#462/598 ●長編 *** コメント #461 ***
★タイトル (AZA ) 14/08/31 01:40 (442)
共犯者は天に向かう <下> 永山
★内容
* *
(一ノ瀬君に嘘をつくつもりはなかった)
十文字龍太郎は対決を前に、心中で言い訳をした。
(こうなったのは名探偵としての必然だ。彼女や百田君に、事前に打ち明けた
のは、どこかで止めてもらいたい気持ちが無意識の内に芽生えていたからかも
しれない。その弱さを、自らの意志で克服できたからこそ、僕は今、ここにい
る)
瀧村が指定してきた場所は、都内にある某シティホテルのロビーだった。平
均的なファミリーレストラン程度の広さがあり、宿泊客と来訪者が待ち合わせ
て少々話す程度なら問題なく利用できるようになっている。十文字は十ほどあ
るソファセットの内、壁際の席を選んで座っていた。そこからなら、ホテルの
玄関、フロント、エレベーターの三箇所がどうにか一度で視界に入る。
昨日、百田や一ノ瀬と会った折り、十文字は瀧村からのメッセージを予め改
竄しておいた。本来の便箋の文面には、日時と場所が指定されていたのだが、
そこを隠すことにした。代わりに、十文字が瀧村の挑戦に応じれば、改めて日
時と場所を報せてくることになっているかのような文章をこしらえておいた
のだ。
元のメッセージでは、八月末日の正午までにこのホテルのロビーに来て待て
とあった。このあとどうなるかについては、全く触れられていなかった。
(あと三分余り)
腕時計を見て、さらに壁の高い位置にある掛け時計に目線を移して、ずれが
ないことを確かめた。
(瀧村が他人を巻き込むような真似はしないと信じたいが……一ノ瀬君の意見
も無下に否定できないしな)
落ち着こうと努めているのだが、じきに辛抱できなくなり、きょろきょろし
てしまう。志木を名乗っていた頃の瀧村の顔は、警察で写真を見せてもらって
知っている。だが、相手が今現在も同じ顔でいるかどうかは分からない。
(どこかからこちらを観察しているのだろうか。あるいはより積極的な攻勢を
仕掛けるために、狙いを定めているのかもしれない)
思わず首をすくめる。弱さを振り払い、強くなったつもりだったがそれは錯
覚で、無謀な行為だったかもしれない。
(ここまで来て引き返せるか)
肝を据え、時刻の到来を待つ。最前までは長く感じた三分が、瞬く間に過ぎ
た。
そして正午になった。
同時に、館内放送が流れ始める。
「**よりお越しの十文字様。メッセージをお預かりしております。一階フロ
ントまで足をお運びください」
十文字は床を蹴るようにして立つと、フロントのカウンターに急いだ。十文
字であることを名乗り、必要であるならばと生徒手帳を用意した。
実際には身元を確かめられることはなく、「一一三号室にご案内するよう、
瀧村様より承っております」と告げられた。
「部屋に? つまり、僕にチェックインしろという……?」
「瀧村清治様のお名前で、部屋を取っておられます。瀧村様のお支払いも済ん
でおりますが、いかがいたしましょう」
男性スタッフは笑顔のまま応対を続けた。何者かに脅されている様子は微塵
もない。また、十文字の身元を詮索することもない。ただただ事務的に仕事を
こなそうとしているだけのようだ。
「分かりました。お願いします」
十文字はチェックインの手続きを済ませ、案内を請う。すると、ポーター役
の従業員を呼ばれた。まさか泊まるとは想像しておらず、持って来たのはクラ
ッチバッグ一つで、運ばせるような荷物はないのだが。引き継がれる前に、フ
ロントの男性に尋ねる。
「瀧村さんはこちらのホテルに泊まっているのか、分かります?」
「お泊まりです。瀧村様から、もし尋ねられた場合は答えてかまわないとの旨
を承っておりますのでお答えしますが、一一三号室の隣、一一二号室に昨日よ
りお泊まりです」
「隣……。今、在室中かな?」
男性スタッフはキーボックスを覗く仕種をしたあと、「ご在室か否かは分か
りかねますが、当ホテルの外には出られていないと思います」と返事をよこし
た。
「なるほど。ありがとうございます」
早口で礼を述べると、若い(もしかすると高校を出たばかりくらいの)ポー
ターのあとについて、エレベーターに乗り込む。このホテル、一階はロビーや
レストラン等の共用スペースで占められ、客室はない。グランドフロアという
やつだ。部屋番号は、実際の階数からマイナス1×百番台になっている。
まさか泊まるとは想像しておらず、持って来たのはクラッチバッグ一つで、
運ばせるような荷物はない。
「こちらでございます」
ドアを開け放した状態で、中を見せられながら、ポーターによるお決まりの
説明を聞く。それが済むと、十文字はポーターを呼び止めて質問した。
「つかぬことを尋ねますが、隣の一一二号室の案内をしたのはあなた?」
「左様ですが」
「瀧村さんを見ている訳ですね。どんな方です? 年齢や顔立ちとか」
「そうですね……四十前後の小柄な男性です。お顔をじろじろ見るようなこと
はしておりませんが、濃い顎髭と小さめの目が印象に残っております。それか
ら、髪は白髪まじり、というよりも白髪の方が多いくらいでした」
「ふむ」
内心、首を傾げたくなった十文字。写真で見た瀧村清治は、二十歳前後のい
かにも今時の大学生然とした格好をしており、髭もなかった。身長もどちらか
と云えば高い方だろう。
(変装の可能性もなくはないが、ひょっとすると替え玉?)
