AWC 交換のことわり 1   永山


        
#411/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  12/07/14  00:06  (314)
交換のことわり 1   永山
★内容
 リクライニングシートの上で、松村清春(まつむらきよはる)は目を覚まし
た。薄暗い空間を見回す。いわゆる健康ランドの仮眠室にいるのだと思い出し
た。施設は使用料金が若干高めな分、納得できるきれいさ・新しさを保ってい
た。利用者は少なくないが、席はそれ以上に充分な数が用意されており、隣り
合うシートはどれも空っぽだ。
 喉の渇きを覚えた松村は立ち上がると、各階に備え付けのウォーターサーバ
ーを目指した。使い捨てのコップに一杯と半分ほど飲んで、引き返そうとする
と、小さな声で呼び止められた。
「あの、もし」
 気弱そうな声に振り返ると、そのイメージからさほどぶれのない、中肉中背
で色白の男が立っていた。
「何か」
 似たような小声で応じる松村。相手の男は松村より若く、大学生ぐらいだろ
うか。童顔のようだから、実際はもう少し上かもしれない。
「先ほど、といっても一時間くらい経っていますが……私、寝言を聞いてしま
ったのです」
「ああ、うるさかったですか。そりゃすみません」
 軽く頭を下げ、そのままきびすを返そうとした松村を、男は重ねて引き止め
た。
「そ、そういうことじゃないんです。お待ちを。私は黒川光(くろかわひかる)
と言います」
「はあ」
 もしかすると同性愛者かと警戒する。生白い奴だが、外見と違って腕力はあ
るのかもしれない。実際、腕は太く、肩の辺りが盛り上がっている。
 そんな気でいた松村を驚かせることを、黒川と名乗る男は言い出した。
「あなたが始末したい相手を、私が代わりに始末して差し上げようと思うので
すが、いかがでしょうか」
「――」
 理解不能なことを言われ、松村は首を捻った。関わらぬ方がよさそうだ。相
手を無視して、仮眠室を目指し、自分のいたシートに早く戻ろう。いや、この
男が近くのシートを利用しているのなら、こちらが移動する必要がある。
「待ってください。湯田(ゆだ)という奴を憎んでいるんでしょう?」
 これには歩みを止めざるを得なかった。まさしく、松村は湯田黎太郎(ゆだ
れいたろう)を殺したいほど憎んでいる。
「まさか」
 思わず、呟いていた。寝言で口走ったのか。憎い相手の名前と殺意を。それ
をこの黒川に聞かれた……。
「か、勘違いしないでくださいよ。私はあなたと協力し合いたいだけなんです
から」
 黒川は焦ったように両手を身体の前で振った。それだけ松村が恐い表情にな
っていたに違いない。
「協力し合いたい、だと?」
 その台詞を噛み締め、吟味する松村。無論、周囲への注意も怠らない。真夜
中のようだが、いつ誰が通り掛かるともしれない。
「あんたも同じ悩みを抱えているという意味か?」
「はい。一人、どうしても許せない男がいます」
 真剣な、というよりも生真面目な顔付きで黒川は肯定した。
 交換殺人か――関心を抱いた松村だったが、今この環境でするのにふさわし
い話とは思えなかった。とはいえ、計画に乗る乗らないは別として、殺したい
相手の名前を黒川に知られた事実を看過してはおけない。
 どう振る舞うべきか迷っていると、黒川から提案してきた。
「もし朝になっても気が変わってなければ、この建物の裏通りを、西に行った
先に寂れた喫茶店がありますから、そこで話しませんか」
「……よかろう。オープンは?」
「確か、九時です」
「分かった。十時までに現れなかったら、気が変わったものと受け止めてもら
いたい」
「了解しました」
 黒川はそう言うと、壁に掛かる案内板を見た。
「別の仮眠室に移ることにします」

 九時十五分過ぎ、指定された喫茶店に出向く。半地下の構造になっていて、
外観は古びて汚かったが、内装はそこそこ手入れされていた。客は黒川の他に
は見当たらない。店員もオーナーらしき初老の男一人きりのようだ。
 コーヒーを注文する際、モーニングセットを断ると、豆菓子が付いて出て来
た。
