に起きた風で、元は床にあった私の毛髪が舞い上がり、ジ
ャムの上に落ちたんだろう」
「それには異議を唱えます」
 飛井田は軽く手を挙げ、穏やかに言った。上沢の眉がぴくりと動く。
「髪の毛は確かに軽く、ドアの開け閉めのときに起きる程度の風でも、動きま
す。しかし、舞い上がることはなかなかない。舞ったとしても、人の腰の高さ
にはまず届かないでしょう。ああ、問題の電気スタンドは、腰の高さぐらいの
位置にあったんですよ。綿ぼこりと一緒くたになった物ならいざ知らず、一本
の髪の毛が勝手にそこまで行くなんて、私には信じられない」
 座ったまま、大げさに両腕を開いてみせた飛井田。目はしっかりと相手を観
察している。
「……私にはアリバイがあるはずだが」
 上沢は切り札を切った。
「ここへ連れて来られる前にもそのことを主張したが、聞き入れてもらえなか
った。非常に不愉快だ」
「ええ、ええ。存じています。今からアリバイの話をしましょうか」
 飛井田は両手を机の腕で組んだ。
「鈴木さんが亡くなったのは、あの日の午前十一時から正午までの間と考えら
れます。正午過ぎに、あなたの秘書である富島さんが鈴井さん宅に電話をした
が、ずっと話し中だった。そして事件発覚後、現場にある電話は正常に切られ
た状態だった」
「犯人が電話を戻したんだ。そのとき犯人は現場にいた。同時刻、私は社にい
た。アリバイ成立だろう」
「結論を急がないでください」のんびりした口調を努める飛井田。対照的に上
沢は熱を帯びた口ぶりになっていった。
「結論を急ぐも何も、それしかないだろうが?」
「とりあえず、電話局に問い合わせをしました。問題の時間帯に、鈴木さんは
誰と話していたのか。いや、正確には、鈴木さん宅のあの電話がどことつなが
っていたのか、ですな」
「……それで?」
「最初、私はこう考えました。鈴木さんの電話は最初からずっと送受器の置か
れた状態だった。犯行を終えた犯人は外から電話を掛けた。鈴木さんはすでに
死亡しているから、電話がつながることはない。犯人の耳には、鳴り続ける呼
び出し音が聞こえるのみだ。そこへ富島さんが電話を掛ける。すると話し中の
音が聞こえるんです。同時に一つの電話番号に電話が掛かってくると、あとか
ら掛けた方には話し中と同じ音が聞こえる。犯人はこれを利用したんじゃない
か、と」
「まるで私を犯人と決めつけているようだが」
「まあまあ。結果から言うと、これは外れでした。問題にしている正午過ぎを
含む十一時半から十二時十五分頃まで、鈴木さん宅の電話はあるところに掛け
られていました。どこだと思います?」
「知るはずがないだろう」
「ダイヤルQ2でした。それもアダルト番組の。鈴木さんも奥さんを亡くされ
て、寂しかったんでしょうか。私が聞いた鈴木さんのイメージとは、ちょいと
ずれがありますが、男なんだし」
「そんな感想よりも、これで私の無実は証明されたんじゃないのかね?」
 今にも腰を浮かせようとする上沢を、飛井田は押しとどめた。
「いえいえ。このアダルト番組が、じかに女性と会話をするプログラムだった
なら、そうなりますが、テープに録音された女性の声が一方的に流れるだけの
番組だったので。犯人が鈴木さんを殺害後、ダイヤルして放っておいたとも考
えられる。そもそも、変なんですよ。鈴木さん宅の電話からダイヤルQ2が利
用されたのは、これが初めてなんです。いかにも作為的だ」
「待て、待ってくれ、刑事さん。理屈がおかしいんじゃないか?」
 ここぞとばかりに強く出る上沢。飛井田は、拝聴しましょうとばかりに顎を
引いた。
「誰が掛けたにせよ、鈴木さんの電話から発信されていたのは明らかなんだろ
う? じゃあ、私のアリバイは成立だ。私には送受器を元に戻す時間がないの
だから」
「うーん、そうですねえ」
 飛井田は唇を曲げた。笑わないように注意しながら、次の言葉を発する。
「確かに、戻す時間はなかったでしょう。けれどその代わりに、送受器を元に
戻す方法を実行したんじゃありませんか」
「……何のことだ。言っている意味が分からん。まさか、富島君を共犯と考え
ているじゃあるまいな?」
「それはありません。彼女が共犯なら、話し中だったという証言自体を我々は
疑います。そんなことになったら、アリバイ工作の体をなさない」
「だったら、一体どうやったというんだ!?」
「デコレーションケーキみたいにされた部屋に秘密があった。そうでしょう?」
 飛井田が覗き込むようなポーズで告げると、上沢は急に顔色をなくした。感
情を露わにしつつもこれまでにはどうにか保っていた自信が、どこかで切れて
しまったようだ。
「上沢さん。あなた、あの日の朝早く、アイスクリームを買っていますね。フ
ァミリーパックの大きな箱形のを」
「……」
「確認は取れてますから、返事がなくても肯定と見なして進めますよ。あなた
はそのアイスを持って鈴木さん宅を訪ねた。お土産だとでも言って、一旦、冷
凍庫に仕舞わせたのかもしれない。その後、隙を見て鈴木さんを絞殺。鈴木さ
ん宅にあったクリームやジャムなんかを取り出し、部屋の至るところにぶちま
け、塗った。それからあなたはアイスクリームを利用したんだ。手頃な大きさ
の直方体の形に切り出すと、それを電話機本体と送受器の間に挟んだ。アイス
クリームが溶けきると、送受器が元の位置に戻るように調整したのは言うまで
もない。クリームやジャム、バターの類はカムフラージュだった」
「……そこまで見抜かれているのなら、抗弁してもしょうがない」
 最後の強がりか、上沢は腹を突き出すようにして椅子の背もたれに上体を預
けた。
「アイスクリームで完全犯罪をやろうという考えが甘かったということかな」
 上沢の言葉を聞いた飛井田は、ため息をついて首を横に振った。
「刑事の前で吐く台詞じゃありませんな。梅干しを使おうが辛子明太子を使お
うが、完全犯罪なんてものはできない――と言っておきましょう」

――終





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