#94/569 ●短編
★タイトル (caf ) 03/06/16 12:13 ( 95)
お題>うどん MOJO
★内容
お題>うどん MOJO
「目と手」
自分は目と手です。
名前は有った様に思うのですが、忘れてしまいました。脳味噌が無いものだから、
憶えていられないのです。
自分が目と手になった経緯につきましてはちょっと長い話になります。いや、簡単
な話かもしれません。すいません。会話の中に、かなりの矛盾があるかもしれません
が、なにぶん目と手しか無いものですから、話をまとめることが出来ないんです。こ
うしてお話していることも、話した先から忘れていってしまうものですから。
そうそう、私が目と手になった理由でしたね。
それはこういう事だったんです。
ある日の私は深夜、アルバイト先からの帰宅途中に一匹の鬼に出会いました。彼は
自分の名を『屍食鬼』と名乗りました。
屍食鬼に出会った私は、当然それまで鬼に会ったこともなかったことですから、た
いそう驚いてしまって、声を上げることも出来ずにいました。
屍食鬼は、そんな私を捕ってむしると、ボリボリと喰しながら、こう語りました。
『自分は屍食鬼だから、死人の肉しか喰わなんだけれども、最近は死人を火葬にして
しまうもんだから、喰うにこまってなぁ。だから、いまじゃワシも生きた人を捕って
喰らうことにしたんよ』
まったくとんでもない、迷惑な話ですよね。屍食鬼が死人を食べないなんて。
こうして今、私は鬼に食べられているわけですが、不思議と痛みはありません。た
だ、ただ、驚きと恐怖があるのみです。
屍食鬼は私を美味そうにほうばりながら、鬼に生きたまま喰われても人は死なない
のだと言いました。そして『自分は鬼だが、鬼にも慈悲の心がある。お前もまだ若く、
残りの人生を楽しみたいのだろうから、全てを捕って喰わず、少し残してやろう』と
言いました。
そうして私は、目と手になったわけです。
幸いにも屍食鬼は、私の利き手の『右手』と、比較的視力の良いほうの『左目』を
残してくれました。
右手と左目だけを残し、ほかの全ての『私』をきれいに平らげると、屍食鬼は満足
げに、地に帰って行きました。
私は新しく生まれ変わった体を見下ろしました。
見下ろすと言っても、取り合えず足は無くなってしまったわけですから、右手の親
指と小指をふんばり、人指し指と薬指で支え、中指でバランスをとるといった具合で
す。
右手は肘の付け根ぐらいのところまで。左目はどうやら肘の上に乗っかった格好で
付いているようです。
目と手だけになってしまった私は、まず新しい体でその場を見渡しました。
目は左目だけになってしまったので、遠近感が上手く取れず、視界がボヤケます。
なんだか、夢でも見ている様で、地に足がついている感がしません。それもそうです
ね、右手がなれない格好で足の代わりを務めているわけですから。
そうしてその場を見ると、私が屍食鬼に食べられるまで着ていた衣服だけが残され、
後は私だったモノは一切無くなっていました。
悲しいだとかいった感情は、その頃はもう既に無くなっており、ただ、「ああ、無
くなってしまったなぁ」と漠然と思うばかりです。
脳味噌が無くなってしまったものですから、残された左目に映る物について、ほん
の一瞬、思うことが精一杯になってしまったからです。
私は新しくなった体で始めの一歩を踏み出しました。
中指の爪でアスファルトを掻き、人差し指を添えて、親指と小指を引き付ける感じ
です。そのようにして少しずつ私はその場から離れていきました。なんにせよ、私に
は帰る場所が必要に思われたのです。このままここに残っていたら、誰かに見つから
ないとも限りません。そんな事になったら大変ですからね。なにせ、目と手だけの生
き物なんですから。
なるべく私は街灯などの明かりを避けて、建物の物陰や茂みの中などを進みました。
道中、猫などの生き物に遇ったりしましたが、人だった時には動物に好かれた私も、
目と手だけになってしまえばそうは為りません。この体となってからは猫の方が大き
く、もし襲われることにでもなれば、爪も牙も無い私なんかはひとたまりもないでし
ょう。しかし、猫達はそんな私を見て脅え、毛を逆立てながら逃げて行くのです。
ただ、犬は違いました。
草むらから這い出た私は、目と手だけになる以前住んでいたアパートの前に着きま
した。
そのアパートからほど近いところではいつもの夜鳴き蕎麦がのれんを出しています。
椅子に座り、蕎麦を啜っているらしい客がひとり。あれはうどんでしょうか、そばで
しょうか。蕎麦屋を見た私は無くなったはずのお腹が空いてきた様に感じました。口
も無いというのに、どのようにして食べるのか等とは、そのときは思いもつかなかっ
たんです。私は脳味噌が無くなってしまった所為か深く考えるでもなく、いつもの調
子で蕎麦屋に向かって行ったのです。そして、好きなうどんを啜ることだけを考えて
いました。
その私の鼻先に一匹の犬が現れました。
いつも私のアパートの近所をうろつき、吠え立てる野良犬です。
野良犬は私を見つけるといつもの調子で吠え立てました。
私は慌てて逃げ出そうと思い、今では足となっていた指を懸命に動かしました。し
かし、まだまだ足としては不慣れな指は、途端に絡まり、もつれてしまって、私はそ
の場に倒れこんでしまったのです。
犬はそんな私をすかさず咥え込むと、得意げにその場を走り去って行ったのです。
これが、私が目と手になってしまってからの人生すべてです。
いま私は犬の腹の中で第三の人生を歩んでいます。
こうなってしまうと、目と手だけになったときよりもいくらか快適な生活を送って
いると言えるかも知れません。私は犬の腹の中で溶けて、犬と体を共有するに至った
のです。
犬は楽です。
総ては風まかせ。足の向くまま、気の向くまま。お腹が空いたらゴミ箱を漁り、人
を見ては吠えて驚かせ、眠くなれば日のあたる処でウトウト昼寝。
ただ、今ちょっと気になっているのは、目の前に止まった車から、網を持った作業
服の人間が降りてきたってことだけです。
<了>