AWC 沈黙のバレンタイン 下   永山


        
#315/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  08/02/19  00:00  (224)
沈黙のバレンタイン 下   永山
★内容
 運び込まれたときの白島は、痙攣状態に陥っていたという。その直前には目
眩を訴え、動悸が激しくなり、嘔吐したとのことで、青酸系毒物の典型的な中
毒症状らしい。一命は取り留めたが、回復はまだ完全でなく、精神的ショック
を受けたこともあって、入院は長引く模様だ。
 パルティアの商品――アップルパイを口にしたあと、症状が出たという流れ
故、当然、店と店員が調べられた。しかし、結果は空振りに終わった。同行し
た横田を含め、他に犠牲者はなく、調理場や残っていた商品から毒物が検出さ
れることもなかったのだ。
 警察は連続毒物混入事件と判断し、僕らを再び事情聴取した。加えて、当日、
殿村家で出されたお茶と菓子についても検査を行ったが、めぼしい手掛かりは
得られていないようだった。
 閉塞状況が続く中、先輩の一人の号令で、僕ら事件関係者は部室に集まった。
風尾仁詩、院に進んだ人で、たまに顔を出すので、僕ら現役部員とも馴染みで
ある。二月上旬から東北の方で開かれた学会だか研究会だかに参加するため、
しばらく本学を離れていたそうだ。事件は報道で聞き及んでおり、気になって
いたという。
「本当は、もっと早く君達に会っておきたかったんだ。ひょっとしたら、僕も
何ら方の形で役立てるかもしれないと思ってね」
 いささか意味深な導入を経て、風尾はまず、僕らにいくつかの事実確認をし
た。それから、飲食物なしの検討会が始まった。議題は、殿村威彦の毒殺及び、
白島レミの中毒事件。
「最初に考えてみたいのは、殿村は犯人をいかにして知り得たか、ということ
だ。殿村は犯人をいかにして知り得たか――みんな気付いているかもしれない
が、この問い掛けは実は正しくない。厳密には、殿村はいかにして和山田を犯
人だと思ったか、とすべきだろう」
 風尾の目が僕へ向く。僕は首をすくめ、何となく頭を振った。心当たりがな
いという意思表示のつもりだった。風尾の話は続く。
「犯人がコップに何かを入れる場面を目撃した? だが、和山田君には不可能
だ。角を挟んで両隣に座っていた白島さん、江口君の両名も、距離的に無理。
可能性があるのは、コップを配った藤君か、ジュースを注いで回った横田さん
のいずれか。にも拘わらず、殿村は君を名指しした」
 また僕を見やる。今度は無反応でいた。
「そこで注目したいのが、藤君のコップの外側からも、極微量の毒が検出され
た事実。何故、そのようなところからも毒が出たのか。殿村のコップに予め塗
られていた毒が、他のコップに移ったと考えるのが、妥当ではないだろうか。
 コップを配った順番を確かめてみよう。藤君は、まず自分用にと、きれいな
コップを選んだ。いつもの通り、上から二番目を――だったね」
 藤は「そうです」と肯定した。満足げに頷いた風尾は、唇を湿してからさら
に続けた。
「藤君は次いで席を立ち、上座に向かいながらコップを配り始める。一番上が
江口君に、上から三番目が殿村に渡り、四番目が白島さん、五番目が横田さん、
六番目が和山田君の手に。三番目の内側に塗ってあった毒が、二番目の外側に
移ることに矛盾はない。
 ここでポイントになるのは、コップを配る順番及び部室内の座る位置が固定
化していたことだ。言い換えるなら、前もって上から――たとえば三番目のコ
ップに毒を仕掛けておけば、殿村に飲ませられる訳だ」
 白島レミが倒れた日、僕が車中で彼女や横田と交わした会話が甦る。風尾は
そこへ、僕を驚かせることを言い足した。
「和山田君、君が犯人たり得るとすれば、この方法しかない。しかし、これと
て、殿村が和山田君を犯人だと考えたこととはつながらない。毒を事前に仕込
む和山田君を、殿村が目撃したのでもない限り。では、事実、そのような場面
を目撃したのだろうか? まさか! 万が一そうだとすれば、その場で問い質
すに違いない。毒殺計画は潰れていたはずだ。
 他の人の場合も考えてみよう。
