AWC 『始まりはいつも』 -- パパ


        
#58/569 ●短編
★タイトル (paz     )  03/02/16  04:25  (232)
『始まりはいつも』 -- パパ
★内容
 三十路を過ぎた私が見合いを断ったのは、将来を誓った恋人が居るからでも、独身が
性に合っているからでもない。性的に不能、などという肉体的な理由でもない。もっと
単純なもの、ピンと来るものがなかったからだ。
「どうしても貴方と、と先方から云われてねえ」
 見合い写真を突っ返した私に、老齢の母は遠いまなざしで見つめる。居間の高テーブ
ルに肘をついたまま目線を私からはずさない。両親は晩婚で、私が産まれるのも遅かっ
た。母体に危険をもたらすほど高齢出産だったのだ。そのため、祖父母に育てられてい
ると勘違いされたのも一度や二度ではない。
 早く落ち着いてもらいたい。嫁の顔が見てみたい。孫を抱いてみたい。両親の気持ち
は人並みに分かるが、だからといって結婚する気にはなれない。そんな簡単に伴侶を選
べるはずがないのだ。
「同級生だった河合さんも、二児の父親ですってね。下の子は幼稚園ですって」
 だからどうしたというのだ。河合は河合。私は私だ。
 口にはしなかったが母には伝わったらしい。溜息で応えてくる。私が視線を逸らす
と、
「良縁だと思うけど」
 諦めきれないのか、台紙に飾られた写真に触れ呟いている。清楚な顔立ちに切れ長の
目、落ち着いているようで、二重の大きな瞳が活発なのかもしれないと予想させる。と
りたてて美人というわけではない。美人だったら私のところに話が来るわけがない。
 私は沈黙を続けた。母も寡黙になる。やがて母は見開きの台紙を閉じた。表紙には相
手の名前が綴ってある。小暮正美。正美という名前が心の琴線を弾き、額がうずいた。
「本当に駄目なのかい?」
 物憂げな母の瞳にいたたまれなくなった私は「ちょっと出かけてくる」
 席を立ち、「いつもの茶店に行く。そろそろ新刊も入ることだし」おざなりに言い訳
を付け加える。母は右手を伸ばし何かを問いかけた。同時に電話のベルが鳴る。二度、
三度と呼び出し音が鳴り、母も首を振って立ち上がった。
 
 喫茶ラフーレは私の家から徒歩三分と近い。コミックが多く取りそろえていることか
ら、私は漫画図書館の代わりに学生時代から活用している。夜はスナックに変わるが、
その時間帯に行ったことはない。休日の気怠い午後に訪れ、決まって頼むのはメロン
ソーダーだった。窓際の席に座り、先ほど手に取った週刊誌をめくる。視線が記事を追
っても、心は別なことを考えていた。
 正美。春野正美。わずかな時間だけしか共有できなかった。それでもたった一人だけ
親友だと断言できる男。彼の名前が私の中をリフレインしている。
 あれは私が小学生の頃だった。確か高学年の、そう五年生だったはずだ。強いという
キーワードに夢中だった私は、何か格闘技が習いたかった。あいにく、近所にその手の
道場はない。あるといえば柔の道ぐらいだった。私が望んでいたのは打撃系で投げ技で
はない。仕方なく、書店で書籍を買い求めた。最初に買った本は忘れもしない、「あな
たにもできる空手道」だった。本に載っている型を無邪気に真似もした。巻きわらがわ
りに立てた木の板に正拳突きの練習をしたこともある。それに飽きると近所の野原に行
って仮想敵とやりあった。仮想敵の回し蹴りをかわし、相手に中段突きが決まったと
き、笑い声が響いた。
 ふふふふっ……。
 小さな声だが、はっきりとした輪郭で無視することはできなかった。振り返っても背
の高い草だけが私を見つめている。人の気配はない。空耳かな? 私はそう思い仮想敵
に向き直った。
 その場所にいたのが正美だった。私はそのとき、彼が忍者じゃないかと疑ったもの
だ。
  正美は満面に笑みを咲かせ、
「一人じゃ、つまらないだろう。相手をしてやろうか?」
 と云う。私が言葉に詰まると、腰に拳を当てもう一度繰り返した。
 よく話を聞けば、学区は違えど私と同じ五年生だというではないか。私より一回り小
さく線も細い。顔立ちも女性のように綺麗だった。美少年という言葉が脳裏に浮かび、
文字通りの存在だと私は認めずにはいられなかった。それに名前が正美だという。女性
につけてもおかしくない名前だ。どうひいき目にみても強そうには見えない。強い男と
は筋肉の鎧と疾風の動きを持つ者をさす。彼はどう見ても当てはまらない。いかに私が
