#327/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 08/07/31 23:59 (487)
十二等分の幸運 1 永山
★内容
「ミステリは魔物。解けるか、嵌まるか。名探偵誕生の瞬間を追う、『プロジ
ェクトQ.E.D./TOKIOディテクティブバトル』。名探偵の持ち合わ
せるべき運を問う第二関門、開幕!」
井筒隆康の決まり文句で、番組が始まった。と同時に、第一関門をクリアし
た十二人の名探偵候補が登場し、三列に並べられた椅子に座って行く。落ち着
いたところで、司会の井筒が言った。
「第一関門突破、まずはおめでとう。簡単に感想を述べてもらおうかな。美月
さんから、どうだった?」
「今回のテーマは運ですって? だったら私、危ないかも。前回で運を使い果
たしたかもしれないから。トップ通過できたのは、この人のおかげ」
保険調査員の美月安佐奈は自嘲気味に笑い、隣の席の村園輝を見やった。自
然な形で、次の発言者はこの占い師となる。
「それを言うのなら、自分も同じになりますね。前回、答に気付けたのは、多
分に運の要素が強かった」
「実質トップの人にそんな言い方されても、嫌味にしか聞こえないわ。こっち
はやっと残れて冷や冷やだった」
律木春香が口を挟む。前回ブービーだった彼女は、危機感を特に強く持って
いるようだ。
そこへ野呂勝平が遠慮の欠片もなしに割って入る。
「何番目だろうと、勝ち残ればいいのさ。今はな。負けたら終わりだ」
「負けたら終わりと言えば」
天海誠がつぶやく。
「学生の安藤君が落ちたのは、少しばかり意外でした。不正解だったから当然
ですが、テレビ的には、彼のような有名でない人をもっと勝ち残らせたいでし
ょうからね」
「第二シーズンの開催を見越して、一般からの参加希望が増えるようにってこ
とかしら」
八重谷さくらが反応した。天海がうなずくと、彼女もまた満足げにうなずく。
「まあ、実力がなくちゃお話にならないわ。緊張するのも自信のなさ故よ」
「八重谷さんは自信に溢れてますもんね!」
若島リオがやたらと明るく話し掛ける。一歩間違えると太鼓持ちだが、彼女
の場合、そうは見えない。得なキャラをしている。
「この間はうまく抜けられたけれど、リオはそんなに自信持てないから、今回
は誰かにくっついていこうかな?」
「どんなことをするのか分からない内から、くっつくも何もなかろう。前回の
方がまだ相乗りできる余地があった。そういう意味では、気が楽だったな」
元刑事の沢津英彦がたしなめつつも、前回の感想を述べる。実際のところ、
第一関門を突破して肩の荷が下りたのだろう、沢津が最もリラックスした表情
に見える。
「個人的には、最後まで立たされ、お説教を食らったのが屈辱的だった。早く
忘れて、次に進みたい」
更衣京四郎が吐き捨てた。離れた席の八重谷が大いに同感とばかり、オーバ
ーにうなずいていた。
「わしはすでに忘れているかの。ちっとも思い出せやしませんわ」
かかと笑ったのは、最年長の堀田礼治。今の台詞を鵜呑みにする者は、一人
もいまい。
「私は、環境が変わったことの方が大変だった。体調がいまいちで、肌の艶一
つとってもよくないでしょ。お化粧に時間を取られて損。早く慣れなくちゃ」
これは郷野美千留の弁。実際の心境は、髯を含めたむだ毛処理に時間が掛か
るといったところか。
「あら、大変ですね。私は順応しやすい質らしくて、マイペースでやらせても
らっています。この調子で行けたら助かるわ」
最後にのんびりと言ったのは、小野塚慶子。許可さえ出れば、ここにも編み
物を持ち込みそうな雰囲気である。
「これで、みんなが発言した訳だが、今のコメントの中にも駆け引きがあるよ