 奥に厨房を構えたカウンターの向こうに店員が引っ込み、スポーツ新聞を広
げたところで、黒川が本題を切り出した。
「最初に、話がまとまらない場合を考え、お互いに個人情報を出すのは最低限
にとどめるとしましょう。あなたは私の名前を知っているが、標的については
知らない。私は逆にあなたの名前を知らないが、標的については名前だけ知っ
ている」
 今後、もし松村が一人で湯田を殺害し、それが事件として報道されても、黒
川は密告などしない、したくても簡単にはできないという意味だ。
「じゃあ、私のことは……灰田(はいだ)とでも呼べばいい。黒川さんの標的
は、何と呼ぼうか?」
「そうですね、大宮(おおみや)、としておいてください」
 黒川はまず、どうして大宮を殺したいほど憎むようになったのかを、静かに、
しかし熱の籠もった口調で語った。大宮と黒川は大学の同期でゼミも同じ、と
もに院に進んで研究者を目指したが、二人の間の雑談から生まれたアイディア
を抜け駆けした大宮は重用され、黒川は日陰に追いやられる羽目に。
「それでも私は、あいつが機を逃さなかっただけであり、自分が間抜けだった
のだと納得しようとしていたのですが、あいつの方が勝手に私を恐れるように
なった。私は教職に就いていたのですが、痴漢の濡れ衣を着せられて、辞めざ
るを得なくなりました。あとになって分かったのですが、全てはあいつが裏で
糸を引いていたのです。私の社会的地位を失墜させる目的で、女性を使い、あ
りもしない痴漢騒ぎをでっち上げた」
 松村は表情を変えず、内心ではそこまで分かるものなのか?と多少訝しんだ。
痴漢冤罪の件は本当だとしても、その裏にある“真実”とやらは、黒川の被害
妄想が産んだものなのかもしれない。その女性や大宮を訴えたのか問おうと思
った松村だったが、気が変わった。そんなことを詮索しても、意味がない。松
村が今、最も気になるのは、眼前に座る男が交換殺人のパートナーとして信頼
に足るかどうか、だ。
「灰田さん、私が大宮を始末したい気持ち、分かっていただけますよね?」
「ああ。よく分かった。一つ、尋ねたいのだが」
 黒川はコーヒーではなく、お冷やで喉を潤し、「何なりと」と応じた。
「始末したい相手は、大宮一人だけで済むのか? でっち上げに協力した女の
方は?」
「大宮だけです。あいつさえいなくなれば、私の気は収まる。まあ、計画実行
より前に、あいつが事故か何かで死ねば、女の方を殺してくださいとお願いす
るかもしれませんが、そんな偶然は起きますまい」
 黒川は、逆に質問してよいか、聞いてきた。松村は即座に頷く。
「あなたが湯田なる人物を始末したいと願う理由を、知っておきたい」
「……その点は、寝言で口走っていなかった訳か」
「助けてくださいとか助けてくれとか、熱に浮かされたみたいに繰り返し言っ
ていたのは聞きました」
「そんなことまで言ってたか」
 顔が紅潮するのを自覚した松村。恥ずかしさもあるが、それ以上に憤怒の思
いが沸き上がる。当時の記憶が甦り、松村に歯ぎしりをさせた。
「だらだら話すつもりはない。私の恋人が死んだ最大の理由は、湯田にあるん
だ。直接の原因は事故なんだが、その際、すぐ近くにいた湯田は医師であるの
もかかわらず、知らぬふりを通した」
 松村はまだ黒川を完全に信用した訳ではない。事故内容などの詳細を喋ると、
湯田の身元を突き止められ、さらには松村自身についての個人情報を掴まれる
かもしれない。それを恐れ、最小限のことしか話さなかった。
「この事実を知ったあとも、私は気にしないでおこうと努力した。湯田にも湯
田の都合があったのだろう。ちょうどタイミング悪く、急ぎの用を抱えていた
に違いない。そう考えるようにした。だが、湯田が利己的な理由でそれまで付
き合っていた女性と別れ、有力者の娘との結婚に走ったことを聞き、我慢の限
度を超えた。事故当日、急いでいたのもその婚約者との大事な約束があったか
ららしい。人の命を預かる医師として、利己的すぎる。あいつを生かしていて
も、世のためにならないと思ったね」
「……あの、私も質問をしてよろしいでしょうか」
「もちろん。答えられないことは、はっきりと拒否するが」
「多分、大丈夫でしょう。灰田さんは湯田に関する噂や情報を、どうやって入
