#72/569 ●短編
★タイトル (hem ) 03/02/27 22:09 ( 78)
星の鏡 麻村帆乃
★内容
「本当に一鉢でいいんだな?」
彼は再度確認する。
「もちろん。鉢植えを買うときは一つずつって決めているんだもの」
わたしは微笑む。彼がぶつぶつ言っている。せっかくバイトした金で何でもいいから
誕生日プレゼントを買ってやると言ったのに、わたしの希望したものが小さな鉢植えだ
ったからだ。
「値段が問題じゃないの。誰にもらったか、が大切なのよ」
わたしは彼が両手に持っている鉢を一つ取り、ベランダに運んだ。そこには少しずつ
集めていた鉢植えが階段状の置き場に並べてある。
「一つはあなたが持って帰ってね」
わたしの思いがけない言葉に彼は大きな声を出して抗議している。
「冗談じゃない、俺は今まで植木の世話なんてしたことないんだぞ」
わたしは半ば彼を無視しながらジョウロやスコップなどの道具を収めた箱を探る。わ
たしの話を最後まで聞かずに二鉢も買ってしまうからいけないのよ。
「おい、聞いてるのか?」
彼はベランダのすぐ側まで来て言った。履物がないから入り口辺りで呼びかけて来
る。
「分かったわよ。両方もらう。でもやっぱり今日は預かってね」
喜んだ後にがっかりしているのがよく分かる。反応の素直さがかわいらしく思える、
と言ったら怒るだろうか。
わたしは箱の中から牛乳瓶を取り出す。今はパックで買っているが、ずっと以前は配
達してもらっていた。彼はわたしの手にあるそれを見て多少は驚いたようだ。それとも
懐かしがっているのかもしれない。
「何に使うんだよ、それ」
予想していたとおりの質問。
「教えて欲しい?」
ちょっと意地悪がしてみたくなったわたしはもったいぶる。
「ああ」
ちょっと怒ったような彼の声。でも興味がないわけではなさそうだ。
「わたしのおばさん、植木が大好きな人なの。おばさんの咲かせた花は特別綺麗に見え
る。もし分けてもらっても、うちで咲いたのと、おばさん家のものは違ったの」
「錯覚だろ。そこのも売ってるやつより綺麗だよ」
そこでわたしはにっこり。理由は自分が育てたものが褒められたというだけではな
い。
「そうでしょう。だっておばさん秘伝の魔法だもの」
彼の不満そうな顔。だって彼は非科学的なこと、あまり信じないほうだから。
「本当だよ。だからそれを証明するために何日か預かってね」
怒ったらしい彼はじーっとわたしを見つめていた。けれどわたしがにこにこしている
ので諦めたらしい。
「分かった。預かるだけだからな」
同じ種類の鉢植えを二人で持っているのもいいと思ったのに、どうやら彼には引き取
る意志はないらしい。残念だな。結局三日預かるという約束で彼はこの日帰って行っ
た。
用意するもの。綺麗に洗ってお日様の光で乾かした牛乳瓶。その中に水を入れ、夜中
外に出しておく。ただそれだけ。そのとき気をつけなければならないことは、水の中に
ほこりを落とさないようにすること。後はただ待つだけ。
そして次の朝にすること。その水をなるべく早く起きて鉢植えに与える。何度もする
のは逆効果で、一鉢に一度だけするのが最大のこつだという。だからわたしは買って来
たその日にこれを実行することにしている。一鉢ずつしか増やさない理由がこれ。欲張
ってたくさん瓶を用意すると効果がないんだって。
ベランダの窓から一番遠い場所にわたしは瓶を置く。おばさんは別の入れ物よりも飲
み口が分厚い牛乳瓶が一番適していると言っている。
いつものように魔法の準備を終えたわたしはベッドに入った。そっと見守っていると
何かが起こるらしい。けれど電気を消し、寝転んでいて眠くならないはずがない。いつ
の間にかわたしは眠ってしまった。
空から星が降りて来る。真っすぐに地上に向かっている。行く先はその姿を映し出す
鏡。星たちの鏡は澄んだ水。大きな星は大きな、小さな星は小さな鏡を探している。星
からこぼれた光が水に満ち、静かな水面がきらきらと輝く。地上にもう一つの星が生ま
れたかのように。しばらくすると星は空に還っていく。けれど星の光の影響はすぐには
消えない。光は水をとても透明で、不思議な力を秘めたものへと変化させる。水は微か
に光を放っているが、明るくなるにつれてそれは薄れていく。
目が覚めたとき部屋はまだ薄暗かった。いつの間にか眠ってしまった自分を責めなが
ら、それでも多少の期待を持ってそっと窓に近づく。空にはうっすらとした月が仄かな
光で辺りを照らしている。もうすぐ日が昇るのだろう。東の空が明るい。
また見逃してしまった。こんどおばさんに会ったら何をして「何か」を待っているの
か聞いた方が良さそうだ。
わたしはベランダに出る扉を開けた。朝の空気が気持ちいい。こんなに早く起きて行
動し始めたことは今までになかった。たいていもう一度眠ってしまうから。大きく伸び
をしながらわたしは昨日の鉢植えに水を与えるために瓶を見る。それは信じられない光
景だった。水が微かに光っている。そして瓶の口で一か所、特別に光っている場所があ
る。たった今までそこに何かがあったようにはっきりと。
慌てて上を見上げたわたしは空に昇っていく小さな小さな星を見たような気がした。
空は明るくなり、水の光が薄れていく。まだ暖かみを感じる不思議な水をわたしは昨
日の大切な鉢植えに静かに与えた。
終