AWC 共犯者は天に向かう <上>   永山


        
#461/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  14/08/30  22:44  (437)
共犯者は天に向かう <上>   永山
★内容
「おおう、充っちに、十文字さん。久しぶり〜!」
 前日、一ノ瀬和葉から、IT関連のシンポジウムが終わって帰国するよん、
との連絡を受けた。そこで僕ら――僕、百田充と一年先輩の十文字龍太郎さん
は、まだ夏休みだということもあり、ミニ観光がてら、空港まで出向いて来た。
一ノ瀬の乗った便はほぼ定刻通りの到着だったのに、当人はなかなか姿を現さ
ない。やきもきし始めたところへ、やっと彼女が旅行鞄をころころ引きずりな
がら出て来た。こっちが恥ずかしくなるくらいの大声に加え、身体のバランス
を崩しそうなほど、大きく手を振っている。少し日焼けした外見には違和感を
覚えるが、何はともあれ元気そうである。
「お帰り、一ノ瀬君」
「ただいまにゃ。早速ですが、お土産は?」
「ん?」
 帰国した途端、出迎えの人にお土産を求めるとは意味が分からない。逆だろ、
逆。
「やだなあ、二人とも。K高原に行くって云ってたじゃまいか。剣豪の別荘に
泊まり掛けで」
「ああ」
 約束を思い出した。夏休み中の同じ時期、一ノ瀬はハワイ、僕らは国内の避
暑地K高原に行くという話から、お互いに土産を買ってきて交換しようとかそ
んな話ができあがっていたんだった。
「こんなところにまで、持って来ちゃいないよ。荷物になる」
「ミーの荷物を目の前にして、よくそんなことが云えるなり」
 云えるよ。だいたい、僕らが今、お土産を渡したら、そっちの荷物が増える
だろうに。
「ところで、一ノ瀬君。メイさんは来られなかったみたいだが、お忙しいのか
な」
 十文字さんが尋ねた。メイさんというのは、一ノ瀬にとっておばに当たる人
物で、色々な意味で色々と超越してる人だ。まず見た目から年齢を判断しづら
い。けど、若く見える。職業もよく分からない。僕個人が抱いているイメージ
は、旅人兼調査員。バイクや車で全国を走り回ってる。性格は多分ワイルド。
そして美人だ。ファッションに割と無頓着なのに、それでもびしっと決めてい
る感がある。
「ミーにも近況は不明で。今回、出国するときに送ってくれて、そのときに帰
国時には迎えに来られない可能性が高いので、当てにしないようにと云われま
したにゃ」
「そうか。ちゃんとお会いしたかったんだが、仕方がない」
 十文字さんは指を鳴らして残念がってみせた。かつて先輩は、謎解きの美味
しいところをメイさんに持って行かれた形になったことがあったけれど、メイ
さんに対してどんな感情を抱いてるんだろう? ライバル心か尊敬か、それと
も単に悔しい、だろうか。
「こっちも聞きたいことが。ミーがいない間、充っちと剣豪の仲はどれほど進
展したのか? 別荘での出来事を含めて、ぜ〜んぶ聞きたいにゃ」
 語尾に「にゃ」を付けるときの一ノ瀬は、顔つきや仕種も猫っぽい。好物を
前にして、舌なめずりをしている絵が何故か浮かんだ。
 まあ、僕としては不本意だけれども、帰り道の話題には事欠くまい。一ノ瀬
の云った“剣豪”とは、音無亜有香という同級生のことで、僕は彼女が好きな
のだ。告白一つできないでいるけれど。

 夏休みも残すところあと八日となったその日、僕は十文字先輩から電話をも
らった。朝十時頃だった。
「明日、動けるかね?」
「えっ。藪から棒に何です。また依頼があったんですか」
