AWC 小説の書き方1     つきかげ


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#316/598 ●長編
★タイトル (CWM     )  08/02/19  02:15  (155)
小説の書き方1     つきかげ 
★内容                                         08/02/19 23:28 修正 第2版
「小説の書き方を、教えてください」
 彼女は、入ってくるなりそう言った。灰色のジャケットに空色のブラウスと
いう、うちの学校の中等部の制服を着ている。
 ただ、彼女が普通の中等部の生徒と異なるのは、黄昏の太陽みたいに黄金色
に輝く髪を持っているのと、冬の青空のような蒼い瞳で僕を見つめていること
だった。そしてフェルメールの絵に登場する少女のように神秘的で整った顔を
僕にむけ、笑みを浮かべている。
 僕は、戸惑いながら彼女に聞いた。
「君は、一体誰だい」
 彼女は、怪訝な顔で一瞬僕を見たが、すぐ笑みを戻して答えた。
「ここの中等部の生徒ですよ。クレア・風音といいます。今日転校してきまし
た」
 僕は、納得した。いくら中等部の生徒であったとしても、これだけ目立つ娘
がいれば知らないはずはない。
「風音さん、」
「あの、クレアと呼んで下さい。そう呼ばれるほうが好きなんです」
「じゃあ、クレア。なぜここに来たの? ここは高等部の文芸部の部室だよ」
「えっと、中等部の文芸部には小説を書く人がいてなかったので」
「なるほど」
 僕は溜息をつく。いまや、文章を綴って物語を編み上げるというのは、古典
芸能的なものになっているらしい。
「では、自己紹介をしておこうか。僕は蛭間といってここの部長だ。さらにい
っとくと事実上活動している部員は僕だけだ」
「知ってますよ。中等部で聞いてきましたから。それと蛭間さんの文章も読ま
せていただきました」
 クレアは無邪気な笑みを浮かべて、晴れ渡った青空のような瞳で僕を見つめ
る。
「じゃあ一応質問しておこう。なぜ小説の書き方を知りたい?」
「小説を書きたいからです」
「うん。では、なぜ小説を書きたいんだろう?」
 クレアは少し戸惑った顔を僕に向ける。
「言わないと、いけませんか?」
「強制はしないさ。ただ答えによって教え方が変わるかもというのはある」
「ただ書きたいから、ではだめでしょうか」
「十分さ。では、教えてあげよう。小説の書き方を」
 僕はクレアにほほ笑みかける。彼女はまじめな顔で、僕を見つめた。
「まず、小説以前に文章をくこと自体に色々作法がある。例えば、三点リーダ
ーの使い方、感嘆符や疑問符の使い方、それに句読点や括弧の使い方にももち
ろん作法がある」
 神秘さの漂う瞳で僕を見つめるクレアに、話を続ける。
「小説の書き方そのものについても、色々やり方はある。例えばストーリーに
対するプロットの立て方。事実を時系列に並べていくのはストーリーで、それ
に対していかに物語を組み立てるかはプロットといえる。また、シナリオ理論
ではミッドポイントというのがある。映画なんかは言ってみれば俳句のように
厳密なフォーマットを持っているんだ。まず、三つのステージに分けられる。
それを序、破、急と呼んでもいい。このステージはほぼ時間を等配分される。
さらに二つ目のステージ、つまり破の部分の丁度中心。そこにミッドポイント
がある。このポイントで決定的に物語が動き出すような事件を持ってくる。あ
あそれと、視点の問題もあるね。その物語は誰の目を通して語られるものであ
るかを、意識しておく。そしてその視点から世界をみるカメラワークも意識し
ておく必要がある」
 僕は少し言葉を切って、クレアを見つめる。クレアはにっこりと僕に笑みを
投げかけた。
「こうしたものとは別に、哲学者のジャック・デリダの言っていたパフォーマ
ティブ、コンスタティブという概念もある。小説は基本的にはパフォーマティ
ブな言説だと言える。それは何かを伝えるということよりも、表現するという
ことに重きをおく言語だということ。だけどコンスタティブな言説として小説
を機能させることも可能だ。特殊な例をあげると森鴎外の舞姫。あれはたった
一人の人間に伝えたいことがあったが故に、コンスタティブな機能を付加され
ている」
 クレアはじっと僕のいうことに耳を傾けているようだ。
「で、いよいよ本題に入ろう。小説を書くにはどうしたらいいか? まず僕が
今説明した事は全部忘れていい」
「全部、ですか?」
 クレアの問いに、僕は答える。
「そう、全部だ。必要なのは一つだけ」
 クレアはにっこりとほほ笑みながら、僕の言葉を待っている。
「生きた言葉を書くことだ」
「生きた言葉?」
 クレアの問いに僕は、笑みを返す。