うなないような……とても興味深く拝聴したよ。それでは、ぼちぼち始めよう
か」
本当に興味深そうに、顎をさすりながら聞いていた井筒は、一呼吸ついてか
らやや大きめの声で続けた。
「第二の関門は運試し。名探偵の持つ運がテーマだ」
「名探偵は推理力が卓越していれば、それで事件を解明できるのだから、運な
んていらないと思うけれど」
郷野の意見に、井筒は首を縦に振り、とりあえずの同意を示す。だが、すぐ
に付け足した。
「確かに、特に幸運である必要はないかもしれない。だが、逆の場合を想像し
てみることだ。彼もしくは彼女が優れた推理能力を有していたとしても、特別
に不運であるために、事件を解明できないことは起こり得るのではないかな」
「それはもちろんよ。鑑定結果をもたらしてくれる電話が、肝心なときに不通
になるとか、誘拐犯との交渉中、たまたま第三者のとった行動が、犯人の目に
は背信行為と映り、被害者が殺されてしまうとか。そういうことを考え出した
ら、きりがない」
両手のひらを上に向け、肩をすくめる郷野。他の面々も程度の差こそあれど、
概ね、同意見らしい。
「だからこそ、運をテーマにした関門があってしかるべきだろう。極端に運の
悪い人間に、名探偵の資格はない」
「かといって、たとえばくじ引きで三回連続、最下位になったから失格、なん
てことにされてもたまらない」
美月が言った。井筒は再び、大きくうなずいた。
「無論だ。救済策は施そう。運が悪くてもなお、事件を解決できる名探偵がい
るかもしれない。むしろ、そのような名探偵こそ、我々が求め、欲す存在であ
るとも言える」
「はいはーい。そういったことを考慮して、第二関門のルールは次のようにな
っています」
議論が白熱しかねないところへ、もう一人の司会者、新滝愛が現れ、はつら
つとした調子で告げた。番組上では画面に、以下の通りのテロップが出るとこ
ろだ。
・運の要素が大きなウェイトを占める十のゲームを行い、各候補者の持ち点を
決定する。点数の高い者ほど幸運の持ち主と見なす。
・犯人当ての問題が出されるが、名探偵候補者の得られる手がかりは、それぞ
れの持ち点によって異なる。幸運な者ほど多くの手がかりを得ることができる。
・ただし、犯人当ての最中に一度だけ、各人の運を見直すゲームを行う。
・犯人当て問題の犯人を論理的に指摘できた者が、早い順に勝ち抜け。
・正解が最も遅かった者が脱落。複数の不正解者が出た場合は、審査員の判定
による。なお、審査では、各人の持ち点が考慮される。
・制限時間は、ゲームを含めて、二十四時間。
「――それともう一つ。これはテーマを理解していれば自明だが、念のために
言っておこう。今回、他者との協力は一切認めない。犯人当ては独力で解くこ
と」
「特定の人を落としたいからって、他の全員に答を教えるのもなし?」
若島リオが舌足らずな口ぶりで聞く。井筒の鋭い視線が飛ぶ。
「なしだ。このルールを破った者は、番組出演に際して提出してもらった誓約
書に反したと見なし、失格および賠償金の請求対象となる」
若島は口を尖らせ、あきらめたようにかぶりを振った。
「他に質問は?」
「運の見直しというのが分からないんだが……口を割りそうにないな」
沢津が挙手しつつ、質問しかける。が、井筒の顔を見て苦笑いを浮かべると、
途中でやめた。
「要するに、ずっと幸運が続くとは限らない、ってことにしときたいんでしょ」
我慢していたものを吐き出すように、推理作家が分かった風な口をきく。
「そうしなきゃ、観ていて面白味がないものね」
「演出上、最低でも一人は逆転を食らう可能性が高そうだわ」
「テレビの舞台裏を暴くような発言は、謹んでくださいね」
律木の台詞を新滝が諫めたところで、質問タイムは終わった。