「少し違うんだが。掻い摘まんで説明しよう。今朝、八十島刑事の訪問を受け
てね。大下俊幸なる男が他殺体で見つかった件で、ちょっと話を聴かれた」
「大下俊幸? 誰ですか」
「以前の事件の関係者だ。ほら、河田珠恵を誘拐した犯人と目されるも、行方
知れずだった人物(『木陰に臥して枝を折る』事件参照)」
 思い出した。ただ、関係者と云っても、僕や十文字さんとは面識がない。確
かに以前の事件にて、先輩は積極的に関わったが、大下が死のうが殺されよう
が、警察が十文字先輩に話を聴きに来るというのは変な気がする。
「八十島刑事の話では、大下のポケットから、僕に関するデータをメモした紙
が見つかったらしい」
「ええ? どうして大下が十文字さんのこと知ってるんです? もしかして、
河田が事細かに伝えていた?」
「経緯は分からない。知って、調べたのは間違いのない事実のようだ。名前と
顔写真、中学生のときの身長と体重と大まかな成績、それに住所や電話番号が
書かれていたよ。コピーを見せてもらったんだが、几帳面な字で手書きされて
いた。ああ、今は手書き風の印刷もできるから、見ただけでは手書きと云い切
れないが、警察の方でちゃんと調べた結果だから」
 先輩の声は緊張を帯びていた。それどころか、名探偵らしくなく、若干震え
ているようにすら聞こえた。
「薄気味悪いですね……」
「そうだな。八十島刑事の用件は、ここ数週間のスパンで、大下の動きを予感
させるような何かが起きていなかったかということだったんだが、答えようが
なかった。心当たりがない。いや、何か起きていたのかもしれないが、君も知
っての通り、ここ二ヶ月ほどは精力的に探偵活動をこなしたつもりだからね。
忙殺されて、不覚にも感知できなかった可能性、ゼロとはしない。君の方は、
何もなかったかい?」
「特に何も。ところで、大下はどこでどんな風に死んでいたんでしょうか。口
ぶりから、犯人逮捕もまだみたいですが」
「順に答えるとしよう。大下俊幸は一昨日、埼玉の安ホテルの一室で、首を絞
められて死んでいた。現場は密室状態だったらしいが、詳細はまだ聞かされて
いない。僕の個人情報を調べていたことから、復讐を目論んでいたようなんだ
が、腑に落ちない。あの事件で僕の果たした役割が、大下自身にどれほどの不
利益をもたらした?」
「……逆かもしれませんよ」
「逆?」
「復讐ではなく、依頼するために調べたのかも。大下は何かピンチに陥ってい
て、河田珠恵を救おうとした探偵・十文字龍太郎を頼ろうと考えた。でも、大
下は脛に傷持つ身だから、どこまで信頼できるのかを量るため、個人情報を集
めた」
「面白い発想だ。単純な依頼ではなく、僕を利用しようと考えていたケースも
含め、あり得る。百田君、冴えているな」
「当たっているとは限りませんが」
「いや、いいんだ。視野狭窄に陥るところだったよ。あらゆる可能性を検討す
ることが大事と、再認識させてくれただけでも充分ありがたい」
 珍しく誉められると、嬉しいよりも落ち着かない。僕は先を促した。
「それで、明日動けるかっていうのは?」
「計らいで、現場を見せてもらえることになった。短い時間だが、着いて来る
かね?」
「行きます」
 一昨日までなら迷っていたかもしれない。夏休みの宿題が少々残っていたの
だ。帰国した一ノ瀬に教えてもらって、全て片付けられたのが昨日のこと。
「あの、一ノ瀬にも声を掛けていいですか? 来られるかどうかは分かりませ
んけど、本人は久しぶりに十文字先輩と行動を共にしたがってたので」
「問題ない」
 先輩との通話を終えると、今度は一ノ瀬にメールを送った。

