AWC 水は氷より出でて 6   永山


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#367/598 ●長編    *** コメント #366 ***
★タイトル (AZA     )  10/07/12  00:04  (384)
水は氷より出でて 6   永山
★内容                                         12/05/05 16:10 修正 第3版
「それで、まさか、針生さんとやり合う事態になって、十文字さんが生き残っ
たとか?」
 一ノ瀬が丸い目をさらに真ん丸にして聞いた。先輩の話は明らかに途中だと
いうのに、好奇心を抑えられないやつ。
 先輩は頭を横に一度振った。
「そんなことにはならなかった。幸か不幸か、犯人の計画が成功裏に終わった
ようだ。僕と針生は月曜の夜七時頃、通報を受けた警察に助け出された。その
あとはわざわざ話すほどでもないが、即、病院に担ぎ込まれ、検査。命に別状
なし。体力が一定レベルまで回復したところで、事情聴取を受けた」
「針生さんも先輩と同じぐらい、回復したんでしょうか」
「そうだと聞いている。まだ会って話をしていないんだ」
 答える先輩の様子がちょっとおかしいと気付いた。鋭く細めた目を僕や一ノ
瀬から逸らし、眉間にはしわを刻み、難しげな表情をなしている。が、それは
三秒程度で消え、軽く瞼を閉じると何かを否定するかの如く、首を左右にゆっ
くり振った。
「どうかしたのかにゃ?」
 一ノ瀬も気が付いたようだ。間髪入れず、ストレートに尋ねるところが僕と
違う。
「うむ。あることを想像してしまって……隠すつもりはないが、積極的に云い
たくもない。八十島刑事、別に起きた事件のことを話してやってください」
「別の事件?」
 僕が反応する余裕もそこそこに、八十島刑事が二、三歩前に踏み出し、胸を
ずいと張った。
「日曜深夜に殺しが起きた。被害者は大学生の幸田加奈子(ゆきたかなこ)、
十九歳。この春よりアルバイトで、針生君の姉・早恵子さんの家庭教師をして
いた。溺死と見られる」
「え、針生さんのお姉さんの家庭教師ということは、針生さんとも知り合いだ
ったんでしょうか?」
「無論。当人も認めた。顔見知り程度だと云っているが、その辺りはこれから
詳しく聞く」
「二人がどういう関係にあるにしろ、これは美馬篠高での殺人と合わせて、連
続殺人ですよね? 犯人は針生さんを追い詰める狙いで、周囲の人物を殺して
行く……」
「そう云い切れない節がある」
 僕は八十島刑事に尋ねたつもりだったが、十文字先輩がすかさず応えた。そ
ちらを見ると、先輩は難しい表情で続けた。
「殺害方法及び状況をまだ聞いていない百田君達にはぴんと来ないだろうが、
僕は恐れている。針生の奴が僕に大胆な挑戦をしてきたのではないかと」
「挑戦て、問題を出し合うというのは取り止めにしたんじゃあ」
「そのことではない。この連続殺人の犯人は針生徹平ではないかと、僕は疑い
始めているんだ」
「ええ? 針生さんが犯人だなんて、そんなことあり得ます? 最初の事件だ
って、密室内で拘束されて……」
 疑問点を挙げようとした僕を、一ノ瀬が制した。
「まあまあ、みつるっち。ここは先に、起きたばかりの事件に関して、色々と
知っておくべきだよん。――刑事さん、説明をお願いしますです」
「いいとも。話せる範囲で、になるが。幸田加奈子はLマンションで独り暮ら
しをしている。女性専用ではなく、築十何年にもなるマンションで、防犯カメ
ラや一階エントランスでの厳重なロックシステム等はない。十文字君らが監禁
されていたビルからなら、徒歩で片道三十分足らずの距離にある。遺体は部屋
