AWC 探偵殺し   永山


        
#259/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  04/12/30  22:56  (279)
探偵殺し   永山
★内容
  / 主要登場人物 /     金智耕五郎(かなとも こうごろう)
神栖正信(かみす まさのぶ)   鎬良子(しのぎ りょうこ)
牛深四郎(うしぶか しろう)   堀井レミ(ほりい れみ)
善田貴好(ぜんだ たかよし)   善田秀美(ぜんだ ひでみ)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 脳内の試行錯誤は何時間続いたろう。
 名探偵は孤独だった。
 テーブルに整然と並べた数十枚のメモ用紙を眺め渡し、金智耕五郎はため息
とともに腕組みを解いた。こめかみ、眉間、そして瞼の上辺りをしきりにマッ
サージする。
 二分近く続け、疲労が何パーセントか回復したような気がした。
(記憶の衰えは備忘録でカバーできるから気にしないで来たが)
 最前よりもさらに深い息をゆっくりと吐く。息に乗って苦悩が室内に満ちて
いく。
(推理力の衰えはどうしようもない……。いいや、違う!)
 思わず叫びそうになったが、まだ冷静さは残っていた。拳に力を入れるだけ
で済ませると、頭をかきむしる。
 島に着いてもう六日目。最初の殺人発生から数えても五日間が過ぎている。
島での滞在は今日を含めてあと二日。明日の午後三時には、迎えの船がやって
来る。そして、四日目までに六名の犠牲者を出した後、ここ二日は全く異変が
起きていないという事実。恐らく、犯人の殺人計画は終了したのだ。
 にもかかわらず、名探偵である金智耕五郎は真相に辿り着けないでいる。
 他の六名は、金智が謎解きを始めないのは何か考えがあってのことと信じて
いるようだ。無理もない。天下に名を知られた金智が、意味ありげに「今はま
だ話すべきときではないのだよ」と言えば、たいていの者は納得するだろう。
(私に解けない事件なんて存在しない。なに、今度は少し手間取っているが、
もうしばらくすれば天啓が閃き、一挙に解明だ)
 そう思う己に愕然するもう一人の自分がいる。
 天啓……金智が最も嫌う単語の一つだ。推理の積み重ねが全て。名探偵たる
者、幸運に期待してはならない。
「馬鹿な! これだけの手がかりを前にして」
 やはり声を張り上げずにはいられなかった。
 おもむろに机の上に身を乗り出すと、郵便番号読み取り機械みたいに、メモ
用紙の一片一片に猛スピードで目を通していく金智。若い頃、我流で身に着け
た速読術の賜物だ。
「真相を紡ぎ出せないはずがない。今からでも遅くない。そうさ、この島にい
る内に真相を暴けばいいのだから。幸い、事件はこの二日間、ストップしてい
る。これ以上の犠牲者が出ないことを見越して謎解きを先延ばしにしてきたと
いうことにすれば、私のプライドは保たれるのだ」
 金智は改めて事件の謎と真正面から向かい合った。深層心理で偶然の閃きに
期待しつつ。
 と、その矢先――部屋のドアが鳴った。
 我に返り、唇を湿すと金智はテーブル上のメモ用紙をかき集め、トランプの
ように揃える間もなくスーツの左ポケットに突っ込んだ。
「誰だね」
 落ち着き払った声を作り、扉の前まで大股で進む。年齢のせいか、腰に一瞬
の痛みが走った。
「私です。神栖です」
「神栖君か」
 安堵する金智。神栖は金智の十年来の弟子であり、事件を記録するいわゆる
ワトソン役でもある。彼以外の五人は容疑者だが、神栖はいわば身内のような
ものであり、信頼できる。
 遅い夕食後、思考に没頭したいという理由で遠ざけておいたが、今の金智に
とって話し相手の存在がとても愛おしく思えた。
 金智は警戒心を解き、鍵を開けるとドアを押した。
「何だね」
「ここではちょっと……お部屋の中で」
 廊下に立ったまま、左右を見渡した神栖。目つきが鋭くなっている。
 ふと、おかしな想像が金智の脳裏を通過した。
(まさか……神栖君が殺人犯人で、最後に私を殺しに来たのか?)