 安ホテルというより安宿と呼ぶのが相応しい。大下俊幸が泊まっていた施設
を一目見て、そんな感想を持った。
 最寄り駅から徒歩で二十分ほど。事件があったせいかどうか、本日の宿泊客
は皆無のようだ。ロビーには泊まりではない利用者、というかオーナーの知り
合いらしき中年男性が二人、オーナー自身と屯している。折り畳み式の将棋盤
を囲み、時折テレビに目をやる。暇潰しに立ち寄った、そんな風情を醸し出し
ていた。
「よし、入っていいぞ」
 一階廊下、一番奥の部屋の前で八十島刑事が小声で云った。胸の前でぴんと
伸ばした右手親指を左側――室内に向けている。第三者にやりとりを聞かれた
くない風に見て取れた。
「遺体搬出、済んでるんですよね?」
 先輩に続いて入ろうとしていた僕は、念のため刑事に尋ねた。
「何日前に起きた事件と思ってるんだい?」
 あきれたように笑われたが、返事を聞いて安心した。死因についても、ここ
に来るまでの車中で、絞殺と知らされていたから、現場が血まみれなんてこと
もあるまい。
「凄く安っぽい作りだにゃ〜」
 僕の横をすり抜け、中をぐるりと見渡した一ノ瀬が感想を述べる。朝食を摂
る暇がなかったとかで、ここに到着するまでの車中でチョコレートコーティン
グされた菓子パンをもぐもぐ食べていたが、その名残が口元に付いている。こ
っそり注意してやると、当人は素早く拭った。
 部屋の方は実際、安っぽかった。三畳プラス出窓のスペースの設けられた準
和室なんだが、すり切れた畳に穴の開いた襖や障子は当たり前。壁も表面がそ
こここではげ落ちかけている。いずれも得体のしれない、茶色がかった染みが
散見された。若干すえた匂いの漂う中、座卓と座布団が一つあるだけで、テレ
ビや給湯セットの類は見当たらない。むしろ、お茶を用意されても口を付ける
のをためらうだろう。窓にはカーテンがなく、中庭?が見通せた。庭園がある
はずもなく、申し訳程度の庭木が数本ある以外は、雑草と土が斑模様を作って
いた。
「でも、ここよりひどい宿を知ってるし、ランクは中の下ぐらい」
 どんな宿だよと突っ込もうとしたが、出掛かった台詞を飲み込んだ。外国の
宿には、これよりもずっとずっとひどいところがあるに違いない。
「特別に入らせてあげたのは、君の個人データがメモにあったからだけじゃな
い」
 八十島刑事が周囲と時間を気にするような視線を巡らせつつ、早口で云った。
「密室の謎を手っ取り早く解いてもらいたい。その期待もあってのことなんだ」
「それにはまず、状況を教えていただかないと」
「見ての通り、外部につながる出入り口は、ドア一つと窓一つだ。鍵の仕組み
も見れば分かる。ドアは上から引っ掛けるタイプの閂錠、窓はねじ込み式。遺
体発見時、どちらもしっかり施錠されていた。ドアの鍵は二本あって、一本は
室内で見つかり、もう一本はフロントで管理していた」
 少し補足すると、ドアの閂錠は、壁の方に受け金が、ドアの方に落とし金が
付いているタイプだ。ともに真鍮製のようだ。窓のねじ込み錠も真鍮製で、右
に回すことで締まる。
「窓はともかく、ドアの方は与し易そうだな。細くて丈夫な糸をある程度の長
さを持たせて輪っかにし、閂に掛けて支え、ドアを閉めつつ他端を隙間を通し
て廊下側に出す。あとは糸を下に引っ張れば、閂が受け金にはまるのでは」
 十文字先輩の推理を、刑事はすぐさま片手を横に振って否定した。
「そのやり方なら、もう試したんだよ。隙間が皆無とは云わないが、内と外と
でドア枠の出っ張り具合に差があって、糸の操作がうまくいかない」