「もうじき、スタート時刻の午後三時だ。ゲームルームに移動するとしよう」
最初のゲームは、勝ち負けを決める最も簡単な方法の一つ――じゃんけんだ
った。
「あくまで運を見たいので、一切の戦略を取れないようにする。具体的には、
他の対決を見てはいけない。勝負の直前に『次はグーを出すぞ』等の宣言を行
ってはならない」
組合せはランダムになされ、勝ち残りと負け残りのトーナメントが同時に進
行する。そうして、一位から十二位までが決定した。
続いてのゲームは、じゃんけんと同程度に単純なコイントス。井筒の投げる
コインの表裏を皆が予想していき、外した者は順に除外され、最後まで残った
者が一位となる。
次なる種目は“ハイ&ロー”。適当に選んだトランプのカードの数字が、七
より大きいか小さいかを当てる。これも外した者が落ちていき、最後まで当て
続けた一人が一位と認定される。
四つ目は、トランプつながりと言うべきか、ポーカーである。これまでの三
つに比べると、腕前にも左右されるゲームだが、それは回数を重ねてこその話
だ。今回、番組が課したのは一度きりのポーカー勝負。ほぼ、運否天賦のもの
と言えよう。
続いてブラックジャックが五番目に用意された。エースを一もしくは十一、
絵札を十、その他の札は数字の通りと見なして組合せ、二十一に近い数をこし
らえるゲームだ。これもポーカーと同じく、一度きりの勝負では実力云々とは
関係なく、勝敗に運の占める比率が高い。
第六のゲームは、がらりと様相を変え、“ジャストタイム”――ストップウ
オッチを十秒ジャストで止めることを狙う。十秒に近いほど高ポイントが与え
られる。全ゲームの中では、最も運頼みでない競技と言えるが、練習なしの一
発勝負ではやはり運が大きい。
第七ゲームは、十本の煙草に同時に着火し、灰の落ちる順番を当てる、“灰
リスク”。
第八ゲームは競馬。無名馬ばかりが出走する海外の地方競馬の映像を見て、
着順を予想する。
第九ゲーム、“宝箱”。十個の小箱から一つを選び、十の鍵から該当する物
を見付け出す。タイムトライアルだが、開けた箱の中に髑髏マークが刻印され
ていた場合は、タイムを倍にされてしまう。
そして最後の第十ゲームは、運と実力が微妙に絡み合う、“多数決廃除”。
「――これは、最も警戒するライバルは誰か?というお題目で、名札を上げる
形の多数決を行い、最多得票した者を除外。次も同じ採決を行い、最多得票者
を除外。これを、二人になるまで繰り返す。最後の一人を決めるのは、それま
でに除外された十人による採決だ。なお、同票の場合は、九種のゲームを終え
た時点でのポイントの低い方を除外していく。ポイントも同じ場合は、司会者
である私が判定を下す」
井筒の解説を、全員が飲み込んだところで、ゲーム開始だ。
一回目の採決では、村園が八票で除外された。第一関門の実質一位通過者で
ある点に加え、これまでのゲームでもなかなかの強運ぶりを発揮していること
が、他の者に驚異と映ったようだ。
第一関門の成績を根拠とする流れは続き、二回目は美月、三回目は天海が最
多得票者になった。
四回目は、第二関門のポイント合計でこの時点のトップ、郷野が除外に。続
く五、六回目では、すでに敵を多く作ったであろう八重谷、更衣が相次いで除
外される。
残り六名になった七回目の決で、最多得票が二人出た。堀田と沢津である。
今までのポイントにより、堀田が生き残ったが、彼も次で除外された。
九回目の決では小野塚が落とされ、三人に。
「ここまで残ったことを、不名誉に思うべきかもしれないわね」
情けないと律木春香がつぶやく。漫画に描くとしたら、負のオーラが出てい
るところだろう。若島リオは対照的に、明るくコメントする。
「見た目がばかそうでも実は名探偵っていうのは、私が最初から言ってるスタ