十文字は思考を打ち切り、ポーターに礼を述べた。
「ところで、泊まり客について他人から聞かれたら、いつもこんな風に喋って
くれるんですか?」
「いえ、とんでもないです。特別な事情がない限り、お話ししませんよ」
「じゃ、瀧村さんは特別なケースなんだ?」
「はい。ご本人から、もし一一三号室のお客に聞かれたら、答えるようにと」
「またか」
思わず呟いた。もう行ってもらおうと、手をひらひら振ったが、不意に思い
とどまった。ポーターの肩を掴まえ、最後の問いかけを発する。
「答は事実なんでしょうね? こう答えるようにと嘘の答が用意してあったん
じゃありませんよね?」
「本当ですよ」
ややきつい口調で返事すると、ポーターは十文字の手を振り切るように、廊
下を引き返していった。
十文字は一一三号室に入ると、バッグをベッドの脇に放った。洋間で、広さ
は十五平米ほどか。ライティングデスクにテレビにティーセット等々と一通り
揃っている。十文字はそれらを含め、室内を調べて回った。瀧村からのメッセ
ージがどこかに隠されている可能性を考慮してのことだ。しかし、浴室やトイ
レまで覗いたが、何も出てこなかった。
「……隣に行くしかないか」
独り言を口にしたのは、自分の背を自分で押すため。
鍵を持って部屋を出る。オートロックが作動したことを確かめ、隣の一一二
号室を訪ねた。
ノックする。反応はない。次にノックと同時に呼び掛けてみた。
「瀧村――さん? 云われた通りにやって来た。指示通り、部屋に入りもした。
これからどうする?」
返事を待ちつつ、考える。ホテルでの手配を本名で行うとは、何という大胆
さだろうか。僕が警察を連れて来ていたら、一発でアウトじゃないか。という
ことは、部屋にとどまっているとは思えない。いや、ホテル内にいるかすら、
怪しいのではないか?