「ならば、針金をその段差に合わせて少し曲げて、閂を支えながら外に出た後、
引き抜けば」
「糸は何とか通るが、針金は通りそうもない。少なくとも、市販品では無理だ。
細すぎると、閂を支える強度が足りなくなる」
「なるほど。案外、重みがありますね」
 実際にドアとドア枠、及び周囲の壁を観察し、閂の落とし金を触った上で、
納得した様子の先輩。
「隙間の利用が不可能だとしたら、氷などを使って閂を時間の経過とともに、
自動的にはまるようにする仕掛けが考えられる」
 独りごちながら、改めて閂錠を観察する。と、先輩はおもむろに振り返った。
「八十島刑事。ドアやその下の床に、濡れたような、あるいは湿ったような感
触はありませんでしたか」
「そのような報告はない。氷の可能性ぐらい、警察も考えたさ。だが、否定さ
れている。死亡推定時刻は一昨昨日の午後七時を中心とする前後二時間の範囲
で、発見されたのは同日午後十時頃でね。当日の気温等を考慮して、この程度
の時間経過では、濡れた畳が乾き切ることはないと推定された」
「ドライアイスだったらどうでしょう?」
 僕は口を挟んでみた。恐らく否定されるだろうけど。
「確かに、ドライアイスなら溶けても周囲が濡れるようなことはない。が、逆
に、溶け切らないのではないかというのが我々の見方だよ。何らかの工夫によ
りドライアイスの塊をドアに固定し、落とし金を支えたとして、発見時までに
溶け切らず、ドライアイスの欠片が室内に残っていてしかるべきだとね」
 矢張り、否定された。先輩に目を向けると、どこか楽しげに頷いている。
 そこへ、一ノ瀬が元気よく挙手した。
「はい! 分かんにゃいことが一つ。そんな時刻に遺体発見に至った経緯は? 
ふつー、朝、起きてこないのを不審に思い、行ってみたらってパターンじゃ?」
「ええっと、それは……宿の支配人は、大下が夕方、戻って来たのを見ていた。
それから数時間経っても、部屋の明かりが一度も点らなかったことが気に掛か
り、様子を見に行ったということらしい」
「にゃるほど。ありがとうございました」
 一ノ瀬は満足そうに首肯した。手はいつもよくやる猫の手つきではなく、ア
ライグマみたいにこすり合わせている。菓子パンのせいで、手がべとついてい
るのだろうか。
「明かりが点らなかったということは、死亡推定時刻のかなり早い時間帯に殺
された可能性が高い、そう云えますか?」
 十文字先輩が刑事に確認する。返事は応だった。
「一昨昨日の天気は晴で、日没が午後六時二十五分ぐらい。だから、六時過ぎ
に殺害した線が濃いだろうな」
「あ、もう一つ質問」
 一ノ瀬だ。さっきとは反対の手を挙げている。八十島刑事は無言で、先を促
した。
「支配人だか管理人だか、とにかく宿の人は、被害者の部屋の様子を気にして
いたみたいだけど、それなら部屋を出入りした人物についても気に留めてるん
じゃにゃいかな、かな?」
「残念ながら、そうではなかった。支配人が通常、待機する部屋があって、そ
この窓からちょうど、この部屋の窓が見えるんだ。だから、明かりの点灯ぐら
いしか分からない」
「ふ〜ん。でも、こんなさして大きくない宿泊施設なんだから、受付にいれば、
人の出入りぐらいだいたい把握できるんじゃあ?」
「本人の弁では、ずっとカウンターに張り付いている訳じゃないしねえ、とな
る。奥に引っ込んでいるときは、ベルを鳴らしてもらうシステムなんだ。玄関
ドアを静かに開け閉めされれば、気付かれずに出入りされてしまう。防犯カメ
ラもないし」
 宿泊施設として大問題だろう、それは。って、だからこそ殺人が起きたとも
云えるのか?
