#22/569 ●短編
★タイトル (PRN ) 02/05/01 18:03 (144)
賑やかな孤独 已岬佳泰
★内容
■賑やかな孤独 已岬佳泰
「葬儀は滞りなく終わってしもたよ」
半白髪の叔母、片平和代はやつれた顔でそう言った。
「すみません、何から何までお世話になってしまいました」
私は久しぶりの畳の上に、恐縮して畏まった。叔母の出してくれた座布団の座り心地
が悪い。
「いいんだよ。急なことやったし、誰も文句は言いやせんよ」
正面のつましい仏壇には、父と母の位牌が寄り添っていた。
――仲睦まじかった老夫婦の死。
新聞の社会面に、そんな小さな見出しを見つけたのは、ちょうど1週間前だった。そ
れが自分の両親のことだと分かって、私はたいそう狼狽えた。すぐにでも、家に戻るべ
きだろうか。それとも、気づかなかったふりをしてやり過ごそうか。
短い記事だった。
――4月13日午後6時ごろ、東京都町田市の民家で男女が死亡しているのを、訪問
した親戚の女性が発見し町田警察署に通報した。遺体で発見されたのは、民家に住んで
いた静井光太郎さん(65歳)と史乃さん(62歳)夫婦と判明。町田署によると、史
乃さんは1階和室の布団の中で、光太郎さんは2階の洋間で首を吊っており、足元には
踏み台にしたと思われる段ボール箱が転がっていた。検死の結果、光太郎さんは首を吊
ったことによる縊死、妻の史乃さんの死因は心不全で、史乃さんの死亡推定時刻が夫の
それより6時間後だったことが問題視された。ただ、史乃さんは体が弱く伏せりがちで
あったこと、室内に荒らされた形跡はなく、発見者が合い鍵で玄関を開けたと証言して
いることなどから、警察では犯罪の可能性は低く、おそらく、実際は眠り込んでいただ
けの史乃さんを、死んでしまったと勘違いした夫が後追い自殺を図ったのではないかと
いう見方をしているらしい。たまには二人してめかし込んで出かける姿を近所の人が見
かけたと言い、近所では評判の仲の良い老夫婦だったという……。
焼香を済ませると、そのまま辞去しようとした私に、叔母が形見分けを言い出した。
「なにか、思い出にできるものを持ってゆきなさい。ふたりは一人娘のあんたのことを
ずいぶんと心配していたからねえ」
叔母の言葉は、私の胸に突き刺さった。親元を飛び出したのは、もうずいぶん昔のの
ことだ。些細な言い争いだったが、それは口実に過ぎなかったと今では分かる。何かと
いうと「女は家にいるもの」と口うるさく干渉する両親に辟易していた。だから、大学
卒業とともに家を出た。小さなアパートを見つけ、そこで一人暮らしを始めたのだが、
以来、40歳に近づいた今日まで、娘らしいことは何もできてない。
年老いた両親は、年金生活をしていたはずだった。
平凡なサラリーマンだった父に、大した蓄えもなかっただろう。小さな総2階の借
家。遺品といっても、着古した着物や背広、年式の古い時計、べっこう櫛、それに僅か
ばかり残った預金通帳だった。私は箪笥の引き出し、それから和室の隅に置いてある小
さな姿見の鏡台を見た。姿見にかかった埃よけの布は色あせていたが、鏡は磨き込まれ
ていた。しかし、ふたつついている引き出しを開けても、中には使いかけのハンドク
リーム瓶がひとつだけ転がっているだけだった。なぜか涙が滲んだ。
振り返った私の視線が叔母と交錯した。
「母さんは、ろくな化粧品を持ってないね。たまに化粧して父と出かけることがあった
とか近所の人が言っているけど、それは何かの間違いじゃないかな」
「そうじゃねえ」
叔母が言葉を濁した。仏壇を見ている。
私はべっこう櫛を手にした。
「わたし、形見はこれにする。これなら見覚えがあるし、いつも身につけていられるか
ら」
「そうだね」
叔母が頷いた。その目の色が曰くありげな愁いを帯びている。何か言いたいのだ。
「叔母さん、わたしに自首を勧めるつもりなら、聞く耳は持たないよ」
先回りした私に、叔母は苦笑いした。
「あんたの事じゃないよ。あたしにそういうつもりがあるなら、とっくに警察をここに
呼んでるよ」
そうかもしれない。私が両親の死を知っても、すぐさま家に戻るの躊躇したのは、私
自身が警察から追われているからだ。警察は新聞発表こそしなかったが、死んだ夫婦の
一人娘が殺人未遂容疑で逃亡中だと知っている。私はまだ捕まるわけにはゆかない。今
日も、刑事の張り込みがないことを確かめるために、半日ほど家の様子を窺ったくらい