室内からの返事はない。ドアの隙間に何らかのメモが挟まれていないか、探
してみたが、見当たらなかった。
「結局、部屋で待てということか」
舌打ちまじりに呟いた十文字は、念のためにと目の前のドアノブに手を掛け、
回してみた。
「――あれ?」
軽く回った。押すと、音もなく開く。自分に宛がわれた部屋とそっくり同じ
空間が広がる。
「オートロックなのに開くってことは」
しゃがむと、ドア側面の錠を視認した。半透明のゴムテープがしっかりと貼
り付けてあった。
改めて室内に視線を戻す。三歩ほど中に進み、部屋全体が覗ける位置まで来
た。
「うっ」
ベッドに上半身を投げ出すようにして、男が一人、仰向けに倒れていた。両
足は床に着いている。全く動かない。
恐る恐る接近し、顔を見る。
「瀧村……か?」
横たわる男は半眼になっており、若干分かりづらかったが、写真で見知った
瀧村清治に間違いない。
十文字はさらに近付き、顔を寄せた。呼吸音がまるで聞こえない。全身から
発せられているはずの体温も、感じられない。
(恐らく、死んでいる……)
これまでの経験に照らし合わせ、十文字は判断を下した。少しの間考え、自
前のちり紙を指先に巻いて、瀧村の肌に触れてみた――生きている者の温度で
はなかった。冷たい。
(見える範囲に、外傷はない。病死か? しかし、ゴムテープが気になる)
早く警察に届けねばと思いつつも、もう一人の自分が眼前の変死体に興味を
そそられ、調べずにはいられない。
(これが殺人で、テープを貼ったのが犯人だとすると、その狙いは何か。もし
や、犯人はこの部屋を一旦離れたが、また戻ってくる気ではないのか? いや、
それなら鍵を持ち出せば済む話。テープは不要。そうなると……まさか、僕に
罪を擦り付けるため、部屋の出入りが誰にでも可能な状態にした? だが、誰
がそんなことを。僕を一番恨んでいるのは、死んでいる瀧村じゃないのか)
混乱してきた。それに、ぐずぐずしていると第三者にこの場を見られ、余計
な疑いを招く恐れ、なきにしもあらずだと気付いた。
あと五分だけと自らにタイムリミットを課し、十文字は室内を見て回った。
瀧村の持ち込んだであろう荷物を探す。調べれば、この男がどんな計画を立て
ていたのか、分かるかもしれない。そううまく行かずとも、ヒントくらいは得
られるんじゃないか。
期待を込めて探索に着手した十文字だったが、目的の物は見つからない。な
らば、遺体の着ている衣服を調べようかとも考えた。が、何か入っていそうな
尻ポケットを探るには、遺体の向きを変えねば難しい。さすがにそれはまずい。
「あ、忘れてた」
閃いたと云うほどでもないが、十文字はまだ探していない場所があることに
気付いた。浴室を見ていなかったのだ。
トイレを併設したその空間に通じるドアは、下部に二センチほどの隙間が設
けられていた。犯人が隠れ潜んでいる可能性もゼロではない。念のため、床に
頬を寄せるようにして、隙間から中を覗く。人の足が見えるようなことはなか
った。白いタイルがあるだけだ。姿勢を戻すと意を決し、ドアを引き開ける。
と――。
「うっ」
一一二号室に入って以降、二度目の呻き声を発した十文字。
防水カーテンの開け放たれた向こうに、赤く染まったバスタブがあった。中
には、小柄な男が半裸の状態で蹲っていた。血塗れで、恐らく絶命している。
(うう……。この人物は、ポーターが云っていた男のイメージに重なるな。顎
髭、細い目、体格)
そこまでで限界だった。時間的にも精神的にも。
これ以上、とどまってはいけない。現場を乱してはいけない。通報を遅らせ
てはいけない。
頭の中で、警鐘がけたたましく鳴り響く。十文字は歯を食いしばり、部屋を
出た。
現場から目を離すのはなるべく避けたい。携帯電話を使いたいが、生憎、こ
このフロントの番号を記憶していない。仕方がないので、自室に戻り、備え付
けの電話を利用した。
* *
「一瞬、心配しましたよ。ひょっとしたら、瀧村って男の呼び出しに応じた挙
げ句、連れ去られたんじゃないかと」
当人から説明を聞いた僕は、大げさでなく、安堵の息を漏らした。
反応は、十文字先輩宅に集まったみんな――五代先輩、音無、一ノ瀬――も
似たり寄ったりだった。前もってある程度聞いていたのであろう五代先輩は、