「大下がここに宿泊した目的は、まだ分かっていないんでしたっけ」
「うむ。仕事でも観光でもないのは明らかだ。誰かと会うために出向いた、も
しくは呼び出されたという意見が大勢を占めている」
「ひょっとして、当初は僕も容疑者だったのでは? メモ書きに個人情報が残
されていたのだから」
 先輩が真顔で尋ねると、刑事も真顔で返した。
「無論。検討すべき可能性の一つだった。確固たるアリバイがあったので、早
早に除外できた訳さ」
「……犯人が呼び出したのだとして、何のために密室を作り上げたんだろう?」
 独り言のような調子で疑問を呈した十文字先輩。
「自殺に見えるような死に方でしたか?」
「いや。明らかに他殺だ。絞め殺されたとしか云いようがない」
「にもかかわらず、現場を密室に……。発見を遅らせるためなら、電気を点け
ていきそうなもんだし、鍵を使えた人物――支配人を犯人に仕立てたいのだと
したら、偽装工作が中途半端だ。支配人の個人情報をメモ書きして、残してお
けばいい」
「遊戯的なものを感じるね」
 庭を見つめていた一ノ瀬が、振り向きざまに云った。
「十文字さんを事件に巻き込むために、昔の事件で十文字さんと関連のあった
人を被害者に選び、さらに個人情報を紙に書いて残しておいた。その上、密室
の謎を提示することで、十文字さんをのめり込ませようとしてる。そんな匂い
がぷんぷんと漂ってきましたよん」
「それも考え方の一つだな。うん、ありだと思う。もしこれが当たっていると
したら、犯人は僕が過去に携わった事件を調べ上げ、関係者の一人を見つけ出
した上で、殺害したことになる。たいした調査能力と実行力だ」
「すると何か。犯人は十文字君に密室殺人で挑戦して来たとでも? 随分と漫
画チックだが、仮に当たっているとしたら、犯人の奴は矢張り君の知り合いっ
てことになりそうだな。それも、何らかの恨みを抱いている」
「かもしれません。もう一つ、僕が危惧するのは、この事件が犯人の計画の第
一段階に過ぎないんじゃないかということです。密室の謎と云ったって、安宿
の閂錠では随分と緩い。わざわざ名指しで巻き込むからには、難攻不落の謎を
用意しているんじゃないかという気がしてならない」
「警察としては、別の懸念を抱いてるんだが」
「と云いますと?」
 八十島刑事の言葉に、先輩は敏感に反応し、鋭い視線を向けた。
「犯人は、十文字君自身に危害を加える意図があるのかもしれない」
「……」
 言葉をなくす高校生探偵。顔色や表情から、一気に高まった緊張が見て取れ
た。その緊張が僕や刑事に伝播する……と感じた矢先、一ノ瀬が頓狂な声を発
した。
「あ! 見て見て、充っち、十文字さん!」
 床を指さす彼女に駆け寄り、何事かと目を凝らす。
「――これは」
 最初は一ノ瀬が何を騒いだのかさっぱり不明だったが、やがて把握した。先
輩が先んじて云う。
「蟻だな。蟻の行進」
 室内で、蟻が黒い列をなしていた。列と呼ぶのは大げさかもしれない。ざっ
と見たところ、十匹余りの蟻が、ほぼ同じルートを行き交い、すれ違いざまに
接触してお互いを確認すると、また動き出す。そんな様子が見て取れた。
「さっき、菓子パンの小さな小さな欠片が落ちたのかも。それを蟻が目聡く集
め始めてる」
「蟻がいるということは、どこかに出入りできる穴があるってことになる」
 蟻の動きを目で追う。どうやら、窓の方向から来ている。出窓のところまで
行くと、床との間に小さな隙間、それこそピンホールと云える穴ができていて、
そこを黒い蟻達が行き来していた。
「まさかこの穴から、窓の錠なりドアの鍵なりを操作したと?」
 考え込む様子の先輩に、僕は問い掛けた。
「うん? いや、そんなことまでは考えていない。恐らく無理だ。僕が思い付
いたのは――」
 十文字先輩は、蟻の行進を再び目で追ってから、ドアの方を見やった。