格闘技の真似事しかやってないとはいえ、相手にならない、そのときはそう信じてい
た。
「いいよ。じゃあ自由組み手をやろうか」
 私は言葉を投げ掛けると同時に、右正拳を正美のみぞおちに向けて突きだした。それ
は本気の打突ではなく、挨拶がわりのフェイントだった。正美は突きだした拳に対し
て、同時に左腕をこすりつけた。摩擦で私の拳はみぞおちには触れなかった。私の腕は
伸びきらず、肘を下に向けて落とされてしまったのだ。これでは当たるものも当たらな
い。
「!」
 私は驚愕を飲み込み、右腕を引いた。正美は引いた腕に合わせて私の目の前に立って
いる。私の顔と三〇センチも離れていない距離に彼は居た。こんなに近い間合いで戦う
とは予想もしていない。正美の眉間めがけ、本能的に頭を振り下ろしていた。
 気がついた時、目の前に繰り広げられたのはひっくり返った風景だった。緑が上で青
が下。事態が分かったのは数秒後だったと思う。正美は振り下ろした私の頭に掌を合わ
せ、さらに下へと誘導したのだ。私は自分の両足の間から後ろを見ていたのだ。
 ふふふふっ……。
 正美の笑い声が試合終了の合図だと悟った。力の差が歴然だったのだ。私は頭をかき
ながら「女みたいな名前なのに、強いなあ」自分なりに褒めたつもりだった。
 正美が見せた表情は、私の想像と大きくかけ離れていた。目は吊り上がり、私の鼻梁
を凝視している。口は一文字に結ばれ、歯ぎしりの音が聞こえてくるような錯覚を覚え
た。彼の微笑みから憤怒への変化は、能面の早変わりのように私には恐ろしかった。一
重の瞳が見開くとさらに大きくなり、私を飲み込むのではないか、そう感じさせた。
 彼は踵を返したが、すぐに立ち止まり、頭だけ振り返った。横目で私を見つめ、また
放課後遊びにくる、そう告げて立ち去っていった。
 それからというもの、放課後になるたびに野原へ出かけるのが私の日課となった。最
初はこわごわと、次いで期待感に胸を膨らませて出かけるようになった。彼が怖い存在
ではなく、優しいと知るのにさほど時間は必要なく、彼のいない生活を想像することも
できなくなっていた。
「やあ」、と普通に挨拶をすませてから、正美に技の手ほどきを受ける。最後に自由組
み手を行う。正美はそれを散打といっていた。彼の礼は、私の知っているものと大きく
異なった。右手を拳にして左手の掌に合わせるのだ。日と月を表し、明の復興を願うの
さ、そう教えてくれたが、意味が分からなかった。それでもそのポーズが格好よく見
え、好んで真似をした。私達の関係はそれ以外にも広がっていった。仮面ライダースナ
ックを買ってカードを交換したり、メンコを取り合ったり、軍人将棋をしたり、彼は遊
び仲間としても野原にやってきた。
 彼と話すときはいつも本心で語った。学区の境目にある野原は、私と正美の学校を分
けている。それが刺激となり、また安心して話すことができる前提となっていた。
 一度だけ正美の家に行ったことがある。彼の家は洋館で三階建てと立派としか云いよ
うがなかった。私とは住む世界が違うことを理解しないわけにはいかなかった。それで
も、正美の部屋は私の部屋より汚く雑然としていたので、自分と同等とみなすことに決
めた。部屋を見渡して、綺麗な顔に似合わないなあ、と思っても口にはしない。彼が、
女っぽいことを気にしているのを想像するのは難しくなかったし、そう思われるのが嫌
で武術をたしなんでいることぐらいは察しがついていたからだ。仮に知らなくても、私
は口にしなかっただろう。なぜなら、彼は格闘技を教えてくれる先生であり、遊び友達
であり、そして親友だったのだから。
 彼と出会ってから一月が過ぎようとした日、その日は曇天だった。前日までの晴れ模
様は遮光カーテンで隠されたかのように薄暗かった。
 その頃、私は彼から蹴り技を習っていた。彼の教えてくれた回し蹴りは膝の出る形が
途中まで同じだ。ロー、ミドル、ハイ、どれもが一度膝を抱え込み、飛んでくる。どこ
に来るのか判断が遅れるため、かわしにくいのだ。もちろん、慣れてしまえば、ある程
度は受けられる。 その日の散打は好勝負になった。私のレベルも格段に上がっていた
のだ。互いに相手の出方をうかがい、単発的な攻撃が繰り出される。私はそれを軽く受
け流した。終盤にさしかかると、彼の技は連続技へと変化を遂げた。彼の右回し蹴りが
上段に来る。私はとっさに左腕のガードを上げた。彼の甲が私の左手に触れた刹那、軌