「本当に人騒がせなんだから」と十文字先輩の肩を叩き、揺さぶった。音無は、
「次の機会が万が一訪れた折は、自分が着いていきます」と宣言した。そして
一ノ瀬は、「だから云ったのに〜」と甲高い声で先輩の軽率さを責めたが、無
事だったことにほっとしているのは傍目からでもよく分かった。
「反省している。心配を掛けて済まなかった。すぐに知らせられたらよかった
んだが、警察に色々と長時間、聞かれたのでできなかったんだ」
「言い訳しない。そこを含めて反省しなさいっての」
警察一家に育った五代先輩は、舌鋒鋭く云い放つ。先輩二人の間はいつもこ
んな調子なのだが、今回はややきつめかな。
「分かったよ。でも、気になるから教えてほしい。捜査はどこまで進んでるん
だろう?」
シティホテルでの殺人に関して、十文字先輩への容疑は初期の段階で、簡単
に晴れていた。瀧村及びバスタブで死んでいた菱川邦義の死亡推定時刻がそれ
ぞれ当日の午前十一時前後、午前九時から十一時と算出されたのだが、その時
間帯、十文字先輩には堅固なアリバイがあった。自宅からホテルまでの移動時
間が、そのままアリバイとなるのだ。
加えて、ホテルのエレベーターには防犯カメラが備わっており、内部及び各
階での乗降がきちんと記録される。死亡推定時刻を含めた三時間程度の映像を
警察がチェックした結果、十文字先輩の疑いは完全に晴れたのだ。
「それどころか、極めて怪しい人物が写っていたのよ」
精神的ショックの大きい高校生探偵の安心・安静のためと理屈を付けて、五
代先輩は捜査の進展具合を話してくれた。
「映像はさすがに持ち出せないので、口で説明するしかないんだけれど……何
ていうか、ぼやーっとした陽炎みたいな、でも時折銀色に煌めく感じの人影が
映っていた」
「陽炎みたいな銀色の人影? 何だそれは。お化けじゃあるまいし」
「まだ途中なんだから、黙って聞きなさい。これは着ている服が原因なんだっ
て。再帰性反射材を表面に使った服を、カメラを通して見ると、今云ったみた
いにぼんやりと映ってしまうらしいわ」
「再帰性……ああ、透明人間を作り出す実験で使っているのを、テレビで観た
ことがある」
それなら僕も観た覚えが。えっと確か、光を、入ってきた方向にそのまま返
すのが再帰性反射材の性質だったかな。で、その性質を利して、反射剤を塗っ
たフード付きコートを着込んだ人物に、背景画像をリアルタイムで投影し、透
けて見えるような錯覚を起こさせるとかどうとか。
「その再帰性反射材を使った衣服を着ていると、防犯カメラでも人物を明確に
捉えられないのは分かった。だが、何故その人物が怪しいとなるんだろう?
たまたま、そういう素材の服を着ていただけかもしれないじゃないか」
「その人物が着ていたのは、踝まで隠れるロングコートで、頭部もフードを被
って隠していたそうよ。八月末の晴れ渡った日に、そんな格好で歩き回るなん
て不自然だというのが捜査本部の見解」
「なるほどね。しかし……何らかの病気かもしれない。たとえば、太陽の光に
極端に弱いといった」
「それなら、コートを常にしっかり着込んでいるはずよね。凄く目立って、目
撃者が大勢出るはず。ところが実際には、目撃者は皆無。この事実から導き出
されるのは、問題の人物が防犯カメラの撮影範囲でのみ、再帰性反射剤のコー
トを着たことにならない?」
「うむ。納得したよ。足元まで隠れるコートを着ていたのも、映像から人物を
特定されることのないよう、考慮した選択だろうしね」
「どういう意味ですか?」
音無が尋ねると、先輩は息苦しさから解放されたような笑みを見せた。
「科学技術は日々進歩しているという意味さ、音無君。やろうと思えば、歩い
ている映像を分析することにより、かなりの確度で一個人に絞り込める。ただ
し、比較するデータがなければだめだが」
「再帰性反射材を使った服を着て、足元まで隠した人物相手だと、絞り込みが
不可能になるということですか」
「不可能と断言してよいかは分からないが、極めて困難になるだろうね」
十文字先輩の話を受けて、五代先輩が再び口を開く。
「だから、怪しい人物がいるにはいるが、ほとんど手掛かりなしというのが現
状。身長が百六十五センチ前後と推定されているものの、着る物に気を遣った
容疑者だから、慎重にも小細工をしているかもしれない。靴が上げ底だったり、