 藤君が犯人だとすれば、毒をこんな杜撰に扱うのはおかしい。下手をすると、
自分自身も毒を口にすることになる。そもそも、君が犯人なら、予めコップに
毒を仕込むという危険な方法より、コップを配るときに毒を入れる方法を選び
そうなものだ。同じ理屈で、横田さんも違う。
 検討していくと、殿村は犯人を特定できるはずがないのに、特定したとしか
思えない。殿村の思い込みだろうが何だろうが、毒を入れたのが和山田君であ
るという理屈は、成り立たない。なのに、和山田君を名指しした。
 何故、こんなことに? まず僕が思い付いたのは、真犯人を庇ったのではな
いか、という説なんだが……庇うのなら、黙って死ねばいい。いくら前の恋人
の新しい彼氏だからって、濡れ衣を着せるのはやりすぎというものだ。
 次に浮かんだ説は、その濡れ衣から連想したんだが――殿村は和山田君に罪
を被せたかったのではないか」
「にしても、やりすぎには違いないでしょう」
 思わず、といった感じで、江口が口を挟んだ。
「犯人を庇うという理由がない分、悪質とさえ言えますよ」
「第一、動機が……」
 横田がおずおずと言った口調ではあるが、援護射撃をしてくれた。当人たる
僕自身は、無言でいた。濡れ衣を着せられるほど恨まれてたなんて、とても信
じられないのだ。
 だが、風尾はいとも簡単に言い放った。
「動機なら、あるじゃないか。さっきも言ったように、和山田君は白島さんの
彼氏だ。殿村にとっちゃ、これだけで憎むのに充分だった」
 だから、それが信じられない。思い切って反論をしてみた。
「じゃあ、殿村部長は毒で苦しみ出した瞬間、もう死ぬんだと悟った。このま
ま無為に死ぬくらいなら、憎い和山田に罪を被せてやろうと思い付き、僕を名
指ししたと言うんですか? 苦しみの真っ直中にいるのに、計算高すぎる。第
一、死ぬかどうかなんて、毒で苦しんでいる内はまだ分からないんじゃないで
すか? なのに真犯人を放置して、僕を名指ししたと?」
「毒を仕込んだのが、殿村自身だとしたら、どうだろう?」
「え?」
 何を言い出したのか、耳を疑った。ぽかんとしたのは僕ばかりでない。他の
現役部員達も同様である。風尾は得意げになるでもなく、整然と詰める。
「現場に居合わせたミス研部員の中で、毒が盗まれた時間帯にアリバイがない
のは、殿村だけなんだろう。可能性は大いにある」
「――じ、自殺だと言うんですか? 自らの死を賭して、恋敵を陥れたと?」
 藤がどもりながら聞き返す。普段、超然としている分、そのコントラストが
顕著だ。
「違うよ。元々、殿村は和山田君を殺すつもりで、毒を仕込んだんじゃないか
と、僕は考えている。その目論見が、あるハプニングによって狂い、当人が毒
を飲むことになった」
 話し手は分かりやすく説明したつもりかもしれない。だが、僕らは――少な
くとも僕はまだ飲み込めないでいた。
「毒を飲んで苦しみを覚えた瞬間、殿村は理解したはずだ。何故だか分からな
いが、致死量相当の毒を飲んでしまった。もう助からない。だったら、殺すつ
もりだった和山田を犯人に仕立てて死んでやるっ――これなら十二分にあり得
る心理状態ではないかな」
「仮に当たっているとして……どんなハプニングがあったというんです?」
「ここからは想像じゃなく、事実になる。だからこそ、事件解決に、僕が役立
てるかもしれないと考えたんだが……事件の前日の夜、僕はこの部屋に来たん
だ」
 思わぬ話に、誰もが「えっ」となった。風尾の話では、その夜、旧友四人の
訪問を受けたあと、雑談するための適当な場所がなく、この部屋を借りようと
考えた、そんな経緯だった。
「――問題の紙コップをテーブルに適当に出したところで、警備員に見付かり、
出て行くように言われた。急かされたが、コップは重ね直して、元に戻したん
だよ。そのとき、コップの順番が変わったに違いない。もしも殿村が、和山田
君を狙って六番目のコップに毒を塗り付けたとしても、それが何番目になった
かは分からないんだ」
「でも、その夜は風尾先輩を含めて、五人しかいなかったんでしょう? なの
に、六番目のコップに影響が?」
 江口が当然の疑問を出した。