手したのですか」
「簡単だ。自分で調べた。興信所に頼むようなことはしていない」
「それなら、灰田さんから憎まれているとは、湯田は知らないのでは?」
「いや、湯田の職業が医者と知った直後、すぐに抗議に行った。抗議と呼べる
レベルじゃなかったな。文句をぶつけて、罵倒してやりたかったんだ。その場
で周囲の人間に止められ、収まったが、私が憎んでいることは承知しているだ
ろう」
「それなら、仕方ありませんね」
 憎悪を秘めたまま殺せば、交換殺人だのアリバイ工作だのに腐心しなくて済
んだでしょうに、といったニュアンスが感じられた。確かにその通りなのだか
ら、松村に返す言葉はない。
「では、ここからが本論になります。互いの始末したい相手を交換する気は、
おありですか?」
「恨みを晴らすことが一番だ。そのために適した手段があるなら、採用を考え
る」
「……一応、イエスの返事と受け取りました」
 黒川は口元だけで笑うと、続けた。
「恐らく、一番懸念されるのは、信頼できるかどうか、でしょう。途中で計画
を口外したり、一人がやったのにもう一人が躊躇して逃げたりでは困ります」
「念書を交わす。それでいいんじゃないか」
 交換殺人の約束をしたこと、誰それを殺すことを自筆した念書を、お互いが
相手に渡しておけば、裏切れないはず。
「灰田さんがそれでよろしいのであれば、私もかまいません。具体的に決まっ
たら、そうしましょう。それから、次に問題になるとしたら、本当に相手を始
末できるか、ですか」
「心理的な意味ではなく、体格面などの点で実際にやれるかってことか」
「察しがよくて助かります。殺害方法にも関わってきますが、毒を手に入れる
なんてことは、私には無理です。灰田さんは?」
「無理だろうな。そりゃ、死んだ気になって盗みに入るなんてことをすれば、
可能かもしれないが、そんなリスクを冒すのは無駄だ」
「ならば、刺すか絞めるか殴る辺りになってくる。私が見るに、灰田さんの体
格なら、こ……おっと、本名を言いそうになった。大宮を始末するのに支障は
ないと思います」
「こっちも同様だ。湯田はやせのひょろひょろで、勉強ばかりしてきたような
男だよ」
「ではこの点も問題なしと。仮にやるとしたら、いつがよいでしょう?」
「俺は今、かなり自由の利く立場だから、ほぼいつでも応じられると思う。逆
に、湯田を始末する日を指定したいんだが……」
「といいますと?」
 黒川の眼の開き具合が大きくなる。初めて主導権を失って、不安が覗いたと
いったところか。
「湯田は、恋人の命日に死ぬべきだ。死の間際に、思い出すかもしれない。思
い出して悔やみながら地獄に堕ちればいい」
「お気持ちは理解できます。して、その日付は?」
「だいたいひと月先になる。八月の四日だ。この日なら自分自身のアリバイも
確保しやすい。一周忌で人が集まる」
「え……まずいな、それは」
 表情が曇り、目線が下がる黒川。
「不都合が?」
「え、ええ。誕生祝いをしてやる予定なんです、私の家族の。無論、一日中お
祝いする訳じゃありませんが、そんな日に他人の命を、ねえ」
 すまなそうに言う黒川に、松村は黙って頷いた。心理は理解できる。八月四
日に復讐を果たしたい自分の気持ちだけを押し付け、相手の気持ちを無視する
訳にはいかない。
「他の日ではだめなんでしょうね」
「正直言って、日をずらすのは本意ではないが……彼女が事故に遭った日は、
七月三十一日だ」
「申し訳ない、七月末は物理的に無理なんです。実は――」
「結構、聞かないことにしましょう」
 きっぱりと言い、松村は自らの懐に手をやった。財布を探す。
「こうもすれ違いが生じるのは、このまま突き進むべきでないとの暗示かもし
れない。縁がなかったとあきらめるのが賢明だ」
「そう、ですね」
 若干の未練を滲ませつつも、黒川は同意した。
「お互い、会ったことは忘れるとしましょう」
「ああ。忘れるのは難しいかもしれんが、口外するようなことは絶対にないと
約束する」
 松村は自分の飲んだコーヒー代をテーブルに置くと、「念には念を入れて、
時間をずらして出るとしよう」と言った。

 恋人の命日が近付いてきた。松村は湯田を殺す決意を固めていたが、思いが