フードの下に詰め物をしていたり」
「瀧村の持ち物は見つからなかったんだろうか?」
「そのようね。チェックイン時にはボストンバッグサイズの手荷物があったと
いうから、犯人に持ち去られた可能性が高いとみている模様。手帳やメモの類
も、現場からは見つかっていない」
「そういえば、死因を聞いてなかったっけ。まだ判明していないとか?」
「今朝一番に分かったって。これはまだ公にしてはいけない情報だから、特に
他言無用よ。――静脈に空気を注射し、空気塞栓を引き起こさせたと推測され
る、だってさ」
五代先輩は生徒手帳を開き、そこにあった一文を読み上げた。
十文字先輩は椅子から身を乗り出し、首を傾げた。
「空気注射? よほど大きな注射器でなければ、その方法では死なないと読ん
だ覚えがある。空気を細い血管に送り込むには、単純に道具が大きければいい
って物でもないだろうし」
「その点はまだ不明。注射器の類も発見されてないんだから、推測の域を出な
いというやつね」
この返答に、十文字先輩はしばらく考え込んでいたが、やおら、次の質問に
移った。
「浴室で殺されていた男の方は? 菱川という名前の他に何か判明してないの
かな?」
「いわゆる路上生活者で、年齢は五十ちょうど。詳しい身の上はまだ。瀧村ら
しき男に声を掛けられ、どこかへ行くのを仲間が目撃していたらしいわ」
「ありがちな線では、金で雇われ、身なりを整えた上で、瀧村を名乗ってホテ
ルにチェックインしたってところか。そもそも、瀧村自身はどうやってホテル
の部屋に入れたんだろう? 混雑時を狙ってうまく紛れたのかな?」
「紛れたと云えば確かにその通りなんでしょうけれど、もう少しだけ凝ってい
たみたい。防犯カメラの映像を当たったところ、菱川に似せて軽く変装をした
上で、ホテルに入ったと確かめられてるから」
「……話を聞いてると、エレベーターに乗る前の段階にも、防犯カメラはある
のかい?」
「ええ。玄関に向けて一台と、ロビー全体を見渡す一台が」
「じゃあ、最重要容疑者である再帰性反射材の人物が、映っているかもしれな
いじゃないか」
「もちろん、調べている。再帰性反射材の服を上から着込む前だろうから、簡
単には見つからないだけよ、きっと」
五代先輩の説明に、十文字先輩はしきりに頷いた。
「もしくは、コートは捜査陣や僕らの勝手な想像で、意外と薄手にできている
のかもしれないな。上から普通の服をもう一枚着ることで、隠せるような」
「さすがに可能性は低そうだけれど……」
「再帰性反射材の服を着脱したという見方にのみ囚われていたら、映像チェッ
クで無意識の内に、半袖や薄着の人ばかり注目してしまう恐れがある。優秀な
日本の警察官が、そんな思い込みをしちゃいないとは思うけれどね」
「……分かった。一応、注意喚起してもらう。他には? そろそろお暇しない
といけないのよ。用事があって」
五代先輩が時刻を気にする仕種をすると、十文字先輩は「じゃあ、あと一つ
だけ」と指を一本立ててみせた。
「菱川の死因というか、殺害方法は?」
「刺殺。何らかの刃物で、胸板と腹部を一度ずつ。服を身に付けていなかった
点から、入浴しようとしていたとき襲われたとの見立てよ。これでいい?」
「ありがとう。また何かあったら頼むと思う」
「反省が足りないわね。自重してよ」
そう云い残すと、五代先輩は足音を立ててどたばたと出て行った。本当に急
ぎの用事があるようだ。
一学年上の女子が去ると、場は静かになる……というようなことはなく、今
度は音無が口を開いた。
「一ノ瀬さん、何か思い付いているのでは?」
「は?」
「とぼけなくてもよいであろう。先程から見ていたのだ。云いたいことがあっ
てうずうずしているが、云えないでいる。そんな風に口元がむずむずしていた。
事件についてなのか? 五代先輩がいると話しにくいような」
そうだったのか。先輩二人のやり取りに集中していて、他には目が向かなか
った。
「さすが剣豪!だね。うずうずむずむずしてたのは当たりだよん。事件につい
ての話というのも当たりだけど、喋らなかったのは五代さんに原因がある訳じ
ゃあない。タイミングを計ってただけ」
「事件解決に役立ちそうなら、早く発言するのがよいのではないか。十文字先
輩に、これ以上の心労を掛けないようにするためにも」
