AWC 故郷の思い出(2)


        
#392/598 ●長編
★タイトル (GSC     )  12/02/08  23:34  (119)
故郷の思い出(2)
★内容

    喧嘩と差別言葉(続き)


 私は同い年のTMと一番よく遊んだが、ある時大喧嘩をしたことがあり、庭
の莚の上にTMを投げ飛ばし、馬乗りになって、げんこつで背中を五つ六つ殴
り付けた後、半分泣きべそをかいているTMを残して、さっさと引き上げよう
とした。
 ところが、下駄が見付からない。しかたなく、裸足のままで庭を横切り、母
の寝ている離れの方へ行こうとすると、後ろからTMが、
「オーイ、下駄が脱ぎ忘れてあるよ。」
 と声をかけてくれた。私はそれを振り切って、
「下駄なんかどうでもいい。勝手にしろ!」
 そう怒鳴りつけておいて、家の中へ入ってしまった。
 TMは腹立ち紛れに、その私の下駄をドブの中へ投げ捨てたので、後から
兄に拾ってきてもらわねばならなかった。

 N子やS子が意地悪なT子たちとグルになって、私を囃したてたことが
あった。
 田んぼの向こう側まで逃げて行っては、私をさんざんに揶揄するので、
怒って追いかけようとするが、畦道を踏み外しそうで、とても彼女らを取り
押さえることなどできない。
 そばにいたTMを成敗に向かわせたところ、彼まで裏切って敵方に寝返り、
私は孤立してしまった。
 石や砂をつかんで投げつけても届かないので、せめて悪口を言い返すしか
方法がない。するとTMが、
「さっきのつくしんぼ、取って来ようかな」
 と言って、家の西側の土手へ駆けて行ったようだったが、案の定、後で見に
行ってみると、午前中に皆で仲良く取り集めたつくしを二握りほど、私が土手
の横穴に埋めておいたのに、全部掘り返されてなくなっていた。
 私は目の見えない不甲斐なさを身に染みて悔しく思ったが、生来恨みを残さ
ないたちなので、明くる日には彼らのけろりとした甘口に乗せられて、仲直り
してしまうのだった。


 ここで、多少理屈っぽくなるが、視覚障害者について書いておきたい。
 〈めくら〉という差別言葉が私たちにとっては一番耳障りで、〈盲人〉とか
〈目の不自由な人〉・〈目の見えない人〉・〈失明者〉・〈視力障害者〉など
と呼んでもらう方がよい。
 盲人をあまり知らない人は、
「目が見えないというのは、さぞ不自由なことだろう」
 と考えて、甚だ惨めで暗いイメージを描き、同情を寄せる。同情が強すぎる
と、半ば好奇心も手伝って、憐れみや蔑みにも通じるから、私たち視覚障害者
にとっては嬉しくない。
 また、ごく普通の盲人を見かけた人が、動作のいちいちを珍しがって、感心
したり驚嘆したりするのはうっとうしい。中には盲人のことを、勘が鋭くて
テレパシーで何でもわかってしまうかのように誤解している人もいて、これ
また迷惑な話である。
 一口に視力障害者といっても、十人十色、勘のいい人と鈍い人・頭の切れる
人と凡庸な人・口数の多い人と無口な人・服装や体裁を気にする人としない人
・単純な人とわかりにくい人・誠実な人とずる賢い人などさまざまいるので
ある。
 要するに、肉眼で物を見ることができないだけで、その他の点では普通の
人間となんら変わりがないことを理解してもらいたい。
 とはいっても、理屈のみではわからないから、一般の人びとは、なるべく
障害者と接する機会を多くし、盲人を見馴れてもらうことが必要である。
 今日、障害者の実体が相当理解されてきたとはいえ、町で無遠慮に障害者を
眺め回す人が多いらしく、私の子供がまだ小さかった頃、一緒に手を繋いで
歩いている時、
「どうしてみんなはお父さんをジロジロ見るんだろう?」
 と聞いたものだが、例えそれが善意からだとしても、露骨な視線や過剰な
好奇心は謹んで欲しい。

 [中略]



    家畜


 鶏は、父が最初五羽のひよこを買ってきた。ひよこがだんだん成長し、変声
期ともいうべき時期には、ピヨピヨという鳴き方に、時おり低いコッコッと
いう声が混じって、なんとも奇妙な感じだった。
 好奇心の強い私は、ぜひ一度鶏を触ってみたいと思い、小屋の開き戸を細目
に開けた途端、一羽が逃げ出したので、N子ちゃんに追っかけてもらったが、
どうしても捕まらず、随分困ったことがある。
 それ以来暫く鶏小屋には近づかなかったが、そのうち何かの理由で、三羽が
いなくなり、二羽が残って、私はいつのまにか平気で鶏小屋に入れるように
なった。

 声の低い活発な方を「大きい鶏」と呼び、高い声のごくおとなしい方を
「小さい鶏」と呼んで、私は日に何回か鶏小屋に入って遊ぶようになった。
 小屋は広くて八畳間ほどもあり、地面には籾糠を敷き、屋根は高くて、子供
なら充分立って歩けた。
 小屋は二部屋に分かれていて、鳥たちは日中は竹垣と金網で囲った広い部屋
で遊び、夜は板壁で囲った奥の部屋で眠る。
 夕方薄暗くなると、もう鳥たちは寝室に入るので、その中扉を閉めに行くの
が私の仕事である。扉を閉める前にそっと鳥の様子を窺うと、七〇〜八〇
センチの高さに組んだとまり木に乗って、二羽とも既に眠りかけており、私が
手を伸ばすと、ちょっと首を傾けながら小さく「クオー」と鳴いた。

 とまり木の下には、広目の竹篭に藁と籾糠を敷いて置いてあり、鶏は一日か
二日に一回、卵を産む。むろんそれは日中のことで、卵を産んだ時、鶏はあの
独特の鳴き方で
「コケエーッ コッコッコッコッコッコ、コケエーッ コッコッコッコッ
コッコ」
と教えてくれるから、私が見に行くと、まだ温かい卵が一つか二つ、篭の
真ん中にちゃんと収まっている。

 餌が欲しい時には甲高い声で
「コーッ コーコーコーコーコ」
と鳴き、私は餌の他に、貝殻を石で叩いて粉にして食べさせる。
 鶏小屋には、餌鉢が二つと水鉢や砂浴びをするための箱も置いてあって、
今日のように狭い下駄箱方式ではない。
 いくら合理化による卵の大量生産のためとはいえ、一生涯窮屈な箱の中に
押し込まれたまま、ただ卵を産むだけが仕事というのは、いかにも哀れな気が
する。もし人間が鶏の立場だとしたら、狭い牢獄で一生を過ごすのと同じで、
絶対に外へは出られないのである。
 〈幻の邪馬台国〉の著者、宮崎康平氏が
「昔の卵と今の卵では味が全然違い、このごろの鶏卵は青大将も食べない。」
 とラジオで話していたが、いずれにしても、鶏にとっては昔の方が幸せ
だったかも知れない。
 私はけっして養鶏業を批判するつもりはないし、物価高の近年、卵の値段が
四〇年前とあまり変わっていないのを、なによりもありがたく思っている一人
である。願わくば、許される範囲のいたわりをもって、家畜たちを扱って
もらえれば幸いである。








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