の浴室、バスタブの中で見つかった。被害者は手足を縛られ、ねじった手ぬぐ
いを噛まされ、その上、荷造りなんかに使う丈夫なガムテープで、バスタブに
固定されていた。犯人は身動きを取れなくした被害者を、蛇口から水を少しず
つ出すことで溺死させようとしたと考えられる。彼に云わせれば――」
 と、刑事はあごを振って十文字先輩を示す。
「――アリバイ作りを目的とした、よくある殺害方法らしいな。このやり方だ
と、犯人はなるべく早く遺体を見つけさせ、死亡推定時刻を正確に算出させよ
うとする。そのせいかどうか知らないが、当日の午前二時、Lマンションのす
ぐそばにある公衆電話から何者かが通報したため、早期の遺体発見となった。
通報者の正体は不明だ」
「それだったら」
 僕は先輩に視線を戻した。
「針生さんは十文字先輩と一緒にいたというアリバイがあるから、犯行は無理
なんじゃあ? 段々増える水が自動的に被害者の命を奪うとはいえ、少なくと
も往復のための一時間と、さらに細工をするためのプラスアルファが必要です。
よく分かりませんけれど、一時間半は見ておかないといけない気がしますよ」
「一緒にいたこと事態が、あやふやと云える。僕が意識を取り戻したのは、月
曜の朝七時以降。それまでは針生がどこにいたのか分からない。あいつが意識
を失っていたかどうかすら、当人以外には分からないのだよ」
「もしそうだとしたら、店内で先輩を襲ったのは……」
「針生ということになる。わざとはぐれて僕の不意を突けるよう待機すれば、
あとは簡単だ」
 苦々しげに推理を披露した十文字先輩。そこへ一ノ瀬が「……でも、何だか
おかしいにゃ」と脳天気な調子で口走る。
「アリバイトリックを駆使したなら、せめて死亡推定時刻だけはしっかりとし
たアリバイを確保しようとするものでしょ?」
「ああ、それが普通だ」
「幸田って人がお亡くなりになったのは、何時ぐらい?」
「午前一時前後とされているよ。一ノ瀬君の云う通り、この時間帯に針生が僕
とあのビルで監禁されたまま、会話を交わしていたなら、アリバイトリックの
構図としては完璧になるな。だが、話の続きを聞けば、納得が行くだろう。百
田君が割って入ってくれたおかげで、まだ話の途中なんだ」
 それならそうと云ってくれればいいのに……。僕は身を縮こまらせた。
「犯人が誰であろうと、この事件での溺死トリックは不可能なのさ。遺体発見
時、浴槽に向けられた蛇口から、水は流れ出ていなかった。何故なら、日曜の
夜、現場近くの水道管が老朽化により破裂し、午後十一時からは一部地域に断
水の措置が執られたんだ。完全復旧は今日昼過ぎまで掛かったという」
 僕も思い出した。夜の街明かり、さらには報道機関の物であろう照明を浴び、
水柱がきらきらと光る。その横、少し離れた道路を、乗用車がそろりそろりと
通って行く。そんな映像を確かに見た。
「それってつまり、どういう……」
「徐々に増える水が被害者を溺れさせることが、このトリックの眼目なのに、
肝心の水が蛇口から出て来なければ成立しない。しかも、断水は犯人の工作で
はなく、全くのハプニングだ。急遽代わりのトリックを考案し、用いたとは考
えられない。トリック不発を悟った犯人は死亡推定時刻、現場にいることを選
択した。その手で彼女を溺死させたんだよ」
「犯人が針生さんだと仮定した場合、死亡推定時刻の頃に確実なアリバイがな
かった理由はそれ?」
 一ノ瀬が即座に聞き返す。十文字先輩も即答する。
「君の云う通りだと思う。本来の計画では、あいつが僕を起こすつもりだった
のかもしれないな。逆になったのは、監禁場所へ戻るのが予定より遅くなった
からじゃないかと疑っている」