「いや、僕は目の前に謎がある方が、元気なくらいだけど」
苦笑まじりに訴えた先輩。それを音無は真っ向から否定した。
「だめです。探偵行為に乗り出す度に、五代先輩に負担と心配を掛けているこ
とに、気付かない十文字先輩じゃないでしょう? 今回は皆で協力し合ってで
も一刻も早く解決し、平穏な日常に戻るべきです」
「無論、僕一人で取り組むより、音無君や一ノ瀬君の知恵を借りた方が、より
早く解決するだろうね。一ノ瀬君の考えを聞かせてもらおう」
「多分、同じ意見に到達してると思うので、にゃんだか気恥ずかしい……でも、
確認の意味で話しますか。
瀧村は次の戦いの場を用意するとして、十文字さんをホテルに呼び出し、部
屋にチェックインさせた。その隣の部屋には瀧村と菱川、二人の男が死んでい
た。明らかに、瀧村自身の死がイレギュラーな要素にゃ。ここで、瀧村が死ん
でいなかったらと仮定し、どんな風に事件が姿を現し、進行したのか想像して
みる。きっと瀧村は、菱川殺しを十文字さんに向けての謎として用意したはず。
当然、菱川を殺したのは瀧村。浴室で殺害した事実と以前の安宿の事件から推
して、浴室を密室にする計画を立てていた。しかし、自らが殺されるというア
クシデントにより、不発に終わった、と」
言葉を切ると、一ノ瀬は先輩の顔をちらと見た。
しきりに「ふんふん」と軽く頷き、聞いていた十文字先輩は、十秒ほど間を
取った。そして感想を口にする。
「悔しいとすべきか嬉しいとすべきか、同じ見解だ。この推理を裏付けるメモ
か何かが、瀧村の持ち物にあると踏んだんだが、持ち物自体が見付からなかっ
た。警察が瀧村の住まいを早く突き止めることを願うばかりだよ」
「菱川殺害に関しては、その方向でよいとしても」
音無が質問する。僕も同じことを云おうとしていた。
「瀧村殺害は、誰の仕業かという問題が残る。死亡推定時刻から見て、菱川、
瀧村の順に死亡しているのだから、菱川でないのは明らか」
「犯人は再帰性反射材の男、としか今は云えそうにない。ああ、いや、男とは
限らないが」
「いちいち、再帰性反射材の人物と云うのはめんどっちいから、Rとかにしま
せんか?」
提案したのは一ノ瀬。別に異存はないけど、どうしてRなんだろう。とりあ
えず、乗っかっておくことにし、僕は聞いた。
「Rと瀧村か共犯関係にあった線は、考慮しなくていいんですかね」
「僕への復讐が動機だとしたら、共犯の線は薄そうだ。あったとしても、Rは
一歩退いて、アイディアを出すだけって感じじゃないかな。だが、瀧村のせい
で我が身も危なくなると判断し、蜥蜴の尻尾切りをした……うーん、しっくり
来ない。瀧村が邪魔になって始末したいなら、菱川殺害の日まで待つ必要がな
い。当日まで、Rは瀧村の正確な居所を掴めていなかった、とでも考えねば。
そうすると、矢張りRと瀧村は共犯関係にあらず、むしろ敵対していたと見る
べきか」
「……ぁ」
音無が小さく声を漏らすのを、僕は聞き逃さなかった。
「何か云った、音無さん?」
「いや、たいしたことではない」
「そう?」
僕が問い質そうとしたせいで、十文字先輩と一ノ瀬も、彼女に注目する形に
なった。
「素人の空想、思い付きに過ぎない。気にせず、続けてほしい」
「いや、気になるな。素人と云ったけれど、僕らだってアマチュアだよ」
高校生探偵の優しい口調にも、音無は首を横に振った。夏休み前より短くし
たポニーテールが揺れる。
「自分には探偵の才能はありません。その意味で、素人だと云ったのです」
「常道に囚われない、新しい見方が必要なときは往々にしてある。たとえいか
に突飛な思い付きでも、ここにいる誰一人として笑いやしない。だから、音無
君、君の思い付きとやらを聞かせてほしい。お願いするよ」
「……思い出していたのです、春先の事件を」
意外な話が飛び出した。春先の事件と云えば……(『週明けの殺人者』参照)。
「というと……辻斬り事件かい? それとも校内で万丈目先生が殺された方?」
「どちらもですが、強いて云うならば、後者です。無差別連続殺人の犯人と目
された万丈目が殺されるという状況、今度の事件に似ていると感じました」
「ほう、なるほどなるほど」
感嘆の声を上げた十文字先輩。
「云われてみれば確かに。瀧村もマンションでの殺人事件の犯人とされており、