ンス。全然、ちっとも、問題なし!」
「まあ、何にせよ、次で除外されるのは俺だな」
野呂が自嘲しながら言った。――そして実際、その通りになった。
最後の決を前に、新滝が早口で説明をする。
「状況を整理しておくと、第九ゲームまでのポイントは、律木さんが三十七、
若島さんが五十三と、若島さんが上回っています。次の採決で五票ずつなら、
若島さんの勝利になります。この二人それぞれとポイントで競っている人は、
ようく考えて投票を。最終的な順位を左右するのは明白です」
新滝の示唆が、十人の投票行動にいかなる影響を及ぼすのか。名探偵候補た
る者、この程度のことでは影響を受けはしないかもしれないが。
「心は決まっただろうか? ――それでは、十人の名探偵候補諸君、一斉に札
を上げて」
律木、若島どちらかの名前の書かれた札が十本、さっと上がる。素早く数え
られた。
「律木春香、六票。若島リオ、四票。よって、律木さん、あなたが除外され、
最後の運試しは、若島君の勝ち残りとなった」
「わーい、って喜んでいいのかな? かな?」
タレントは自分のキャラクターをよく把握しているようだ。演技なのか地な
のか、軽々しく判断を下せないものを感じさせる。
律木は一瞬、落胆の表情を覗かせるも、一位と二位とで獲得できるポイント
差は、わずか一であることを思い出したか、じきにすっきりした顔つきに変化
した。
番組上は、ここで何名かの短いインタビューが挿入される。
若島リオ
「最後のゲームで勝ち残ったときは、実際、手を叩いて喜びたい気分だったわ。
十二人の中で、私が最も警戒されていないんだもの。私からすれば、充分にチ
ャンスありってこと。運のよさは全体で六位っていうのは、不満だけどね」
律木春香
「正直言って、複雑な気持ち。何であろうと、こんなに低い評価を受けたのは、
人生で初めて。屈辱的よ。だけれども、克服して、勝ちにつなげないといけな
い。運のポイントも高くないけれども、黙って頭を使うことには自信がある」
村園輝
「最後のゲームで早々に脱落したこともあり、最終的な順位は四位。まあ、よ
いポジションだと思います。第一関門から引き続いて、有利なポジションをキ
ープして戦うのは、今の自分にふさわしくない」
郷野美千留
「際どかったわ。もう少しで二位になるところだった。一位と二位だと、気分
のよさが全然違うのよね、やっぱり。それ以上に、たくさんの手がかりが得ら
れるってことが、重要なんだけど。せっかく巡ってきたチャンスだし、犯人当
ても一番に正解して、ポイントを稼ぐとするわ」
沢津英彦
「遊びの類は苦手という自覚はあったが、こうもできないとは予想外だ。最下
位からの巻き返しは、厳しいものがありそうだが、最善を尽くすとしよう」
十種のゲームの結果を受け、決定された運のよさは、上から順に、次の通り
である。
1.郷野美千留 2.天海誠 3.更衣京四郎 4.村園輝 5.堀田礼治
6.若島リオ 7.美月安佐奈 8.小野塚慶子 9.律木春香 10.八重
谷さくら 11.野呂勝平 12.沢津英彦
「第二関門のスタートラインが、ようやく引けた。ここからが本番だ」
「やっと、ミステリらしいミステリに取り組める訳だね」
井筒の言に、更衣が反応する。本領発揮を期する者は彼だけでない。全参加
者が、このときを待ち望んでいた。
「出題形式だが、今回はテキストを配布する。犯人当て推理小説と同じと考え
てくれていい。繰り返しになるが、他の参加者と相談するのは禁止とする。他
人のテキストの中身を見るのも禁止だ」
「与えられる証拠に差があるのなら、当然ですね」
天海が確かめるように言った。さようさようと井筒が時代がかった物腰で応
じる。