「犯行現場で水道から水が出ないとにゃると、困ったことが一つ」
 云って、右の手のひらを僕や先輩に向ける一ノ瀬。どうやら人差し指をぴん
と伸ばしたサインのつもりらしいが、いつもの癖で招き猫の手のようになって
いる。分かりづらいったらありゃしない。
「浴槽に張った水は、どこから調達したのかにゃ?」
 ああ、そうか。先輩の推理に多少魅せられたせいで、忘れていた。水が出な
いのなら、浴槽に水を溜められない。しかし現実には浴槽は水で満たされてい
たらしい。
「それについては、私が答えよう」
 八十島刑事は手帳をちらっと一瞥し、話し始めた。
「遺体の入っていた浴槽の水だが、簡易分析をしたところ、少々汚れていたと
分かった。水道から入れ立ての水ではなく、前日からの残り湯と思われる。被
害者の肺などから出た水に関しては、これから詳しい分析が行われるが、どう
やら残り湯よりも汚れの度合いが薄いらしい」
「あまり汚れていない?」
「恐らく、犯人は別のきれいな水を運び込み、それを使って被害者を溺死させ
た後、浴槽に押し込んで、いかにも水道利用のアリバイトリックを用いたかの
ような細工をしたんだろう」
 刑事が答え、十文字先輩が付け足す。
「洗面器一杯ほどの水があれば、人を水死させることは可能とされる。運び込
む水は少量で済む訳だ」
「なるほど納得。証拠がないのは残念無念。今聞いた範囲じゃあ、誰が犯人で
あってもかまわないなり」
「一ノ瀬君、僕が針生に疑いの目を向けたきっかけならあるんだが……下の話
になるが、君はかまわないか?」
「しもの話? しもってフロストの霜なのかな?」
「いや、下の世話をするのしもだ」
「?」
 一ノ瀬はしきりに首を傾げた。最近は日本語もだいぶこなれてきたと感じて
いたが、まだまだ知らない単語が多いと見える。
「僕があとで教えておきますから、先輩、どうぞ」
「うむ。正直なところ、僕も些か恥ずかしいのだが……監禁がほぼ二十四時間
に渡ったというのに、針生の奴は小便を一切しなかったようなんだ。大はとも
かく、小は我慢しきれないと思うんだが。疑問を解くべく、救出されたあと、
あいつのズボンの股間を観察したんだが、全く濡れていないようだった。僕が
意識を失っている間、針生は別の場所にいて、用を足したんじゃないかと推理
するきっかけになった」
「理屈は分かりましたが、それだけでは殺人の証拠にはなりませんよね。監禁
場所から抜け出していたというだけで」
「ああ。僕だって、あいつを殺人犯だと思いたくない気持ちが強い。ここで思
考停止してもいいぐらいだ。だが、美馬篠高校での殺人についても考え合わせ
ると、疑いが強まった」
 僕が提示した疑問に、やっと答を出してもらえるようだ。
「葛西が遺体となって発見された体育倉庫は密室状態であったが、内部にはも
う一人、針生という生存者がいた。針生の拘束のされ方を思い出してほしい。
一人芝居でもやれると分かるだろう。また、警察が解き明かした氷を用いた密
室トリック――僕もその通りだと一度は確信した――は、云うまでもないこと
だが氷を持ち込む必要がある。しかし、校内でそれ相応のサイズの氷を作れる
冷蔵庫は二つだけで、一つは作るスペースがなく、もう一つは急な故障により
使用不能になっていた。校外から持ち込むには、いくら文化祭とはいえ目立つ。
殺人犯は氷を用いることなく、あの密室殺人を成し遂げたものと考えるのが筋
じゃないかな? そこを認めれば、最有力容疑者は密室内にいた唯一の生存者
だろう」
 十文字先輩は一気に喋ったかと思うと、この場にいる者全員を避けるみたい
に俯いた。己の推理を肯定したくない気持ちがどこかにあるのかもしれない。