「作家のウイリアム・バロウズは法律の条文や契約文章といった生成文法に対
して忠実な文章をさして、死んだ文章、ゾンビの文章と呼んでいる。小説は本
来そうした文章と対極をなすものだ。さて、生きた文章を書くというのは簡単
な話のように聞こえる。でも、実際どうすれば生きた文章をかけるのか。クレ
ア、君はどう思う?」
 いきなり問いかけられて、クレアはえ? という表情になる。戸惑い気味に
僕を見つめた。
「これも答えはとてもシンプルだ。書きたいことを書けばいい。魂の要求に忠
実であればいい。そして、いつも心の奥底へと沈んでゆき、そこから湧き上が
るものに耳を傾けるんだ。判るかいクレア」
 クレアはにっこりとほほ笑んで、僕に頷いた。
「判ります。私の知りたかったのはそれです」
「それ?」
「ええ。心の奥にあるものにどう形を与えるかということ」
 僕は笑った。
「それなら、わざわざ僕に聞くことなんてなかったはずだ。意識を空白にして
自分の中だけを見つめること。そうすれば、心は自然と語り出す。それはある
意味釣りに似ているね。無意識の大海に向かって針を下ろす。釣り餌として血
を流すことを要求されるかも知れないが、大したことじゃない。肝心なのは待
つこと。あせって釣り上げる前に書き出さないことだ」
 そのとき、突然僕たちは声をかけられた。
「おい、なにしてるんだ」
 クレアは悪戯を見つけられた子供のように、すこし舌をだすとふりむいた。
「カイ、ごめんなさい」
 少年がドアのそばに立っていた。中等部の制服を着ていたが、クレアとは別
の意味で目立つ格好である。金色に染め上げられ逆立った髪。耳には幾つもの
ピアス。鋭い光りを放つ瞳は僕を射貫いている。
「クレア、もう帰る時間だぞ。速くしな」
「はあい」
 クレアは立ち上がると、僕にぺこりと頭を下げた。そして、カイのほうへと
駈けて行く。部屋からでたクレアと入れ替わりでカイが僕の前まで歩いてくる。
「あんたが、蛭間さんか」
 カイは真っすぐ僕を見つめ、品定めをするように言った。
「そうだけど」
 僕はパンク風スタイルの少年の無礼なものいいは、無視した。
「君はクレアと同じ転校生なのかい」
 カイは、少し口を笑う形に歪め答える。
「そうだ。なあ、蛭間さん。クレアはえらくあんたの書いたものが気に入った
ようでね」
「へえ、大したものを書いた覚えはないんだが」
「ああ。大したものじゃあなかったな」
 僕は苦笑する。
「君も読んでくれたのか。ええと」
「天河海。カイと読んでくれ」
「カイ、どの作品を読んでくれたんだい?」
「作品というほどのものとは思えなかったが」
 僕はカイの挑発的な口調に、肩を竦める。
「フランスの修道士が中東へ行って、グノーシスの秘密を悪魔、つまりバフォ
メットの姿に身を窶した救い主から教わったというやつ。キリストはイエスに
宿った別の次元界からきた生命体、とかいう馬鹿げたことがグノーシスの秘密
だった、ていう話だ」
 僕は、カイに頷きかけた。
「ベルナール・ド・クレルヴォーをモデルにして書いたやつだね。君の感想は
どうなんだい? カイ」
 カイはシド・ヴィシャスのように口を歪める。
「うんざりしたよ」
「へえ、どのあたりが」
「いかにもクレアが気に入りそうなあたりだよ」
 僕は苦笑する。これだけ判りやすいと、清々しいものがあった。カイは僕を
睨みつける。
「なあ、蛭間さん。ひとつ警告しておこう」
「なんだい」
「クレアに関わらないほうが、身のためだぜ」
 僕は思わず笑ってしまった。カイは憮然とした顔付きになる。
「なあ、判ってないようだが」
「判ってるよ。僕からも一つ言わせてもらうが君はどんな権利があってクレア
を束縛するんだ」
 カイは疲れきった顔になる。
「そんな話してねえだろうが。おれはあんたに」
「彼女は僕に小説の書き方をきいた。僕は教えた。今日の話の続きを聞きにく
れば、僕はまた説明をする。それを止める権利は君にないだろう」
 カイは少し哀れむように僕をみた。
「めんどくせえな、あんた。好きにすりゃあいいよ。ただ一つだけ言っとくが、
間違いなく後悔することになるぜ。おれたちは」
「君と僕がかい? 君はクレアのなんだい」
「やっぱ、あんたうぜえよ」
 そのとき、ドアのところから声がした。クレアだ。
「カイ、いつまで待たせる気なのよ」
「おう、今行くよ」
 カイは、僕を殺しそうな目で見つめた。僕はくすくす笑って眼差にこたえる。
「さよなら、カイ」
「あんたは、どうしようもない馬鹿だぜ蛭間さん。殴ってやりたいところだが
、意味がないんでやめとくよ」
 そう言い終えるとカイは部屋から出た。なんとも可愛らしいカップルじゃな
いか。問題は痴話喧嘩に僕が巻着込まれていることだが。




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