「落とし金を一時的に支えた楔を、蟻に始末させたんじゃないかってことさ」
「楔って、先ほど論じていた氷だのドライアイスだのの?」
「ああ。でも、蟻に始末させるとしたら、氷なんかではだめだ。餌だ。蟻が喜
んで巣に持ち帰るような食物。角砂糖とかチョコレートとか」
 云わんとする意味は理解できた。
 犯人がたとえば角砂糖をドアに貼り付け、落とし金を支えた状態にしてから、
蟻を数匹、中庭から誘導して“獲物”にありつくよう仕向ける。ドアをそっと
閉めたあとは、蟻が角砂糖を運びきれば落とし金が受け金にはまり、密室の完
成と相成る――十文字先輩はそう考えたのだ。
「面白い考えとは思うが……」
 八十島刑事が云いづらそうに感想を述べ始めた。
「角砂糖をドアに固定する方法は? 接着剤なんかを使ったとすれば、痕跡が
残るはずだ。チョコレートならそれ自体を少し溶かしてドアに貼り付けられる
かもしれないが、強度が足りんだろう」
「……何らかの工夫が必要なようですね」
 推理が不充分であることを認めた先輩。その脇で、一ノ瀬が様子を窺うよう
に視線を先輩と刑事の間を行き来させている。
「一ノ瀬、何か云いたいことがあるんじゃあ?」
「あ、うん。いいのかな。ドアには部分的に鉄が使われてるみたいだから、磁
石を利用すればいいんじゃないかなって。鉄の微粒子に磁力を帯びさせ、さら
に砂糖で味付けして、適当なサイズのキューブ状に整えれば鉄にひっつく角砂
糖の完成」
「そうか。落とし金は真鍮製だから、磁石の影響はない。問題は、微粒子同士
があまり強力にひっつくと、蟻には運べなくなる恐れがあるかもしれない」
「ちょっと待ってくれよ」
 苦笑いを浮かべ、刑事が割って入ってきた。
「磁力付き角砂糖で決まり、みたいな流れになっているが、そんな特殊な物を
犯人はわざわざ作って、持ち込んだと云うのかい?」
「僕への挑戦が目的なら、あり得るんじゃないですか」
「それはそうかもしれんが、いや、しかし」
「とりあえず、中庭を調べて蟻の巣を見付け、そこに磁気を帯びた砂糖粒があ
るかどうか、調べてください」
「……根拠に乏しいから、難しい気がするが、掛け合ってみよう」
「何だったら、許可さえいただければ、僕達ですぐにでもそこの庭を掘り返し
て、全ての蟻の巣からサンプルを集めてみせますよ」
 名探偵の勘がそうさせるのか、十文字先輩は自信ありげに云った。

 数日後、推理もしくは直感の正しさが裏付けられた。
 捜査員が安宿の中庭に存在する蟻の巣を可能な限り探索したところ、ある一
箇所から砂糖の粒が大量(蟻にとって、だが)に見つかり、それには鉄の微粒
子が含まれていたという。磁気を帯びていたという調査結果も出ていた。
「恐らく犯人は、志木竜司だな。正しくは、志木の名を騙った偽志木だ」
 十文字先輩の自宅にわざわざ出向き、報せに来てくれた八十島刑事は、その
ような見解を述べたという。
 志木竜司及びその偽者とは、この夏休みに先輩が解き明かした事件の関係者
だ(『金星と夏休みと異形の騎士』参照)。簡単に記すと、殺人犯の偽志木は
現在も行方知れずで、十文字先輩に恨みを抱いている可能性は充分にある。殺
人の手口も、はったりが効いてるというか虚仮威しというか、普通ならこんな
無意味なことをしないであろうトリックを用いていた。つまり、遊戯的な殺人
を好む気質なのかもしれない。その意味で、安宿密室殺人の犯人像と重なる。
「それに、偽志木は大学で、金属工学を学んでいた。鉄を始めとする金属の微
粒子を入手・加工し易い立場だったし、専門ではないが磁石についても磁性流
体に関心を示し、扱った経験もあるという話だ」
 密室トリックを思い付くだけでなく、成し遂げる知識や能力を持ち合わせて
いると云えそうだ。
「偽志木が犯人である可能性は高く、また、十文字君に危害を加える恐れがあ
ると踏んで、こうして忠告がてら来た訳なんだが……」