「実は、テキスト配布は済んでいる。諸君のホテルの部屋それぞれに届いてい
るはずだ。各自、これから部屋に戻り、問題に取り組んでもらいたい。調べ物
は自由だが、外部への連絡は禁ずる。食事も今回は、各部屋で摂ることになる。
他の参加者と顔を合わさぬよう、なるべく部屋に籠もっていてもらいたいのだ
が、反面、番組として絵にならないのも困るので、場合によっては我々が部屋
を訪ねたり、調べ物に着いていったりすることになると思うが、そのときはよ
ろしく」
「質問が」
村園が発言を求め、新滝が許可する。
「第二関門では、解答の回数に制限はないのでしょうか。言及がなかったもの
だから、気にはなっていたのですが」
「何度解答してくれてもかまわない」
井筒があっさりと答える。
「ただし、何度も間違えるようだと、後々、審査員の判定になった際に、不利
に働くのは当然のことだがね。早さも大事だが、正確さも大事だ」
「誤って告発した相手から賠償金を請求されても平気、という探偵さんがいる
のなら、それでかまわないですけどね」
新滝が奇妙なフォローを入れる。いや、ジョークだったのかもしれないが、
誰一人として笑わなかった。
「他に質問は? ないのなら、予定よりも少し早いが、第二段階に進むとしよ
う。諸君の幸運を祈る――文字通りのね」
井筒の声がずしりと響いた。
「ではここで、審査員の一人であり、問題作成にも携わっておられる土井垣龍
彦先生に、お話を伺うことにします。――土井垣先生、よろしくお願いします。
早速ですが、第二関門の問題作りで工夫あるいはご苦労なさった点は、何でし
ょうか」
「念頭に置いたのは、レベルです。難しすぎても簡単すぎてもいけない。バラ
ンスのよい犯人当てというのは、結構大変なんですよ。しかも、今回は名探偵
候補達が相手でしょう? 普段の読者相手というのなら、まだおおよその感覚
が掴めているからいいんだが、我こそは現実の名探偵という人達を相手にする
のは初めての経験で、勝手が分からなかったなあ」
「その上、第二関門では運の度合いによって、レベルに差を付けなくてはいけ
ないという……」
「もちろん、それもありました。まあ、大失敗ということはないでしょう。今
回の結果を参考に、よりよい物を生み出していきたい」
「それでは、工夫された点は?」
「あんまり話すと、興を削ぐことになりかねないので……小説という形式なら
ではの趣向を凝らしたつもりとだけ」
「そうですか。視聴者の皆さんに、問題の一部をVTRにしてお見せするので
すが、小説ならではとなると、映像にするのは難しかったかもしれません。と
ころで、視聴者の皆さんに見せるのは、運の順位が何位の方のがいいんでし
ょう?」
「これはもう、決めています。六位でお願いしています。一般読者を想定して
犯人当てを書くときのレベルに合わせたつもりなので」
「第一関門と第二関門の途中までをご覧になった上で、優勝の有力候補だと思
える方は?」
「今、答えるの? 無理だよ。第一、審査員がそんな発言をしたら、あとで出
る結果によっては、色眼鏡で見ていると受け取られかねない。一つ言えるのは、
犯人当てタイプの推理小説を読み慣れた人なら簡単だろう、という予想ぐらい
かな。ああ、私自身の名誉のために付け加えておくと、第二関門なんだし、超
絶に難しくしてもしょうがないと考えたから、易しくしたのだよ(笑)」
「なるほど。ところで、土井垣先生の書かれるミステリには、幾人かのレギュ
ラー探偵がいますが、今度の犯人当てではその中の誰かが登場するのでしょう
か」
「無論。読者サービス、いや、視聴者サービスかな。とにかく、観ている人へ
のサービスの意味も込め、湯上谷龍(ゆがみだにりゅう)を登場させた」
「先生が最も大事にされているキャラクターですよね。龍の名は、ペンネーム