けない動きがあった。当の湯田から、会って話がしたいと短い手紙が届いたの
である。立場上、公に謝罪することは難しいが、内密になら誠意を示せるかも
しれないとの旨及びこの手紙は焼き捨ててくれと記してあった。
 松村の脳裏に、湯田に最後のチャンスを与えようかという考えがよぎった。
心が少し揺れた理由は、湯田が話し合いに指定した日付が八月四日だったため。
あんな男でも、この日の持つ重大な意味を承知していたとみえる。
(会うのはいいが、夜の公園とは)
 気懸かりに思いを巡らせた松村。湯田が指定してきたのはN公園という、都
内有数の広さを持つ公園で、その広大さ故、内密の話をするのに適していると
言えるかもしれない待ち合わせ時刻が十八時。夏の午後六時はまだ暗いとまで
は言えないだろうが、今までの素っ気ない対応ぶりを思うと、何か裏があるの
ではと勘繰ってしまう。
(用心のため、得物を持って行くか)
 万が一、湯田が襲ってきたら返り討ちにする。その準備はしておこうと誓っ
た。うまくすれば正当防衛の形で、復讐を果たせるかもしれない。
 謝罪のチャンスを与える気持ちと、復讐を果たそうとする気持ち、相反する
二つの気持ちが松村の中で綯い交ぜになっていた。

 やはり湯田とは会うべきでなかった。松村は呼吸をようやく整えると、痛感
した。
 結果から記すと、正当防衛にはなりそうになかった。だから、松村は湯田を
扼殺したあと、すぐに現場から遠ざかった。用意した凶器のナイフや革紐を使
う余裕はなかった。激昂して手を出してしまった。
 最初、話し合いは穏やかに始まった。時間ちょうどに息せき切って現れた湯
田は、松村に対し、呼び出しに応じてくれたことに謝意を述べた。人目に付き
にくいベンチに腰を据えてから、まずは松村の意見を聞きましょうという態度
を取った。ある意味、この場面を夢見ていた松村は、積もり積もった思いをぶ
ちまけた。一応、湯田の意を汲み、周囲に聞こえない程度の音量ではあったが、
強い語気で相手の職業倫理の欠如や不誠実さを指摘した。恋人がどれほど苦し
んで、そして死を迎えたかも詳細に伝えた。さらに、今日まで話し合いの時間
を取ってくれなかったことをなじった。
 湯田は自らの両手のひらを親指で交互にさすりながら、ずっと黙って聞いて
いた。が、およそ四十五分が経過した頃、口を開いた。「それで結局、どうし
て欲しいのか」と。
 松村は一番に謝罪を求めた。墓前での謝罪と、公的な謝罪の両方をだ。しか
し、ことを表面化したくない湯田にとって、墓前に出向くのはまだしも、公で
の謝罪は受け入れられないものとして、拒否された。
 ならば、明日にでもことを公にしてやろうかと、松村が脅しを掛けると、湯
田は態度をより硬化させた。
「所詮は金が欲しいだけなんだろう? 具体的な額を言って来たら、考えてや
る。常識の範囲で決着しようじゃないか」
 湯田は吐き捨てるように言うと、腕時計を一瞥し、いきなりベンチから立っ
た。話し合いを打ち切るのは明らかだった。歩き出した湯田に松村が追いすが
り、立ち止まらせるために肩へと手を伸ばす。それを乱暴に払われた。怒りの
導火線に火が近付く。絶妙のタイミングで、湯田から罵倒の言葉が飛んで来た。
「度を超せば、おまえのやっていることは脅迫・恐喝、犯罪だ。身の程を弁え
ろ、己を知れっ」
 捨て台詞を残して足早に去ろうとする湯田。松村は後ろから掴みかかり、無
我夢中のまま、腕に力を入れた。気付いたときには、完全に脱力した湯田の身
体が地面に横たわっていた。
 綿密な計画を立てて殺すつもりが、こんな突発的な形で決行してしまった。
数瞬の茫然自失が去ると、逃げることのみが頭に浮かぶ。慌てふためいて目立
っては逆効果、と判断する冷静さはかろうじて残っていた。そうして歩いて公
園を出て来たにも拘わらず、息はかなり乱れていた。
 自宅に直行する気でいたが、警察が待ち構えているような想像が沸き起こり、
すぐには戻れなくなった。仕方なく、馴染みの飲み屋に足を運び、時間を潰し
た。いや、落ち着くためにアルコールの力を借りた。
 店には三時間ほどいて、顔見知りの店員や客と普通に会話できたことで、自