「明言はできないが、急いでいたからね。一つか二つ、余分に、取り出したと
思う」
 何とも言えない奇妙な空気が、室内に満ちる。風尾の推理が事実を射抜いて
いるとしたら、殿村には天罰が下った格好になる。
「で、でも」
 横田が思い出したように手を打った。
「殿村部長が犯人で、死んでしまったのなら、あとに起きた白島先輩のことは
どうなるんでしょう?」
「最初の事件が殿村の仕業だとすると、二つ目の事件も恐らく、殿村がやった
んだと思う。殿村の仕掛けが死後、機能した形で」
「意味が分かりません」
「君達には内緒にしていたことが、もう一つある。事前に、殿村の妹さんに話
を聞いておいたんだ。パルティアとかいう店のクーポン券を、白島さんと横田
さんに一枚ずつ、しかもわざわざ封筒に入れて手渡したのには、理由があるの
かい?と」
「クーポン、関係ありますか? それに、一人ずつ渡すのに、理由も何もない
気がしますけど」
 横田が訝しげに眉根を寄せる。そして、自身の手のひらを見つめた。
「気を遣う必要のない仲だろう? ましてや一枚なら、封筒に入れなくていい
じゃないか。クーポン券二枚をまとめて白島さんに渡しても事足りるだろうに、
どうして一枚ずつ渡したのか」
「それは、えっと」
「ま、殿村由香の話を聞いてから、判断してほしい」
 風尾はそう前置きし、経緯を説明してくれた。
 殿村兄妹はそれぞれ専用のパソコンを所有している。兄の死から三日後、由
香のメールアドレスへ、威彦名義のアドレスからメールが届いた。送信日時は
事件が起きた日の前日。着信日時指定サービスを使ったと見られる。
 問題はその中身である。『由香がこのメールを受け取ったとしたら、俺はす
でに死んでいるはずだ』との書き出しで始まるメールは、殿村威彦が自身の死
後、メールを受け取ったことを秘密にした上で、これこれこうしてほしいとい
う指示が書き連ねてあった。その内で、事件と関連がありそうなのは、次の一
点。
『おまえからもらったパルティアのクーポン券、二枚残ったから、白島レミと
横田亜紀の二人に、おまえからだと言って渡してくれ。白い封筒に入れた物を
レミに、黄色い封筒に入れた物を横田に、それぞれそのまま渡すように』
 これに従ったあと、白島が毒を飲まされたと知り、由香は動揺していた、そ
こへ風尾が話を聞きたいと言ってきたため、打ち明ける決心をしたと思われる。
「つまり、一枚ずつ、封筒に入れて渡すのは、殿村威彦の指示だった訳だ。し
かも、色で区別までして。ここに何かあると考えるのは、当然の流れじゃない
か」
「でも、物は毒ですよ。口にする物に入れないと、無意味では」
 江口の意見に、僕も黙って頷いておいた。
「白島さんに渡すクーポン券にのみ、毒を塗っておけばどうかな。毒は手や指
に移り、手から食べ物に移り、そして口に入る。アップルパイを食べるとき、
手で直に触ることは充分にあり得るんじゃないか」
「……確かに、あの店のアップルパイは、包み紙がありますけど、半分を過ぎ
ると、手で掴まないと食べにくいです」
「傍証になるね。幸い、致死量に達しなかったため、白島さんは助かったが、
殿村由香は大変気にしている。兄の威彦が、毒を盗み、殺人に用いようとした
ことにも感付き、警察に話そうかどうしようか、一人で悩んでいる。いや、警
察に話すのは当然なんだが、僕は何も言えなかった。殿村の死は、僕にも一因
があると言えるしね。彼女自身が罪に問われるかどうか分からないが、殿村威
彦の罪で、その家族まで悪く言われる事態は目に見えているし、由香の大学進
学だって怪しくなる。だから、君達、特に和山田君――」
 風尾に名を呼ばれ、僕は瞬きを激しくした。何を言われるのだろうか。
「君と白島さん次第なんだと思う。被害者の立場の君達に、殿村威彦を許せと
は言えないし、許す道理もないが、その妹まで許せないことはないだろう?」
「それはまあ……少なくとも僕は許しますよ。知らないでやってしまったこと
ですから」
 白島はどうだろうかと懸念しつつ、僕は答えた。
「ならば、そのことを言葉にして、殿村由香に伝えてやってくれないかな。警
察に話す決心が付くに違いない」
 僕は承諾した。もし白島が渋ったら、説得するのに苦労しそうだけれども。