に合わせたとか」
「合わせたというよりも、暖簾分けのようなつもりだよ。今回の作品は、犯人
当てという性格上、湯上谷探偵をいつもより若干、鈍い人物として描くことに
なったかもしれない。結果的にだがね」
「大事なキャラクターをそんな風に扱うのは、さぞかし心苦しかったのでは」
「うむ、それはあった。が、未来の名探偵のためなら、我慢もするさ(苦笑)」
「ありがとうございました」
* *
そして死の影が忍び寄る
原案:土井垣龍彦
「おいおい、まだ掛かっているのか」
迎えにやって来た湯上谷龍は、背後から私の手元を覗き込むなり、批難調で
始めた。
「確か、締め切りが迫っているのは、短編が一本だけと言っていたように記憶
しているのだが」
「余裕と思ってたよ。そこへ新聞連載の依頼があって、喜んで引き受けた訳」
私は振り返ることなく返事した。
作家になって以来、初めて新聞社からの連載依頼だった。だから、というの
も変だが、新聞連載の仕組みをよく分かっていなかった。少しずつ書いて原稿
を渡せばいいと考えていたのが、全部まとめて出すように指示されて、大いに
焦っている。短期集中連載という理由もあろうが、それにしても……。
「で、目処は立っているのかね」
「原稿そのものの完成は、もう少し先でいいんだ。明日までに、全体のプロッ
トをきっちり仕上げて、示さねばならない。粗筋はもちろん、購読者から抗議
が来るようなテーマを含んでいないか、チェックしたいとかで」
「ふむ。雑誌の類よりも新聞の方が、面倒な印象はあるな。選挙絡みとか」
分かったようなことを呟いてから、湯上谷は私の肩に右手を載せた。もう一
方の手首にある腕時計で、時刻を確認したようだ。
「で、仕上がりそうなのか。あと一時間で出発しないと、間に合わないぜ。ど
こかで昼食を摂る予定をすっ飛ばしたとしても、猶予は三時間ほどだろう」
かつて湯上谷が依頼を受け、解決した一件について、ぜひとも礼がしたいと
某大企業の社長から誘われていた。いつもなら単なる記述者でしかない私・弁
田士郎(べんだしろう)も、何の因果か、この事件のときは活躍し、社長の令
息並びに令嬢の危機を救った。ために、私もぜひにと招かれている。あの社長
の押しの強さを思うと、今更断るのも言い出しづらい状況である。
「しょうがないな。過去の事件の小説化を許可する。無論、月日が経過し、な
おかつ関係者に迷惑の及ばない事件だけだ」
「ありがたい。実はその言葉を待っていた」
時折、私が創作に行き詰まると、湯上谷は彼が引き受け、解決した依頼の中
から、適切な事件ファイルを選び、小説化することを許可してくれる。
「許可できる事件の数は、前回から増えていないが、覚えているかい?」
「ああ」
たいていは私も同行してきたし、湯上谷の扱う刑事事件の八割ほどは、強烈
な印象を残すもので占められている。
「分量を目安にすると、候補は二つ三つあるが、新聞連載は毎回の盛り上がり
が肝心だろうからね。一つに絞り込める。君が幼馴染みに呼ばれて、巻き込ま
れたあの事件だ」
「ああ……あれか」
湯上谷の声が途切れたので再度振り返ると、若干、感慨深げに遠い目をする
彼がいた。
「あれなら問題ない。各関係者から正式に許しを得ている。あとはいつものよ
うに、関係者全員の名前を仮名に変えてくれりゃいい」
「心得ている」
「それと、あの事件に君は居合わせなかったじゃないか。伝聞だけで大丈夫な
のか」
「見てきたような嘘を書く腕なら、それなりに自信がある」
冗談交じりに返事するや、私は梗概をまとめに掛かった。と、その前に確認
しておきたいことがあった。
「君があのニックネームで呼ばれていたこと、書いていいんだよな」
湯上谷は肩をすくめた。
「かまわん。別に気にすることでもあるまい」
