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★タイトル (sab ) 22/11/23 15:00 (275)
【本格】の積り『スキーマンションの殺人』4朝霧三郎
★内容
●16
刑事二人と斉木はスロープを見渡した。
「なんだ、こりゃ」と服部。
スロープの真ん中から左側壁面に向かって、半径1.5メートルぐらいのワ
ダチがあった。
「どうもおかしいんですよ」上に居た警部補の三木(渡辺哲似。60歳)が言
った。「足跡がないんです」
ワダチの両側はこんもりと新雪が降り積もっていて、なんの跡もなかった。
ワダチにはうっすらと雪があって、ところどころ、自転車のタイヤで擦れた
のだろう、グリーンのウレタンが見えていた。
壁面を見ると、はめ込みボードは脱落した訳ではなく、下一箇所のボルトで
ぶら下がっているのが分かった。
「おーい、下の人。何時壁が落下するか分からないぞ」と服部が地上の鑑識に
怒鳴った。 それからワダチを指し示して言う。「ここでハンドルをとられれ
ば落下する仕掛けになっている」
「こりゃ、一体どういう事なんだ」と三木。
服部はワダチを見ながら首を捻った。
小林が、斉木の脇に付いていた。
「いっつも、山城という人が最初に出勤するんですか?」と服部が聞いてきた。
「そうです」
「その前にここに来た者は」
「居ません」
「見てたのか」と三木。
「そういう訳じゃあ」
「じゃあ何で分かる」
「防犯カメラを再生すれば分かると思います」
「カメラは何処にあるんです」言うと服部は辺りを見回した。
「あそこにあります」斉木は屋上西側の監視カメラを指差した。
「何日分録画してあるんだ」
「本当は160時間だけれども、今は壊れていて16時間だな。それに、ここ
は死角になっているから映らないよ。日も当たらないしね」
「小林君、下に行ってチェックしてきてくれないか」
「はい」というと規制線のところまで行ってAM社の面々に警察手帳をかざし
て見せた。
「飯山署の小林といいます。捜査の必要上、あのカメラの映像を見たいのです
が、見せてくれませんか」
「じゃあ、大沼さん、見せてやってよ」と蛯原。
「俺がか。お前が自分で行ったらいいやんか」
「私はここを離れる訳には」
「まあ、大沼さん、それじゃあ連れていって下さいよ」と小林刑事にうながさ
れて二人はエレベーターで下へ降りて行った。
走査線の内側では、服部と三木が話していた。
「事件だよな」と三木。
「誰かがワダチを作っておいた。足跡もつけないで」
「うーむ。事件性は否定出来ないから、とりあえず職場の人間関係だけでも聞
いておいた方がいいんじゃないの?」
「そうですね」
服部は規制線のところに来ると、AM社の面々を見渡した。そして、高橋明
子に、「あなた達がこのマンションを管理している人達ですか?」と聞いた。
「そうです。私がコンシェルジュの高橋です。こちらが主任管理員の蛯原さん
。あと、清掃の額田さん、大石さん、沢井泉さん。あと今下に行ったのが24
時間管理員の大沼さん。あと、彼が斉木さん」
「それで全部ですか」
「あと一人、24時間管理員で非番の人がいますが。鮎川さん」
「それで、そこから転落した山城さんの職種は?」
「清掃です」
「それで全部かあ」
「そうです。それで…、山城さんはみんなに嫌われていたんです」
「何を言いだすんだ、突然、この女は。自分が本社の人間だからって」と蛯原。
「そうじゃないんです。私、昨日泉ちゃんに聞いちゃったんです」
「イズミ?」
「沢井さんです。沢井さんを車で送っていって、その時に…」
そして、高橋明子は、斉木の描いた絵図で額田が山城を清掃準備室から追い
出した事、
その為に蛯原を使って本通リビングに遠赤外線ストーブを買わせた事、山城は
、大石悦子、泉、蛯原、斉木を貧乏人だといってバカにしていた事、などを喋
った。
「それじゃあ俺には動機がないな」の額田。
「そうじゃないんです。額田さんは、マンション内の居場所の取り合いで山城
さんを嫌っていて、斉木さん達は、そもそも貧乏アパートだから、土地持ちの
山城を嫌っていたって感じです」
「面白くなってきたなぁ、ここにいる全員に動機があるって事か」と斉木。
「じゃあ、足跡がないっていうのはどういう事なんだ」と刑事の三木が言って
きた。
「そんなの、一本橋を渡る様に、雪の中を歩いていって、ワダチを作ってバッ
クしてくればいいだろう。その点に関して、額田さんは怪しいんじゃないの?
