AWC お題>作家>サンダー&ライトニング   永山


        
#27/569 ●短編
★タイトル (AZA     )  02/06/28  23:11  (345)
お題>作家>サンダー&ライトニング   永山
★内容
 他の大勢の人達と同様、津堀虹太もハンマーで頭を殴られた経験はない。
 が、適当にチャンネルを切り換えていたテレビで、不意にそのテロップを目
にしたとき、ハンマーで頭を殴られるというのは、こういう衝撃なんじゃない
かと、彼は漠然と想像できた。

<濱中美代 電撃入籍! お相手は茶州賞作家 日立林蔵>

 深刻な腰痛に悩まされ、初めて欠勤した平日の昼過ぎ。寝床に横たわったま
ま呻きながら、缶のトマトジュースを飲み、出来合いのハンバーガーを頬張っ
ていた津堀だったが、その画面に目は釘付けとなり、口の動きは止まった。顔
をなるべく真っ直ぐに起こし、画面の右下隅に映じられた黄色い文字を見つめ
る。滅多に見ることのないワイドショー番組だった。
「静子のやつ、こんなに早く結婚するなんて……」
 静子とは、濱中美代を意味する。芸能人の濱中美代は、本名を田中静子とい
う。津堀がそれを知っており、なおかつ下の名前で呼び捨てにしたのは、彼が
濱中美代のストーカー紛いの大ファンという訳ではなく、幼なじみだからだ。
 ただの幼なじみではない。かつて、付き合っていた仲である。中学一年の半
ば頃から交際を始めて極めて順調かつ健全に進んでいた仲だったが、高校一年
の夏休みに静子が芸能事務所にスカウトされたことで変化が生じた。徐々に売
れ始めた静子は、親の賛同もあって、高二になった春を機会に、都心に出て行
ってしまった。無論、旅立つ直前に、お決まりの縁切り宣言がなされた。芸能
人にデビュー段階から恋人がいたのでは、人気に響くとの理由によるものだ。
未練の残る津堀だったが、彼女の熱意を尊重し、別れに同意した経緯がある。
 静子は見目のよさや才能に加え、運もあったのだろう。瞬く間に売れっ子に
なり、程なくして足場を確立した。そんな活躍ぶりを見ていた津堀は、別れて
正解だったなと思い込もうとした。その割に、新しい恋人は全くできなかった。
作る気になれなかったのかもしれないし、静子のおかげで知らず知らずの内に
贅沢になったのかもしれない。
 津堀がそれでも不満もなく暮らしてこられたのは、静子がタレントらしく独
身を通し、少なくとも表面上は恋人もいない様子であったから。心の片隅で、
引退したら戻って来るかもと期待する気持ちが皆無だったとは言えないが、そ
れを抜きにしても何となく、結婚しないものと思い込んでいた。世の中の男性
――二十〜三十代の男は皆そうだろう。番組のコメンテーターで三十代半ばの
男も、「これは意表を突かれましたねえ。まさに電撃ですよ。信じられないな
あ」としきりに言っている。
 チャンネルを変えかけた津堀だったが、リモコンを手に、思い止まった。
(静子を――濱中美代をその気にさせた男って、どんな奴なんだ?)
 津堀は普段から読むなら小説よりも漫画というタイプ故、日立林蔵なる作家
を知らなかった。新聞か何かで、名前だけ見たことがあるような気がしないで
もない、その程度だ。
 番組の司会を務める俳優や女性アナウンサーは、さっきから二人の馴れ初め
を語る他は、日立林蔵の代表作を挙げるくらいで、作家の顔写真や映像は出な
かった。とうに流したあとなのかもしれない。
 と、考えたそのとき、画面には濱中美代と日立林蔵の顔写真がそれぞれアッ
プで映された。
 濱中、いや、静子の愛らしい笑顔に向き合うかのように、小さな眼鏡を掛け
た優男が、自信に満ち溢れた表情で取り澄ましている。二枚目半といったとこ
ろか。首から下が映らないが、肥満体ではなさそうだった。
 津堀はしかし、納得できなかった。この程度の面相なら、芸能界に溢れ返っ
ている。いや、街中にだってごろごろいるだろう。
 となると、人柄に惹かれたか、性格や趣味が合うのか、はたまた仕事上の利
益を見い出したか(そこまでは考えたくない)。そういえば、先ほど流れた馴
れ初めとやらでは、三年前、日立の書いた小説の映画化に当たり、ヒロインに
起用された彼女はストーリーや役柄を大変気に入ったらしい。津堀もその映画
を観たが、それなりに面白いものの、濱中美代主演という点だけが取り柄の、
ありがちな恋愛ドラマで、映画向きとは思えなかった。茶州賞作家ってこの程
度なのかと感想を抱いた覚えがある。原作は読まなかったが。
(静子はあの手のドラマが好きだったからな。それに確か、濱中美代のプロフ
ィールで、趣味は……)
 以前買うかもらうかした雑誌に、濱中美代のプロフィールが掲載されていた
のを、おぼろげながら思い起こす。趣味として、読書と映画鑑賞がしっかり入
っていた記憶があった。
(あれを目にしたとき、昔はほとんど小説なんか読まなかった癖にと感じたか
ら、間違いない。ま、あのプロフィールを信じる限り、やっぱり、日立って奴
の小説に魅力を感じたことになるのかねえ)
 テレビ番組は、いつの間にか次のコーナーに移っていた。
 見るともなしに見ていた津堀は、昼飯がまだであることをようやく思い出し
た。袋から平べったい箱を取り出し、割箸を割ったところで、飛躍した考えが
突如芽生え、彼の頭の中を駆け巡る。そして独り言として音声化する。
「俺も作家になろう」
 ここで断っておくが、津堀は馬鹿ではない。
 ただ、ちょっと無知なだけ。小説ぐらい簡単に書ける、と考えているのだ。
 そういう人間なら、幼なじみで元恋人の芸能人を見返す(あわよくば振り向
かせる)手段として、作家になることを思い立つのは、極自然な流れであろう。
 手始めに津堀は、畳の上を這って狭い部屋を横断し、小さな本棚に辿り着い
た。本棚と言っても、六割を越えて本以外の物が突っ込んである。四割の本も
雑誌が多く、小説の類となると片手で事足りた。ベストセラーになったハード
カバー本は読みかけのまま放置。他には一大ブームを巻き起こしたハリウッド
映画の原作、お気に入りの漫画をノベライズした文庫本上下巻、そして駅のベ
ンチで拾った新書の推理小説。
 津堀は小説を書く参考にしようと、まずはハードカバーの背表紙上端に指を
引っかけ、取り出した。