「……で? 決定的な証拠やロジックはまだにゃいんですか、十文字さん?」
 一ノ瀬がずけずけとした態度で尋ねた。もう、敢えて空気を読んでいないと
しか思えない。
 ところが十文字先輩に気を悪くした様子はない。どちらかといえば、微笑ん
でいるかのようだ。先輩はそんな顔付きのまま云った。
「決定的な証拠は見つかっていない。そのことが、今の僕にとって、救いない
しは喜びであるのかもしれないな」

 七尾弥生は迷っていた。
 針生徹平が二つの殺人事件に関して、容疑者の一人として浮上していること
を十文字や五代といった一年先輩から知らされ、注意を喚起された。それと同
時に、口外しないこと、特に美馬篠高校の面々へは話さないよう、求められも
した。容疑に当人が気付かない内に警察は証拠を固める気らしい。それは察し
たのだが、果たして針生が犯人なのかどうかとなると、七尾には判断が付かな
い。十文字の推理の大まかなところは説明されていたが、それでもなお、針生
を犯人と決め付ける気にはならなかった。どうして疑いきれないのか。推理を
述べる十文字の口調に迷いがにじんでいたせいかもしれない。もしくは、七尾
の親友である無双達四人にとって、針生が尊敬できる先輩――少なくとも奇術
において――であるせいかもしれなかった。
 こんな具合に迷いを抱いた高校一年生の彼女に、無双から電話があった。土
曜の午後のことだった。
「針生先輩から、新しいマジックを披露するので君達は観客になってほしい、
と云われたんだ」
「う、うん。それで?」
 弾んだ調子の無双に比べ、いきなり針生の名前を出された七尾は、少なから
ずどぎまぎしてしまった。そんな様子を気にした風もなく、無双は続ける。
「それで、うちらだけだと身内ばかりになっちゃうから、より厳しい意見、正
直な感想を述べられる立場の部外者を招きたいと希望してるんだよね。できた
ら七尾さんに頼みたいっていうご指名よ」
「ん……」
「あれっ? 反応が薄いなぁ。どうかした?」
「あ、ごめん。興味ある、凄く。いつやるの?」
「急な話で、今日云われて、明日なのよ。ほら、ぼちぼち定期テストがあるで
しょ」
「テストが理由なら、終わったあと、夏休みにでもやればいいんじゃあ?」
「あれこれと予定が詰まっているみたい。ま、先輩のわがままをある程度我慢
するのは、後輩の役目の一つだと思って」
「うん、元々、僕の方は明日ならかまわないけれど」
「よかった。それじゃあ、時間と場所を云うから、メモを。いい? 場所は何
と、針生先輩の自宅。ご両親が留守にしているらしいから、遠慮はいらないん
ですって。ただ、七尾さんのとこからはちょっと遠いかも。住所は――」
 無双の嬉しそうな声に、七尾は語尾の「けれど」に込めた意識を伝え損なっ
た。いっそ、針生に容疑が向けられていることを話してしまおうかと思った。
だが、七尾にとって、十文字達も今や大事な知り合いだ。簡単に裏切れはしな
い。問題を棚上げにしたまま、七尾は承諾せざるを得なかった。
 ただし、折角の機会をみすみす見送るほど、七尾は愚鈍ではない。
「あのさ、僕よりも適任な人がいるじゃない? そう、十文字先輩。あの人も
お誘いすればきっと来るから、どうかしらと思って」
「うーん。針生先輩って、十文字さんとは真剣勝負モードだから、試しに披露
するところは見られたくないんじゃないかな。私達相手にリハーサルしておい
て、十文字さん相手が本番」
「そっかー」
 多分、針生に直接尋ねても、同じ答が返って来るだろう。
 針生に、十文字との“対決”を避ける気配があれば、殺人容疑を掛けられて
いることを察した状況証拠となるかもしれない。そんな思惑から七尾は提案し
たが、空振りに終わった。
「あ、だったら当然、撮影もだめ?」