 あとから聞いた話になるけれど、八十島刑事の話はここで鈍ったという。
「『現時点で、護衛を付けることはできないんだ。くれぐれも注意を払ってほ
しいとしか云えない』だってさ」
 夏休みもあと二日。市立図書館の喫茶コーナーで、十文字先輩は物真似と苦
笑を交えてそう語った。白い丸テーブルを、先輩と僕と一ノ瀬とで囲んでいる。
「具体的に僕を狙うと予告や脅迫があった訳じゃなし、当然の対応だろうさ」
「そうなると、五代先輩や音無にまた護衛してもらうことに?」
 僕は過去のケースを踏まえ、発言した。十文字先輩と同学年の五代先輩は、
女子柔道の猛者だ。音無は僕や一ノ瀬の同級生で、細身の女子ながら剣道の腕
が立つ。
「いや、五代君は大きな大会があるとかで、それに備えて稽古に励んでいる。
邪魔をしたくない。音無君は競技者ではないから、云えば力を貸してくれる可
能性大だが、彼女には恩返ししてもらったばかりだし、再び危険な目に遭わせ
るのも忍びない」
「そんな強がって、大丈夫なんですかー?」
 一ノ瀬がパフェをぱくつきながら、聞きにくいことをずばり云った。僕も内
心、先輩の身を案じている。パズルの天才でもある十文字先輩は、頭脳労働は
確かなものがあるだろうが、腕っ節となると心許ない。ホームズに倣ってボク
シングを少しかじった程度で、それとて実践で役立つのかどうか。学校内で襲
われ、意識を失ったことすらある。
「少なくとも今回は大丈夫だよ」
 先輩は答えると、シャツの胸ポケットから、ナイロン袋を取り出した。その
中から、さらに一枚の便箋がを引っ張り出す。
「実は、警察には内緒で、仕掛けてみたんだ。ほんの一時的にブログとフェイ
スブックを立ち上げ、両方に暗号文を載せた。暗号だと思って取り組めば、た
いていの者には解けるであろう、単純な置換式暗号で、偽志木に呼び掛けてみ
たんだ。反応があれば儲けものぐらいのつもりだったんだが、予想以上に早く、
反応があったよ」
 警察に知らせずに何てことをしてるんだ、この人は。しかも、その様子から
して、偽志木から反応があったことも、警察に伝えていない気がする。
 唖然とする僕の前で、先輩は話を続けた。
「反応はネットを通じてではなく、直接あった。僕の家の郵便受けに、この便
箋入りの封筒が放り込まれていた。恐らく、昨夜遅くのことだろう。ネットに
上げた暗号では、大下俊幸殺しについて、僕の推理した密室トリックが当たっ
ているのかどうか、犯人自身に問おうとしたんだ。蟻と角砂糖の使用を仄めか
してね。あの事件に関して、密室トリックは公にされていないが、この文章で
は、角砂糖と鉄の微粒子を用いたことに言及があった。犯人に間違いない」
 なるほど、その言葉の通り、便箋にある印刷文字は密室トリックに触れ、先
輩の推理が正解であるとしていた。途中を飛ばして文末に目をやると、犯人は
偽志木であることを認め、新たに瀧村清治(たきむらきよはる)と名乗ってい
ることも分かった。
「本名かどうか怪しいが、今後は偽志木を瀧村と呼ぶとしよう。瀧村は、次の
戦いの場を用意するつもりだ。と云っている。応じるか否かは、僕の自由だそ
うだ。応じるなら、出会う日時と場所を新たに指定してくるらしい。何にせよ、
警察には報せるなとある」
「そりゃあ危ないよ、十文字さん」
 当人が意志を示さない内から、一ノ瀬が云った。
「復讐に燃える殺人犯の呼び出しに応じ、のこのこ出て行ったら、やられるか
も。戦いの場なんて嘘っぱちのアパッチで」
「果たしてそうかな? 僕への襲撃だけが目的なら、こんな便箋を届けずに、
さっさと襲えばいい。なのに、実際にはそうしていない。瀧村が、頭脳戦で僕
を倒すことこそ復讐と考えている証拠だよ。それも正々堂々とした戦いを望ん
でいる」
「そうかなぁ。この文面だと、あまりに垢抜けてる」
 うん? 垢抜けてるって?