 腰痛の収まった津堀は、茶州賞の応募要項を探し求め、種々雑多な文芸誌を
立ち読みしたが、見つからず、途方に暮れていた。
 公募情報をひとまとめにした雑誌があることを知り、そちらにも目を通した
が分からない。植本賞と並ぶ“二大誰でも知ってる有名な賞”である茶州賞を
掲載していないとは、この雑誌も大したことないな等と悪態をついていた津堀
だったが、ある日突然、疑問は氷解した。いつものように書店で、作家を目指
す人向けに書かれた入門書を手当たり次第に立ち読みしていると、『作家ファ
ーム』なる本に説明があったのだ。
 それによると、茶州賞は半年ほどのスパンで文芸誌に掲載された短編全作品
を対象に、選考委員が勝手に選んで決めるものという。植本賞もほぼ同様で、
ジャンルのみ異なることも初めて理解した。
 そして困ったことに、津堀が曲がりなりにも書いていたのは、植本賞に分類
されるべき傾向の作品であるらしい。
 茶州と植本、どっちが格上なのか知らないが、静子の相手が茶州賞作家だっ
たので、闇雲に茶州賞を目指そうと心に決めていた。だが、傾向が違うとなる
と、投稿しても圧倒的に不利、というよりも落選確実だろう。それくらいのこ
とは、津堀も理解できる。
 だからといって、今から茶州賞向けのジャンルを勉強するなんて苦労は、勘
弁してもらいたい。一年の内に結果を出したいのだ。
「さて困った」
 自室で机に向かい、腕組みをした津堀だったが、合理主義者的一面を持ち合
わせる彼は、都合のいい理由を編み出し、植本賞に狙いを転じた。
「日立林蔵と同じ賞を取ったって、静子は振り向いてくれまい。双璧をなすも
う一つの植本賞を取ってこそ、日立との違いを明確にできるというものだ」
 狙い目変更はいいとして、津堀には、文芸誌に掲載してもらう手段が分から
なかった。
 掲載先は商業誌でなくてもかまわないとあるが、望みは薄そうだ。山ほどあ
る同人会に今さら入って掲載してもらうには時間が掛かるだろうし、もしも新
入りの自分が即刻掲載されるような小さな会では注目されまい。出版社に直接
持ち込むのは、長編でなければ相手にされないようだし、ここは一つ、短編の
新人賞を目指すしかないと結論づけた。
 津堀はあまたある短編賞の中から、P出版社発行の雑誌に募集要項があった
賞に絞った。この雑誌に植本賞や茶州賞の選考結果が載るからだ。
 目標が決まると津堀は書いた。勤めは辞めていないので、睡眠時間を削り、
人付き合いを減らし、自炊の回数をゼロにし、風呂に入るのも二日に一度にし、
何だかんだと時間を作り出しては、書いて書いて書きまくった。
 と言ってもこれは彼の主観であり、実際には短編の分量しかなかったが……
ともかく、津堀は自信を持って、投稿した。