この人は、田んぼ5枚も6枚ももっていて、田植えをしているのを見た事が
あるけれども、歩行型の田植え機で、あんなぬかるんだ泥の中で、あんな機械
を押して行くんだからなあ、とび職みたいにバランスがいいんだから」
「そんな、足跡をつけてバックして戻ってきたなんて、古臭いやり方じゃない
よ」と額田が言った。
「おやおや、額田さんに何か思い付いた事でもあるの?」と斉木。
「俺は、何時もキッズルームの掃除とかしているんだが、蛯原は、自分ちの孫
のおもちゃを平気でここにもってきて置いておくんだよなぁ、公私の別がつか
ない人だから。その中に、リモコンのブルドーザーがあるんだよ。あれを使え
ば、遠隔操作で足跡をつけないでもワダチが作れるよ」
「えっ、俺がやったっていうの? ただ単にキッズルームにリモコンのおもち
ゃを置いただけで」
「そういう可能性もあるって言うの」と額田
「そういう可能性はないよ。あんなリモコンのおもちゃ、キュル、キュル、キ
ュルーって素早く動くんだから、実際の除雪なんて出来る訳ないよ。それに、
俺が思うに、あのワダチは、人の足跡やおもちゃでつけたものじゃなくて、何
かぶっといタイヤの様なもので付けたんだと思うんだな。それで俺が思い付い
たのは、鮎川なんだが。あいつはよく猫車を使っているから、あいつが、朝方
に忍び込んで猫車でやったんじゃないのか? ここの管理員は全員オートロッ
クの暗証番号を知っているんだから、裏エントランスからでも入り込めば出来
るだろう。それに鮎川は元自衛官だから、北海道雪まつりで雪の扱いに慣れて
いるんじゃないの」
「待って下さいよ。田植え方式にしろ、リモコンのおもちゃにしろ、猫車にし
ろ、そんなやり方でやったんだったら、あの西側のカメラから映りますよね」
と服部まで謎解きに参加してきた。
「それが、死角になる場所があるんですよ。このスロープから降りていって、
3階の駐輪場から車のトランクの下の方を歩いてくれば映らないで済むんです
」と明子。
「しかし、マンションに入ったならエントランスや裏エントランスには映るで
しょう」
「それはそうですが」
「じゃあ、それを下にいる小林刑事に確認してもらいましょう」言うとスマホ
を出して電話した。「ああ、あのねえ、昨日の5時以降、このマンションにA
M社の人間の出入りがあったかどうか監視カメラ映像で確認してもらえないか」
15分経過。
「なに、そうですか。わかりました。ありがとう」そしてスマホを切る。「1
7時に退社以降、AM社の人間の出入りはない、又、深夜0時以降は、明け方
の5時半に新聞配達が来た以外に人の出入りはない、との事です」
「振り出しか」と斉木。
服部と三木はワダチに近付く。
「どう、何か変わったもの落ちていない」と服部が鑑識に聞いた。
「それが、このワダチなんですけれども、ウレタンがところどころ出ていて、
それは、自転車のタイヤ痕だと思うのですが、ウレタンがめくれているんです
よ」
「なにぃ」と三木。
服部と三木は鑑識のところに行ってしゃがみ込むとウレタンを凝視した。
「ここのところとか、ここのところです」と鑑識が指差す。
「本当だ。大人の親指ぐらいの大きさのめくれが、点々と、ワダチにそってつ
ながっている」と服部。
「清掃で使っている雪かきの柄は、みんな鉄パイプがむき出しになっていて、
あれで、がりがりやれば、こんな傷がつくかもな」と斉木。
「ありゃあ、どのデッキブラシも雪かきもああなっちゃっているんだよ。凍っ
た雪をつつくだろう、一階の通路の脇とか。そうすると、ああなっちゃう」と
額田。
「そういえば、昨日の朝礼で、蛯原さんが、理事の車の所に凍った雪があるか
ら除雪しておけって言っていたよなあ。あと、山城に言われて、スロープにも
凍結した雪があるって。蛯原さんが、清掃員の誰かにやらせたんじゃないの?