「だと思う。確認してないけれどね」
「それじゃあ、他に友達を連れて行ってもいいかな。都合が付けばになるだろ
うけれど、一ノ瀬さんと百田君を」
「あの二人なら、先輩も私達も歓迎するわ。どうせ他にも部外者の人が居合わ
せる可能性あるしね」
「え?」
「刑事よ。八十島さんとか云った。針生先輩、続けざまに狙われたから、見張
りを付けるようになったみたい。周りで見掛けることが増えたんだって」
「あ、そういう」
 八十島刑事が針生に張り付いていることは、すでに知らされていた。警護よ
りも監視の色合いが濃いことを、当人や無双達は承知しているのかどうか。
「ちょうどお昼時になるけれど、食べる物は用意してくださるそうだから」
 そんな風にして、無双との通話は終わった。

 この時期、日曜日は貴重だ。なのに僕は、七尾さんや一ノ瀬と一緒に初めて
の駅で降り、初めての道を歩いていた。
 前日、七尾さんから急な誘いを受けた僕らは、少々迷ったものの、その場で
OKを出した。事後報告の形で十文字先輩にこの件を伝えたところ、何が起こ
るか分からないが、起きたことをしかと観察してくるようにと頼まれた(いつ
もならほとんど命令口調なのに、今はライバルを疑う行為に苦悩しているのか、
“頼んで”きたのだ)。
「駅からは近いそうです。徒歩十分足らず」
 先頭を行く七尾さんは、犬みたいに舌を出してはあはあ云っている一ノ瀬を
見ながら、そんな説明をした。手にはメモが握られている。
「とぼとぼ徒歩して、ほとほと疲れて、とほほな気分だよー」
 思い付くまま喋っているような一ノ瀬。いくら彼女でも、ここまで体力がな
いはずない。実は昨晩、ずっとパソコンでプログラムのチェックをしていたら
しい。知り合いの手伝いだよん、と云っていた。
「――あそこです。白い壁にえんじの屋根の二階家」
「似たような家ばかりなり」
「えっと、斜め前にグレーの乗用車が停まってる……あれ、八十島さんですね」
 七尾さんの言葉の通り、針生家の前、道路を挟んで反対側にある車には、八
十島刑事が乗っていた。こういう場合、知らんぷりして通り過ぎるのが常識か
な。声を掛ければ、張り込みの邪魔になるのは確実なのだから。
 と思って通り過ぎようとしたら、相手から声を掛けてきたので焦った。
 運転席に座ったまま、八十島刑事はウィンドウを下げて、頭を外に傾けた。
「君達、針生徹平君に用事かい?」
「はい」
 一番近くにいた僕が代表する形で答える。
「針生さんが新しいマジックを試したいというので、その観客役に呼ばれまし
た。他にも、美馬篠高校奇術倶楽部の一年生全員が来るはずです。見ていませ
んか?」
「見てないな。今日は朝早くに両親が出掛けたあと、宅配ピザと何か店屋物の
出前が来た。ホームパーティでもやるんだろうなとは思ったが、君達高校生だ
けとはねえ」
「ところで刑事さん。こんなに目立っていいんですか? 張り込みなのに……」
「今のこれは、警護を装った張り込み。ターゲットにプレッシャーを与える狙
いもある。だから多少は目立っていいんだよ。目に付かないと意味がないと云
うべきか」
 刑事は表情を変えず、声を潜めて云った。そのまま、視線は門扉に向けて、
話を続ける。
「針生徹平が仮に犯人だとしても、十文字君のいないところで、大きな騒ぎを
起こすとは考えにくい。が、用心に越したことはない。異常があったら、すぐ
に知らせるように」
「八十島さんは、家に入らないんですか。護るためと云えば入れるでしょう?」
「高校生に混じって、日曜の昼間にパーティ気分を味わうのは遠慮するよ」
 長話はさすがにまずいと判断したのか、八十島刑事はウィンドウを上げ、会