その犯行には遊戯的なところがある。万丈目先生の方は無差別殺人で、遊戯的
とは云えないかもしれないが、快楽殺人の傾向がある。どちらも、一般によく
ある殺しの動機とは云えない」
「殺人そのものを目的とした犯罪者を、処刑している感じですかね?」
僕も感じたままを述べた。
「処刑はちょっと表現が違う気がするね。処刑なら、それと分かるように、象
徴的な殺し方をするものだ。今度の瀧村の件や春先の万丈目先生の件は、殺せ
るチャンスがあれば殺し、装飾したりメッセージ性を付したりすることなく、
可能な限り速やかに現場を立ち去っている。そんな匂いを感じる。もちろん、
瀧村の荷物を持ち去ったことには、意味があるのだろう」
「……瀧村の荷物って、密室殺人を行うための道具だったんじゃあ?」
思い付きに手応えを覚えたのか、一ノ瀬がその場で飛び跳ねるようにして云
った。
「遊戯的な殺人や快楽殺人なんかを許せないRは、瀧村が用意した密室を作る
ための道具や計画書を現場に残すことすら、忌避した。こう解釈すれば、辻褄
が合ってくるなり」
「うむ。いいぞ。これまでの推測が当たっていると仮定して、さらに推し進め
ると……Rは以前から瀧村を狙っており、居場所を探していたが、見付けられ
ずにいた。そんなとき、瀧村が僕への復讐から動きを見せた。Rは瀧村の動き
に気付き……いや、ここは無理があるな。瀧村の居所が分からずにいたRが、
瀧村の動きに気付くのはおかしい。ああ、逆だ。Rは僕の動きを察したんだ!
瀧村が僕への復讐に動くと睨んでいたRは、僕の動きを見張っていた。そして
ブログかフェイスブックの暗号に気付いた。瀧村からの返事を見ることはでき
なかったが、僕の動向を見張っていれば、いずれ瀧村と接触することになるだ
ろうと読んでいたんだ」
「だとしたら、Rは相当時間に余裕がある人物になりますね。自由業、しかも
警察か探偵並みの追跡能力が必要になりそう」
音無も、最早堂々と意見を述べる。最初のきっかけさえ突破できれば、こん
なものだろう。
「待った待った、剣豪。そこは変にややこしく考えなくてもいいんじゃないか
にゃ」
一ノ瀬が反応する。当初、音無と一ノ瀬は互いに互いを苦手とする雰囲気が
ありありと漂っていたのだが、今ではそこそこ打ち解けているようだ。
「万丈目殺害はどこで起きたか? 七日市学園の中。そう、ミー達の通う学校
だよね。そして犯人はまだ捕まっていない。それどころか、誰なのかも分かっ
ていない。一方、今度の事件で、十文字さんの動向を見張るのに適している人
は? 七日市学園の関係者はかなり有力な候補者になるよね。もし気付かれて
も、誤魔化しが利く。また、仮に、夏休み中に事が終わらなかったとしても、
学校関係者なら継続して見張れる」
「面白い推理だが、一ノ瀬君。たとえ学校関係者でも、平日、陽の高い内に僕
をずっと見張るのは難しくないか?」
「あれれ? 十文字さんは気付いてない? 学校関係者だなんてビブラートに
包んだ云い方したけれど――」
オブラートだ、オブラート。日本語を云い間違えるのはスルーしてもいいと
思ってるけど、外国語や外来語を(わざとにしろ)間違えるなよな、一ノ瀬。
「――ミーの直感では、怪しいカテゴリは生徒だよん。生徒なら、夏休みだろ
うが学校が始まろうが関係なし! 十文字さんを見張ることができる」
「そうか。これは一本取られた。僕の目が曇っていたと認めざるを得ない」
額に片手を当てた十文字先輩。表情に出る深刻さが一気に増した。
探偵がそう反応するのは理解できる。でも。
「音無さん?」
僕は音無の方を振り返って、一瞬、ぎょっとした。
いつもなら、芯の強さを感じさせる凜とした佇まいを崩さず、抑制の利いた
立ち居振る舞いの音無が、今は目をいっぱいに見開いている。歯がうまく噛み
合わないのか、かちかちと小さく音が聞こえた。いや、それは震えだったのか
もしれない。音無の手がかすかに震えるのに、僕は気付いた。
「音無君。どうした?」
先輩の声に、音無はやっと我に返ったように、目をしばたたかせた。
そしていきなり、こんなことを聞いた。独り言のような調子で。
「生徒の誰かが犯人だと仮定して、その者はこれまでにも大勢殺している可能
性はあるだろうか? 被害者の霊が憑くほどに」
――終