 記者会見を一時間後に控え、ドレッシングルームでは、男女が二人、向き合
って座っていた。間には白い木のテーブルがあり、その上には背の高いグラス
が二脚。それぞれ冷たい飲み物を湛える。否、湛えるというほどではない。
「いやあ、まさかこうなるとは、俺自身全く思っていなかった。ははは、は」
 津堀は笑いながら頭に片手をやり、布製のソファに腰掛け直すと、足を組み
換えた。嬉しさと懐かしさ、驚き、わずかな狼狽。みんなひっくるめて、彼を
笑顔にさせる。
「私も驚いた。田尻如飛人があなただったなんて、夢にも思わなかったわ」
 赤系統のドレスで着飾った静子もしくは濱中美代はそう答えると、耳たぶに
手をやった。イヤリングの位置を気にしたらしい。
 その仕種を前に、津堀は暫時、ぎこちなさがなくなったなあと感慨に耽り、
それからおもむろに応じた。
「そう? どこかに顔写真を出した記憶があるが……」
「そんな意味じゃなくて、あなたが作家になってるのが信じられないってこと
よ。気が付いていれば……」
「気が付いていれば、こんな仕事、引き受けなかった、とでも?」
「いいえ」
 細めた目で津堀を一瞥し、私は不機嫌なのよとアピールするかのごとく、た
め息をこれ見よがしにつく。そして思い付きのような自己フォロー。
「アニメの声優、前からやってみたかったのよね」
「てっきり、君は純文学一辺倒だとばかり思っていたけれど、漫画やアニメに
も関心持っていたのか」
「持つようになったのよ。これでも一応、アイドルから女優に脱皮したばかり
だから、幅広く支持を集めておくに越したことはなし。ちゃんとリサーチした
上で、あまたある中からこの仕事を選んだ」
「今以上に人気を得て、どうすんの」
「儲かるじゃない」
 身も蓋もない回答に、津堀は苦々しく頬を緩めた。話が続かないではないか。
それを言っちゃあおしまいよ、というやつである。
(俺の聞き方がまずかったかな。今以上に自分を忙しくしてどうするんだ、と
でも聞けばよかった)
 悔やんでも仕方がないし、つまらないことだ。津堀は話の軸を自身に移した。
「人気タレントの濱中美代さんが目を着け、わざわざ声優に乗り出すほど、俺
の『賑わい』シリーズって人気あるのかね」
「うちの事務所が分析したところ、基本的にマニアの物ね。だけど、出版元が
入れ込んでいるし、アニメーションや映画、ゲーム方面に強い関連会社もつい
てるから、幅広いビジネス展開が期待できるわ。だから、私も乗ることにした
のよ」
「計算高いなあ。情報網もばっちりだね、ゲーム化は決定事項なんだよ」
「当たり前よ」
「そんなことよりも……君は俺の書いた小説、読んでくれたのかい?」
「一通りわね」
「どうだった?」
「文字が並んでいた」
 津堀は唖然として相手を見返す。
 静子が恐い目つきで睨んでいた。
(何なんだ、その返事、その態度。何で不機嫌なんだ? 怒られるようなこと
を、俺がしたのか。別れてから十何年も経って、再会した途端にこんな態度を
取られる覚えはないぞ。別れた理由だって、そっちの都合に合わせてやったん
じゃないか)
 理不尽さを嫌というほど感じつつ、声に出しては聞けない津堀だった。
 静子はぷいと横を向くと、「ま、面白かったわよ」と付け加えた。
 津堀が表情を明るくしようとする。と、すぐさま挫かれた。
「子供向けだけど、サンダー&ライトニング文庫って、そういうところなんで
すってね。改行がいっぱい、台詞がいっぱい、挿し絵がいっぱい、すいすい読
めちゃった」
「物語に引き込まれて一気に読んだ……という誉め言葉ではないみたいだね」
「贅沢な紙の使い方をしているってこと。初めて見たわ」
「……日立林蔵とは大違いだって言いたいのか」
 口にすまいと思っていたのに、結局言ってしまった。静子に、言わせる方向
へと導かれた気がしてならない。
「そりゃ茶州賞作家さんとは、違うだろうさ。こっちは軽い物ばっかで、人生
を掘り下げたりしないもんな。慣れないことして掘り下げようものなら、埋も
れるのが関の山」
 最初、津堀は発作的に茶州賞を目指し、植本賞に変更したが箸にも棒にも掛
からず、それでもあきらめず意地になって投稿を続けた結果、数年を要して最
終的にサンダー&ライトニング賞に落ち着いた身だ。自分の作風が一番合うジ