話を一方的に打ち切った。僕らは呆気に取られたが、一秒後には当たり前のよ
うな顔をして、針生宅の門をくぐった。
 インターフォンは門にも玄関にもなく、呼び鈴のボタンがあったので押した。
しばらく待ったが、反応が見られない。仕方ないのでもう一度押し、ドアをノ
ックしてみる。依然として反応がなかったため、今度は声を発した。
「えー、ごめんくださいっ。針生徹平さんのお招きで来たのですが、おられま
せんか?」
「ちょいちょい、みつるっち。そんなにしゃっちょこばらなくても、今、針生
さんの両親はいないはず」
 あ、そうだった。一ノ瀬に二の腕をつつかれて思い出す。「でも、お姉さん
がいるかもしれないし……」と言い訳して、恥ずかしさをごまかしておく。
 そのとき、ドアが開いた。隙間から覗いた顔を見て、僕と七尾さんが同時に
声を上げる。
「――布川さん」
「君達、針生に呼ばれて来たの? あいつ、どういうつもりなんだろうなあ。
さっぱり理解できん」
 ばつが悪そうに笑いつつも、頭を捻る布川さん。状況が飲み込めない僕らは、
説明を求めた。
「布川さんも呼ばれていたのですか?」
「違うんだ。針生が君らや一年部員相手にマジックを披露することさえ、知ら
されていなかった。自分はあいつからちょっとした悪戯に協力してくれと頼ま
れ、協力しただけなんだが」
「どんな悪戯を?」
「出前の格好をして、この家に自転車で配達に来たふりをする。上がり込んで
から、出前の衣装を針生が着て、僕は持って来た服に着替える。要は僕と針生
が入れ替わり、出て行くんだ」
 警察の目を逃れるため、詐術を弄したのか? 僕は表の車にいる刑事に知ら
せようと、きびすを返した。だが、一ノ瀬が次に発した質問が気になり、しば
しとどまる。
「針生さんは外に出て、何をするか云ってた?」
 初対面のはずだが、一ノ瀬はくだけた調子で尋ねる。
「いや、聞いてない。ただ単に、『マジックを仕掛けるんだ』とだけ」
「入れ替わった布川さん、あなたは何時まで、何をして過ごすつもりだったの
かにゃ?」
 相手の語尾に目をぱちくりさせた布川さん。だが、気にしないで答えてくれ
た。
「暇潰しの道具があれば持って来ておけと云われていたから、ゲームや本を用
意しておいた。時間の方は、午後六時までには戻ると云っていたな。六時間程
度ならと思い、引き受けたんだよ」
「もう一つだけ。針生早恵子さんはこの家にいるですか?」
「え? 針生のお姉さんは出掛けたと聞いてるぞ」
 僕は玄関から外に急いで出た。。車に駆け寄り、八十島刑事に針生家の状況
を伝える。
 電気ショックか何かで弾かれたように、運転席から飛び出すと、針生宅へ走
った。彼の後ろ姿を追おうとした僕の目の前に、美馬篠高校奇術倶楽部の面々
が現れた。

 その後、捜査が進むにつれ、いくつかの事実が明らかになっていった。
 まず、一時消失したかのように思えた針生早恵子さんの行方だが、級友の家
に泊まりがけでテスト勉強に行っていた。これには僕らの思い込みが関与して
いる。針生宅に到着寸前に八十島刑事から聞いた話を、僕らは<四人いる家か
ら両親が出掛け、子供二人は残っている>と解釈した。しかし事実は、<子供
の一人は、昨日の内から出掛けて戻っていない>ということだったのだ。早恵
子さんは当初の予定通り、夜七時前に無事帰宅した。
 一方、針生徹平の行方に関しては、なかなか判明しなかった。だが、当日の
午後八時過ぎに、美馬篠高校奇術倶楽部の部屋で、遺体となっているのを発見
された。日曜の高校は、当然ながら閉められており、針生は無理に忍び込んだ
と思われる。校舎そのものの防犯はそれなりにしっかりしているが、部室の方
は厳重とは言い難いようで、針生が奇術倶楽部の部屋に入れたのも、彼自身が