 身を固くする金智。眼前のワトソン役を素早く観察し、少なくとも鈍器や刃
物などは持っていないと分かった。だが、安心し切った訳ではない。
「金智先生。どうかしましたか」
 神栖の声に、再び我に返る。気が付くと、いっぱいに開いた目で神栖を見下
ろしていた。
「何でもない。――よかろう。ただし、話を聞くのは君の部屋にしよう。いい
かね」
「もちろん、かまいません」
 二人の他に誰もいない廊下をしばらく行くと、神栖に宛われた部屋が見えて
きた。暖かな色合いの電灯が照らす室内へ招き入れられた際、金智はドアを閉
めるか否か、迷った。
(万が一のためには開けておくべきだが……神栖君が内密の話をすると言うか
らには閉めるほかない)
 ドアをゆっくりと引いた。当然、鍵は掛けないでおく。
「とにかくお座りください」
「ああ。――さて、話を聞こうか」
 先に金智がソファに身を沈めると、神栖はテーブルを挟んで向き合う位置の
ソファに腰を下ろした。
「先生が真相を皆さんに話さないのは、深いお考えのあってのことだとは、よ
く分かっているつもりです」
 神栖は前置きなしに始めた。
「しかし、皆さんは――犯人を除いた皆さんは今も戦々恐々としています。そ
れで……差し出がましいとは百も承知で、私の口から真相を語りたいと思うの
ですが、お許しいただけないでしょうか」
「な、に?」
 絶句しそうになりつつも、最後の威厳を保つべく背筋を伸ばす金智。
 一方、神栖は師匠の顔をまともに見られなくなったらしく、膝に腕を乗せう
つむいた。それでも憑かれたように喋り続ける。
「私ごときには、真相を伏せておく理由に想像が及びません。ただただ、一刻
も早く皆を安心させたい。それだけです。先生から推理を聞かされた弟子は、
愚かにも先走って真相をぶちまける。それを先生が苦々しく思いながらたしな
めるという図式……だめでしょうか。先生のお考えに反することでしょうが、
面目は立ちます。私が泥を被れば――」
「現実味のない話だ、神栖君」
 神栖の遠慮しながらの熱弁を打ち切ろうと、金智は鋭い調子で割って入った。
「そ、そうでしょうか」
 うろたえた物腰に変化した神栖を目の当たりにし、最初の不安は全くの杞憂
だったと金智は確信した。
「アイディアとしては悪くないかもしれないよ。しかし、君は私の弟子だ。弟
子ならば弟子らしく、私の主義信条を曲げるような真似は慎むのが筋ではない
だろうか」
「それは分かっています。でも、皆さん、殺されるかもしれない恐怖に怯えて
いるんですよ? 安心させてあげたい」
 今度の神栖は、顔を起こしていた。視線はまだふらふらと落ち着かないが、
口ぶりと肩の力の入りようには気迫を感じる。
「神栖君。君はひょっとすると、鎬のお嬢さんに惚れたのではないかな」
「えっ、それは……はい」
 金智の言はただの直感に過ぎなかったが、神栖はあっさり認めた。名探偵と
その弟子という関係故だろう。
「なるほど。愛する者を思う気持ちは理解できる。だが、何と言われても、私
は時機が到来するまで真相を皆さんに話すつもりはない。無論、君にもだ」
 堂々とした話しぶりには、誰も疑いを差し挟めまい。まさか金智がはったり
をかましているなぞ、気付くはずがない。
「よって、残念だが、君のアイディアは実行に移されることなく――」
「それじゃあ、金智先生!」
 不意の大声。
 金智は声量にではなく、神栖に話を遮られたこと自体に驚きを禁じ得なかっ
た。今までになかった事態だ。
「……何だね」
 少なからずいらいらした響きが金智の声に宿る。目つきが細くなり、指が膝
を叩く。
「す、すみません。あの、先生。僕の推理を聞いてください」
「推理? ほう……」
「僕なりに考えて、推理したんです。そして一つの結論に到達しました。も、
もちろん、真実を言い当てているかどうかは分かりません。確実な証拠が見つ
からないからです。でも、理屈は通っていると自分では思っています。これか
ら僕の推理を話しますから、僭越ながらもしも先生のお考えと一致、いえ、大
局的に見て重なる部分が多ければ、先の僕の案を実行させてください。お願い
します!」
「ほう、ほう……ふむ」
 ふくろうのように反応しつつ、何度も首肯する金智。
(神栖君の推理ねえ。どうせ支離滅裂、強引で都合のよい解釈だらけの理屈だ
ろうが、聞いてみるのもいいだろう。いかにとんちんかんな発想であろうと、
今の閉塞状況を打開するヒントになるかもしれない)
 結論はこの時点で出ていた。
 金智はしかし、一分間ほどもったいぶって、ようやく「よかろう」と伝えた。
そして話をゆったりと聞くために、身体を背もたれに預け、足を組んだ。

 室温が急速に下がったと感じたのは、錯覚だったらしい。
 倒れていた。
 深海魚よろしく、部屋の底に、神栖が仰向けに平べったく倒れていた。
 収まらない動悸と激しい息のまま、金智は手の甲で口元を拭った。額に汗を
浮かべている気がして、そこも拭った。しかし、目の前に持って来た手の甲は
濡れていなかった。
「信じられない」
 金智がしわがれ声でつぶやく。歳を取ったとは言えまだまだ張りのあったあ
の名探偵の声は、もはや影を潜めている。
 信じられない? 何が? 神栖が足元に倒れているこの状況が? ノン。
(完璧だった。神栖の推理は完璧だった)
 足をがっくりと折り、両膝を床につく金智。身体が小刻みに震えていた。
(唯一欠けているとすれば、強力な物的証拠だが、それとてうまく犯人を追い
込めば問題ない。彼はチェックメイトしていたのだ! 全くもって素晴らしい、
我が弟子!)