道を変え大腿部へを弧を描く。かわせない!――そう判断した私は衝撃を緩和するため
に、大地を足指で掴み踏ん張った。描いた弧は大腿部から脇腹へと、さらに軌道を変え
た。腹部に彼の足の甲が触れた瞬間、私は体重を左にかける。軽い蹴りがカウンターと
なって私の腹部にめりこんだ。
 痛みのあまり、私は身体を丸めた。
「大丈夫か」
 驚いた正美が私の肩に触れようとした。それが私の求めていた隙だとは、思いもしな
かったに違いない。
 必殺技の名を叫びたい誘惑に耐え、私は無言で身体を跳ね上げた。正美に勝つために
練習した飛び上段前蹴りだ。踵が正美のあごを狙っている。もちろん当てるつもりはな
い。せいぜい鼻先をかすめて驚かせるだけのつもりだった。
 私の踵は心配して近づいた正美の額に触れた。靴底を通して伝わったのは微かな感触
だった。正美の額が縦に切れ、遅れて血が吹き出す。目測が狂っていたのだ。一度腰を
折り、腹を抱える体勢だったために視点が崩れていたせいもある。気を抜いた正美の反
応が遅れたせいもある。それでも靴底に小石が挟まっていなければ、彼に傷跡を付ける
ことは無かったはずだ。二日後、彼は誇らしげに、傷は男の勲章だ、と大見得を切っ
た。前髪を掻き上げると、額に小さな三日月が刻まれていた。縫われて繕われた跡が残
っている。私は肩を落として、何度も彼に頭を下げた。
「気にするなよ」
 彼は私の肩を抱き、ふふふふっ、と小さく笑った。
「そんなことより、今日は渡したいものがあるんだ」
 正美は私に封筒を手渡した。
「中に宝物のライダーカードが入っている」
「……もしかして幻のカード?」私は彼が持っているレアカードを思い出していた。わ
ずかな数しかプリントされなかった貴重なカードだ。正美の家に遊びに行ったとき、額
に入れて飾ってあるのを見た。羨ましくて、欲しい、と正直に云った。もちろん、すぐ
に断られた。
「それと手紙も入ってる」
 彼の声は小さかった。部屋に戻ってから開けてくれ、正美に云われて私は頷いた。
「これで、帰るわ。また会おうな」正美は後ろ姿を見せ、軽く手を振った。
 私が最後に見た正美の姿だった。
 手紙には父の転勤でシカゴに行くと書かれていた。その場所がどれだけ遠いのか、五
年生の私には実感がなかった。中学生になったら遊びにいけばいいさ。住所も知らない
のに、そう思っていた。
「はいよ」テーブルにメロンソーダーの注がれたグラスが置かれ、反射的にマスターの
後ろ姿を目で追っていた。私は過去から現在に引き戻されたのだ。
 背後に誰かが見ているような気配を感じて、週刊誌を閉じる。足音とともに訪れたの
は、一人の女性だった。私の横に止まる。視界にミニスカートから伸びている細い脚が
入り込む。
「相席、よろしいかしら?」
 女性は私に向かって声を掛けているようだ。店内を見回してみる。六席あるカウン
ターもボックスもあいている。私は彼女を見上げた。白いミニスカートに青いサマー
セーターを羽織り、長い髪は肩から、前髪はふうわりと前に垂らしている。私の記憶が
囁く。私は彼女を見たことがある。ああ、そうだ。彼女は見合い写真の女性だったの
だ。
 驚きを隠せなかった。掛ける言葉が思い浮かばず、ただ手で席をさした。彼女は「あ
りがとう」といって、膝を折り席に座った。大きな瞳で真っ直ぐに私を見つめる。
「さきほど電話を掛けました。お母様とお話をしたあと、失礼だとは思いましたが、直
接お会いすることに決めました」
 見合いを断ったことがよほど腑に落ちなかったに違いない。苛々とした情感が、化粧
の下に隠れているのが私にも感じられる。
 実物の彼女は、写真よりも美しい。それは目鼻立ちがはっきりしているというような
次元ではない。匂い立つ香りが男を惹きつける、妖しい魅力をまとっているのだ。
 色よい返事をしない私に、何か文句のひとつでも云いたいのだろう、私は観念した。
だが彼女は口を開くかわりに、瞬きを繰り返し、私の出方を待っている。
 マスターがメニューを差し出す。彼女は一瞥しただけで、「同じものを」
 私は口にする文句を探した。思考をのばしても適当な言葉が浮かんでこない。彼女は
私を見つめたまま沈黙を守る。時計の秒針だけが店内で響いている。メニューを抱えた
マスターは、有線がおかしいや、と呟いた。間の悪いことだ、そう思っても救いにはな
らない。仕方なく、私が口火を切った。