」と斉木。
「そんな事はやらせていないよ。管理規約にないから。嘘だと思うなら、防犯
カメラを見ればいい」
「だってあれには16時間しか残らないんだろう。だったら、昨日の4時以降
は映らないんだぜ」
「その理事の車というのはどれですか?」と服部。
「あれです」と、エレベーター出口の脇の車を明子が指差す
「見に行ってみよう」
全員で、ぞろぞろと、理事の車の方へ移動した。
「こっちは完璧にウレタンが露出しているね。多分日当たりがいいからだろう
が」
服部、三木、斉木が膝に手をついて中腰でウレタンを見る。
「ほら、こっちにも、点々と親指ぐらいのめくれがあるね」と服部。
さらにしゃがみ込むと、服部はめくれを指でつまんで「これは、何か、接着
剤の様なものでくっつけてあるな」と言った。
「そりゃあ、アロンアルフアよ」と大石悦子が言った。「アロンアルフアとい
えば、蛯原さんよ。だって、蛍光灯のカバーだってそうやって直すと言ってい
たもの」
(浴室の電灯のガラスカバーもアロンアルフアで養生していたんだわ)と明子
は思った。
「ええっ。これを養生したのは、あなたなんですか?」と服部。
「しらないね」と蛯原。
「あなた、何か隠していませんか?」
「別に、アロンアルフアぐらい誰だって使うでしょう。」と蛯原。「そんな事
よりも、足跡がついていなっていうのは、解決したの?」
その時、「ジングルベル、ジングルベル、すずがなる♪」という子供達の声
が、風にのって聞こえてきた。
(あれ、あれは子供達が歌っているんだろうけれども。今日は、土曜か。学校
は休みか。謎が解けた)
「謎が解けました。私に喋らせて下さい」と明子が言った。
「なんだ、君ら、素人が」と三木。
「まあ、いいじゃないですか。聞いてみましょうよ。高橋さんだったね。聞か
せて」
「いいですか。じゃあ喋ります。
今日は24日ですよね。23日の朝に、山城さんは、ここで凍った雪を発見
していますから、その前の日の夕方あたりだと思います。犯人ミスターXが、
雪のないスロープの真ん中に、半径1.5メートルに左カーブに、雪を盛って
行ったんじゃないでしょうか。
そうすれば翌日には、そのカーブの箇所だけが凍結すると思います。それに
山城さんは滑りそうになった。そして蛯原さんに除雪しておけ、と文句を言っ
た訳です。
ミスターXは、それを誰か、例えばですが、泉あたりに、あの凍った雪をと
っておけと命令する。でも、清掃部隊の雪かきはプラのだから、取れない。だ
ったら柄の方でがりがりやれ、あの氷で居住者が滑ったりしたら損害賠償10
0万円だぞ、とかと脅かしてやらせる。
脅かしが効いて、泉が必死にこじったら、ウレタンがぺらぺら剥がれてしま
った。
泉はミスターXのところに行って、屋上のウレタンが剥がれちゃった、と言
う。
そりゃあ弁償かもしれないな、と脅かす。張り替えたら何10万もするかも
知れない。でも、最低賃金で働いているのにそこまで弁償させられたらたまら
ない。だから、アロンアルファで養生しておけばいい。そうやって誤魔化して
おいて、秋になれば5年点検があるから、それまでばれなきゃあ、ちゃんと点
検したのかよ、って言えるから。
だから、来年の秋になるまでは、二度とウレタンの剥がれた箇所をこじられ
ない様にしなければならない。
それには雪が降る度に、塩化カルシウムを撒いておけばいい。でも、塩化カ
ルシウムにも限りがあるので、スロープ全面にまくってわけには行かない。だ
から、ウレタンがはがれている所にだけまいておけばいい。
そうすれば、翌日には、1.5Rのワダチが壁に向かって出来てる。
そうやって、やったんじゃないでしょうか。
ついでに、雪が吹雪くと、あそこの壁面にも吹き積もる。それが凍結して落
っこちたら危険だから、あの枠のところに塩化カルシウムを撒いておけ、と言