「あ、間違えた。ぬけぬけとしてる」
「どこがだい?」
 がっくりと脱力する僕をおいて、先輩が一ノ瀬に問う。
「警察に報せるなってとこ。普通、犯罪をする側が、こんな強気に出られませ
ん。人質やその他とても大事な物品を預かっているとか、脅迫の材料を握って
いるとかじゃない限り。なのに、こんなしゃあしゃあと要求するのは……不思
議です。もしかしたら、十文字さんが勝負に応じなければ、あっさり殺してや
ろうと目論んでるからじゃないかしら、とミーは思う訳ですよ。あるいは、警
察に報せたらどうなるかまでは書いてないけど、通報を口実に殺害してやろう
という狙いかも」
「……いや、これは矢張り、僕が名探偵であることを見越し、応じるものと信
じての挑戦状だ。僕を殺せさえすればいいのなら、さっきも云ったように、余
計な手間などかけずに、黙って襲ってくればいい。現実には、ネット上の暗号
を見付けて返事をよこしてきた。この点だけで、相手が頭脳戦を望んでいるこ
とは明白だよ」
「――十文字さん、悪いことは云いませんから、警察に報せて、保護を仰ぐべ
きです」
 一ノ瀬のいつになく真剣な物腰に、僕は思わず彼女の横顔を見つめていた。
「どうしたんだ、一ノ瀬君。君らしくもない。アメリカで銃社会の恐ろしい面
にでも触れてきたのかな?」
「十文字さんが翻意するなら、そういうことにしてかまいませんです。はっき
り云って、ミーは創作物に登場する名探偵の一部の行動には、首を捻ることし
ばしばです」
 普段の一ノ瀬なら、「しばしば」を「柴漬け」とでもぼけるところだ。
「何故、凶悪な犯罪者からの要求や提案に、大した対策も立てずに、ひょいひ
ょい応じるんでしょう? 相手に殺意があれば、簡単にやられちゃうに違いな
いストーリーをいくつも読みました。十文字さんが名探偵を志す余り、そんな
ところまで感化されているのだとしたら、目を覚ましてくださいと声を大にし
て云います」
「……」
 しばし沈黙する十文字先輩。
 今、一ノ瀬が指摘した内容に近い行動を、この人は過去に取ったことがある。
それを思い返しているのだろうか。いつもは巫山戯気味で、日本語も若干不自
由な一ノ瀬が、真剣な物言いをしたのも効いているに違いない。
 そして一ノ瀬がこれだけ真剣になるのは、一ノ瀬メイの存在が頭にあるせい
かもしれない。多分、メイさんは十文字先輩よりも修羅場を潜っている。比例
して危機管理も怠っていまい。
「分かった。今回は一ノ瀬君の忠告を受け入れるとしよう」
「――よかった。さすが、名探偵、賢いにゃん」
 このとき一ノ瀬が見せた笑みは、破顔一笑とはこのことかと得心するほどだ
った。ずっと似合う。
「ただし、僕が応じないことで、瀧村が新たな企みに出る恐れ、なきにしもあ
らず。もし何か起きれば、また対応を考えることになるだろうけれどね」
「そのときはそのとき。探偵らしく、考えて行動する、でしょ」
 云い放つと、一ノ瀬はパフェの器から、ほとんど溶けたアイスクリームをス
プーンで掬い上げた。

 全国的に快晴の空の下、九月を迎えた。新学期スタートの日、十文字龍太郎
は学校に現れなかった。

――続く




 続き #462 共犯者は天に向かう <下>   永山
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