ャンルにたどり着いたのだから、別に卑下する意識はない。今では漫画の原案
も手がけるようになり、稼ぎの面なら凡庸な純文学作家の遥か上を行くだろう。
 だが、日立林蔵が茶州賞作家であることを思うと、いや、静子の選んだ相手
が茶州賞作家であったという事実を前にし、差を感じてしまう。
「私、あなたのそういうところ、大嫌いよ」
「嘘つけ。全部嫌いみたいじゃないか」
「全部嫌いだったら、今度の仕事を引き受けると思う?」
「計算高くなったようだから、ないとは言えないんじゃないか」
「全く……」
 肘掛けについた手でこめかみを押さえた静子。ため息を一つ挟み、津堀の方
を向くと、意を決した風に口を開く。
「まだ公表していないんだけど、あなたには言っておくわ」
「ほう」
「日立とは離婚したの」
「ほう。……って、い、いつ?」
 思いも寄らぬ告白に、椅子の上でもがく津堀。両手を突っ張り、やっとのこ
とで身体を浮かせると、静子の前に立った。
「三年近くになるかしら」
 座ったまま、静子は下から答える。
「よく隠し通せてると感心しない? やっぱり、演技力のなせる業ね」
「た、た、確かに凄いけど、三年と言えば、結婚して一年経つか経たないかぐ
らいじゃないのか。な、なん、何で別れた?」
「……」
「あ、悪い。突っ込んだこと聞いてしまって。取り消す」
 興奮の最高潮が流れ去り、津堀は我に返ると、元いたソファに戻った。
 津堀が座ると、静子は自らの意志で答えた。
「あれはねえ、こっちは話題作りのつもりだったのに、日立が本気になってし
まって、周りにはいわゆる文化人ていうの? 文学界だけじゃなくそれ以外の
お偉方も大勢いて、引っ込みが着かなくなってしまったのよ」
「勢いで結婚したっていうのか」
「日立はいい人だし、うまくやっていけると思ったんだけれど、残念ながら見
損なっていたのよね。向こうにうるさく言う親戚がいなくて、割とあっさり別
れられたけれど、お互いのために、公表しないって取り決めをした訳」
 子供はいなかったよなと、津堀は記憶の糸を手繰る。気にしないようにと心
掛けたはずなのに、振り返ってみれば、濱中美代に関する話題ならほぼ全て知
っている自分がいた。
「私よりも、あなたはどうなの? 浮いた噂一つ聞かないけれど、どうやって
隠しているのかしらね」
「ライトノベル作家の異性関係なんか、世間一般は注目しやしない」
「うちの情報網なら、引っかかってもおかしくないわ」
「決まった相手はいないんだ」
 自嘲を込めて話す。
「ファンはそれなりにいるけど、みんな年齢が低くて、手を出したら、その手
が後ろに回ってしまう。あははは」
「面白くなーい」
「そ、そうか……」
「……」
 静かになった。時間が沈黙の布をまとって、足取り重く過ぎていく。
 津堀はグラスに手を伸ばし、ストローでジュースをすすった。その音が虚し
く響く。気まずさは拭えない。
「その赤いの、トマトジュース?」
 静子が口を開いた。
 津堀は、会話が唐突に再開された安堵感から、内容そのものを聞き逃してし
まった。
「え、何?」
「トマトジュースよね、それ」
「これ? ああ。何の飲み物がいいかって聞かれたから、これにしてくれって
頼んだんだ」
「やっぱり」
 頬を緩めてかすかに笑う静子。
「昔からトマトジュースが好きだったわね。何を食べるときでも、飲み物はト
マトジュース」
「御飯物を食べるときは、お茶だったよ。君こそ相変わらず、レモンティが好
きみたいだ」
 グラスを持ったままの手で人差し指を使い、相手のグラスを示した。半透明
の茶色の液体で満たされたそれは、中の氷や表面の水滴と相まって、涼やかで
美味しそうだ。
「人の好みは、そう簡単には変わりはしないわ。常識よ」
「そうかな。そうだな」
 適当に相槌を打ち、津堀は考えた。これって、よりを戻したいというアプロ
ーチなのか?と。
(でも、明らかに不機嫌だったし、さっき大嫌いって言われたし、彼女の価値
観からすれば、茶州賞作家に比べたら、俺なんか下の下だろうし)
「何でこんなペンネームにしたのよ」
 いつの間にか俯いていた津堀は、彼女の声に頭を起こした。静子の手元に、
今度のアニメの原作である津堀の文庫本があった。しなやかな指が、表紙の作
