#227/569 ●短編
★タイトル (dan ) 04/11/22 06:37 ( 66)
弟よ 談知
★内容
ワタシには弟がひとりいたのだが、3年前に死んだ。肺ガンだっ
た。
肺ガンも、最初はそうとは分からなかった。足が痛いといいだし
たことが、最初の兆候だった。何の痛みかわからないままずっと我
慢をしていたようである。しかしどうにも耐えられなくなって医者
にいき、胸のレントゲンを撮ってすぐガンと分かった。つまり肺の
ガンが足に転移していたわけである。
ワタシがそれを知った瞬間、ああこれはもう助からないと分かっ
た。もともと肺ガンは予後が悪い。手術してもなかなか助からない
ガンなのだ。それがもう足にまで転移しているとなると、もう末期
ガンといっていいのではないか。精密検査してみると、やはりそう
だった。母親とワタシが病院に呼ばれ、医者から説明を受けた。や
はり末期ということで本人には知らせなかったのである。
他人がガンときいても、正直何とも思わないワタシだった。ああ
大変だなとか程度は思ったが、そう深刻に思うことはなかった。や
はり他人事なのだ。それが弟がガンとなると、それはもう衝撃だっ
た。ご飯が食べられない。毎日雲の上を歩いているみたいにふわふ
あした感じだった。感覚が異常になっていた。
医者や母親と話し合った結果、ガンということを弟に知らせるこ
ととなった。肺ガンが大きくて手術するには遅すぎるということで、
抗ガン剤治療をすることになっていた。そのためには本人の同意が
必要ということで、どうしてもガン告知が必要だった。それに、本
人が知らないまま時間がたっていき死んでしまうのはいやだろうと
思ったこともあった。死ぬまでせいいっぱい生きてほしいと思った
ためもあった。
弟は、小さい頃から悪ガキだった。勉強はできない。成績はいつ
もオール1だった。悪さはする。盗みとかもしたことがあり、鑑別
所というのだろうか、そういうところに入っていたこともある。成
人してからも、職を転々としてさだまらない。サラ金から金を借り、
払えなくなって母親に払ってもらったこともある。実はこのときも、
またサラ金からの借金が払えなくなって、自己破産の手続き中だっ
た。どうしようもない弟だったが、ただ多少の可愛げがあり、ワタ
シは嫌いではなかった。そんな弟だから、ガンと知ったら取り乱す
のではないかと思ったが、あんがい平静だった。
ガンと知った最初の頃こそ時折怒ったりしたが、その後は病室で
ごく穏やかにすごしていた。もっと荒れ狂ったりするのではないか
と思っていた。今までの弟からすればそうなってもおかしくなかっ
た。でも平静だった。ワタシは弟を見直した。弟がガンと知っても
平静でいられないのである。本人はもっとそうだろう。よく頑張っ
たなと思う。
恋人がいたことも大きかったと思う。恋人が毎日つきそい一緒に
いてくれた。どれほど心丈夫で慰められたことだろうか。本当にそ
の女性に感謝したい。家族がいるといっても、家族には言えないこ
とだってある。事実、あとで聞いたが、その恋人とふたりのとき、
わんわん泣いたりしていたそうである。ワタシの前ではそんな素振
りはみせなかったが。
こうして弟は1年間頑張った。途中何度か家に帰った。やはり家
ですごさせたほうがいいだろうということで。
最後は病院でだった。その頃はもうワタシたちは毎日病室に詰め
ていた。前日まで話をしていた。しかしその日はものも言わずぼー
としていた。意識があるのか無いのかわからない感じだった。突然
うおーうおーと大声をだした。あわてて手を握ったり声をかけたり
した。医者もやって来た。そしてしばらくして声がでなくなり、そ
の直後に死んだ。45歳だった。
弟も、いい目にあったことがほとんどない人生だったと思う。こ
れくらいの年で死ぬのは無念だったと思う。
ワタシもたったひとりの弟を亡くし、呆然とした。考えてみれば、
これで母親が死んだら、ワタシはひとりぽっちである。頼りになる
肉親は誰もいないことになる。それを思うと、何か冷たい風が吹い
てくるみたいな感じである。
弟が死んで3年たった。現在はもう弟のことを思ってもおだやか
な感情でいられる。やはり時が癒してくれるのだな。弟が生きてい
たときより、最近のほうが弟のことを考えることが多い。生きてい
たときは、弟は弟、ワタシはワタシという生き方だったので、そう
弟のことを考えなかった。今は結構考える。弟がワタシの心に住み
着いたようである。