 金智は両手の平を自分に向け、見つめた。張り巡らされたしわの一本一本を
数える。何の意味もない。首を絞めた感触だけが、墨のようにべったりと塗ら
れているかのようだ。
 その内、手がわななき始めた。震えの止まらない事態そのものが恐ろしくて、
我が手を抱きしめる。
(死なせる気なんて毛の先ほどもなかった。しかし、神栖に名探偵をやらせる
訳には……いかなかったんだっ。名探偵は私でなければならない)
 後悔と自己弁護の言葉を心中で吐きながらも、金智はすでに新たなる行動を
起こすべく計算を始めた。
(名探偵が人殺し? とんでもない。隠蔽しなくては)
 真っ先に思い浮かんだのは、この場を見られては全てがお釈迦になるという
事実。金智はドアへ急ぎ、錠を下ろした。
(指紋)
 ノブ上のポッチから指を離し、じっと見つめる。
(指紋を拭き取るべきか? いやいや。この部屋に私は何度も来ている。下手
に小細工をしては不自然が生じるだろう)
 金智は神栖のそばへと引き返した。
(遺体は置いておけばいいとして、今は、私の犯行だと分かる材料を跡形なく
かき消さねばならん)
 金智は自分の衣服を丹念に調べた。ボタンをむしり取られたり、布地を破ら
れたりはしていないようだった。また、手の甲などを引っ掻かれて怪我を負っ
たということもなかった。
(毛髪が床に落ちているだろうが、それはかまわん。だが、手の中に握られて
いるのはまずい)
 跪くと、遺体の手に目を近付ける。右手は開いており、髪の毛が引っかかっ
ているようなことはなかったが、左手は閉じている。金智は用心してハンカチ
を取り出すと、それで包むようにしてから神栖の左手を開かせた。
(ない)
 長い息をつく。犯跡を覆い隠す目途はついた。
 次は……誰を犯人に仕立てるか。
(決まっている。神栖君の推理の結果が役立つ。連続殺人犯である牛深四郎、
彼に罪を被ってもらうとしよう。殺した数が六から七になったところで、裁判
に大きな影響は出ないさ)
 金智は神栖の懐を探った。名刺入れから一枚を選び出す。出会った当初、牛
深より受け取った物で、肩書きにトラベルライターとある。
(これを握らせておけば、牛深に疑いが向く。それで充分)
 難関は、事件の全貌を披露しただけでは収拾がつかないことだ。仮に牛深が
他の六名の殺害を認めたとしても、神栖殺害は認めないに違いない。
(牛深に『自殺』してもらうほかなかろう。七件の殺人を告白する遺書を残し、
自ら命を絶つ――完璧だ)
 わずかではあるがほくそ笑む金智。もはや殺人をためらいはしない。走り出
してしまったのだ。我が身を守るためなら、何だってする。
(牛深は携帯ワープロを持って来ていたから、偽遺書の作成も簡単に済むだろ
う。自筆署名させることができれば願ったり叶ったりだが、そこまでは望むま
い。それよりも、いかにして殺し、自殺に見せかけるかだな)
 腕組みをして考え始めた金智だが、はっと現況を思い出した。
 もはやこの部屋にとどまる必要はない。自分の部屋に戻り、じっくり考えれ
ばいいではないか。
 金智は最後に改めて室内を見渡し、遺漏なしを確信すると、ドアに駆け寄り
張り付くように耳を当てた。
 廊下に人の気配はない。皆、不用意に出歩かず部屋にこもるようにという金
智の忠告を守っているのだ。
 思い切ってドアを開け、腰の痛みもどこへやら、素早い身のこなしで殺人現
場を脱出した。

 横になって毛布を被り、数え切れないほど何度も時刻を確かめる内に、午前
六時になった。
 冷静に計画し、遂行したつもりだったが、身体は正直のようだ。金智は一睡
もできないまま朝を迎えた。全く眠くなく、肉体にも疲れはないが、精神だけ
は高低差の激しいテンションの波にさらされ、いびつに歪んでいた。
(二人の死体が発見されるまで待とう。……いや、どちらか一人だけでいい。