者名の箇所を押さえている。
「それは……如飛人は、文字通り、飛ぶ人の如くで、要するに飛躍したいって
ことと、今度の投稿で駄目だったら清水の舞台から飛び降りるつもりで付けた」
「あら、そうだったの。私はまたあなたのひがみ根性が出て、下賎な民という
意味の奴婢を言い換えたのかと思ってたわ」
「あいにくと、僕は言葉を知らないから、そんなこと、考えもしなかったな」
「田尻は何?」
「如飛人を決めたから、必然的にそうなった」
「必然?」
「本名のアナグラムさ。仮名ではなく、ローマ字でね」
 静子はアナグラムの意味を知っていたらしく、テーブルの上に指でいくつか
文字を書く仕種のあと、表情を明るくした。
「TUHORINIZITAを並べ替えたら、TAZIRINUHITOにな
るわね」
「そういうこと。知り合いに言っても、誰も気付いちゃくれない」
「――ねえ。私が高二のとき、上京するのを、あなたはどうして止めてくれな
かったの?」
 不意に、静子は少女に戻ったみたいにかわいらしく言った。
 面食らった津堀は、瞬きを盛んにするだけで、絶句。気が付けば、口をぱく
ぱくさせていた。
(どうして今頃、突然蒸し返すんだろ?)
 答えられないでいると、静子の台詞が積み重ねられた。
「それに、あんなに易々と別れてくれたのも、納得行ってないんだけどな」
「ひ――引き止めたら、君は思い止まったというのか。上京してメジャーにな
るのも、僕と別れるのも」
「それはあのとき、実際に引き止めてくれなかったから分からない。やめてい
たかもしれないわね。私が今問題にしてるのは、引き止めてくれなかった事実
よ。理由があってのこと?」
「理由……君の希望を叶えてやりたかっただけだな」
 せいぜい気取って、そんな台詞を吐く。取ってつけたようなとはこのことだ
なと、自分でおかしくなってしまった。だが、これが偽りのない本心である。
「それなら、やり直しましょうか」
「え。からかってるのか?」
 津堀はジュースを飲みかけでなかったことに感謝した。もしも口に含んでい
たら、吹き出していただろう。
 静子が毅然として言った。
「冗談や演技でこんなこと言わないわ。いくら私が女優をやっていてもね」
「ね、願ってもない話。い、いや、本当はちょっとだけ願っていたけど。でも、
どうして今頃……?」
 格好悪いなぁ、俺。津堀は転げ回りたいくらい恥ずかしくなったが、一度口
にしてしまったからには取り消せない。
「好みは変わらないってことかしらね。虹太もそうでしょ?」
 下の名前で呼ばれた津堀は、うんうんと大きく首肯した。
「それとね、もう一つ」
 何故かウィンクをした静子。
「たった今、気が付いたわ。私、ほんの少し、勘違いをしていたみたい。見間
違いかな」
「見間違いって?」
「好きな人の名前を見間違えていた。書く物、何か持ってない?」
 求められた津堀は、胸ポケットから愛用の万年筆を取り出し、渡した。愛用
と言っても使うことは滅多にない、作家としてのポーズの小道具であるが。
 受け取った静子は、「ちょっとカバーを汚すけれど、いいわね」と断ると、
返事を待たずに、文庫本のカバーを外し、その裏側の白い面に、何やら手早く
書いた。
「やっぱり、合っていたわ。よかった」
 書き終えた彼女は万年筆を返しつつ、嬉しそうにつぶやく。津堀は「これを
見て」という静子の手の動きにつられ、万年筆を受け取るのも忘れて、視線を
動かした。トマトジュースのグラスが邪魔なので、横にのける。
「……あ」
 大した偶然だと思った。


 HITATI RINZOU
 381112110 567942

       ↓

 TUHORI NIZITA


「そろそろ、会見場へお越しになる準備をお願いします」
 ノックのあとにドアを開け、そう伝えに来た係の者は、主役二人の変化に気
が付いただろうか。

 およそひと月後、アニメの人気が上昇カーブを描く最中に、彼ら二人の婚約
が発表され、ワイドショーを少しばかり賑わせた。
 それを表するに当たって、電撃婚約ではなく、サンダー&ライトニング婚約
と洒落た局があったとかなかったとか。

――終





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