* *
黄色の軽自動車をロータリーに一時停め、助手席側の窓を下げた私・平木舞
子(ひらきまいこ)は、駅から吐き出された人混みに意識を集中した。
「あ、龍ちゃん! こっちこっち!」
待ち人を簡単に見付け、私は顔がほころぶのを自覚した。当時憧れ、今も記
憶に刻み込まれた幼馴染みを、素直に成長させるとこうなるであろう想像図。
実際に目の当たりにした姿が、それとほぼ重なっていたのだ。
「君は……平木さん」
近付きながら向こうが言う。低いがクールさを感じさせる声だ。車を降りた
私は、とりあえず挨拶をした。
「久しぶり。覚えていてくれたんだ?」
「当然だ」
その返答に、少なからず期待してしまう。しかし、続いて出て来た台詞に落
胆させられた。
「小さい頃から言っていただろう。将来、探偵になるのが夢だと。記憶力がよ
くないと、探偵は務まらない」
「あ。そ、そうね」
感情を面に出さぬように努めながら、私は前々から聞いてみたかったことを
口にした。
「ということは、今、探偵をやっているの?」
「そうとも。結構、活躍しているんだぜ」
少し誇らしげになる。微笑ましく思いつつ、意地悪を言ってみたくなった。
「本当かなあ? 活躍してるのなら新聞やテレビに名前が出てもいいのに、全
然、聞かないわよ」
「本名を無闇に明かして活動してちゃあ、探偵を続けるのが難しくなるじゃな
いか」
「えー? そんなに危ない仕事を引き受けてるの?」
「ああ。……詳しい話を聞きたいのなら、先に車に乗せてくれないか。迎えに
来てくれたんだろう?」
いけない、と思わず小さく呟き、私は運転席側に回った。助手席側のドアを
開ける。
「荷物は後ろに」
「分かった」
二十秒後、私と龍ちゃんを乗せた黄色の軽は、やや騒がしく出発した。
この大型連休を利して、小さい頃の仲よし六人組が集まり、ちょっとした同
窓会を開くことになったのは、仲間内でおめでたいことがあったからだ。
「――それにしても、川野の奴が園島さんと婚約とはね」
実際に関わった事件について、手短に済ませると、龍ちゃんは話題を換えた。
「名探偵でも予想外だった?」
「ああ。予想をすることすらしていない。だが、園島の家が一財産築くのは、
確実とは言えないまでも、予想の範囲内だったろう」
美幸ちゃんのおじいさんやお父さんは、資源やエネルギーこそ経済発展の命
脈という信念の元、昔から積極的かつ継続的に投資してきた。その入れ込みよ
うと来たら、企業の株を買うだけでは飽き足りず、鉱山そのものにまで手を出
すほどだった。浮き沈みは結構激しかったみたいだけれど、今や大きなお屋敷
を構えるまでになった。
「――なんて、小学生の頃の私には、全然、想像できなかったわ。というより
も、美幸ちゃんのお父さんが何の仕事をやっているのかが、分からなかった」
「ならば、中学生の頃には気付くべきだな」
「ちゅ、中三の頃には理解していたわよ。何となくだけれど」
「川野の奴は、何をしているんだろう? 高校を卒業したあとは、あまり交流
がなかったから知らないが、まさか家業を継いだとも思えない」
川野君――他人の旦那様になる人をニックネームで呼ぶのはよそう――は、
豆腐屋の一人息子で、父親は当然、継がせたがっていたみたい。でも、大手ス
ーパー進出の煽りを食らった格好で経営不振に陥り、私達が進路を決める頃に
は、店を続けるかどうかの瀬戸際だったらしい。だから、というのもおかしい
が、川野君は親の同意を得て、大学に進めた。
「それで、今は食品メーカーの研究員。太ったんだよ。新製品を作る部署で、
試食の機会が多いせいね」
「そいつはまずい。結婚したら危ないな」
龍ちゃんが真剣な物腰で言うものだから、私は一瞬だけ、前方から視線を外