「私を選んだ理由は何だったのでしょうか? ――それに貴方は写真写りが悪いです
ね。本物のほうがずっと綺麗だし、素敵だ」
「ありがとう」彼女は微笑みを浮かべた。私の頬が赤らむのが分かる。余計なことを云
ったと理解しているが、なぜ口をついたのかは自分でも分からなかった。
「どんな相手だって選べるでしょうに、よりによって私なんかのところに……」
 語尾が下がったのは、自分で自分が情けなくなったからだ。
「尋ねたいことがあります。どうして私とお見合いをするのが嫌だったのでしょうか
?」
「なぜかピンとこなくて」
 彼女は一度、口を半開きにした。見合いを断る文句にしては、洒落ていないかもしれ
ないが、正直に答えたのだ。
 からくり時計の時報が鳴る。派手な音とともに、人形が時計からせり出してくる。我
に返った彼女が、ふふっ、と笑った。
 彼女の淡い口紅の艶を見てなまめかしい唇だな、と感想が浮かぶ。大きな瞳に見つめ
られると、吸い込まれそうな錯覚に陥る。もっと彼女のことが知りたいと本能が欲求し
ている。
 見合いを断るのではなかった、後悔しても遅いのかもしれないが。
「私の問いにも答えてください」
 彼女は「ええ、もちろんですわ。お一人ではつまらないのではないかと思いまして」
 私の台詞より、もっと奇妙だった。自分でなくても、独身男性なら、誰でもよいこと
になる。少しばかり面白くない。私の表情を読み取ったのだろう、彼女は「お相手をし
たい人は誰でも良い、というわけにはまいりません。もしかすると、貴方の驚く顔が見
たかったのかもしれません」
「驚くって」何を驚けばいいのだ。彼女と私の視線が絡み合う。彼女は前髪を掻き上げ
た。
 私の額がズキリと痛んだ。色も薄くなり、よく視ないと分からないが、小さな三日月
の傷が彼女の額に刻まれていたのだ。
「だって」私は二の句が継げなかった。だって男だったじゃないか。その言葉が喉から
出てこない。
「シカゴに行ってからというもの、無性に貴方に逢いたかった。その気持ちは男の子と
いうより、女の子のものだと幼い私にも分かりました」彼女は言葉を留め、ソーダーで
喉を潤した。グラスをテーブルに置いてから言葉を継ぐ。「逢いたくても、貴方は男と
しての私しか知りません。できれば女としての私と何も知らずに逢ってほしかったのか
もしれません」
 相変わらず、私の回路はパニックのままだ。訳の分からぬ事を口走った気がする。
 ふふふふっ、懐かしい笑い声が私の元に届けられる。それが私の心を落ち着かせてく
れた。 時間を忘れて、私達は色々なことを話し合った。口を開くのは私より、彼女の
方が多かった。
 父親と死別し、母親が再婚したということ。外資系の保険会社に勤めたため、三ヶ月
前に彼女だけが日本に帰ってきたということ。何度も連絡をとろうとしたが、どうして
もためらってしまうということ。一番驚いたのは、共通の知り合いに仲人好きの叔母さ
んがいたということだった。私の見合い写真――隠し撮りした物か、アルバムから剥が
した物かは、分からないが――が出回っていたのだ。知らなかっただけに憤りを感じ
る。反面、叔母に対して感謝の念も芽吹いていた。
「私、野原に行ってみたいなあ」その頃には彼女の口ぶりもだいぶ和らいで砕けてい
た。
「もうないんだ。空き地にも野原にも家が建っている。想い出しか残っていない」
「そう……」彼女の虹彩は過去を観ているのだろう、と私は想像した。
「それより、公園に行って組み手でもやらないか、これでも今では黒帯なんだ」
「あら、この格好で」彼女は立ち上がって、スカートの裾を摘み上げた。
「ああ、そうだったな」私は馬鹿みたいに頷いていた。
 彼女は手を差しのべ、「でも行ってみたいわ。つきあってくださる」
「もちろんだとも」私は彼女の手を握り立ち上がった。絡み合う指先が温もりに震えて
いる。私はゆっくりと指を解いた。料金を払うとき、マスターは口ひげを揺らし、片目
を閉じた。
 自動扉が開き、私は熱い空気をかき分け外に一歩踏み出した。後ろに正美が続く。振
り返ると、彼女のスカートの裾がはためいた。一陣の春風が私達を巻き込み、去ってい
ったのだ。
 そのとき私は知った。何かが終わり、また始まろうとしていることを。そして始まり
はいつも突然にやってくるのだと。

--了--





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