信を持った。踏ん切りを付け、帰宅した松村は、警察らしき人影や車両がない
ことにほっと安堵した。
 が、部屋に入ると、真夏にもかかわらず、全ての鍵を内側から施錠した。亡
くなった恋人の写真に報告することさえ忘れ、またテレビを付けて情報を集め
ることもしない。城に戻った安心感あったが、それ故に弱さもさらけ出した。
ただただ震えた。自分はこんなにも度胸がなかったのかと驚くほどだった。

 明け方に少し眠れた松村は、目覚まし時計に起こされて出勤の準備を始めた。
が、今日が日曜だと気が付いて、椅子にがっくりと座り込んだ。
 寝床に戻るという選択肢もあったが、事件がすでに発覚したのか、気懸かり
だ。黙ってテレビを点け、ニュース番組にチャンネルを合わせてから、簡単な
朝食を用意する。
 ほとんど味を感じないまま、朝食を済ませたが、ニュースで湯田の事件が報
じられることは最後までなかった。
(まだ見つかっていないのか。いや、それはあるまい。いくら広い公園でも、
通り道に放置してきたんだ。発見されたのは間違いないだろう。すると……他
殺でなく、病死と思われたのか? そんなまさか。医者が路上で死んでいたら、
死因が何であろうと報じられるはず。テレビで流すニュースバリューはないと
判断されたんだろうか)
 松村はネットなら出ているかもしれないと思い立ち、パソコンを起動した。
古い機種であまり使っていないが、確証なしに新聞を買いに出るよりは早い。
 早速、“湯田黎太郎”を検索してみる。表示されたのは、湯田のやっている
病院に関する情報がほとんどで、あとは何かの学会の名簿らしきリストあるい
は同姓同名と思しき人物に関するものだった。
「訳が分からない……」
 呟いてから、病院の電話番号に眼をとめた。電話して湯田を呼び出しみるか
と考えた。だが、万が一、警察がすでに病院に出向いて、捜査を始めていたら
まずい。
(それよりも、もしもあいつが死んでいないなんて……)
 最悪の事態を想像し、松村は知らず、震えを覚えた。殺したと思った相手が
あのあと蘇生し、警察に駆け込んでいたとしたら、完全にアウトだ。あるいは、
今、病院のベッドで意識を取り戻そうとしているのかもしれない。
 松村は悪夢を振り払おうと、別の検索を試みた。可能性は低いが、湯田の身
元が確認されていないとすれば、“N公園 殺人”で何か分かるはず……。
「あ?」
 表示された検索結果に、松村は驚きの声を小さく上げた。八月四日、N公園
で殺人が発生していた。その犠牲者は、小宮山大輝(こみやまだいき)という
名の男。大学と企業の共同プロジェクトに携わる研究者らしい。
(発見は昨日午後十時過ぎ。場所は……俺が湯田と会ったベンチとちょうど反
対側か)
 死因は絞殺で、凶器はロープ状の物と推測されるが未発見。死亡推定時刻も
まだ出ていないようだ。
 このニュースに絞って検索を重ねると、被害者の顔写真を見ることができた。
当たり前だが、湯田とは別人だった。
「俺は湯田を扼殺――腕で絞めた。この男はロープ状の凶器で絞められている。
だから、間違って殺した訳ではない」
 自分自身に言い聞かせる。残る大きな疑問は二つ。湯田は本当に死んだのか。
小宮山大輝の事件が同日同じ場所で起きたのは偶然か。
 確かめやすいのは、前者の方だろう。しかし、行動に移すには勇気がいる。
警察の罠という可能性は低いとしても、何の策もなく殺しを実行してしまった
松村にとって、迂闊な接触はしたくない。
(病院前を車で通り掛かれば、何か分かるかもしれない。車から降りなければ、
見咎められることもあるまい。しかし、ナンバープレートが)
 松村は普段に比べ、極端に臆病になっていた。彼自身、そのことに気付き、
どこかで肝を据えねばならないと思った。気持ちの切り替えが必要だ。
 少しの間考え、恋人の墓参を思い立った。彼女への報告を済ませたあとなら、
たとえ捕まっても悔いはない。湯田の病院に様子を探りに行くのは、そのあと
だ。

――続く




 続き #412 交換のことわり 2   永山
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