した。「え?」とだけ聞き返し、また運転に集中する。
「ますます太るってことさ」
気抜けするような返事。真顔で冗談を言う人だったと思い出した。
「で、園島は? 家事手伝いか」
「一応、大学では経済学部に入ったものの、家族の期待に合わせた選択だった
みたい。挫折して、デザインの専門学校に入り直して、現在はジュエリーショ
ップで修行中って聞いてる」
「結婚したらやめるんだろうか」
「そのつもりはないみたいだけど、どうなることかしら。――随分、根掘り葉
掘り聞きたがるわね。気になるの?」
多少の嫉妬込みで、私は尋ねた。
「大した意味はない。ただ、名探偵の行くところに事件ありと言うだろ。ひょ
っとしたら、この集まりでも何か事件が起きるのではないかと思ってね。念の
ため、下調べというか、予備知識を頭に入れておきたい」
「考えすぎ。ていうか、それ、ドラマか何かの話でしょ。現実には……」
また冗談だと決め付けた私に対し、龍ちゃんは相変わらずの真顔で応じる。
「他の探偵がどうかは知らないが、自分の場合は犯罪に巻き込まれる確率、か
なり高いと感じている」
事実だとしたら、本当に名探偵だわ。依頼を受けるだけでなく、知らず知ら
ずに事件と関わるなんて。そう思ったが、口に出さずに私は会話を続けた。
「だったら、私や他の人達についても、近況を知っておかなくちゃいけないん
じゃない?」
「聞かせてくれるのなら」
リクエストに応え、簡単に説明する。
「連君は大学を出たあと、しばらくぶらぶらしていたけれど、家業を継いで、
バイクショップの店長に収まってる」
「予想の範囲内だが、店長とは早いな。連城のところって、まさか親父さんに
何かあったのか」
「それがね、交通事故に遭って。幸い、命に別状はなかったのだけれど、どち
らかの手に麻痺の症状が出て、よくならないんだって。ちょうど二年になるか
な。手以外はしっかりしているけど、すっぱりと店長を息子に譲って、サポー
トに回ったそうよ」
「ふむ……」
龍ちゃんの横顔は何か言いたそうに見えたが、切り出す気配は収まってしま
ったので、私の説明は次の人物に移った。
「猛は、龍ちゃんもある程度知っていると思うけど、地元の建設会社に入社し
て、ばりばり働いてる。けど、ばかもやってるから、出世は望めないわね。喧
嘩っ早いのに加えて、お酒を飲むようになったし」
「解雇されないってことは、警察沙汰にはなってない訳だ。沼の奴らしい」
下の者に対しては面倒見がよく、上の者からは好かれるタイプといったとこ
ろか。企業の野球チームではクリーンナップとやらを務め、また、暇さえあれ
ば、近所の子供に野球を教えている。
「さて、最後になりましたが、この私は」
「念願叶って、地元に戻り、チェーン店を任される身分になったんだろ」
「さっすが、名探偵」
「ばかにするなって。車の横に、でかでかと店名が書いてあるじゃないか」
国内に広くチェーン展開する、パンとケーキの店。黄色はイメージカラーな
のだ。
「食べ物屋の店長が、店を放ったらかしにして大丈夫なのかねえ」
「信頼できるスタッフに任せています。それにさあ、連休突入直前だから、迎
えに行けるのが私しかいなかったの」
感謝してよねとばかり、さりげなく?アピール。
「主役の二人に迎え役はさせられないし、猛は早くても夕方まで仕事。連君の
とこは、遠出の前に具合を見てくれっていうライダーさんが多く来るんだって。
明日からは、お父さんや他の店員さんに任せるらしいけれど」
「それはそれは。僕さえ来なければ、平穏無事だったのに」
「ちょ。そんなこと言ってない」
慌てて表情を窺うと、彼は皮肉っぽい笑みを浮かべていた。また冗談に引っ
掛けられた。
「到着は、もうそろそろかな」
のんきな調子で、探偵の龍ちゃんはのたまった。
――続く