だ。
「何?」
「あんたの母さんのことさ。警察には言わなかったんだけど、今のあんたには伝えてお
いた方がいいかなと思って」
嫌な予感がした。連れ合いの不貞に気づいた時のような気分だ。頭に血が上ってはい
たが、包丁が刺さった時の嫌な感触は今でも私を悩ませている。男は一命を取り留めた
らしいが、そんなことは私の気休めにはならない。
叔母はそんな私を睨み付けるようにしながら、口を開いた。
「光太郎さんは自殺じゃなかったと思うんだ」
「は?」
「光太郎さんは殺された。おそらく、姉に。つまりは、あんたの母親にだ」
意外な言葉に私は喉を詰まらせた。
「だけど、新聞には自殺って書いてあったけど、違うの?」
「あの段ボール箱は、もともとあそこには無かったの。あたしが転がして置いた」
「?」
「ぶらさがった光太郎さんを見つけた時、その足元に足場らしいものがなにも見当たら
なかったから、あたしはあれ? と思った。これは自殺じゃない。ひょっとしたら、光
太郎さんは殺されたんじゃないかってね。きっと死期を悟った姉が光太郎さんを殺し
て、その後自分も息を引き取った。そういうことだろうとすぐに想像できた。でもあた
しは姉を犯罪人にはしたくなかった。あんたのこともあるしね。だから、あたしは段
ボール箱を探し出して、和室に転がして置いた。そうすれば、家には内側からぜーんぶ
鍵はかかっていたから、誰も自殺だってこと疑わないだろ」
「でもなぜ。なぜ母は父を殺したの?」
これは私の独り言だった。それには叔母も答えない。黙って、畳の上に座っている。
姉妹ということもあるが、叔母は母に背格好がよく似ていた。
そうか。
私はそっと溜息を座布団に落とした。
母が父を殺した理由。それが私の目の前にあることに気づいたのだ。
隣家の住人が見かけたという、父と出かけるおめかしした女は、たぶん、叔母だった
のだろう。父が叔母に対してどう思っていたかは知る由もない。しかし、母は寝込んで
はいても、その事に気づいていたに違いない。母の胸に去来したものはなんだったの
か。玄関にカギをかけ、そして父を縊死させた? それは女としての嫉妬、あるいは誇
りを傷つけられたからだろうか。
いや、違うな。
私の思考はそこで立ち止まった。
そもそも、病弱な母がどうやって五体満足な父を首吊りに見せかけることができたの
か。まさか、大の男を昏倒させて、ロープにつるした? そんな体力が母に残っていた
とは思えない。やはりあれは、父が自らの意思で命を絶ったのだ。病弱な母の行く末を
案じたか。警察で言うように、眠っている母を死んでしまったと勘違いしたか。とにか
く、母は自殺した父を発見した。そして母は考えたのだ。
踏み台を片づけよう。踏み台が無ければ、警察は必ず犯罪の可能性を疑うだろう。家
中のカギは閉まっている。自分は病弱で寝込んでいる。この弱り方なら、ひょっとした
ら、このまま死んでしまうかもしれない。そうなると、夫の遺体を見つけるのは、定期
的に家にやってくる叔母だ。叔母こそが、合い鍵を持っている唯一の人間で、この閉じ
られた家に出入りできる。つまり、父の死への疑惑は当然、叔母へと向けられるに違い
ない。
復讐。
背筋が冷たくなる。
しかし、私には強い確信があった。だって、彼女は私の母なのだ。
私に貼られたレッテルはたくさんある。殺人未遂で逃走中の危険な女。自分を捨てた
男を逆恨みして、包丁で刺したダメ女。
しかし、真実は違う。私は嫉妬に狂いそうにはなっていたが、連れ合いを刺し殺そう
としたのではない。私は、私の男を奪った相方の女を殺そうとしたのだ。連れ合いは、
その女をかばって刺されただけなのだ。
私は、あの女を許さない。こうして警察から逃げ回っているのも、いつか、あの女を
見つけだしてやると心に決めているからだ。そうして必ず、懲らしめてやる。
父の遺体を発見した叔母。彼女は、それが母の仕業だと思い、それを隠すために咄嗟
に段ボール箱を現場に置いたと言う。それが実は、父と叔母への母のささやかな復讐だ
とは気づいていない。いや、気づいて、知らぬふりをしているだけなのかもしれない。
だからわざわざ、私にこの話をした。私の反応を気にしているのだ。
私はもういちど、姿見の小さな引き出しを開いた。ほとんど何も入っていない引き出
しを見ながら、呟いた。
「それほどに父さんを愛していたのね、母さん」
突然、叔母がわっと泣き出した。
(了)