前もってドアか窓の鍵を掛けずにおいたと考えられた。
 そして針生徹平の死に様だが……部屋が密室状態であった点、二件の犯行が
自分の仕業であると認める自筆の遺書めいたメッセージがあった点から、自殺
と思われた。だが、それで済ませるには大きな問題もあった。
 彼の遺体は、各部に切断されていたのだ。頭、胸、腹、腰、左右の手、腕、
足、太もも……刃物の種類はまだ分かっていないが、自らの手でこんな芸当、
できるはずがない。
 針生徹平のメッセージは、関係者のみに知らされた。自殺には大きな疑問符
を付けざるを得ないし、あまりにも芝居がかっていたせいもあろう。その文面
は、次の通りである。
『私は針生徹平。魔術師を目指す者。
 葛西知幸を葬ったマジック、幸田加奈子を葬ったマジック。
 二つのマジックは、私の手で完璧に行われるはずだった。しかし偶発的なア
クシデントが、私に不運をもたらし、いずれも不完全に終わったようだ。
 ならば私は三つ目のマジックを披露しよう。
 魔術師を目指す者の誇りを胸に、挑戦する。
 このマジック、名探偵は解けるかな?
 “幸せな割合”のために、健闘を祈らん。』
 名指しこそしていないが、十文字龍太郎への挑戦状と受け取れる。もちろん、
先輩もこのメッセージを見ている。だが、事件発覚から三日目になっても、全
くコメントをしていない。ライバルを疑うだけでも堪えていたのに、その不可
解な死によって、精神的に大きな打撃を受けたのかもしれない。僕もおいそれ
と尋ねられないのが現状だ。
 しかし、先輩が名探偵としての埃を捨てた訳では断じてない。その証拠に、
先輩が警察に述べたという推理が、五代先輩を通じて僕の耳にも入ってきた。
先輩は美馬篠高校奇術倶楽部の密室を、後から入れられた仕切り壁の特性を利
したトリックであろうと考え、移動させた、あるいはたわませた痕跡がないか
を調べるべきと主張しているらしい。先輩はまた、針生徹平が(他の二件の犯
人である可能性は残るが)魔術によって自殺したのではなく、何者かによって
殺されたものと見なしていることも明らかだ。いずれ、警察の捜査能力と相俟
って、真相を暴くに違いないと信じている。
 かような状況にある中、十文字先輩に簡単に話し掛けるのは非常に心苦しい
のだけれども、僕には話さねばならないことが一つあった。そう、音無からの
頼みを、まだ伝えていなかったのである……。

           *           *

「百田君。君や十文字先輩が色々と大変な事態にあるのは、よく理解している
つもりだ。しかし、私の願いは事件発生前に伝えたことを忘れてはいまい? 
加えて、私は君達が今事件を調べる過程でも微力ながら助太刀した。それなの
に、返事が未だにないとは、いかような理由があるのか。包み隠さず、話して
もらいたいのだが」
 詰め寄ってきた勢いそのままに、音無は僕に対してまくし立てた。クラスの
数名が、何ごとかと振り返っている。
 僕は回答を持っていたのだが、なかなか口を挟めないでいた。それは彼女の
語勢に気圧された……というよりも、美貌に見とれてしまったせいかも。
「そ、そのことなら」
 やっと云えた。にやにや笑っている一ノ瀬の視線をうなじ辺りに感じながら、
なるべく平板な調子で、音無に答える。
「OKをもらったよ。ただ、今度の事件の経緯が経緯だから、さしもの十文字
先輩もとても落ち込まれている。できれば、音無さんが歓待して、元気づけて
あげればいいんじゃないかな」

――終




元文書 #366 水は氷より出でて 5   永山
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