           *           *

 兄さんが白島レミにふられたのは知っていたけれど、まさか、和山田さんを
逆恨みして、殺そうと考えるほど執着していたなんて……予想外だったわ。実
行に移される前に気付いて、本当によかった。
 けれど、毒物を入手するために、盗みまでするくらいだから、簡単にはあき
らめないはず。この毒を隠したぐらいじゃあ、きっとやめない。かといって、
警察に通報するのは、できれば避けたい……。
 いっそのこと、兄さんに死んでもらおうかしら? その方がこの先、私にと
っても幸せだわ。いつ和山田さんを殺されやしないか、ひやひやして暮らすよ
りも、ずっと平和というものよ。
 どうやって殺す? ――兄さんの計画を逆手に取れば簡単。私もあの部屋の
ロックを解錠する番号、知ってるんだから。兄さんが束になった紙コップの六
番目に毒を仕掛け終わったら、そのあと、私はこっそり、部室に入る。そして
念のため、上から六つ目までのコップを取り除き、改めて三番目のコップに毒
を塗る。これで、兄さんが毒を飲むことになるわ。
 うまく行ったら、次は白島レミを始末しよう。私が和山田さんを得るために
は、あの女が一番の邪魔。うまい方法はまだ思い付かないけれど、昔の男を始
末したが、ばれそうになった挙げ句、自殺したように見せかけられたら最高ね。
 ああ、でも、万が一に備えて、兄さんが犯人であるかのように細工するのも、
忘れないでおかなくちゃ。事実、兄さんは殺人計画を立てているんだもの。偽
装自体は楽にできるに違いない。

           *           *

 何てこと! 本当に万が一の事態になるなんて!
 兄さんが死んだまではよかったのに、そのあとが最悪。私の殺したい本命、
白島レミは死ななかったし、ミス研OBの人に、兄さんが元々していた計画を
感付かれるだなんて、予想外中の予想外よっ。
 こうなったらプランBってやつね。家族として汚名を被らざるを得ないのは
我慢するから、兄さんに犯人になってもらうしかないわ。和山田さんと同じ大
学に通えなくなる可能性があるのは悔しいけれど……この状況を利用してやる。
思いっ切り同情を引いて、和山田さんの目を白島レミから私へと向かせてみせ
る。
 それにしても、あのOBは要注意だわ。今はまだ大丈夫みたいだけれど、い
ずれ、ひょっとしたら裏の裏まで見抜かれてしまうかもしれない。だいたい、
あのOBがコップに手を加えていたなんて! 運が悪ければ、和山田さんが毒
を飲んだ恐れだって、あったんだわ。私にとって疫病神の存在。
 残りわずかになった毒……白島レミに使うよりも、あのOBに使う方がいい
かしら?

 あ、誰か来た。――この声、和山田さんだわ。
 こういう展開って……期待して、いい?

――終わり





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