っておけば、枠のボルトも錆びるだろうし。そうしたら、ああなった。
それでミスターXは誰か。それは蛯原さん、あなたでしょう」
「な、なんで?」
「さっきこの最上階に来た瞬間、理事の車を見て、こことスロープのめくれと
で、物損が大変だって言っていたじゃないですか。理事の車の所のウレタンが
めくれているからって、何でスロープの方にもめくれがあるって分かったんで
すか? それは、両方とも、柄でこすって、めくれを作って、その上に石灰を
撒くという事をさせたからじゃないですか? 語るに落ちたんじゃないですか」
「ちげーねえや」と斉木が言った。「思い出したが、今朝新聞屋が、ワダチに
ハンドルをとられてコケそうになったから、雪かきしておけ、って、蛯原に頼
んでおいた、って言っていたよ。それが22日の事。その時に、こんないたず
らを閃いたんじゃないの?」
「くうっ くっくっ ううっ うっうっ、うーーーーー」突然、泉が泣き出した
「だって、お母さんが病気だから、お金がいるから、弁償なんて出来なかった
んです」
「泉、余計な事を言うな」と蛯原が手で制した。
「だけれども、私は、山城さんが滑り落ちるなんて知らなかったんです。ただ
、雪かきをしろって言われて、そうしたらウレタンがはがれちゃって、今度は
アロンアルフアで貼って、その上に石灰を撒いておけ、って言われたから、そ
うしただけなんです」
「誰に言われたんだ」と服部。
泉は黙って蛯原を指した。
「くっそー。だけれども、俺だって、山城が滑るなんて事は知らなかったとも
言える。というか、知らなかったんだよ。そうだ、俺は知らなかった。だたウ
レタンを守る為に石灰を撒いただけだよ。それが罪になるのか?」
「それは分からないな。検事にでも言って下さいよ」と服部。「とにかく、蛯
原さんと、沢井泉さんは署に来てもらいます。いいですね」
制服警官が二人を押さえた。
「はなせっ、はなせっ」両脇を押さえられても蛯原は暴れていた。
「さぁ、さぁ、いいから」と警官。
「離せ、誤認逮捕だ」
「さぁ、さぁ、これ以上暴れると手錠はめるぞ」
「はなせー」と嫌がって尻込みする蛯原は、強引に両脇を固められて、エレベ
ーターに乗せられていった。
泉はうつ向いたまま、しゃくりあげて、両脇を絡められて連行されていく。
少しして、ウゥゥゥウゥゥゥ〜〜〜〜とパトカーのサイレンが響いた。
回転灯を付けたパトカー2台が北の出口から出て行く様子が、駐車場屋上か
らでもよく見えた。
●17
「はぁーあ、全く、後味の悪い話だよな。」と斉木が言った。「それは、貧乏
人が金持ちを退治したのに処罰されるからなんだよな。ひでー話だ。貧乏な泉
が更に貧乏になる。
額田さん、次はあんたが狙われるかも知れないぞ。そうならない為に、コメ
20キロ、30キロずつ、泉の家と蛯原の家に贈与しろよ。
全く、百姓なんて、そりゃあ江戸時代200年ぐらい苦労していたかも知れ
ないけれども、戦後みんなが飢えている時に銀シャリ食っていたんだものなあ
。そんなのが新幹線が出来て土地成金になってさあ。全く不公平ったらねーよ」
「だからって、人を殺していいって事にはならないだろう」と額田。
「そうかねぇ。フランスじゃあ貧乏人がルイ16世もマリーアントワネットも
殺したんだぜ。何で日本でそれをやったらいけないんだよ。意識が低いから、
格差社会のままなんだよ」
「全くあんたはナロードニキみたいな男だよな。まあ泉んちには米の20キロ
ぐらいやってもいいけどな。それは、職場の仲間だからだよ」
「ふん」
斉木は、ゲレンデの遥か彼方に見える妙高山を見た。
雄大な自然を見たところで心は晴れなかった。それどころか、
(北陸新幹線なんて必要だったのか)と思えるのだった。(そんなもの出来な
いで、山城も泉も貧乏なままだったら平和だったのに)と、斉木は思うのであ
った。
【了】