恐らく、施錠してこなかった神栖君の方が先に見つかるはず。神栖君が死んだ
となれば、間違いなく私に真っ先に知らせに来る。まあ、牛深が先に見つけら
れたとしても、彼の身内は島に来ていない。やはり名探偵の私に最初に知らせ
るだろう。知らせを受けたあと、私は不用意に喋ってはいけない。説明を聞い
たり現場を見たりしない内に、余計なことを口走ってしまっては水の泡だ)
 繰り返し、自らに言い聞かせる金智。
 冴え渡った目を無理に瞑ったが、ついぞ、眠気が訪れることはなかった。金
智は踏ん切りを着け、毛布を払いのけると起き上がった。
(身仕度しておくか。もしも怪しまれても、突発事に備えていたと言えばいい)
 金智がワイシャツを着終えるのとほぼ同時に、廊下を走る足音があった。と
認識する間もなく、激しくドアが打ち鳴らされる。
「金智さん! 起きてください!」
「――善田さん? 何ごとです!」
 善田夫妻の夫の方だ。金智は善田のふくよかな顔を思い浮かべ、どこからこ
んな甲高い声が出るのか疑問に感じた。
 ドアを開けると、変わらぬふくよかさで善田が掴みかからんばかりの勢いで、
声高に知らせを叫ぶ。どうやら彼の姿は寝巻きらしい。
「また人が死んだんですよ!」
「……何てことだ。どなたが?」
 抑揚たっぷりに悲しみにくれてみせ、金智は自分がすでに知っている知識を
得るつもりで尋ねた。
「堀井さんです」
「何? 何だって!」
 叫んでから金智は気付いて「えっ?」となった。
(堀井さんが死でいる、だぁ? 馬鹿な)
 叫びそうなところをこらえ、脳細胞をフル回転させる。目の前では善田が不
安げな表情で「どうかなさいましたか?」としきりに聞いてくる。
(昨夜遅く、牛深を自殺に見せかけて殺したのは事実だ。それよりも前に、彼
が堀井さんを殺していた――こう考えれば筋は通る。だが、判断は慎重にしな
ければ。とにかく現場に向かうとしよう)
「案内をお願いします」
 上着を羽織ると、室外に出た。つい、牛深の部屋に足が向きそうになるのを
我慢し、善田に先導させる。
「堀井さんが死んでいたのは、彼女の部屋です」
「どんな状況ですか。たとえば部屋の鍵は」
 足早に移動しつつ、尋ねる。
「掛かっていました」
「どうやって中に入ったんですか」
「押し破りました」
「何故、押し破ろうと思ったのです?」
 一を聞いて十を知るとはいかないやり取りに、金智は歯噛みする思いを味わ
った。こんなとき、神栖君なら素早く説明できるのだが……と、妙な後悔を抱
く。
「電話があったのです」
 善田の回答は、金智を驚かせることに成功した。反応が遅れてしまった金智
に対し、善田は続けて言った。
「朝の七時、『もう耐え切れません。これから毒を飲む』という意味のことを
言って、すぐに切れてしまったんですが」
「――」
 金智の脳裏で嫌な予感が弾け生まれ、体内を一気に駆け抜ける。
(耐え切れないから毒を飲むって……まさか)
 独り言をつぶやきそうになるのを、口を手で覆うことでこらえる。
 そんな金智を見つめる善田の表情が、ますます不思議そうになっていく。
「恐らく、自殺ですよ。まだはっきり見ちゃいませんがね、遺書みたいな書き
置きがテーブルの端っこにありました」
「遺書……」
 金智の歯ぎしりは、聞かれただろうか。
 堀井の部屋の前に来ると善田は立ち止まり、腕組みをした。そして大きく首
を傾げる。
「六人を殺した手口について、細々と綴られていたようですよ。いやあ、私に
は信じられませんや。あんなかわいらしいお嬢さんが、次々と人を殺していた
なんて……。あ、金智さんはとうの昔にお気づきだったんですよね?」

――終わり





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